内なる欠乏

 終業のチャイムが鳴り、生徒達はそそくさと帰り支度を始めていた。ユニフォーム片手に部活に向かおうとする男子生徒。帰りに喫茶店に寄る話をしている女子生徒。様々な姿が見られたが、凜はそんな周りの生徒の姿には目もくれず、鞄を肩にかけるとさっさと教室を後にしようとした。


「……それで、こないだ駅前に新しいカフェができたんだって! そこのパフェがすっごい美味しいらしくて、今日行ってみない?」


 教室を出る直前に久美の声が聞こえた。凜がちらりと視線をやると、久美のグループがかしましくお喋りをしているのが見えた。皆、久美の提案に大賛成というように手を叩いて喜んでいる。

 その中には侑李の姿もあった。他の女子生徒のように久美の機嫌を取ろうとはせず、何も言わずにただ微笑んでいる。侑李にはそういうところがあった。場の空気に呑まれず、いつも一歩引いたところから周りを見つめているようなところが。


 凜がそんなことを考えていると、不意に侑李がこちらを見た。凜が慌てて目を逸らそうとすると、侑李は凜にしかわからないように小さく肩を竦めて見せた。


『まったく、久美の思いつきには困ったものね。皆もみんなで、久美の言うことに賛成するしかないんだから』


 凜には侑李がそんな風に言っているように見えた。凜は侑李の方に視線を戻すと、こちらも侑李にしかわからないように悪戯っぽく笑って見せた。


『ホントそうだよね、急に言われたって困っちゃうし。あたしなら絶対行かない』


 侑李がふっと口元を緩めたのを見て、凜は自分の考えたことも侑李に伝わったのだろうと思った。

 こんな風に、凜と侑李は言葉を介さないで会話をすることが時々あった。直接話をすることはできなくても、こうして二人にしかわからない形で思っていることを伝えられる。凜はそれが嬉しかった。表面的なお喋りで盛り上がるよりも、その方が心の底で繋がっているような感じがするからだ。


 凜は久美のグループから視線を外すと、鞄をかけ直し、今度こそ教室を出て行った。


 


 高校生にもなれば、部活に入るか入らないかは個人の自由だ。凜は当然帰宅部だった。早くもランニングに精を出す野球部員を尻目に、凜はまっすぐ正門に向かっていた。


「葉月!」


 不意に後ろから声をかけられた。凜が振り返ると、サッカー部のユニフォームに身を包んだ背の高い男子生徒が、こちらに向かって走ってくるのが見えた。


「鷹! どうしたの? これから練習?」


 凜は驚いて声を上げた。彼は柏木鷹行かしわぎたかゆき。爽やかな長身のイケメンで、ファンクラブができるほど女子に人気のある男子生徒だ。凜とは隣のクラスだが、中学の時はクラスが一緒でそれなりに仲良くしていたため、今もたまにこうして話をすることがある。地元の中学からの進学者が少ない菖蒲高校の中では、鷹のような存在は貴重だった。


「うん。そうなんだけど、教室に忘れ物しちまってさ。取りに行こうと思ったら葉月がいるのが見えたから声かけたんだ。今帰り?」


「うん。でも大変だね、練習。サッカー部って確か毎日あるんでしょ? あたしは帰宅部だから気楽だけど」


「うーん。大変は大変だけど、好きでやってることだから楽しいよ。それより……」


 鷹は不意に凜の方に顔を近づけると、片手を口元に添えるようにして尋ねてきた。


「葉月、お前クラスで大丈夫か? ハブられてるって聞いたんだけど……」


 隣のクラスである鷹は、凜が置かれている実情について詳しくは知らない。それでも、学校での噂というのはすぐに広まるものだ。誰と誰が喧嘩しているとか。誰々が学校に来てないとか。入学当初は自分のことも噂になったのだろうけど、噂はとっくに過ぎ去っているだろうと凜は思っていた。


「あぁ……平気平気。かわいそうな子って思われてるかもしれないけど、あたし、気にしてないから」凜は何でもないように言った。


「そうか? ならいいけど……。もし何かあったら相談しろよ。俺にできることだったらするからさ」鷹が心配そうに眉根を寄せて言った。


「うん、ありがとう。それじゃね」


 凜は簡単に返事をすると、鷹に背を向けて正門の方へ歩いて行った。あっさりと話を切り上げられ、鷹は拍子抜けしたようにぽかんとその背中を見つめたが、すぐに自分の用事を思い出して教室の方へ走って行った。


 


 正門を抜け、しばらく歩いたところで凜は立ち止まった。生徒達がわいわいとお喋りをしながら凜の脇を通り過ぎていく。

 凜は表情を険しくしてじっと足元を睨みつけていたが、やがて脱力したように大きくため息をついた。


 自分がクラスでハブられている。それを聞いて鷹はどう思っただろう。凜は友達を作るのが苦手なタイプでもないのになぜだろうと不思議がっただろうか。それとも、よくある女子の諍いに巻き込まれたのかと心配しただろうか。

 鷹がどう思ったにせよ、凜は鷹にその事実を知られるのが嫌だった。中学の時から一人でいた子ならともかく、高校になっていきなりクラスで孤立しているなんて、中学からの同級生である鷹にそれを知られることが恥ずかしかったのだ。


 強がってはいても、凜は内心では普通の高校生活を送りたいと思っていた。朝は友達と一緒に登校して、昼休みには机を囲んでお弁当を食べて、放課後には連れだって喫茶店に寄ってみたかった。みんなが当たり前に過ごせている毎日が、どうして自分にはないのだろう。凜は寂しかった。

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