第16話 学び舎の狂走

 随分と逡巡しゅんじゅんした後、ようやく女教師・前園しずかは口を開いた。眉を歪め、どこか困ったように笑いながら肩の力を抜いて語り掛けてくる。


「ちょ、ちょっとなによ、二人共。それ、どういう意味なの? 私が“タケ爺”の――春日ってお爺さんの過去に関わってるですって?」


 彼女の態度はどこか砕けていたが、優司と真琴はまるで笑みなど浮かべない。ただ静かに黙したまま、大げさに身振り手振りをするしずかを見つめていた。

 明るく、常に快活だったかつての“委員長”は、時を経て凛とした強さを兼ね備えた女教師に成長していた。だが二人の目の前にいる彼女は、その先――今まで決して感じ取ることのできなかった、底知れぬ“影”のようなものを纏っているように感じる。


 声が、動作が、笑顔が――すべてがなぜかひどく胡散臭く、しずかの表情のその上を、不可視の“仮面”が覆っているのを直感的に悟った。


「ねえねえねえってば。二人共、“ミステリ小説”の読みすぎだって! それじゃあなに? 昔、春日さんが死んだのは、石田君や永友君、それに田畑君や私のせいだって言いたいわけ?」


 へらへらと笑う彼女に、真琴は首を縦にも横にも降らず、背筋を正したまま対峙する。腹の底にためていた感情が言葉となり、鋭く、まっすぐに飛んだ。


「残されていた記録が確かなら、警察はあなた達四人にも調査の一環として話を聞いているはずよ。それぞれに接触した時間も、事細かに残っていた。それについては、覚えているかしら?」

「勘弁してよぉ。いまさらそんな、小学校時代のことなんて――」

「答えて。しずか――あなたは過去に、警察と話をしたことがあるの?」


 明白にはぐらかそうとしたしずかを、容赦することなく真琴が詰める。そのどこか理路整然とした姿に、思わず隣で見ていた優司まで圧倒されてしまった。

 きっとこれこそが、今日まで歩み続けてきた真琴が抱いてきた“正義”という信念の重みなのだろう。相手がかつてのクラスメイトであろうが、女友達であろうが、そんなことでは彼女の“正義”という核をぶれさせることはできない。


 視線を泳がせていたしずかだが、一片の手心すら加えるつもりもなく真琴は攻め立てる。声はまるで荒げていないが、そこは相手を逃がさまいとする、明らかな“熱”が込められていた。


「世間からは色々言われるけど、それでも警察って組織は国の秩序を管理する、絶対的なものなのよ。だから、もし過去のデータに間違いや虚偽があったならば、これは大問題になるのよね。私が探り当てたデータが間違っているって言うなら、それでいいわ。そのあたりをまず、はっきりさせたいのよ」


 優司は目を丸くし、初めて見る同窓生の横顔に生唾を呑んでしまった。真琴は自分のみならず、今回の事件解決に奔走する“警察”という組織そのものを背負い、しずかと向き合う。


 しばし、やはりしずかは目を泳がせうろたえていた。だがやがて軽いため息をつき、髪をかきあげながら答える。


「ええ、そうね……真琴の言う通り、子供の頃に警察の人が話を聞きに来たことがあったわよ」

「つまり、あなたは春日さんが溜め池で亡くなった時、石田君達と近くにいたっていうことよね? こう言っちゃあなんだけど、あなたが石田君達とどこかで遊んでいるっていうイメージはなかったわ。それなのになんで、彼らと山の中なんかに?」

「さあね。昔のことなんで忘れちゃったわよ。警察の人にあれこれ聞かれたけど、ただ山で遊んでた私達からすれば、『分からない』としか言いようがなかったわ。第一、当時はあの山でお爺さんが亡くなってただなんて、寝耳に水だったからね」


 先程よりもわずかばかり、しずかの口調が圧を増していく。どこか彼女は取り繕うことを諦め、開き直ってしまったようだ。

 村を覆っていた茜色が、暗さを増していく。職員室のすぐ外に生えている木々が風で揺れ、ざざざと騒がしい音を立てていた。


 見知っていたはずのクラスメイトの纏う気配が、徐々に色を変えていく。その異様な感覚に優司が動揺しかける中、なおも隣に座る“婦警”はぶれることがない。

 数拍、真琴は間を置いた。深く、静かに呼吸を整えた後、再び前を向く。


「あなた達はあの日――“鬼退治”をしたんじゃあないの?」


 無色透明の空気が、その一言で確かに鳴動した。女教師の胸の奥底で跳ねた鼓動が感情と共に内側から染み出し、肉体という器から溢れ出す。

 鬼退治というそのキーワードに、優司の意識もわずかに覚醒した。


 それは最初の被害者――かつてのガキ大将・石田が同窓会で口走っていた、謎の単語である。

 優司も、そして真琴もあの酔いの席で、確かにその不可解な言葉を耳にしている。


 鬼とは誰か。

 そしてそれを、退治しに行ったのは。


 この流れを想定などしたわけではない。それでも優司は、気が付いた時には真琴に続くようにしずかと対峙し、言葉を投げかけていた。

 優司はこの村をとうの昔に離れた、限りなく一般人に近い存在だ。だがそれでも、もはや今回の一連の事件に無関係を決め込めるような立場にはいない。

 視線を持ち上げると、ほんのわずかに肩の傷が突っ張った。かつて、分厚い刃が叩き込まれた感触を思い出しながら、前を向く。


 あの日、肉体に刻まれた傷跡が、今も優司をこの凶行に縛り付け続けている。

 

「あいつは――石田は子供の頃から、“タケ爺”に事あるごとにちょっかいをかけていた。かくいう俺も、石田の圧に負けて無理矢理に“タケ爺”に会いに行ったこともある。ここから先は推測だけど、俺と同じように“タケ爺”を責め立てる側に立たされた人間は多かったんじゃないか? そしてそのメンバーの中にはきっと――永友や田畑もいたんだ」


 優司は改めてあの日、病院で怯えていた田畑の姿を思い出す。クラスメイトが殺されたとなれば、不安や恐怖を抱くのは当然だろう。だが、そんな背景を差し引いても、“タケ爺”という存在を前にした時の彼の狼狽え方は異常だった。


「田畑は昔から、臆病なやつだった。けどそれにしたって、病院で見たあいつの姿は異常だったよ。あいつはきっと、知ってたんじゃあないか? 自分が――いや、“自分達”が過去に、春日岳道って老人に何をやったのか、を。その老人に殺された人間の、共通点についてを」


 きっとこれは、無差別殺人などではないのだ。“タケ爺”という老人は明確な意思を持ち、機を伺い、計画立てた道筋に従って殺人を繰り返している。

 彼の足取りには“法則”がある。その“法則”を知っていたからこそ、田畑は発狂し、あんな言葉を口走ったのだ。


 “僕達”が殺した――気が付いた時には、しずかは息を荒げ目を見開いていた。冷静に取り繕っていたはずの女教師の肌を、じっとりとおびただしい量の冷汗が覆っている。

 あの日の田畑の言葉が、全てを繋げてしまった。真琴が調べ上げた過去の調書に乗っていた数名と“タケ爺”の関係性を、優司達に勘付かせる決め手となったのである。


 間違いであってほしいと思う。

 だが同時に、優司はすでに心の中で決意も固めていた。


 これから口走るこれこそが、真実なのだ。


 奇妙なことに、心は揺れていない。

 動揺も不安も、戸惑いもまるでない。

 自分達が辿り着いた“答え”を、ゆっくりと目の前の委員長に――前園しずかという女性に告げた。


「“タケ爺”に扮した人物はきっと、過去の“復讐”をしているんだと思う。その“誰か”は春日岳道の死の真相を知っていて、命を落とした彼の代わりに手を汚しているんだ。このままじゃあきっと、奴は――」

「――やめて!!」


 ついに耐え切れなくなったしずかが声を上げる。きぃんと大気が揺れ、優司、真琴の肌を鋭く刺激した。

 大量の汗を浮かべ、しずかはぜえぜえと呼吸を繰り返している。深く、大きな吐息の音色が、がらんと開け放たれた職員室の中心に響き渡っていた。


「いいかげんに……してよ……関係ない……私は“タケ爺”なんて人と……関係ないから!」


 そんな言葉を投げ捨て、しずかはついに自身のデスクに向き直り、頭を抱えてしまった。採点がやりかけになっている答案用紙の束に、彼女の生温い汗が一滴、二滴と染み込んでいく。


 優司と真琴は、あえてそれ以上は何も言わなかった。しずかが何を口走ろうが、どんな言い訳を考えようが、対峙している彼女のこの態度こそがその答えを指し示している。


 彼女は確実に、春日岳道の死に関わっている。彼女だけではない、これまで殺された数々のクラスメイトが、幼少期に“タケ爺”と名付けた“鬼”に、確実に“なにか”を仕掛けたのだ。


 その真実を追求することもできたのだろう。だが、優司と真琴は互いの目を見つめ、示し合わせたかのように黙る。

 きっと、ここから先は警察の仕事なのだ。優司や真琴が辿り着けたこの事実は、遅かれ早かれ警察組織にも知れ渡る。そうなれば、“タケ爺”と彼女らの関係について、詳細に洗い出しが行われるだろう。


 優司らはなにも、クラスメイトの“過去”を暴くためにここに来たわけではない。自分達が辿り着いたことの答え合わせと、これから起こることへの対策を練るために馳せ参じたのだ。


 優司らが導き出した“答え”が正しいならば、“タケ爺”は確実に目の前にいる前園しずかを狙うだろう。かつての帳簿に残っていた名前のうち、生存しているのは唯一、彼女しかいない。

 どんなことがあったとしても、これ以上、クラスメイトが命を落とすことなど望みはしない。この殺戮の連鎖を、せめてここで断ち切りたかった。


 今もなお、現実から逃げるようにしずかは頭を抱え、ぜえぜえと大きな呼吸を繰り返している。打ちのめされ、情けないほどに狼狽えるかつての“委員長”に、優司はようやく声をかけようと意を決した。


 しかし、吐き出しかけた言葉が、思わず止まる。一拍遅れて、真琴、しずかも息をのんだ。


 職員室の照明が突然消えた。突如、ぐいと距離を詰めてきた闇に、誰しもが目を見開いてしまう。まだ夕日は沈み切ってはいなかったが、それでも日が傾いたせいで目の前の景色が仄暗く染まった。

 たまらず声を上げたのは、汗を浮かべたままのしずかだった。


「な、なに……停電!?」


 真琴も素早く視線を走らせ、状況を把握する。しずかが言った通り、窓の外に見える別の校舎にも電灯の明かりは見えない。どうやら職員室のみならず、学校全体が停電になっているようだ。


「そうみたいね。けれど、あくまでこの学校だけみたい。遠くに見える民家には灯りが付いてるわ」

「どうして……こんな、突然に」


 狼狽するしずかを前に、優司も意識が覚醒していく。蛍光灯の人工的な灯りを奪われただけで、母校がこれまでとは違う“異界”のように感じられた。

 優司は一度、生唾で喉を潤し、重々しい一言を吐き出す。


「都合よく、この校舎だけが停電なんてこと、ありえるのか? もっとも、“誰か”が意図的に、電気系統をいじったり壊せば――別だろうけども」


 その一言で、真琴がいち早く気付く。少し遅れ、しずかも自分達が置かれている事態の深刻さに気付いたようだった。


 まさか――誰しもが一瞬、考えすぎだと否定した。

 

 だが、そんな一同の逃避を、けたたましい“音”が現実に引き戻し、逃がさない。


 突如、職員室の窓ガラスが乾いた音を立てて砕けた。しずかが「きゃあ!!」と声を上げ、優司、真琴が身構える。椅子を跳ねのけ立ち上がる優司の目が、机や床にばらばらと散らばるガラス片をなんとか捉えた。


 無色透明のガラスに混じり、巨大な塊が地面に落ちる。それはどずんと鈍い音を立て、足元を揺らした。無機質な“石”は落ちた衝撃でほんのわずかに砕け、そのまま沈黙してしまう。


 なんだ、これは――優司らが投げ込まれた石に意識を奪われるなか、新たに数個、大きな影が外から投げ込まれる。今度は先程とは異なり、どこか柔らかい音色で床を跳ね、ころころとこちらに転がってきた。


 何が起こっているか、理解が追い付かない。そんな三人の目の前で、新たに投げ込まれた物体が動きを止める。薄暗いなかでその正体を読み取り、たまらず優司は「え?」と声を上げてしまった。


「なんだ、これは――」


 新たに投げ込まれたそれは、簡単に言えば大きな“ペットボトル”であった。内部は液体で満たされており、微かに“なにか”が泡立っているのが見える。得体の知れないそれらが三つ、優司らのすぐ目の前の床に転がっていた。

 凶器としてはいささか場違いな物体に注意をそらされてしまったが、やがて窓の外から聞こえた声――否、聞き覚えのある“音色”に、再び意識が覚醒する。


「わぁるいこはみな、でておいで。よこにならんでくらべぇな。“しおき”のかわりに、おやまいこ――」


 どくんと、三人の鼓動が跳ねる。

 痛いほどに開かれたそれぞれの目に、割られた窓の向こう側に立つ“彼”の姿が映り込む。


 夜が色濃く混ざる夕暮れを背負い、中庭に立つ“それ”。

 優司はこれでもはや、その農作業着姿を見るのが3度目になる。

 いつもどおり――これまで起こってきた“悪夢”どおりの、変わらぬ姿で“彼”は立っていた。


 こちらを睨みつける老人の姿に、優司らは釘付けになってしまう。心のどこかでこんな状況を想定していたにもかかわらず、それでも優司と真琴はすぐに動き出すことができない。


 何度対峙しようが、何度向き合おうが、まるで慣れることなど無かった。

 “彼”と相対しただけで、細胞そのものが何かに縛られ、動きを止めてしまう。老人の身に纏う人ならざる“気”のようなものが、すでに職員室の中へと滑り込み、三人の体を見えない鎖で縛りあげているのだ。


 “タケ爺”の姿から、誰しもが目を離すことができない。だからこそ、すぐ足元に転がる複数のペットボトル――その内部で泡立つ液体が、“シュゥ”という奇妙な音を立てていることに気付けなかった。


 しかし、ただ一人、この状況を飲み込んでしまう人物がいた。

 突如、しずかが我に返り、叫ぶ。


「――二人共、下がって!!」


 しずかが声を上げながら、なぜか大きく後方へ飛びのく。優司と真琴も微かに覚醒したが、既に足元に転がる“それら”が臨界点を迎えた。


 床に転がっていたペットボトルが突如、けたたましい音を立てて破裂する。その音もさることながら、しぶきを上げてまき散らされた液体の冷たさに身をすくませてしまった。


 優司の腕や真琴の脚に液体が降り注ぐ。無色透明の液体が皮膚に染み込んだ瞬間、温度ではないまた別の感覚が激しく肉体を刺激する。じりじりとした焼けるような痛みに、たまらず二人は呼吸を止めてしまった。


 なんだこれは――混乱する一同の中で、やはりただ一人、背後に退避していたしずかが動きだす。彼女は躊躇することなく踵を返し、職員室の外へと逃げてしまった。

 真琴が振り返り、たまらず彼女の名を叫ぶ。


「しずかぁ!!」


 その一声に一瞬、しずかの足が止まった。しかし彼女はわずかに振り返り、優司と真琴、そして職員室の外に立っている老人を見て、再び走り出してしまう。

 真琴もすぐに追いかけたかったが、足に張り付いた液体がもたらす痛みに、とっさの判断が遅れてしまった。


 一方、優司だけは割れた窓越しに立つ“タケ爺”を見つめ続けていた。しずかが走り去ったのを確認し、老人も同様に動く。職員室の中にいる優司や真琴には目もくれず、中庭を別の方向へと走っていってしまった。


 あの時と同じだ――優司はかつて病院で味わったのと同じ感覚を覚え、すぐさま隣で片膝をつく真琴に叫ぶ。


「まずい、奴は――委員長を狙ってる。追わないと!!」


 優司も腕に染み込んだ液体の痛みにひるんでいたが、それを強引に押し切り廊下へと走り出す。真琴もなんとかハンカチで液体を拭い、彼に続いた。

 優司の言う通り、“タケ爺”は逃げたしずかを追っている。それは言わずとも、真琴にも十分理解できていた。間違いなく、あの老人はしずかを殺めるため、この場に姿を現したのだ、と。


 それは理解できる。ただ一方で、真琴は先程見たある光景に、どうしても頭が混乱してしまった。


 逃げるあの一瞬――中庭にいる“タケ爺”を見つめたしずかは確かに、笑ったのだ。


 その意味するところは分からない。だが、今はその理由をあれこれと推測しているような時間は、一秒たりと残されてはいないのだ。

 夜に包み覆われていく母校の中を、四つの足音が駆け抜ける。それぞれの思惑を抱き、息を荒げながら大人達は互いの目的のために奔走した。


 荒々しく、行儀の悪い音色がいくつも乱反射し、校舎を揺らす。誰一人いなくなった夜の小学校は、突如として生き残りを賭けた“戦場”へと変わってしまった。

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