第15話 真相
遠くから聞こえたカラスの声に、ふっと顔を持ち上げる。開け放たれた窓から覗く校庭には、人影は一つ足りと見えない。平日ならば残って部活動に勤しむ生徒達もいるのだが、日曜日の夕暮れ時ともなれば閑散とした景色が広がっているのみだ。
茜色に染まっていくグラウンドと、ぽつんと取り残された遊具の姿がどこか非現実的で不気味に思える時もある。だが、見慣れた風景を一瞥した後、再び彼女は手元の“テスト用紙”に意識を集中した。
たった一人、職員室の中で黙々と作業を続けていく。生徒達の解答用紙を正解と照らし合わせながら、慣れた手つきで採点していった。赤ペンが走る甲高い音が、室内にリズミカルに響いていく。
8割方の採点を終えた段階で、不意に室内にノックの音が響いた。しかし、決して驚くことなく、彼女は――穏月小学校の教員・前園しずかは「どうぞ」と答える。
がらりとドアが開くと、そこにはしずかの予想通りの顔ぶれが立っていた。しずかは再会した二人に笑顔を浮かべながら、すぐに立ち上がり歩み寄る。
「久しぶりね、二人共。元気――じゃあ、なかったかしらね。色々とあったようだし……」
どこか苦笑いするしずかの姿に、クラスメイトも困ったように笑い返す。先頭に立っていた真琴が「本当にね」と頷いた。
「ごめんね、しずか。何度もこうやって、押しかけることになっちゃって。って言っても、以前は優ヤン達に任せちゃったわけだけどさ」
言われて、真琴のすぐ後ろにいた優司も職員室の中に入ってくる。優司はいつも通りに笑みを作ったが、彼のどこか疲弊した様子をしずかは見逃さなかった。
「優司君のことも、風の噂で聞いたわ。大変だったわね……怪我を負って、その上、田畑君のことまで……もう、動いても大丈夫なの?」
「ああ、ありがとう。一応、まだ安静にはしないといけないけど、日常生活くらいは何とか送れるよ。むしろ、あのまま病院にいたほうが、気がどうにかなっちまいそうでさ」
優司に起こった一連の事件を察し、しずかは「そうよね……」と悲しげな表情を浮かべた。
立ち話もなんだろう、としずかはすぐに奥へと二人を案内する。優司と真琴は職員の椅子を借り、しずかのデスクの近くに腰掛けた。
「けれど、本当に急で驚いちゃったわ。わざわざ、学校まで来てもらうことなかったのに。こんな所じゃあ、ろくなおもてなしもできないしさ」
申し訳なさそうに言うしずかに、真琴は首を横に振ってみせる。
「いいのいいの。今回のことは、私達のわがままみたいなものだしね。こちらこそ、仕事が残ってるっていうのに、無理矢理、時間作ってもらっちゃって悪かったわ」
「それは、別に構わないけれどねぇ……それにしても、一体どうしたの? そこまで急を要するようなことなのかしら」
しずかの問いかけに、真琴は「ええ」と迷うことなく頷く。その理路整然とした姿に、どこかしずかは気圧されてしまったようだった。
優司が背もたれに体重を預けると、古びたきぃという音が響く。微かに目を閉じ、開け放たれた窓から吹き込んでくる生ぬるい風の感触に、思いを巡らせた。
これからのことを考え、気持ちを引き締めなおす。優司が再び前を向いたのと、真琴が切り出したのは期せずして同時だった。
「相変わらず、警察は今回の事件の犯人――石田君や永友君、田畑君……それに、ここにいる優ヤンを襲った“タケ爺”を探し続けてるの。情けない話、まだまだ核心にはたどり着けていないけどね」
「そっか……もうあれから――同窓会から一ケ月以上経つのよね。その間にまさか、クラスメイトが三人も殺されちゃうなんてね……私も風の噂で色々と事件については聞いていたんだけど、正直なところ、気が気じゃなかったわ。学校の教員達も、いつ子供達が襲われるんじゃないかって、毎日、警戒続きなのよ」
かつては学級委員長として活躍していたしずかも、今となっては優司らの母校・穏月小学校の教員として多くの生徒達を相手に教鞭を振るっている。幼く無力な子供達と過ごす彼女にとって、村のどこかに“殺人鬼”がいるという事態は穏やかではないのだろう。
不安げなしずかの横顔を見つめたまま、優司もこれまでの経緯を伝える。
「前に学校で、永友や田畑、純も一緒に話したことがあったよな。あれから、身の回りで何か変化とかは?」
「こちらは特になにも。けれど思えば、あの場に永友君や田畑君もいたんだものね……あの時に集まったメンバーの、ほとんどがその“タケ爺”ってのに襲われたってなると、なんだか肝が冷えちゃうのよ。それこそ、狩屋君も変わりない?」
「ああ。本当は今日、純の奴も呼びたかったんだが、仕事らしくってよ。まぁ、相変わらず元気そうにしてる。俺の見舞いにも、何度も来てくれてたしな」
優司の返答を受け、しずかは「そうかぁ」と胸をなでおろした。自分よりも他人の心配をしてしまうあたり、かつての“委員長”らしさは微塵も消えていない。
それを踏まえて、なおも真琴は話を“先”へと進めていく。
これまで優司や真琴が調査し、手に入れてきた事実――“タケ爺”が過去に起こした事故や、彼の本名、そしてその最期にいたるまでを手早く、駆け足でしずかに説明した。
しずかは真剣な眼差しで、一つ一つの事実をしっかりと受け止めてくれたが、やはり真琴の口から語られるおぞましい事実の数々に暗い表情を浮かべてしまう。
「春日岳道――そっか、その人がかつて“タケ爺”って呼ばれていた、お爺さんだったのね」
「ええ。だからこそ、私は今回の事件で殺人を繰り返している“タケ爺”と、私達が知る“タケ爺”は別の存在だと確信しているわ。かつての彼が山の中で“事故死”したというなら、今、人々を襲っているのは別の誰か――ってことになるからね」
「そう……けれど、なんでそんなことを? だって、その春日さんの死は事故だったんでしょう? 池に落ちて死んだ彼に変わって、一体誰がこんなことを……」
手元を見つめ、悩ましい表情を浮かべるしずか。だが、優司は彼女の表情ではなく、反対側の椅子に腰かけている真琴を見つめてしまった。
真琴はわずかに口元を力ませている。両の手をぎゅっと握り、膝の上で微かに震わせていた。
その意味するところを、優司だけが理解する。だからこそ、静かにため息をつき、改めて気持ちを引き締めなおした。
わずかに、夕日が傾いたように錯覚してしまう。微かに仄暗さの増した職員室の真ん中で、しずかは再び真琴に問いかけた。
「どうにかならないのかしらね。犯人の目星や、それに近い人間についてもまだ分かっていないのよね?」
「ええ。ただ、一人だけ……事件解決の“鍵”を握っていそうな人物なら、心当たりがあるの」
「本当に? 一体、誰がそんな――」
真琴から告げられた吉報に、ほんの少しだけしずかの表情が晴れる。だが一方で、真琴は真剣な眼差しを浮かべたまま、まっすぐと彼女に対峙していた。
背筋を正し、凛とした表情のまま真琴は進む。
今回の一連の事件の、核心へと迫るために。
「だからこうして、ここに来たのよ。しずか」
「え……それは、どういう……?」
「あなたに聞きたいの。あなたが知っている――“タケ爺”の死について、を」
予想外の切り返しに、しずかは椅子に浅く腰かけたまま目を丸くしていた。真琴だけでなく、隣に座っている優司の顔を交互に見ている。
真琴がそうであるように、優司ももはや取り繕った笑みなど浮かべることはできない。狼狽するしずかをただ真っすぐ、真正面に捉えつづけた。
「私が知っている、って……そんな、私はなにも――そもそも、その“タケ爺”って人に会ったこともないし――」
「そんなはずはないわ。あなたは子供の頃、彼に会ってるはずよ。彼が亡くなった“事故”についてだって、良く知っているはず」
「ちょっと待ってよ、意味が分からないわ! 知るわけがないじゃない。彼については、初めて聞くことだらけなんだから。本名も、彼が正気を失った経緯も、池に落ちて死んだ話も――なにもかも、初耳だって!」
「私は一度も――“池に落ちて死んだ”なんて、言ってない」
きぃんと空気が張りつめるのが分かった。しずかが放った「えっ」という情けない声が室内に散り、静寂へと飲み込まれる。
これは“賭け”だった。
この推測に辿り着いたのはクラスメイトの中でも、優司と真琴、そして真琴と密に連絡を取り合っていた凛音の三人のみだ。
打ちのめされ、翻弄され――しかし、それでもあきらめずに一連の事件に立ち向かい続けた、三人がようやく手にした、ほんのわずかな希望だったのである。
呆けたままのしずかに、真琴はなおも斬り込む。笑みなど一切浮かべず、制服すら身に纏っていない彼女は、それでも“警官”としての自分を武器に前を向く。
「春日岳道さんはかつて、山の中で“事故死”した。私はあくまで、あなたにそう言っただけよ。崖から落ちたのかもしれない。落石に当たったのかもしれない。色々な“事故”がある中で、あなた、なんで彼が“池に落ちた”って分かったの?」
「え……いや、それは……ほ、ほら、噂で――」
「『彼については、初めて聞くことだらけ』――ついさっき、そう言ったばかりじゃない。風の噂で聞いていたって言うなら、なんで知らないふりなんてしたの?」
また一つ、真琴の言葉がしずかを刺す。それは揺さぶりなどという甘いものではなく、明確な“攻め”の一手だった。真琴のぶれない視線に、ついに耐え切れなくなったしずかが目をそらしてしまう。
余裕に満ち満ちていたはずの女教師の顔が、どこか先程より険しくゆがんでいるように見えた。
「私は“タケ爺”を止めることができなかった。けれど、だからといって、このまま引き下がるわけにもいかなかったの。だから、私は私のできる限りを使って調べたわ。今現在、村で人を殺し続けている“タケ爺”については、何一つ分からない。だからこそ、かつての“タケ爺”――春日岳道という人間の周辺を、徹底的に洗い上げたのよ。私がいる組織――警察という機関のあらゆる部署に協力を仰いでね」
凛音が村で過去に行われていた風習を調査していたように、真琴もまた水面下で活動し続けていたのだ。彼女は警察官として、過去に村で起こった春日岳道の“事故死”についてのデータを、今一度、調べ上げてみたのである。
そしてあまりにもあっさりと、その不可思議なデータを入手することができた。唖然とするしずかを前に、真琴はその事実を告げる。
「確かに過去、春日岳道さんは山の中にある溜め池で水死していた。正気を失った岳道さんが野山を徘徊中、誤って池に足を滑らせて落ちた――これが、警察機関に残っている彼の死の真相よ。けれど、記録を辿っていくとこの事故には、とある四人の“子供”達についての記録が残されていたの」
「四人の子供――ですって?」
「ええ。春日岳道さんが亡くなったであろう日の晩――彼が落ちた池の周辺で、小学生四人組の姿を見たっていう村人がいたのよ」
また一つ、しずかの表情が険しくなる。色こそ変わりはしないが、彼女の肉体の表面にうっすらと、なにか黒く澱んだ別の気配が覆いかぶさっているようだ。
「子供達の特徴から、警察はこの四人組の素性まで辿り着いていた。調書に記録されていたのは石田君、永友君、田畑君。そして――しずか、あなたの名前よ」
「何を言って……一体、何を……」
「春日岳道さんは水死してから数日後に発見された。それ故に肉体は腐敗が始まっていて、見るも無残な状態だったらしい。けど、司法解剖した結果、奇妙な“外傷”がいくつも見つかってるのよ。おおよそ、水死しただけでは付かないであろう、明確な傷跡――もっとも、警察は当初それを、野山を歩き回っていた際に春日さんがつけた傷だと、片付けてしまったみたいだけどね」
狼狽していくしずかを相手に、真琴は決して待ってやるつもりなど無い。彼女がどれだけショックを受けようが、どれ程に目を背けようが、なにがなんでもこの事実を告げるつもりでいた。
こんなこと、あるわけがない。
優司はここに来るまで、何度もそう考えた。できることならすべてが間違いで、ただの勘違いの連鎖であってほしいと思う。
だが、考えれば考えるほどに、見えてきてしまうのだ。村で起こっている一連の事件――否、過去から続く春日岳道という老人の“死”に繋がる、あらゆる真実が。
遠くでカラスが鳴いていた。
濃く、重い夕焼けが、職員室の中にも不気味な闇を張り付け、世界にコントラストをもたらす。
そんな重々しい世界の中で、ついに優司が口を開く。
真琴が背負おうとしている物を少しでも軽くするため、彼は意を決して前に出た。
「田畑は確かに、言ったんだ。あいつは――“タケ爺”は僕らが殺した、って。“僕ら”――聞き間違えるはずはない。あいつは確かに、そう叫んだんだよ――委員長?」
しずかの目が、こちらを見つめた優司と向き合う。困惑するかつての“委員長”に、彼は迷うことなく告げた。
たとえそれが、決して見たくない深淵へと踏み込む一歩だったとしても。
「教えてくれ、委員長。君達は“タケ爺”に――春日岳道さんに、何をしたんだ?」
窓を開け放っているというのに、なぜか外から聞こえる雑音が酷く遠のき、三人の周囲の空間のみが孤立したかのような錯覚を覚える。
その密な空間の中で、三人の同窓生達がそれぞれの思惑を抱き、前を向いていた。
一人は、これから触れようとする確信への期待と不安を。
一人は、己の正義が裁くべき真の悪への予感を。
そして一人は、決して誰にも明かすことのなかった――本質を抱いて。
ごおと風が吹き込み、肌を撫でる。
生暖かい田舎の野風をうけてもなお、優司と真琴は決して瞬きをせず、狼狽する女教師を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます