第13話 狂人の素顔
パン屋の店内にかけられたカレンダーの日付を確認した真琴は、とある事実を思い出し目を細めてしまう。クラスメイトの一人――かつてのガキ大将・石田が殺害されてからもう、ちょうど一ケ月が経とうとしていた。
たった一ケ月の間に人が三人も死に、一人が怪我を負ったという事実をどうしても重く受け止めざるをえない。
昼下がりの静かな店内には相変わらず重く、暗い空気が流れている。休業日のため一般客はいないが、それにしても集まった面々の会話は少なく、耐えがたい沈黙が続いていた。
そんな静寂を、入り口のドアの音が大きく動かす。顔を上げると、苦笑いを浮かべた狩屋純の姿が見えた。
「わりぃわりぃ、遅くなっちまった。駅前が渋滞しててよぉ」
謝りながら入ってくる彼に、真琴――そして隣に座っている染谷凛音も笑みで返す。しかし、そのすぐ後ろから姿を現したもう一人に、真琴は思わず口を開いてしまった。
「――優ヤン」
「やぁ、久しぶり」
どうしても彼に対し笑みを浮かべることができない真琴に、それでも優司は精一杯の笑顔を振り絞ってくれる。以前と同様、最後に店主である染谷学が入ってきて、ドアを閉めた。
以前同様の面々が揃い、テーブルを囲む。人数分のコーヒー、紅茶が揃いはしたものの、やはりどうにもいつもの調子で会話が弾まない。
そんな中、意外にも口火を切ったのは、コーヒーを一口飲み終えた優司だった。
「真琴、怪我の方は大丈夫か?」
「あ……え、ええ。問題ないわ。まだ、包帯はとれないけどね」
「そうか。話を聞いて驚いたよ。まさかあの“タケ爺”にまで、一本背負い決めたって言うんだからさ」
優司はかすかに肩を揺らし笑ったが、やはり他の面々は笑みを浮かべることができずにいた。
“タケ爺”――あまりにもあっさりと登場したその単語に、真琴の表情が少し暗くなる。
「私の怪我なんて、たいしたことないよ。それより優ヤン……優ヤンこそ、大丈夫なの? 体調はもちろんだけど――」
「ありがとうな。当然、田畑のことはいまだにショックなんだ。生まれて初めてだよ。目の前で、誰かが殺されるシーンを見たってのはさ」
純、学、そして凛音もその一言で視線を伏せてしまう。
クラスメイトの一人・田畑宗一は“タケ爺”に殺された。優司の目の前で体を切り刻まれ、あまりにもあっさりとその生涯を終えたのである。
ここにいる誰もがその事実を知り得ていた。優司は田畑殺害の唯一の目撃者としてすぐに警察に保護され、満身創痍の中、事情聴取まで受けていたのである。疲弊していないわけがない、と彼をここに呼ぶことすらためらったほどだ。
だが意外なことに、優司はこの“作戦会議”の提案に強く賛同した。その真意を分かりかねる一同に対し、優司は前を向きなおす。
その視線はやはりどこか疲れ切っていたが、一方で打ちのめされた者とは思えない、静かなしたたかさも秘めているようだった。クラスメイトの面々がこれまで一度足りと見たことのない、凄味を持つ表情である。
「けれど、分かったことがある。証拠とかそういうのは一切ないけど、それでも間違いない――“タケ爺”っていう存在について、どうしても皆と話がしたかったんだ」
優司の強い一言に、誰しもが唖然としてしまった。彼が秘めていたその謎の光が、停滞しかけていたクラスメイト達の心を揺さぶり、奮い立たせていく。
真琴は少しだけ自身の手を見つめた後、決意を固めなおす。
傷をなめ合うために、集まったわけじゃあない――彼女もまた眼差しを取り戻し、対面に座る優司を見つめた。
「私も同じよ。直接対峙して、怪我も負わされちゃったけど、だからこそ色々と分かったことがあるの。“タケ爺”はただの狂った殺人鬼なんかじゃあない。あいつは――私達、クラスメイトを良く知る“誰か”なんだって」
この一言に優司以外の面々が驚く。おそらく優司は、真琴が抱いた答えに近いものまで辿り着いていたのだろう。
たまらず、優司のすぐ隣でアイスティーをちびちび飲んでいた純が声を上げた。
「俺らを良く知る奴――ちょっと待てよ。じゃあ俺らの知り合いの“誰か”が、“タケ爺”になって皆を襲ってるって言うのかよぉ?」
「私はそう思う。もっと直接的に言うなら、その“誰か”っていうのは私達クラスメイト達の中の一人だと思ってるの」
純が「まじかよ」と目を丸くする中、真琴の隣に座っていた凛音が「ふむ」と冷静に頷いていた。
「憶測ってわけじゃあなさそうね。その話、なにか根拠があるのかしら?」
「ええ。私が“タケ爺”と取っ組み合いをした、あの日――彼を取り逃がしたのは情けない限りだけど、それでも分かったの。あの時、“タケ爺”は私が“柔道”を使ってくることを想定してた」
一瞬、誰しもが言葉の意図を汲み取れ切れずにいた。首を傾げる面々を一瞥した後、彼女は丁寧に続けてくれる。
「彼は――“タケ爺”は服の内側に剃刀の刃を仕込んだり、あらかじめポケットにアイスピックを所持していた。改めて考えるとあれは、私が“柔道”を身に着けていて、相手の体を“掴む”ことを知っていたからじゃあないのかなって」
無論、警察官になるものは皆、逮捕術としての“柔道”を履修するものだ。だがそれを前提に考えてもやはり、真琴の中の核心は揺るがない。
「私が“一本背負い”が得意なことを知ってて、掴み所になる襟にあらかじめ刃を仕込んでおく。投げ飛ばされた後、関節を極められることを想定して、もう一つの小型の武器を備えておく――どれもこれも、私のことを良く知る人間じゃあないと、そこまで準備はできない気がしたのよ」
真琴が体感したあれやこれやを、その場にいる誰もが黙したまま思い描いていた。壁際に立っていた大柄の男性・染谷学がどこか自信なさげに唸る。
「け、けど……そのお爺さんが僕らのことを良く調べ上げてるだけで、なにも“クラスメイトの一人”ってことには、な、ならない気がしない?」
「ぶーちゃんの言うとおり、私も最初は“偶然”なのかなって思った。けれど、そもそも“タケ爺”の犯行は、どれもこれも都合がよすぎるのよ。同窓会の帰りの石田君を襲って、仕事帰りの永友君を襲う。その上、かつての事故現場に足を延ばした優ヤンまで。あらかじめそれぞれのスケジュールや行動パターンを知り得てないと、不可能なタイミングの犯行に思えるわ」
この真琴の推測に反応したのは、すぐ隣に座っていた凛音だった。彼女は腕を組んだまま、テーブルの上で揺れる紅茶を見つめている。
「“タケ爺”がターゲットにしていた人間を尾行していたって可能性もあるけど、どうにも非現実的ね。となれば、その老人は私達がいつ、どこにいて、なにをしてるかを知り得てる人物ってことになる。つまり――」
そこまで言い淀んだ凛音に、対面に座る純が続く。この場に揃ったクラスメイト一同の思考が、横並びになろうとしていた。
「俺らの“身内”の誰か、ってことか。まじかよ。同級生の中に、石田達を殺した“真犯人”はいるってぇ?」
その一言に即答できる者はいなかった。しかしただ一人、優司だけは再びコーヒーで喉を潤し、揺れる水面を見つめたまま言葉を選んでいく。
「俺も実は同じ気持ちなんだよ。今回の一件――田畑が殺された件だって、そうだ。あいつが体調を崩して入院していることを、“タケ爺”はどうやって知ったんだろう? そんなの、田畑に近しい“誰か”から聞くしかないだろう?」
全員の視線が彼へと注がれる。優司は一同の表情を眺めた後、再び視線を手元に落として続けた。
「そしてあの言葉――田畑が死の間際に錯乱して叫んだ、一言――『お前はあの日、“僕ら”が殺した』……恐らく今回の事件は、俺達が知り得ないなにかしらの“因縁”によって引き起こされてるんだ」
静かな店内の温度が、少しだけ下がったように錯覚してしまった。あらかじめその事実を聞き得ていたクラスメイト達ですら、改めて優司の口から発せられた単語に戦慄してしまう。
真琴の眼差しが、ほんのわずかに震えていた。
「殺した……田畑君は確かに、そう言ったのよね。じゃあまさか、過去に死んだ“タケ爺”――春日岳道さんの死因は――」
「そこから先は分からない。けれど、田畑はそもそも“タケ爺”って存在に、異常に怯えていた。あれはきっと、田畑達しか知らない“なにか”が、“タケ爺”との間にあったからなんじゃあないのか?」
「ありえるわね。その上で、『僕ら』か……つまり、“タケ爺”との過去に関連する人間は、田畑君だけじゃあない。複数人いるってことになるってことね」
優司がどこか躊躇しながら、それでもしっかりと頷く。二人のやり取りを隣で眺めていた純が、「まいった」といった脱力した表情を浮かべた。
「マジかよ……俺らの中に――クラスの中に大人を殺したやつらがいて、そいつらへの“復讐”に走った“誰か”がこの村の中で動いてるってのか」
「もちろん、証拠なんかないんだ。けれど、その考え方がどこかしっくりくる気がする。今回の一連の事件は、“狂人”が突発的に起こしているものじゃあない。過去から――俺らの幼少期から続く、“因縁”が関係してたんだよ」
信じ切ることはできない。だがそれでいて、誰一人としてその憶測を疑いなどしない。優司が告げた通り、そう考えることで村に続いている数々の凶行が、一つに繋がる気がしたのである。
“タケ爺”と忌み嫌われた老人・春日岳道は気がふれた後、町外れの池に落ちて水死したはずだ。だがもし、その死に優司らのクラスメイト達が関わっていたとしたら。
偶然ではあるが、優司や真琴が辿り着いた一つの“答え”に対し、どうしても他の面々はうろたえてしまう。純は後ろ頭をかきながら、珍しく真剣な眼差しを浮かべ前を向く。
「となると、だ。いままで“タケ爺”に殺された面々……つまり、石田に永友、田畑はその“タケ爺殺し”に絡んでたってことになるのか。けれど、そうなるとどうして優司まで狙われる必要が?」
「たぶんだけど、俺が“タケ爺”――岳道さんの過去を調べようとしたからじゃあないかな。もし、彼の過去に起こったことがばれると、今回の一連の事件の真相に俺達がもっと早く辿り着く可能性があっただろう?」
優司の言葉に純が「なるほどなぁ」と納得する中、なおも不安げな眼差しを浮かべた“ぶーちゃん”こと学が問いかける。
「で、でも……でもそうなると……今、村にいる“タケ爺”は、当時死んだお爺さんとは……べ、別の誰かなんだよね? 一体それは――」
この弱々しい一言にも、真琴が鋭く、したたかに答えた。彼女は手元のアイスコーヒーを飲み干し、凛とした眼差しを浮かべている。いまだに交戦時の傷跡は癒えたわけではないが、心の奥底で燃える“正義”の感情は以前よりもより一層、強く滾っていた。
「その謎が分かりさえすれば、この事件は収束する気がするのよね。けれど、ここからは任せて。その“からくり”さえ分かれば、警察の方で過去の事故――岳道さんの死因を洗ってみれば、なにか分かるかもしれないわ」
真琴の毅然とした姿に、その場の誰しもが気圧されてしまっていた。しかし、対面で彼女の姿を見ていた優司だけは、ぶれることのない彼女の姿に苦笑を浮かべてしまう。
打ちのめされ、傷付けられ、何度も怖い思いをした。優司にいたってはすぐ目の前で、クラスメイトが殺害される一部始終を目の当たりにしてしまったのだ。その光景は今もしっかりと、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
本来ならば、二度と関わりたくないと思うはずだ。こんな厄介で、奇怪で、おぞましい事件など忘れ、とっとと仕事場がある東京へと逃げ帰ってしまえば、と思ったこともある。
だが、それはできなかった。
自分自身でも矛盾していると分かっていながら、優司は手元を見つめたままそのあべこべな心境を吐露していく。
「正直なところ、ずっと悩んでるんだ。もうこれ以上、足を踏み入れるべきじゃあないんじゃないかって。殺されかけて、人が死ぬところを見て――けれど、やっぱり駄目だった。俺は真琴みたいに警察官じゃあないけど、それでも今更、この村で起こってるあれこれを無視して生きていくなんてことは、どうにもできそうにないんだ」
優司の独白を、クラスメイト達は黙って聞いていた。優司はこの場で只一人、“タケ爺”の凶刃を浴び、その上で同級生の殺害現場まで目の当たりにしている人間だ。そんな彼から絞り出される言葉の数々を、誰しもが重く受け止めていく。
「“正義感”とか、そういうのとは違うかもしれない。俺はただ、“納得”したいんだと思う。俺達が生まれ育ったこの村で、なにが起こってるのか、を。俺達を襲った“あいつ”は一体、なんでこんなことをしたのか――その理由を知らないまま、この村から逃げることはできない」
それは一般人である優司にとって、ただ無謀な選択だったのかもしれない。もしかすれば、このまままた“タケ爺”に襲われる可能性だってあるのだ。
しかし、それでもなお優司は自身の選んだ道を――あえて危険が潜む“闇”の奥底を覗き込むという、無謀な一線を越えようとしていた。
夕暮れ時の茜色が窓から差し込み、店内を微かに照らす。仄暗い影に包まれたまま、一同は静かな店内で思いを巡らせていた。
ある者は事件の解決を願い、ある者は過去の因縁に不安を抱く。
そんな中、一人の聡明な女性だけが、他の面々とは全く異なった視線で大局を眺めていた。
彼女は手元の紅茶に口をつけ、ため息をつく。ぬるくなった茶葉の風味を体に巡らせたまま、かすかに開いた眼でクラスメイト達の姿を見つめた。
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