第11話 強襲

 どうやら今夜は風が強いらしく、電話越しにもときおり大自然の唸り声を聞き取ることができた。談話室から窓の外の闇を見つめつつ、あくまで優司は話題をそらさずに返す。


「そっか。やっぱり、真琴の奴はまだまだ躍起になってるんだな。お前が言う通り、無茶だけはしてほしくないもんだが」


 この一言を受け、電話越しに純が「へへへ」とどこか意地悪に笑った。先程、コンビニで出会った真琴の様子を見て、思うところがあったのかもしれないが、話題はいつも通りの彼らしく少し砕けた方向に進んでいく。


「まぁ、真琴のことだから、もしかしたら本当に“タケ爺”をひっ捕まえてくるかもしれねえよなぁ。それこそ、あの必殺の“一本背負い”でお陀仏にしちまったりしてさ」

「あいつならやりかねない――とか言うと、怒られるか。相手は凶器も持ってるだろうから、そううまくはいかないだろうけどな」


 いささか不謹慎ではあったが、それでも純の変わらない波長に優司の気持ちもどこか和らいでしまう。慣れない入院生活に辟易していたところだったが、くだらない世間話を交わすだけでも随分と気持ちが救われるものだ。


「純。真琴が言ってた通り、お前も気をつけろよ? あいつが狙ってるのはきっと、俺らの“クラスメイト”なんだ。できるだけ、夜は明るい所を通るようにしろよ」

「あいあい。ご忠告、ありがたく受け取っておくよぉ。まぁ、もうすぐ俺の家だし、大丈夫だって。また、週末休みになったら、俺も見舞いに行くわ」


 あっけらかんと言ってのける純に、優司は素直に「ありがとな」と礼を告げた。対愛のないやり取りの後にようやく通話を終え、優司は病院の談話室に一人腰かけたまま、思いを巡らせてしまう。


 本当に、このまま何事もなければいいのだが――また一つ、夜風によってガタガタと窓が軋んだ。身をすくませながらガラスを見つめると、目を丸くした自分の姿が映り込み、なんとも滑稽でならない。


 おとなしく自室に戻って横になったが、それでもすぐに眠りにつけるわけもない。目を閉じ、ベッドの上でごろごろと体勢を変えてみるが、そもそも慣れない病院のベッドの感触がどこか煩わしく、どうにもしっくりこなかった。

 全身の痛みもかなり治まり、肩の傷も突っ張りこそすれど、もはや動くこと自体にそう問題はない。こうなると厄介なもので、体力だけは有り余っているせいか、入院中はやることもなくとにかく暇なのだ。無論、疲れているわけでもないから寝付きも悪く、連夜、暗い部屋の中でぼぉっとまどろんでいるしかない。


 何度目かのトイレに起きると、時刻は夜中の10時を回っていた。当初は薄暗い病院の空気が妙に恐ろしかったのだが、入院3日目ともなればもうそれも慣れっこである。

 のそのそと病室を抜け出し、人気のなくなったトイレを目指す。消灯時間も過ぎているため、誰ともすれ違うことなく男子トイレまで辿り着いた。


 用を足しつつも、なぜか妙に緊張してしまう。それはやはり、意識のどこかにあの出来事が――一人きりになった山道で、“タケ爺”と遭遇してしまったことがトラウマになっているからだろう。

 トイレの個室は開け放たれており、誰もいない。だというのにもかかわらず、必要以上に周囲を警戒してしまう自分が、なんとも滑稽に思えてならなかった。

 

 妙な妄想を拭い去りながらもとにかく急いで手を洗い、元の病室へと戻ろうとした。しかし、トイレへと駆けこんできた一人とぶつかりそうになり、慌てて足を止める。


「おっと――ッ!?」


 思わず、自分でも情けないくらいに大きな声を上げてしまった。優司の一声がトイレの中に響いていたが、飛び込んできた患者も「ひっ!」と短く悲鳴を上げ、立ち止まる。間一髪、衝突する寸前でブレーキをかけることができた。


 優司は慌てて謝ろうとしたが、すぐ目の前にいる“彼”の姿に目を丸くしてしまう。病院着姿こそ優司のそれと同じだが、小柄なその男には見覚えがある。

 優司だけでなく、怯んでいた目の前の男もこちらに気付いたらしい。共に唖然としたまま互いを見つめていたが、優司がいち早く彼の名を呼んだ。


「え……た、田畑? なんで、こんなところに――」


 そこにいたのは間違いなく、優司らのクラスメイトの一人・田畑宗一たばたそういちその人だった。数週間前、同窓会で邂逅したあの時のままである。

 思いがけない再会に、肝心の田畑も言葉を失ったままだ。「あの」だの「えっと」だのと視線を泳がせ、言葉を探しているらしい。

 

「その格好……田畑もこの病院に入院してるのか?」

「え……えっと……う、うん……優司君も?」

「ああ。ちょっと、色々と不幸続きでな」


 優司の言葉を受けてもなお、田畑は「そう」と蚊の鳴くような声を絞り出す。知り合いの登場に一瞬、緊張が和らいだのだが、一方でどうにも気まずい空気がトイレの中に流れっぱなしだ。

 なぜ、田畑がこんなところにいるのか――優司は妙にそこが気になり、一計を案じてみることにした。


「なぁ、田畑。ちょっとだけ、話していかないか? どうにもこのままじゃあ、眠れそうになくってさ」


 優司のその提案がよほど意外だったのか、またも田畑は「えっ」と甲高い声を上げる。優柔不断かつ気弱なその性格は、かつてとまるで変わっていない。

 しばし田畑は困惑していたが、弱弱しく、ゆっくりと首を縦に振ってくれた。なんとも懐かしい立ち振る舞いにどこかリラックスしつつ、優司は用を済ました彼と共にトイレを後にする。


 二人は病室から少し離れた談話スペースに足を運び、ソファーに腰を下ろした。消灯時間なので本来ならば院内をうろつくこと自体がご法度なのだが、田舎の病院ゆえに監視の目も緩い。ほんの数十分ほど会話する程度ならば、最悪、見つかったとしても注意程度で終わると考えたのだ。


「改めてだけど、驚いたよ。まさか田畑もこの病院にいるとは思ってなかったからさ」

「う、うん……一週間前に入院したんだ。その……胃潰瘍で……」

「胃潰瘍、か。そういえば、田畑は“漫画家”になったって言ってたよな。やっぱり、ストレスのかかる仕事なんだろうな」


 何気ないトーンで世間話を始めたものの、やはりどこか田畑の応対はぎこちない。元々彼は饒舌な人間ではなかったが、大人になってからなんだかより一層、その引っ込み思案な性格に拍車がかかった気がする。

 じっくりと田畑の返答を待つつもりだったが、逆に彼の方から優司に質問を投げかけてきた。


「優司君は、どうしてこんなところに……? 病気か、なにか?」

「ああ、いや。そういうわけでは――そうか、田畑はここ最近の“騒動”については知らないんだな」


 その反応から見るに、田畑は村で起こっている一連の事件については、あまり詳しくないらしい。一瞬、彼に事実を伝えるべきか悩んだが、それでも優司は意を決して自身に起こった“災難”の数々を告げた。

 なにせ田畑も、一度は例の件――“タケ爺”の正体を探るために、わざわざ懐かしい学び舎まで招集された一人なのだ。今、村で起こっていることを知っておく権利はあるだろうと、優司は考えてしまったのである。


「例の“タケ爺”ってのに、俺も遭遇しちゃったんだよ。命からがら逃げだしたんだけど、結構、手痛くやられちゃってさ」

「え!? た……“タケ爺”と会ったの?」

「ああ。永友がやられたことは、知ってるだろう? 俺はどうやら、三人目の犠牲者になっちまったらしい」


 できるだけ深刻なトーンにならないよう配慮しながら告げたつもりだったが、やはり想像以上に田畑はその事実に驚いている。つぶらな目をこれでもかと開き、「信じられない」とでも言いたげに優司を見ていた。

 やがて田畑は目を泳がせながら、うつむいてしまう。彼は手元を見つめたまま、小さな体躯を微かに震わせていた。


「そんな……そんなことって……やっぱり、“タケ爺”はまだ……この村にいるんだ――」

「そうだな。けれど、俺らが子供の頃に噂してた“タケ爺”と、同じとは限らないよ。なにせ俺は“タケ爺”――本名は春日岳道っていうらしい――その奥さんから話を聞いたんだ。“タケ爺”は十数年前、事故で池に落ちて死んでたんだとさ」


 改めて考えるに、過去と現在に存在した“タケ爺”が同一人物とは考えづらい。妻・春日小夜子が言っていた通り、優司らが幼少期に忌避していた老人はとっくの昔に死んでしまっているのだ。

 人間はいつか死ぬ。間違っても亡霊が一人で歩き回り、村の中で“殺人”を行うなど、ありえることではないのだ。


 そう告げることで、少しでも田畑が余計な恐怖に縛られないよう、優司なりに気を利かせたつもりだった。

 しかし、優司の思惑とは裏腹に、田畑の震えはますます大きくなっていく。見れば彼は滝のような汗を全身に浮かべ、呼吸も酷く乱れていた。


「お、おい、田畑。どうしたんだよ?」

「そうだよ……おかしいよ、こんなの……“タケ爺”が生きてるわけなんてない……そんなわけ……」


 優司の言葉も届いていないようで、田畑は震えながらぶつぶつと独り言を繰り返していく。その異様な光景に、優司は隣に座ったまま唖然とする他なかった。

 気弱だからだとか、怖がりだから、なんていう言葉では到底収まりきらないその狼狽っぷりに、思わず言葉を呑んでしまう。


「ありえない……なんで……なんで“あいつ”が、こんなこと……このままじゃあ……このままじゃあ、皆殺されるんだ……皆……あいつに殺される! きっと、僕も――」

「おい、田畑……おいってば――」

「逃げないと……早く逃げないと、あいつが来る……あいつはきっと、僕を――!」

「田畑ッ!!」


 気が付いた時には、優司は声を張り上げていた。田畑はようやく我に返り、再び優司へと視線を戻す。振り向いた瞬間、大粒の汗が数滴、足元のカーペットへと染み込んだ。

 ぜえぜえと呼吸を荒げる田畑を前に、彼から伝わる異様な熱気を優司は感じ取っていた。殺人鬼が村の中をうろついているというニュースに、不安になるのは分かる。だがそれを差し引いても、田畑のこの怯え様は異常だ。

 

「落ち着けよ、田畑。考えすぎだって。こうしている今も、警察だって動いてくれてるんだ。犯人の目的はさっぱりだけど、いずれこんな狂ったことはおしまいだよ」

「そ、そうかな……そうだと、いいんだけど……」

「ああ。第一、こんなところまでさすがの奴も来れないだろう。田舎の病院だって言っても、警備員だっているしセキュリティだってあるんだぜ? 夜だってナースステーションには人がいるんだから、忍び込めば大事になるさ」


 気が付いた時には、なぜか必死に田畑をなだめている自分がいた。まるで子供に言い聞かせるように、優司は様々な事実を並べ、彼の不安を取り除いていく。

 田畑が過剰に“タケ爺”に恐怖する理由は分からない。だがやはり、かつてのクラスメイトが怯え、恐怖に打ちのめされようとする姿を見るのは耐えがたいものがある。


 田畑の言葉を受け、一瞬だが優司も“タケ爺”がここまでやってくるのではと、邪推してしまった。しかし、自身が並べた言葉の数々を反芻はんすうし、肩の力を抜いてしまう。


 もし、“タケ爺”がいまだに優司を襲うことに執着していたとしても、この病院までやってくることは至難の業だろう。田畑に伝えたように、ここは以前のような野山の中ではない。最低限のセキュリティは備えているだろうし、誰かの目を盗んで病室まで辿り着くこと自体、酷く困難なことに思う。


 優司の言葉を受け、田畑は何度も「そうだよね」と自分自身に言い聞かせるように呟いていた。なおもその表情は恐怖と不安に歪んでいるが、先程までのそれよりは幾分、ましになったようである。

 彼の怯えっぷりを前に、改めて優司も今回の出来事が“異常”なことなのだと再認識してしまった。退屈な入院生活で緩み切っていた自分が、なんとも平和ボケしているようでばつが悪い。


 人が何人も死んでいるんだものな――生まれてこの方、穏月村おんげつむらの中で“殺人事件”なんてものが起こったことなど無い。重ね重ね、自分達が置かれているこの状況が、異常なのだと痛感してしまう。


 田畑をなだめるため、それからも優司は他愛のない会話を続けていた。だが、廊下の奥から聞こえてきた足音で、思わず息をひそめてしまう。

 田畑はなおも怯えていたが、優司はナースステーションの方角から近付いてきたそれにいち早く反応し、困ったように笑った。


「ああ、やべえ。長話しすぎたかな。もうちょい、声のトーンを抑えるべきだったか」


 優司の一言で、田畑も近付いてくる足音の主を予想する。大方、ナースステーションに待機していた看護師が二人の声に気付いたのだろう。ちょっとした身の上話のはずが、随分と談話室に長居してしまったようだ。


「お、怒られちゃうかな……ごめんね、優司君」

「田畑のせいじゃあないさ。トイレで呼び止めたのは俺なんだしさ。『すんません』って頭下げとけば、大丈夫だよ」


 肩の力を抜いて笑う優司を見て、ようやく田畑もうっすらとだが笑顔を浮かべてくれた。

 近付いてくる足音に、優司も看護師から飛んでくるお叱りの一言を予感し、少しだけ身を引き締めてしまう。しかし、腰を上げようと足に力を込めた二人は、揃って動きを止めてしまった。


「くらぁいおうちは、こわかろう。あかりのつくとこ、ゆぅらゆぅら――」


 田畑が「えっ」と微かに声を上げる中、ついには優司までも目を見開き、呼吸を止めてしまった。また一つ、廊下の奥からぺたんと足音が近付いてくる。


「やぁまがなくなら、あきらめよ。“にえ”ひきずって、おむかえだ――」


 聞き覚えのあるその波長に、優司はゆっくりと振り向く。瞬きすら忘れ、ナースステーションへと続く廊下の角を見つめた。


 ゆらり、ゆらりと“彼”は廊下の奥から姿を現す。あの日、野山で邂逅した時とまるで変わらない農作業着姿で、やはり片手には“草刈り鎌”を携えていた。

 ぺたん、ぺたんと彼は足を運んでいく。病院の廊下を場違いな黒長靴が踏みしめる音が、暗い通路の中にこだましていた。


 “彼”は角を曲がり、ゆらりとこちらに体を向ける。窓から差し込む月光を浴び、その姿があらわになった。


 優司の全身から汗が滲み出る。いまだに状況が飲み込めない田畑よりも一足早く、姿を現した“それ”の正体を悟り、戦慄した。


 「わぁるいこはみな、でておいで。よこにならんでくらべぇな。“しおき”のかわりに、おやまいこ――」


 数歩、“彼”が近付いたことで、ようやく田畑も気付く。そのあまりにも異様な姿が、彼の記憶の中に眠っていた“鬼”の姿を一気に意識の中に浮上させた。


「わるいこはみな、それおとそ――“おに”がついたら、くびおとそ」


 空気の中に、鋭く冷たい感覚が走る。対峙する二人の心臓が、見えない何かの手で鷲摑みにされたかのようだった。

 薄明かりを背負って立つ“それ”が、顔を持ち上げる。思い出の中から這い出てきた存在が、なんら変わらない姿でそこに立っていた。


 がたりと窓が軋む。村に吹き荒れている夜風が“絶望”の到来を受け、騒ぎ立てているようだった。

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