第9話 核心

 20時ともなると、穏月村一帯は深夜とほぼ変わらない漆黒に包まれてしまう。まばらに配置された街灯がぽつぽつと夜闇を照らすが、その淡い輝きはなんとも心許ない。

 それ故に、村唯一のコンビニエンスストアが放つ灯りは煌々と周囲を照らし出し、実に強烈な存在感を放っている。


「ご協力、ありがとうございました。それでは、失礼します」


 婦警のはきはきとした挨拶に対し、応対していたバイト店員はどこかぎこちない動きで返す。だが、気にすることなく婦警は踵を返し、外に停めていた自転車へと戻っていく。

 夜だというのに、どこか生暖かく強い風が肌を撫でた。飛ばされないように帽子を押さえながら、彼女――真琴は手元のスマートフォンに記されたメモを見つめる。


 あれから可能な限り聞き込みを行っているが、特に成果は上がっていない。相も変わらず“タケ爺”と思わしき人物の足取りはつかめておらず、依然として街全体に不穏な空気が漂っている。

 二人が殺害され、さらに一人――真琴の友人・優司が襲われたことは、とうの昔に噂として村中に伝搬してしまっていた。


 最初でこそ村人達は無関係を決め込んでいたが、こうなってくるとさすがに無視し続けるのも難しいらしい。この話題を出すたびに誰も彼もが暗い表情を浮かべ、今もこの村のどこかに隠れている“殺人鬼”への思いを吐露してくれた。


 一体、どこに隠れているの――真琴としても、連日の捜査が空振りしてしまう事実に、辟易してしまう。時間だけが無駄に過ぎていき、着実に被害者が増えていく現状が、彼女のなかにどうしようもない焦りを生んでいた。

 犯人を見つけなければ、という当初の正義感は、いつしか「止めなければいけない」という、より強固な意志へと成長していた。真琴は警察組織の中では末端の人間だが、それでも今回の一件について上の決定をおとなしく待っている気になどなれはしない。


 こうしている間にも、また誰かが襲われたら――そう思うだけで、どうしようもない焦燥感がじわじわと這い寄ってくる。

 自転車にまたがったまま苛立ちから歯噛みしてしまう真琴に、唐突にどこか間延びした声が投げかけられた。


「よぉ、お勤めご苦労さん」

「あ……純?」


 顔を上げると、いつの間にか片手にコンビニのビニール袋を抱えた狩屋純かりやじゅんがそばに立っていた。くたびれたジャージ姿のまま、彼は真琴にリラックスした笑みを浮かべている。


「奇遇だなぁ、こんなところで会うなんてさ」

「本当ね。思えばこの間、ぶーちゃん宅で会った時、以来になるかしらね?」

「だな。あれから、仕事の方が色々と立て込んじゃってさ。なかなか集まれなくてすまねぇ」


 申し訳なさそうに頭を下げる純に、真琴は「いいのいいの」と、出来るだけいつも通りの笑顔で答える。見れば純は随分と大量にあれやこれやを買い込んだようで、彼の好物であるソーダ味のアイスバーが数本、袋からはみ出していた。


「相変わらず、例の件――“タケ爺”について調べてんのか?」

「ええ、まぁね。今日も一通りパトロールしながら、聞き込みしてたところ。けど、これといった進展はなさそうね」

「そうかぁ。まさか、優司まで襲われるとは思わなかったからなぁ。俺も見舞いに行ったんだが、あの程度の怪我で済んでよかったぜ」

「本当にね。でももしかしたら、優ヤンまで“タケ爺”に殺されてたかもしれないと思うと、ゾッとするわ……」


 少しだけ視線を伏せる真琴に、純もどこか悲しげな瞳で「だなぁ」と同調した。コンビニの自動ドアが放つ開閉音が、どこか遠くに聞こえてしまう。


「なんだか調べれば調べるほどに、“タケ爺”って存在の思惑が分からないのよね。かつて自分が虐げられた恨みが動機だっていうなら、優ヤンが彼に襲われたことがつじつまが合わない気がするの。もちろん、石田君や永友君が“襲われて当然”だなんていうつもりはないけどね」

「そうだよなぁ。優司の奴も“タケ爺”に会ったことはあっても、石田みたいにちょっかいかけたわけでもないだろうし」

「そもそも、優ヤンが老人ホームで“タケ爺”の奥さん――小夜子さよこさんから聞いたことが本当なら、“タケ爺”はとうの昔に亡くなっているはずよ。なら、誰かが“タケ爺”のふりをして犯行を繰り返していることになるけど、そうなるといよいよ、動機がまるで分からなくなってくるわ」


 クラスメイトに出会えたことが肩の力を抜かせたのか、真琴はぐるぐると自身の中で渦巻いていた“推測”の数々を、次々に言語化していく。純は面倒くさがることもなく、彼女の言葉の一つ一つをしっかりと受け止めてくれた。

 純はビニール袋の中から、買ったばかりのレモンティーのボトルを真琴に手渡す。目を丸くして驚く真琴に、純はどこか困ったように笑った。


「あれこれ考えるのは大事だけど、悩んでばかりじゃあ今度は真琴の方が駄目になっちまうよ。まぁ、そういう生真面目なところが真琴の良いところだけど、あんまり背負いすぎねえようになぁ」

「あ……ありがとう。ごめんね、気を遣わせちゃって」


 真琴はため息をつき、気持ちを落ち着けながらボトルを受け取った。純も笑いながら、自分のぶんの飲み物を取り出しキャップを開ける。炭酸の「ぷしゅう」という痛快な音が、どこか心地良かった。


「俺も“タケ爺”ってのについては、あれから色々考えるんだよなぁ。もちろん、その爺さんの心の根っこの部分は分かんねぇけどさ。だけど、やっぱり人間が人間を殺すってのは、尋常なことじゃあねえだろ? そうなると、そこにはその爺さんを突き動かすだけの、強烈な“なにか”があるような気がするんだよ」

「強烈な“なにか”――かぁ。つまりそれは、“恨み”とかそういう感情ってこと?」

「まぁ、それが妥当だよなぁ。俺にはどうにも、その爺さんってのがただの狂人とは思えねぇんだ。なにかこう、強い“意志”があるからこそ、ここまでのことができるんだろうさ」


 純の言葉に、思わず真琴も考えてしまう。今まで抱いていた“狂人”としての“タケ爺”像を一旦拭い捨て、改めてクリアな状態で思考を巡らせてしまう。


 人が人を殺す理由とは――無論、それはまともなことではない。誰かが誰かの命を奪うということはあってはならないことだし、往々にしてそういう一線を越える場合、常人からすれば“狂っている”としか見られない、常軌を逸した精神状態になっている犯人も多いだろう。

 今回の一件も、その“タケ爺”が――あるいは、彼を偽った誰かが“狂っている”なら、これほどにおさまりが良いことはないのかもしれない。そうすれば、全ては“狂人”が起こした、いたたましい事件として片付けることができる。


 しかし真琴には、どうにもそれが不自然に思えてならない。“タケ爺”と呼ばれる存在は確実にかつてのクラスメイト達に狙いを定め、彼らが一人になる瞬間を見極め犯行に及んでいる。

 ときには夜道で、ときには山中の農場で。いずれも、自身の犯行が他人に邪魔されにくい、実に理に適った環境を選んでいるように思えてならない。


 ここまでの計画的犯行を、はたして“狂人”の仕業と一蹴してしまっていいのだろうか。純の言葉を受け、真琴のなかでもやもやと渦巻いていたいくつもの疑問が、よりシャープに具現化されつつあった。


「真琴も気をつけろよぉ? 警察官っていう仕事だから仕方ねえのかもだけど、あまり入れ込みすぎると、お前までやばいことに足を突っ込みかねないからさ」

「ありがとう、純。なんかこう、自分が情けなくなるわね。最初こそ、“正義感”からなにがなんでも犯人を捕まえてやる――って意気込んでいたのに、気が付けばそれに縛られてばかりで」

「まぁ、それも含め、真琴は警察って職に向いていた――ってことだろうさぁ」


 どこか意地悪な笑みを浮かべる純の姿が、やはり今の真琴にとってはただただ救いになってくれる。彼らを守ろうと奮闘していたはずの自分が、気が付けば彼らに助けられ、支えられていたのだという当たり前の事実を強く実感してしまった。


「んじゃあ、まぁ、俺はそろそろ帰って寝るよ」

「うん、おやすみ。私はあともう少しだけ――駅の近くをパトロールして帰るわ」

「ほえ~、つくづくご苦労さんだなぁ。本当、気をつけろよ? “ミイラ取りがなんとやら”――にだけはならねえようにな」


 純は助言まがいの一言を最後に、手を掲げて踵を返す。その背中をしばらく見送った後、真琴も改めて気持ちを引き締め、自転車に乗り込んだ。


 夜中の穏月駅へと向かい、その周辺を引き続きパトロールしていく。ちらほらと仕事から帰る人々の姿が見えたが、やはりこのエリアにもほとんど人通りはない。

 思えばこの近辺で、クラスメイトの一人・永友は襲われたのだ。そう思うと、なんだか周囲に張り付いた闇がことさら不気味で、その中から今でも“タケ爺”が飛び出してくるのではと、不安になってしまう。


 より警戒心を強めながら、真琴は駅から南に位置する公園へとたどり着く。本日のパトロールの最終地点なのだが、いつも通り、公園は閑散としていて人影は見えない。

 薄明かりが照らす中、自転車を停めて周囲を伺う。夜遅くまで子供が遊んでいたり、時には酔いつぶれたサラリーマンが寝ていたりすることもあるので、それらを補導するのも真琴の業務となっている。


 普段は村の子供達が遊ぶスポットとしてにぎわっているのだが、誰もいなくなった公園はただただ静かで、街灯に照らされるジャングルジムや動物を模した遊具がどこか不気味だった。夜風を受けてブランコが揺れ、錆のせいか「ぎぃい」という嫌な唸り声をあげている。


 いつものルーティーンをなぞる形で、手早く真琴は公園をチェックしていく。遊具の影などを調べた後、その足は公園の端にある公衆トイレへと向けられた。

 周囲を警戒しつつも、自然と思考は先程の話題――“タケ爺”という存在へと向けられていく。


 強烈な“なにか”、か――コンビニで純から聞いたあの言葉が、妙に気になってしまう。女子トイレの個室を調べながらも、真琴は推測していく。


 “タケ爺”という存在の犯行に、今まで真琴はどこか言語化できない“違和感”を抱いていた。だが、自分自身の中に残り続けていた“おさまりの悪さ”が、急激に形を帯び、輪郭が浮き上がってきたように思う。


 もし、“タケ爺”が狂人などではなく、ある確固たる“理由”に基づいて殺人を繰り返していたら。もし彼が、狂人であるふりをしているとしたらどうだろう。

 そこまで考えたとき、真琴はある一つの事実に気付く。不意に胸中に湧き上がったある思いに、トイレの入り口で足を止めてしまった。


 “タケ爺”は夜の田んぼ道で、石田を襲った。そして彼は深夜の路上で、永友を襲った。果ては、彼について調べようとしていた優司を、山間にある農地で襲った。

 彼は明確に、真琴のクラスメイト達を狙っている。しかも、それぞれが“一人”になるタイミングを狙いすまし、確実に犯行に及んでいる。


 石田が同窓会から一人で帰る、その瞬間を。永友が残業を終え、駅から一人で帰る、その瞬間を。

 そして、優司が“タケ爺”の過去を調べるため、単身で神社に向かった、その瞬間を。


 男子トイレを覗き込み、人が残ってないことを確認しつつ、思わず真琴は一人で「ああっ」と声を上げてしまう。誰もいない公衆トイレの中に、彼女の息遣いが響いた。


 “タケ爺”と彼らは――石田、永友、そして優司はあくまで赤の他人でしかない。幼少期に忌み嫌われていたとしても、“タケ爺”はクラスメイト達の知り合いでもなければ、親戚の類などでもないはずである。

 そんな彼がなぜ、どうして、クラスメイトの居場所や行動パターンを知り得ていたというのか。なぜ一人の老人が、この村で行われた“同窓会”のタイミングにぴったりと合わせるように、動き出したというのか。


 そんな単純で、それでいて今まで見えていなかったある“事実”に、真琴はたった一人で戦慄してしまう。男子トイレの個室を確認しつつ、もはや心ここにあらずの状態で冷汗を浮かべてしまった。


 これまでの自分の思い込みの強さを、ただただ恥じる。公衆便所特有のつんとした悪臭が不意に肉体に入り込み、強烈な吐き気を催してしまった。

 鼓動が加速する中、真琴は誰もいない空間で壁を見つめたまま、考える。


 タケ爺は――私達のことを良く知る、“誰か”なのだ。


 足を止めたまま、暗い空間の中で考える。古ぼけた照明がじじじと、耳障りに囁き続けていた。

 

 外から、強く吹き付ける風の音が聞こえた。それがカモフラージュになったのか、はたまた混乱してしまった真琴の思考が五感を鈍らせたからか。


 男子便所の入り口で、重々しい足音が響く。そこに立つ“彼”の口から漏れる低い唸り声のような“歌”に、なおも真琴は気付くことができなかった。

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