第2話 解明へ

 階下から鳴り響いたチャイムの音は、相変わらず二階の自室にいても実に明瞭に聞こえた。優司はベッドから体を起こし、椅子の背もたれに乱雑にかけていたパーカーを掴んで部屋を出ていく。

 なんとも気乗りしないが、それでも事が事だ。このまま住み慣れた実家でだらだらと過ごすわけにもいかない。


 一階に降りると、玄関からどこか嬉し気な母の声が聞こえた。いつもより弾んだ波長で、彼女は来訪者に語り掛けている。


「あらぁ、純君。久しぶりねぇ! お母さん、元気にしてる?」


 どこかうんざりしながらも優司は玄関へと赴く。案の定、そこには時間通りに訪ねてきた同級生・純と、それを出迎えてご満悦な母の姿があった。

 純は目を細めて愛想よく笑い、母に応対している。


「ええ、おかげさまで。今も相変わらず、朝早くから畑に行ってますよぉ」

「へえ、そうなの! この間も大根、ありがとうねぇ。やっぱり、スーパーで買うのとは全然、“物”が違うのよぉ。それこそ、最近は値上げばっかり続いてて、野菜も小さいくせにやたら高いったら――」


 簡潔な純の返答に対し、母は実に饒舌じょうぜつに、まくしたてるように言葉を投げかけていく。相も変わらずな母の姿に、優司は一度立ち止まり、わざとらしく大きなため息をついてみせた。


 こちらに気付いた純が「よぉ」と手を上げ、母も振り返る。まだ話し足りなさそうな母に対し、優司は必要最低限の内容だけを告げ、さっさと玄関を後にした。


 家のすぐ前に停めている純の愛車――垢抜けた見た目だが、一方で乗り回しているのはワゴンRという、どこか可愛らしい趣味の車だ――その助手席に乗り込みながら、まずは一言、謝ってしまう。


「悪いな、おふくろがべらべらと。あの人、話し出すと止まらないからさ」

「とんでもない。元気にやってるみたいで、なによりだよ。あれだけ喋るんだから、さぞ家庭内は愉快なんだろうなぁ」

「俺が帰ってきてからも、会えばひたすら喋ってるんだ。東京はどうだ、だの。彼女はできないのか、だの。初日なんか、相手してるだけでくたくただよ」


 純はエンジンキーを回しながら、けらけらと笑う。優司は小さなシートにしっかりと体を収めながら、全身に伝わる振動を感じていた。


「そりゃあ、一人息子が久々に帰省したってんだから、話したいことが山のようにあるんだろうさ。いいよなぁ。うちの母さんなんて、淡白なもんだからさ。お前のところの家庭見ていると、うらやましく思えるよぉ」

「見た目ほど良いもんじゃあないぜ。それに今回の件だって、おふくろが過剰に心配しちまってさ。やり辛いったらないよ」


 優司の一言で、一瞬だが純はアクセルを踏む足を止めた。ハンドルを握ったまま、横目で微かにこちらを見つめてくる。


「まぁ、な。とりあえず、“それ”についてはこの後――“あいつ”も交えてからだ」


 そんな簡潔な一言をきっかけに、ようやく純は軽自動車を発進させる。小さな車体はするりと加速し、檜山ひやま家を後にした。


 カーオーディオから流れる古い曲に耳を傾けながら、優司は車窓の外へと目を向ける。野山に囲まれた生まれ故郷の村はそこら中に田んぼがあるだけで、つい先週までいた大都会・東京とはまるで別世界だ。

 住み慣れたはずの故郷・穏月村おんげつむらの景色を眺めながら、優司はほうとため息をついてしまう。


 幼い頃は、この片田舎の風景こそが優司らの“世界”だった。

 だが、外の世界を知ってしまった優司にとって、生まれ故郷の景色は酷く殺風景で、その広大さに一抹の不安すら抱いてしまう。


 子供の頃と今では、眼前に広がる原風景はまるで色が違って見えている。雄大な自然に包まれた田舎の村は、大人になった優司にとってはただただ閉鎖的でつまらないものとしか映らない。


 嫌な歳の取り方をしたな――“俗”に染まってしまった自分自身が酷く滑稽に思えてしまい、思わず後ろ頭をかいた。


 車は土手道を進み、やがて村から離れた隣町へと入っていく。穏月村とは山一つで隔てられたそのエリアは、先程までとは打って変わって着実に“町”が形成され、賑わいを見せていた。

 先日の同窓会でも分かったことだが、仕事や結婚やらの関係で穏月村ではなく、こちら側のエリアに住んでいる同窓生達も多いらしい。


 最初でこそ他愛ない会話を交わしていた二人だったが、目的地が近付いてきたことで自然と話題は移り変わっていく。優司は深めにシートに座りながら、ハンドルを握る純に問いかけた。


「しかし、なんでまた俺らが呼び出されたんだろうな? “あいつ”、一体どういうつもりなんだろうか」

「さあなぁ。けど、あいつのことだから、なにかしら持ち前の“正義感”みたいなもんに突き動かされてるんじゃないかなぁ」


 優司は「正義感」と繰り返しながら、おもむろに視線を車内に走らせる。座席の間に設置された車用の香水の瓶を見つけ、先程から漂う柑橘系の香りがこれなのだと悟った。

 視線こそ反らしてはいるが、優司はなおも話題に上がった“あいつ”に思いを馳せる。


「職業柄、今回の件――石田が死んだことも、調べてるんだろうな。同級生の不審死を調べるってのは、たまったもんじゃねえだろう」

「かもなぁ。けどまぁ、俺らとは違ってああいう職業についてるわけだから、案外、気持ちの切り替えも早いのかもしれねえぜ?」


 考えれば考えるほどに、なぜ“彼女”が二人を呼びつけたのかは分からない。だが少なくとも、今の二人には“彼女”の提案を断るほどの強い理由も持ち合わせてはいなかった。


 しばらく車を走らせると、ようやく目当ての喫茶店が見えてきた。二人は狭い駐車場に車を停め、とにもかくにもその指定場所へと足を踏み入れる。


 店員に待ち合わせである旨を告げると、すぐに奥の席へと案内された。すでに“彼女”は辿り着いていたようで、こちらの姿を見るなり笑顔で手を振ってくる。


「うっす、二人共! ごめんねぇ、無理言っちゃってさぁ」


 見慣れたはずの彼女の姿に、優司は一瞬たじろいでしまう。顔こそ同級生のそれなのだが、一方で彼女が“婦警”の格好をしているところを、初めて見たゆえの驚きだった。

 同窓会の際に泥酔していた姿から一変、同級生・平岡真琴はどこか凛とした強い眼差しを浮かべ、不敵に笑っている。


「今日は予定が詰まっちゃってて、どうしてもこの時間じゃないと会えそうになかったんだよねぇ。忙しかったでしょ?」

「あ、いや……まぁ俺は、家でゴロゴロするくらいしかないからさ。東京に帰るのも、職場に事情説明して一週間延ばしてもらったんだ」

「へえ、そうだったんだ! まぁ、こんなことになっちゃったしねぇ。気持ち、切り替えろって方が無理ってもんだよ」


 優司と純は彼女の対面に座り、ひとまずそれぞれの飲み物を注文した。窓際の席に腰掛けてすぐ、純が躊躇ちゅうちょすることなく本題を切り出す。


「それで一体全体、どういう要件だよ? どうしても直接話したいって言うから、来たわけだけどさぁ」

「もちろん、彼――石田君の件についてだよ」


 案の定な返答ではあったが、それでもどこか二人は腹の奥がざわついてならない。

 改めて飛び出た同級生――死んでしまった“ガキ大将”・石田について、戸惑いながらも言葉を交わしていった。


「石田……あいつが死んだことについて、か?」

「うん。私だって、いまだに驚いてるってのが正直なところだよ。なにせ、同窓会があったその日だもんね。私達と別れた後――あの夜に、石田君は“殺された”ってことになるんだから」


 淡々と告げるその姿はやはり、まるでぶれる様子がない。迷うことなく彼女が呟いた一言に、優司はどうしても真剣な眼差しを浮かべざるをえなかった。


 殺された――それはすなわち、石田の死が偶然ではないということなのだ。


「なあ、前も聞いたが……あいつは“事故”とか、“自殺”じゃあないんだな?」

「そうだね。なにせ状況が状況だから。“あんな死に方”してたんだから、他殺って考えるのが自然だと思うよ」


 石田の死体が発見されたのは、“同窓会”の翌日の朝であった。

 早朝、田んぼ道のど真ん中で事切れている石田を、畑の手入れに赴いた農家が発見したのだ。


 石田は首を鋭利な刃物で深々とえぐられ、絶命していた。傷の分厚さや形状からナイフや包丁ではなく、おそらくは“鉈”や“鎌”のようなものを用いたとされているらしい。


 改めて聞かされた事件の詳細に、なおも二人は戦慄してしまう。たまらず純も、前のめりになりながら問いかけていた。


「犯人、まだ捕まってないんだよなぁ? それってつまり――まだ、あの村のどこかに殺人犯がいる、ってことだろ」

「村の内部の人間がやったかどうかも、はっきりは分からない。解剖の結果、死亡推定時刻くらいしか、今のところは分かってないんだよ。情けない話、警察側も“分からない”だらけで、参ってるところ」

「そっか……まぁ、そりゃあそうだよな。こんな田舎町のなかじゃあ、目撃者だっているわけないだろうし、監視カメラがあるわけでもないしなぁ」


 純の言葉に、すぐ隣に座る優司も思わずうなずいてしまう。

 これが大都会の街中で起こった事件ならまだしも、穏月村は過疎化の進む田舎だ。そもそも街灯すら満足に配備されていないのだから、深夜ともなれば田んぼ道は一面、夜の闇で覆い隠されてしまう。


 誰かが石田を殺害したとして、それを目撃できた人間がいたとは思えない。下手をすれば、返り血を浴びたまま歩いていたとしても、気付くことができないのではないかとすら思ってしまう。

 そんな状況で、どこにいるかも分からない殺人犯を探すのは至難の業だろう。対面に座る真琴の苦悩を察し、思わずため息が漏れてしまった。


 注文していたアイスコーヒーを受け取りながら、優司はやはり視線を真琴から反らしはしない。一口、鋭い苦みを口に含み、意識を覚醒させる。


「それで、俺らに“話”ってのは、具体的になんなんだ? 石田についてなにか、聞きたいことでも?」


 優司の問いかけに、真琴は少しだけ言い淀む。だが彼女もまた、変わることのない凛とした眼差しで応えてくれた。


「私は正直なところ、石田君がどこか苦手だった。無遠慮で、無作法で――きっと、そういう風に感じていたクラスメイトは、多かったんじゃあないかな?」

「そりゃあ、まあ……あんな性格だしな。この間の“同窓会”だって、とことん空気を読む気はなかったみたいだし」


 思えばあれが、同級生・石田との最後の会話になってしまった。当時を思い返しながら、真琴はしっかりと頷く。


「そうだよね。私の知る限りでは、石田君は当時から女子にもあまり人気はなかったし、出来ることなら近寄りたくない存在だった。だから同窓会の時だって、彼と積極的に会話をしようって人はいなかったように思う。彼の方はそれこそ、誰彼かまわずに絡んでたみたいだけど」


 苦笑する真琴を見ていても、優司と純はいまいち笑うことができない。

 彼女が言うとおり、石田という人間はクラスのなかではどこか浮いた存在で、その凶暴性は一種の“爆弾”のようなものだった。許されることならばきっと、誰もが彼と距離を置きたかったに違いない。


「けれど――それでもやっぱり、石田君は私達の同級生なんだよ。一緒に同じ学校に通って、同じ場所で勉強して、同じ時間を過ごした一人なの。その石田君が誰かに殺された……私はそれを、分からないまま終わりになんてしたくない」


 対面から伝わってきた“圧”のようなものに、優司と純はそれぞれ息をのんでしまった。こちらを見つめる婦警の眼差しは、なぜだか今まで以上の強い輝きに満ちている。

 背後の窓から差し込む陽光を背負い、真琴はまっすぐこちらを見つめたまま告げた。


「私は私なりに、石田君を殺した“犯人”を探そうと思ってるの。必ずその正体を突き詰めて、そして法によって裁きたい。だからもし良かったら――二人にも、協力してほしいんだ」


 真琴の一言に、優司と純はたまらず互いの顔を見合わせてしまった。目を丸くしたままの純が、一泊遅れて反応してみせる。


「おいおい、そんなことして大丈夫なのかよぉ。警察だっていまだに犯人を追ってるんだろう? それを、俺らみたいな一般人まで巻き込んじまったら、真琴が警察側から詰められるんじゃあないか?」

「バレれば色々と、面倒くさいことになるかもね。けれど、だからと言ってのんびりと調査を続ける気になんてなれないよ。ましてや、このまま手掛かりや証拠が出てこなければ、警察は捜査の手を緩めることだって考えられる。そんな形で、石田君の“死”を風化なんてさせたくないんだ」


 恐らくそれは、警察が扱う事件ごとにある“鮮度”の話なのだろう。警察としても、いつまでも未解決の難事件に延々と人員と時間を割いてられるわけもない。

 真琴は警察という組織に居ながら、その組織が持つ暗黙のルールを知り得ている。そんな彼女だからこそ、今回の一件がどれほど難解で、勝ち筋の見えない事件なのかを分かっていたのかもしれない。


 それをそのまま、“しかたない”なんて言葉で終わらせたくない。そんな真琴の決意が、自然と優司を前のめりに惹きつけていた。


「協力って言ったって、どうするんだ? 純も言った通り、俺らは捜査のコツなんて分からない一般人だ。そんな俺らが束になったとして、どうにかなるものなのかな」

「確証はないわ。けれど、もしかしたらまだ私達が知らない“なにか”を知り得ている人物はいるかもしれない。だからまずは、あの日――同窓会に来た、クラスメイト達を順番に当たっていこうと思うの」


 にわかに彼女の思惑が見えてきた。純が前を向いたままアイスティーを口にする中、優司はあくまで真琴に向き合ったまま、考える。


 石田はなぜ、殺される必要があったのか。なぜあの夜、彼は命を奪われなければいけなかったのか。

 優司達は石田という人間について、あまりにも知らないことが多すぎる。だからこそ、まずは石田という人間を紐解き、あの日の事件に繋がる手がかりを探り当てようというのだ。


 呼び出された優司と純は、明らかに動揺してしまっていた。今二人の目の前に座っているのは、かつての同窓会で酒に飲まれ、ろれつが回っていなかった同級生などではない。

 そこに座っているのは己の“正義”に突き動かされ、なおも前を向こうとしている気高い一人の女性だった。


「私はただ、嫌なのよ。私達が生まれ育って、今もすぐそばにある生まれ故郷で、一緒に暮らした誰かが殺された。その事実が煙に巻かれて、もやもやしたものを抱えたまま生きていくことが。そういう世の中の“グレー”が嫌いだったから、私はこうして警察官になったの」


 彼女がなぜ警察組織に足を踏み入れたかなど、まるで分らなかった。思えばあの日――同窓会で優司達は、その場に集った懐かしい面々の姿に酔い、和やかな空気に身を任せていただけなのかもしれない。


 知らないことは山のようにある。

 石田の身に何が起こったのか。この村であの夜、なにが起こったのか。

 そして、一体誰が――石田を殺したのか。


 すぐ手元のにあるグラスのなかで、かすかに解けた氷がカランと乾いた音を立てた。

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