第3話 因縁

 会心の当たりを告げる金属バットの炸裂音が、校庭から青々とした空へと駆け抜けていく。野球少年達はベンチに居ながら、一塁へと駆けるチームメイトに各々のエールを投げかけていた。

 土曜の校庭で練習試合を繰り広げる彼らの姿を眺めながら、遊具のタイヤに腰掛けた純がけらけらと笑う。


「いいねぇ、子供ってのは。俺らもあんなふうに、時間さえあれば色々駆けずり回って遊んでたよな。あの頃のような体力、今じゃあ見る影もないけどさぁ」


 優司もまた、昇り棒にもたれかかりながらその光景を眺めていた。ホームランを叩き出した少年がベンチへと戻り、少年らとハイタッチをかわす姿に自然と口元が緩む。


「だよな。それこそ今じゃあ、仕事が終わったら家のことして、ネット見てだらだらして終わり――運動なんて、家からコンビニまで移動するくらいだよ」

「ましてやお前みたいに、都会に住んでるんならなおさらだろう。こっちじゃあ買い物するにしても、チャリンコ飛ばさないといけないからなぁ。その点は、素直にお前が羨ましいぜぇ」


 地元に帰ってきてからというもの、純は都会で働いている優司のことを度々、羨ましがっていた。都会というさかえた土地にいるということはもちろんなのだが、優司がエンジニアとして“リモートワーク”を成し遂げていることも関係しているようだ。

 純はというと、大学を出てからは地元の鉄工所で十数年勤務している。いわゆるベテラン社員ではあるものの、本人からすれば「おんなじことの繰り返し」と、あまりはつらつとした毎日は送れていないらしい。


「前にも言ったけど、都会は都会で大変なんだよ。ごみごみしてるし、空気は汚いし。今となっては、この村がどれだけのびのびと過ごすことができたのか、良く分かるぜ」

「都会帰りってのは、大体そういう風に言うもんだよなぁ。俺ら田舎オンリーの人間にとっちゃ、それも含めて“勝ち組”にしか見えないっての」


 純はわざとらしくタイヤにもたれかかり、背伸びをしてみせる。ねたように振る舞う友人の姿に、優司は思わず苦笑してしまった。結局どこまで行っても、人間というのは“ないものねだり”な生き物なのだろう。


 快晴の空の下、少年らの活気ある声を受けつつも談笑を続ける二人に、一人の女性が近付いていく。こちらに向かってくる懐かしい顔に気付き、優司らも自然と手を掲げた。

 白いブラウスと黒のスカート、後ろで束ね上げた艶やかな黒髪の女性が「やっ」と笑う。


「お待たせ、二人共。ごめんねぇ、なんだかんだで時間かかっちゃった」

「ああ、いや。こちらこそ悪いな、突然。“委員長”も忙しかった――ああ、そうか。今は“先生”……か?」


 言い回しに困る優司を前に、かつてと変わらない無邪気な笑顔を浮かべ、同級生・前園まえぞのしずかは肩を揺らした。大人びた風貌とは相反して、その笑顔には当時の面影がしっかりと残っている。


「呼び方なんて、好きにしてくれていいから。大体、私は君らの“先生”じゃないんだからさ。“委員長”でも全然、OKよ」

「そっか。それにしても、改めて驚いちまうな。まさか委員長が、俺らの学校で教師やってるだなんて。まぁ、委員長らしいっちゃ、らしい進路なんだけどさ」


 驚く優司の背後で、純も「だな」と深くうなずく。そんな二人を前に、なおもかつての学級委員長は「ふふ」と笑ってみせた。


「けれど、突然の連絡に驚いちゃった、っていうのが本音よ。同窓会が終わってから、こんなに早く再会することになるなんてね」

「そうだな……実のところ、俺らもまだ混乱してるところだよ。正直、こんな事態になるとは思ってもみなかった」


 優司の一言に、ようやくしずかの表情が曇る。彼女は腕を組んだまま、少しだけ視線を落とした。


「石田君の件――だよね? そうだよね……まさかあの夜、あんなことが起こるなんて。けど、その件で一体、何の話があるっていうの?」


 率直に切り込まれ、優司は一瞬、言葉に詰まってしまう。しかし、校庭の端を見ていた純が、どこか間の抜けた一言で返した。


「それはこれから、しっかりと説明すっからさぁ。ちょうど、例の二人も着いたみたいだし。ね?」

 

 彼の視線の先を見つめると、駐車場からこちらへ歩いてくる二人の男性の姿が見えた。そそくさと近付いてくる二人に、優司らも自然と手を掲げ、声をかける。

 左側に立つ一人――現在ではロボット開発者として活躍している聡明な男・永友は眼鏡を直しながら、どこか不機嫌な眼差しを浮かべていた。


「わざわざ懐かしの母校に呼び出すなんて、何事だい? メッセージだけじゃあよほど言い辛いことでもあるのかな」

「悪いな、二人共。ちょっと込み入った話だったから、じっくりと腰を据えて話したかったんだ。けどまさか、二人が一緒に来るとは思わなかったな」

「田畑君とは、たまたま駐車場で一緒になっただけだよ。お互い、呼び出された理由も分からず、困惑しているところさ」


 どこか嫌味交じりに返されても、優司は苦笑して肩をすくませる。漫画家として大成した背の低い同級生・田畑は、無言のまま頭だけを軽く下げた。

 各々が自然と手頃な遊具に座り、あるいは立ったまま布陣する。校庭の片隅に集まった面々を眺めた後、優司は改めて校庭の隣に鎮座する校舎を眺めてしまう。


 永友が言った通り、まさか母校に――幼少期に通い慣れた穏月おんげつ小学校を、こんな形で訪れることになるとは思ってもみなかった。あの時からまるで変わらない校舎の姿に思いを馳せ、ため息で気持ちを切り替える。


 あいにく、かつての学び舎で思い出語りをするつもりなどない。役者が揃ったことで、優司は率直に本題を切り出した。


「改めてだけど、集まってくれてありがとう。俺達、石田の一件について色々と調べてるんだ。あいつについて何か皆が知ってることがあるなら、教えてほしいんだよ」


 メッセージでのやり取りの段階で、その概要だけは彼らにも伝えていた。だがそれでも、改めて告げられた事実にその場の空気が一気に重さを増してしまう。

 眼鏡を直し、その奥底の眼を細めながら永友がどこか鋭い波長で問いかけてくる。


「例の事件について、か。調べるって言ったって、君達は警察の人間じゃあないだろう? 良いのかい、そんな身勝手なことをしても」

「それについては、俺らも巻き込まれた側なんだ。今回の一件を言い出したのは外でもない、その警察の人間――真琴が張り切っちゃってるみたいでさ」

「なるほど。事の発端は平岡君か……正義感の強い彼女ならではの発想だな」


 優司の背後に座っていた純もだらしなく頬杖をつき、あぐらをかいたままため息を漏らした。その視線はやはり、遠くで練習試合をする野球少年達に向けられている。


「さすが警察官って感じだよなぁ。けれど実際、警察としても捜査は難航してるみたいでさ。真琴としてはなんとしても、石田を殺したやつをとっ捕まえたいんだとよぉ」


 この一言に、腕を組んでいた女教師・しずかがくすりと笑う。重々しい話題の中でも、彼女の身に纏う落ち着いた雰囲気はまるで揺らがない。


「平岡さんらしいわね。小さい頃から、正義感は人一倍だったもの。それこそ、やんちゃする石田君ともやりあったことあったでしょ?」

「ああ、そういやあったなぁ。石田の奴、真琴に投げ飛ばされてから随分と根に持ってたっけか」


 言われて思わず、優司も思い出してしまう。幼少期、真琴は生徒の中では背が小さかったが、一方で両親から叩き込まれた“柔道”の腕前は本物で、ガキ大将として横柄に振る舞う石田すらもその実力で撃沈させていた。

 たしか、最初の“決闘”は砂場の上で行われたが、たった一撃で石田が“背負い投げ”を受け、撃破されてしまったのを覚えている。不意に飛び出した懐かしい思い出に、優司の肩の力が抜けてしまった。


「まぁ、それに関して言えば、俺も何度も投げ飛ばされた側だからな。しかも俺らの場合、“練習台”ってことだったんだから、真琴の方が随分と乱暴者だったように思うよ」

「おお、あったあった! 俺もだよ、俺もぉ。必死にタップしてるのに、がっちり腕極めて止めねえんだ、あいつ。いやぁ、ガキの頃は石田よりも恐ろしかったかもしれねぇなぁ」


 不意に思い出話に花が咲き、自然と談笑も漏れる。だがそんな和やかなムードを、永友の乾いた咳払いが本筋へと引き戻した。


「昔語りをするために、こうして集まったわけじゃあないだろう? そもそも石田君の件だが――率直に言えば、何一つ僕が知っていることなんてないよ。あの日だって、同窓会が終わってそのまま家まで直帰したんだ」


 冷静かつあまりにも率直な一言を受けて、たまらず優司も「すまん」と脱線しかけたことを謝った。永友の答えに、すぐ隣に立つ田畑も必死に言葉を絞り出す。


「ぼ、僕も……おんなじ……帰って、仕上げなきゃいけない原稿があったし……」

「そうか。じゃああの日、石田がどういう経路で家路についたか――それを知る人間はいなさそうだな」


 誰もが酩酊した石田を見てはいるが、彼があの後どこへ向かったのかを知る由もない。もっとも、あそこまで激しい絡み酒を受けていては、出来るだけ当時の彼に触れたくないと思ってしまうのも仕方のないことだろう。

 風がびゅうと強く吹き付け、一同の体を撫でる。少し乱れた黒髪を整えつつ、しずかが顎に手を当て考え込んでいた。


「聞いた話じゃあ彼、帰る途中に田んぼ道で襲われた――ってことなのよね? 夜中になれば村も真っ暗だろうし、一人きりで帰っていたとなれば手掛かりは少ないんじゃあないかしら」

「ああ。だからこそ警察も、犯人の手掛かりを掴みあぐねているらしい。真琴としては、そこを何とか自分なりに切り抜けたいみたいけどな」


 婦警として活躍する同級生・平岡真琴の正義感――同級生を殺害した“誰か”への正当なる怒りは、もっともだとは思う。事実、優司だって村のどこかに潜んでいるその得体の知れない存在に、うすら寒さ以上にどこか言語化しづらい不快感のようなものを抱いている。

 だが一方で、考えれば考えるほどに手掛かりは少ない。自然豊かな村という空間は、夜になれば犯罪者にとってこの上ない好条件が揃ってしまう。


 なんとも停滞のムードが流れる中、優司はそれでも何とか状況を前進させようと、思考を巡らせる。


「なあ。あの日、同窓会の中で石田は、何か言ってなかったか? なんていうか、こう……誰かとトラブルになってるとか、何かしら恨みを買ってるだとか」

 

 どうにか情報を引き出そうとしたが、より一層、場を包んでいた空気は重々しく変化してしまう。集まった面々の苦しげな表情を見る限り、どうやら石田についてまともなデータを持ち合わせている人間はいなさそうだった。

 当てが外れたか――ため息をついてしまう優司だったが、背後から聞こえてきた一声に意識が覚醒してしまう。


「石田の奴が言ってたことねぇ。あいつなんだか、妙な話してたよな? たしか、“タケ爺”だっけか。この村では有名な、狂った爺さんの話」


 純がいつもの調子で何気なく放った一言によって、確実にその場の空気が張りつめたのが分かった。

 タケ爺――その単語を優司も思い出していたが、なによりも目の前に立つ三人の顔にどこか暗い影が張り付いたような気がしてならない。


「ああ、確かに話してたな。なかなか、趣味の悪い昔話だったのは覚えてるよ」

「だろぉ? 実はあれから思い出したんだけど、俺の職場でも似たような話をしてるやつがいてさぁ。最近、村の中で似たように徘徊してる“老人”がいるそうなんだよな。だからもしかしたら、そいつが石田の言ってた“タケ爺”ってことなのかな――ってさぁ」


 優司が「なんだって」と目を丸くする中、唐突に声を上げたのは永友だった。彼は眼鏡を直しながら、今まで以上により一層、不機嫌な声色で返す。


「おいおい、何を言い出すかと思えば。冗談だろう? 何年前の話だと思ってるんだい。確かに僕も、その老人のことは覚えているよ。けれど、当時だって確か随分と歳をとっていたはずだ。その老人がまだ生きていて、この村で同じように徘徊し、挙句、石田君を殺害した――とでもいうのかい? 推理小説どころか、ファンタジーにも程があるよ」


 いかにもリアリストである彼らしい言葉の数々だが、一方でそのまくしたてるような態度にはどうにも首を傾げてしまう。優司と純が唖然とする中、しずかも「ふむ」と唸り、顎に手を当てたまま続ける。


「タケ爺――私も覚えはあるけど、あいにく、学校の子供達からそういう噂を聞いたことはないわ。狩屋君の職場の人が噂してたの?」

「おう。帰り道に目撃した人間がいるとか、なんとか。まぁ俺も、また聞きでしかないから、確かなことはなんともだけどさぁ」


 あくまでそれは、どこかの誰かが言い出した他愛のない“噂話”でしかないのかもしれない。そもそも純が聞いた“それ”と、かつて石田の語っていた存在が同一のものであるというのは、どうにもできすぎた作り話のように思える。

 だがそれでいて、優司は妙にその“タケ爺”という存在のことが気にかかってしまう。気が付いた時には足元を見つめたまま、以前、婦警になった真琴から聞いた話を思い出していた。


「石田は確か、“首”を何かで斬りつけられて殺されていた。分厚く、重い――“鉈”や“鎌”のような、なにかで。そういえば、石田が言っていたその“タケ爺”ってのも、“草刈り鎌”を持って子供を追い回す、って存在じゃあなかったっけか?」


 また一つ、どこか周囲の空気が温度を失ったように感じた。言葉を呑む一同の中で、やはり純だけはいつもの調子であっけらかんと返してくれる。


「ああ、そうだったなぁ。そもそも“農作業”の格好をしてるってんだから、きっと畑に出た後、村を徘徊してるってことなのかもなぁ」

「思い出してきたんだが、石田は確かあの日、その“タケ爺”ってのについて随分と熱く語ってたよな。当時その爺さんのことを、“鬼”って呼んでたとか」


 子供ゆえの無垢な残酷さゆえか、石田達にとって村を徘徊する老人はこの上ない遊びの“的”となっていたのだろう。優司の脳裏に、あの日――同窓会の中、赤ら顔で得意げにかつての“武勇伝”を語る石田の姿が浮かび上がってきた。


 覚えてるか、“鬼退治”の事――蘇った石田の言葉の意味するところを、自然と考ええてしまう。

 “鬼”とは言わずもがな、当時の悪ガキ達が狙いを定めた一人の大人だ。

 では、“退治”とはいったい。


 そこまでを優司が考えたところで、背の低い田畑のか細い声が聞こえてきた。


「も、もし……もし、石田君を殺したのが……“タケ爺”なら……ま、まだあのお爺さんは――村のどこかに……いるのかな?」


 誰しもが田畑の顔を見つめる。彼はなぜか酷く怯え、その小さな体を微かに震わせていた。視線が泳ぎ、揃った同級生達の顔を次々に見つめている。

 そんな彼に、やはり永友は不機嫌に返す。腕を組んだまま、ついには眼鏡の奥の視線を遠くへと反らしてしまった。


「何を言い出すかと思えば……ありえないよ、そんなのは。さっきから非現実的すぎて、議論にすらなっていないじゃあないか。その老人が当時の嫌がらせを根に持っていて、石田君を恨みから殺したって? 馬鹿馬鹿しい!」


 もはや一同の耳に、校庭の野球少年達のはつらつとした声は届かない。隔てるものなど一切ないにも関わらず、五人の周囲の小さな空間だけが切り取られ、隔離されたかのような錯覚を抱いてしまう。

 唖然としたまま、優司は集まった面々の姿を眺めてしまった。皆一様に不安や憤りの入り混じった、なんとも不快な表情を浮かべている。誰一人視線を交わらせず、己の手元や足元、遠くの景色へと視線を流してしまっていた。


 その不穏極まりない空間で、さすがの優司も気付く。つい先日再会したばかりの友人らを見て、自然と頬を冷汗が伝った。


 一体全体、彼らは――なにに怯えているんだ。


 嫌な沈黙を破ったのは、しずかだった。彼女はため息をついた後、首を横に振ってみせる。


「永友君の言うように、さすがに当時のお爺さんと事件を紐づけるのは行き過ぎかもね。けれど事実、石田君は誰かに殺されていて、その“誰か”は警察から逃げ続けている。どちらにせよ、これだけ物騒な出来事が起こったのだから、警戒するに越したことはないわよね」


 いささかそれは、強引にも思える締めの言葉であった。結局、優司らもそれ以上彼らに石田のことや、過去の出来事について言及することはできなくなってしまう。


 また一つ、バットの会心の当たりが痛快な音を校庭にばらまく。だが優司の視線は彼らの試合ではなく、校庭の向こう側に見える村の風景へと移っていた。


 延々と広がる畑や田んぼ、その所々に点在する民家、電信柱。その最奥に村全体をぐるりと取り囲むように配置された野山達。見慣れたはずの生まれ故郷の姿に、なぜかうすら寒い感覚が沸き上がってくる。


 この村のどこかにまだ、“殺人犯”がいる。

 吹き付けた風が運ぶ青草の香りが鼻孔をくすぐるが、優司の肉体の奥底で滾る、嫌な熱が収まることはなかった。

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