第1話 同窓会にて
やっとの思いで立ち上がったが、やはりまだ酔いが残っているのか足元がふらつく。トイレの水を流し、個室のドアを押し開けて外に出た途端、洗面台の前にいた顔馴染みがこちらを見て笑った。
「よお、大丈夫かぁ? 随分と長い間、こもってたけど」
友人は肩を揺らし、どこか愉快気にけらけらと笑った。
こちらに向けられた意地悪な笑みに、額の汗を拭いながら彼――
「ああ、なんとか……すまん。情けない所、見せちまったな」
「随分長いことこもってるもんだから、皆、心配してたんだよぉ。お前、随分と“ちゃんぽん”しただろ? 個室のなかでぶっ倒れてんじゃあないか――ってねぇ」
「それで、わざわざ? 悪い……気ぃ使わせた」
「いいっての。あれだけ飲めば、いつかやらかすと思ってたからなぁ」
また一つ、「ひひひ」と意地悪な笑みを浮かべ、友人・
改めて見ると、明るく染め上げた短髪に耳元のピアスと、幼少期と比べて随分、彼は垢抜けたように思う。
一方、優司はといえば、癖のある黒髪に太い眉毛、丸く大きな眼と、体こそ大きくはなったがイメージはまるで変わらない。
優司は純と並んで洗面台に立ち、顔を洗う。冷水をかぶったことで、混濁していた意識が随分とはっきりしてきた。
といっても、まだまだ体の奥に残った酒が感覚を麻痺させ、なんとも気分が悪い。少しでも気を紛らわせるため、隣で髪をいじっている純に問いかける。
「お前、そんなに酒、強かったっけか?」
「まあ、色々と社会にもまれた結果ってやつだ。これくらいなら、なんともないぜぇ」
「へえ、意外だな。成人式の日、泥酔して田んぼにダイブしてたお前がねえ……」
「あったあった! 懐かしいなぁ、良くそんなこと覚えてんなぁ!」
どれだけ格好が変わったとしても、ケラケラと響く彼の痛快な笑い声だけはまるで変わらない。その無邪気なままの純の姿が、優司にとっては救いでもあった。
しばらく二人はトイレで談笑していたが、別の客が入ってきたことで我に返る。このままでは邪魔になるだろうと、そそくさとその場を後にした。
店内には相変わらず、酔いの回った客達の声が彩豊かに飛び交っている。その最奥に位置する座敷席に、優司と翔は戻っていった。
二人が座っていたテーブルには、当初とはどこか違った面々が布陣していた。巨大なビールのジョッキをがっしりと掴んだ女性が、赤ら顔で大声を上げる。
「おおー、優ヤン! 久しぶりぃー! やっと帰ってきたねえー!」
唐突な一撃に“優ヤン”こと優司のみならず、純までも怯んでしまう。彼女から伝わってくる強烈な酒臭さに、またわずかだがこちらの酔いが覚めてしまった。
少しひきつった笑みを浮かべ、優司はなんとか返す。
「お、おお……ごめん、ちょっと気分が悪くなって」
「だらしがないなぁ。この程度で潰れちゃうなんてさぁ〜。“都会”でもまれてきたんじゃあないのぉ~?」
言いながらも彼女――
「でもぉ、飲みすぎて粗相だけはしちゃあダメだぞぉ? そんなことしたら、お姉さんが逮捕しちゃうからねぇ〜?」
真琴はまた一つ、豪快にジョッキを傾けてビールを飲み干す。彼女の飲みっぷりを横目に見つつ、優司は少しため息をついた。
こんなんでも、警察官だっていうんだからなあ――優司は肩の力を抜き、改めて居酒屋の店内を見渡す。
周囲のテーブルにもそれぞれ見慣れた顔が並び、各々のペースで酒を楽しみながら談笑を続けていた。誰も彼も姿こそあの頃から変わってしまったが、それでも各々の持つ雰囲気は健在で、その懐かしさにまた一つ、ため息が漏れてしまう。
仕事場のある都心部から新幹線で片道2時間。遠路はるばる、生まれ故郷の小さな田舎――「
いわゆる“同窓会”の便りを受け取った時はどうするか悩んだものだが、それでもやはりかつての面々に会ってみたいという好奇心を拭いきれず、ちょっとした休暇がてら、久々に実家へと帰ってきたのである。
帰省してからは近所付き合いの深かった純を始め、あれよあれよと懐かしい顔馴染みと再会し、溢れ出る懐かしさに思考が追い付かなかったというのが本音だ。
上京してからも純とは頻繁に連絡を取っていたのだが、他の面々とは随分と疎遠になっていたし、なかには小学校卒業以来、久々に出会う面々もいたりと歓喜と驚きに満ちた出会いばかりであった。
誰も彼も見た目こそ“大人”のそれに成長してしまったが、一方で彼らの中に小学生時代の面影がしっかりと残っていることが、優司にとっては素直に嬉しかったのである。
帰ってきて、正解だった――豪快に笑う真琴や、その周囲でたじろぐ面々を眺め、改めて優司は心の奥底で呟く。
同窓会の和やかな風景をしばし眺めていたが、対面から響いた大きな声に、慌てて振り向いた。
「おーおー、優司ぃ! 随分と長い“クソ”だったなぁ!」
人目を気にしない乱雑な音量と、まるで躊躇することなく飛び出したデリカシーのない言葉に唖然としてしまう。予想通り、テーブルの対面にはいつの間にか、ハイボールのグラスを片手に持った男が立ち、笑っていた。
日に焼けた浅黒い肌――確か、サーフィンが趣味と言っていたか――その上にカラフルなアロハシャツという強烈な出で立ちの彼は、開いていた座布団にどかりとあぐらをかいて座る。
純のそれよりもさらに派手な金髪姿に、周囲の同窓生たちも微かに表情が引きつるのが分かった。
かくいう優司も、秘かに心の中で「げえ」と唸ってしまう。そんな優司の心中を察するわけもなく、派手な出で立ちの同窓生・
その傍若無人な振る舞いに、隣に座っていた真琴が酒の勢いを借りて悪態をついた。
「ちょっとぉ、石田くぅん! 女子がいる前で、デリカシーないんじゃなぁい? せめて“大”とか言いなさいよぉ~」
「ケェッ、お互いもう28だろ? 今更、“女子”って恥じらう歳じゃあねえんだよ」
真琴の強い言葉を受けてもなお、石田はまるで怯むことはない。それどころか、逆に赤ら顔をこれでもかと不機嫌に歪め、持論で打ち返してしまった。
どこか刺々しいやり取りをなんとか収めようと、優司は苦笑いを浮かべながら石田に答える。
「ちょっと、悪酔いしちゃったみたいでさ。久々に“リバース”しちゃったよ」
「なんだよ、だっせぇなぁ! 東京行ったって聞いてたから垢抜けたのかと思ってたけど、全然じゃねえの。どうせ遊ばず、相変わらず糞真面目に勉強したんだろ?」
大きなお世話だ――とは返さず、あくまで苦笑いを浮かべる。優司が何を言おうが言わまいが、石田は酔いに任せに乱暴に、自身の好きな話題で勝手に盛り上がっていく。
優司が変わっていないというならば、この石田という人間こそまるで昔のままなのだ。思い返せば、彼は小学生時代からいわゆる“ガキ大将”として君臨する存在で、今と同様に周囲を巻き込んでは、色々と“やんちゃ”をしていたように思う。
石田はすぐ隣に座る眼鏡の同級生・
「その様子だと、永友も相変わらず“オタク”なんだろ? 見た目、まんまだもんなぁ、お前は!」
笑われたことで永友は少しムッとしたようだが、彼の代わりに純が枝豆を頬張りながら返す。
「でも永友、確か“ロボット開発”で有名な大企業に勤めてるんだろ? さぞかし、高給取りなんだろうなぁ」
思わぬ横槍に石田が「なにい」と眉をひそめるが、ここぞとばかりに永友も眼鏡を直し、反撃する。
「まあ、ね。3年前に上場してから、ありがたいことに右肩上がりさ。今度、米国のAI開発の大手とも商談があるんだ。もしかしたら、国内初の自立型AIロボットを手掛けることになるかもしれないね」
優司らが素直に感心する一方で、石田は「ケェッ」とどこかつまらなそうに視線を逸らす。その標的は、反対側に座る小柄な同級生・
「“バッタ”、お前はどうなのよ? 相変わらず、ちっこいままだけどさぁ」
唐突に問いかけられ、背の低い“バッタ”こと田畑はびくりと驚いてしまう。幼い頃から小心者だったが、どうにもその性格は変わってないらしい。
田畑が「あの」、「その」と視線を泳がす中、今度はビールをぐびりと飲み干した真琴が追撃した。
「田畑君もすっごいんだよぉ? 今、週刊誌で漫画描いてるんだって! ねっ、田畑君?」
「え……あ、ああ……一応――は……」
この予想だにしない一言に石田はもちろん、優司までも「へえ」と素直に感嘆の声を上げてしまう。何気なく談笑をしていたが、彼らは皆、それぞれの道で大成していたようだ。
かつての同級生達の成功が、どうにも石田にとっては気に食わないらしい。しばらくは不機嫌そうにつまみの唐揚げを貪っていたが、すぐにまた陽気に笑いだす。
「まあしかし、俺らも昔、色々と馬鹿やったよなぁ。あの頃が一番楽しかったぜ。それこそお前ら、覚えてるか? “鬼退治”のこと」
鬼退治――その不可解な単語に、なぜか左右に座る永友、田畑がびくりと反応したように見えた。だが優司からすれば、素直に彼が口にした単語が気になってしまう。
「鬼退治――なんだ、そりゃ?」
「ほら、いたろ? あの頃、俺らの間で恐れられてた“鬼”――タケ爺のことだよ」
彼が放った“タケ爺”という単語に、周囲の空気がぴんと張りつめたようだった。居酒屋の中では他の同級生達が相変わらず談笑を続けていたが、なぜか優司らが囲む卓にのみ、奇妙な気配が漂い始めている。
対面に座っている優司、純、真琴の呆けた顔を見て、石田はどこか得意げに語り始めた。
「俺らの代じゃあ、有名な存在だったんだ。夕暮れ時になると、どこからともなく現れて、しばらく村の中を徘徊してるんだよ。薄汚れた農作業姿で、右手にボロボロの“草刈り鎌”を持ってさ。んで、気味悪ぃ“歌”を歌いながら、子供を見かけては襲ってくるんだ。それが――」
タケ爺――しばらく考え込んでいたが、三人もほぼ同時に思い出していた。優司は酔いが醒めた頭で、冷静に考えてしまう。
「そういや、いたっけか。そんな爺さんも。よく覚えてるな」
「俺ら、よくそのタケ爺をからかってたんだよ。“鬼”が出た――ってな。向こうもムキになって襲ってくるから、それが面白くてよ」
けらけらと笑う石田だったが、あいにく誰一人笑うことなどできなかった。どこか趣味の悪い話に、純がため息混じりに切り返す。
「物騒なことするなぁ。確かその爺さん、精神的におかしくなってたんだろ? マジで襲われるかもしれなかっただろうに」
「ああ。ありゃあどう見ても、いかれちまってたな。俺ら子供だけじゃなく、大人の間でも有名だったらしいぜ? 村全体から厄介者扱いされてたんだ」
優司はもちろん、同様に純や真琴も思い出していたのだろう。各々のペースでつまみや酒を口に運んではいるものの、その眼差しにはどこか仄暗い感情が浮かび上がっている。
過去の思い出の全てが、輝かしいものばかりではない。親や教師にこっぴどく叱られたこともあれば、調子に乗ってやらかしたことだってある。優司だっていまだに、大きなドブ川を飛び越えようとして背中から落下し、全身ずぶ濡れで泣きじゃくっていたことを不意に思い出すこともあった。
それらの痛々しさは時と共に風化し、角が取れることによっていつしか真っ当な思い出に変化していく。だからこそ、同窓会で飛び出す思い出語りはどれもこれも心地良いものばかりで、どんな他愛無い内容でも酒を進ませる最高の
石田の口から語られ、この場の誰もが思い返している“それ”は違う。
かつて村を徘徊していた老人――タケ爺と名付けられたその存在は、どれだけ月日が経とうとも、良き思い出になり得るような代物では無い。
優司は生ぬるくなったお冷で喉を潤しつつ、馬鹿笑いを続ける石田を微かに睨みつけた。周囲の重々しい空気など知ったことかと、彼は赤ら顔で笑い、一方的な思い出語りを続けている。
話題はすでにタケ爺という存在から移り変わっていたが、それでも今までのように肩の力を抜いて語り合うことができない。腹の奥に居座る嫌な感覚に、優司は思わず深く熱いため息を漏らしてしまった。
アルコールの力を借りてなんとか気持ちを奮い立たせはしたものの、そこからものの30分程で時間となってしまう。幹事の小粋なジョークで一笑いが起きた後、同窓生達は各々のペースで座敷を後にした。
優司もまた厨房側に向けて「ごちそうさま」と一声を投げかけ、スニーカーを乱雑に履きながら外へと歩み出る。引き戸を一つくぐると、夜の田舎を覆う冷たい空気が火照った肉体を一気に冷やしてくれた。
小さな街灯が照らす薄暗い道を、同窓生達はそれぞれの方向へと帰っていく。優司もまた、家が同じ方向である純と肩を並べ、ぽつりぽつりと歩き始めた。
ため息交じりに顔を持ち上げると、満天の星空が浮かんでいた。中心に浮かぶ満月が白く淡い光を田舎町にばらまき、うっすらと夜道を照らしている。幼少期にも見上げていたはずのその星空は、大人になって改めて見ると、なんとも幻想的で贅沢に思えた。
夜風に吹かれながら歩く中で、不意に純が前を向いたまま問いかけてくる。
「なあ。さっきの話、どう思う?」
「さっき……色々ありすぎて、どれのことだよ?」
「あれだよ。石田の奴が喋っていた――」
優司は「ああ」と頷きつつ、ちらりと隣を歩く純を見つめた。彼の横顔はうっすらと赤く染まってはいたが、意識は随分とはっきりしているらしい。夜道を見つめる純の眼差しは、どこか寂し気な色に染まっているようにも見えた。
「“タケ爺”ってやつか。俺だって覚えてるよ。確か一度だけ――そうだ、あの時も確か石田の奴に無理矢理、連れていかれたんだ――“肝試し”って名目で、その爺さんに会いに行ったことがあるよ」
「へえ、初耳だなぁ。どんなだった?」
「うっすらとしか覚えてないんだ。ただ確かに、恐ろしい風貌だったように思う。とはいえ、何かをされたわけでもないから、大事にはならなかったんだろうけどな」
確かあれは、夕暮れ時だったか――優司にとって、
純は「ふうん」と頷き、星空を見上げる。
「そうだったんだな。俺ぁ、一度も見たこともないし、会ったこともないんだよ。でもあの石田の言い分だと、クラスの奴らの間では有名な話だったのかな?」
「どうだろう。まぁ、石田は昔から少し“やんちゃ”だったから、色々と野蛮な遊びに周りの人間を巻き込んでもいただろ。俺以外にも、あいつの勢いに負けて付き合わされた奴は多そうだしな」
「なるほどねぇ。そう思えば、あいつもガキの頃からまるで変わってねえなぁ。良くも悪くも、な?」
意地悪な笑みを浮かべる純を見ていると、なぜか優司までもおかしくなってしまい、「だな」と頷く。皆、歳こそ取りはしたものの、きっと根の部分はあの頃のままなのかもしれない。
野蛮な話題に気持ちが揺らぎかけていたが、純と共に同級生たちの話題を振り返っていると、自然と肩の力が抜けてくる。久々に味わう田舎の夜道はどこか薄暗く不気味だったが、一方ですぐ隣にあの時からなんら変わらない“芯”を持つ友人がいてくれることが、心強くてならない。
他愛ない会話をいくつも交わし、純を実家に送ったことでようやく一人きりになる。優司はポケットに手を突っ込んだまま、改めて星空を見上げながら歩き出した。
正直なところ、同窓会の話を持ち掛けられたときは少し気乗りしなかった部分もあった。だが一方で、心のどこかにかつての友人らと再会できるという、奇妙な高鳴りがあったのも確かに覚えている。
その直感を信じてみて、良かった。微かに残った火照りを感じながら、自然と笑顔を浮かべて優司は実家へと歩いていく。
うまい飯に、うまい酒。かつての友人らという最高の肴を堪能した一同は、それぞれのペースで寝床へと戻り、新たな朝を迎える。
彼らがその訃報を――かつてのガキ大将・石田大樹の“死”を知ったのは、翌日の夕暮れ時であった。
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