洗濯→井戸端会議

 今日もお天道様は明るくて助かる。雨が降らなければ作物が育たないので困るが、あまり降ると洗濯物で僕達が困るのだ。

 屋敷の離れにある洗い場にて温めた水でじゃぶじゃぶとシャツを揉みながら思う。天気がいいと心も晴れる。今の暗雲立ち込める状況にあっては、こんな些細な喜びが癒しになる。

 勿論最上の癒しがお嬢様であることに変わりはないのだけれど、それはそれである。嬉しいと幸せは決して同じ感情ではないのだから。


「しっかしなあ……」


 天気が良くても減らないものもあるのだ。洗い場の横に目をやれば、籠いっぱいに積み上げられた洗濯物の山が目に入る。しかも籠は一つだけでなく、二つ。ここからさらに今日新たに出る洗濯物が積まれる。

 思わず目を背けたくなる量の布の山。けれどこれがこの屋敷においては日常的な光景だ。


「誰か勝手に洗濯物を片付けてくれる魔法を作ってくれないかな」

「わかる」

「エスティ作ってくれない?」

「ちょっと無理です……」

「よねー」


 ふと零れた愚痴に、隣で洗濯をしていた先輩メイドの二人がやけに力強く頷いた。軽口を交わす間も、各々の手はじゃばじゃばと格闘を続けている。

 洗濯物と掃除。古来より日常生活から消し去ることのできない、それでいて大変な難題だ。特に貴族の屋敷など大勢の人間が関わり、広さを備えている所ならなおさら。

 貴族の別邸としては小さいこの屋敷においても、メイドの業務の大半はこの二つに集約されるのだから。

 洗濯物は常に増え続ける。人の数だけいっぱいになる。日が増すごとに積もっていく。

 屋敷の外では一週間に一回洗濯をする、なんて所もあるらしい。しかしそんなことをここですれば週末に待っているのはきっと目を覆いたくなる惨状だ。それにメイドの服が汚れているというのは、お嬢様の品位を汚すのと同じだ。僕達もお嬢様も清潔かつ綺麗を心がけなければならない。

 だからここでの洗濯は二日に一回。誰かが専属というわけでなく、当番制で代わる代わるやっている。でもみんなこれが大変な作業だと知っているから、割と空いた時間に手伝ったりもしている。

 

 僕はお嬢様の傍仕えであるから普段それらにあまり関わらない。けれど男であることがばれないよう、自分の洗濯物は自分でしている。

 つい先日、晴れて女の子になってしまったわけだけれど……。

 今もそうするのは、単に心の問題だ。自分の洗濯物くらい自分で片づけなければと思ってしまう。

 それに今日はアルフレドさんのシャツもあるから、人に任せてしまうわけにはいかない。


 そういうわけで、僕はこうして天高く上ったお日様の下でせっせと洗濯物をしているわけだ。

 無心で汚れや匂いと戦っている間には、些細な喜びや他愛ない軽口が救いになるというもの。こうした場所ではいろんな話が聞けたりする。

 例えば。


「そういえばあの騎士団長様、ずいぶんと男前よねえ」

「確かに。あれで色んなお嬢様を虜にしてきたに違いないわ」

「あの人も貴族の生まれだって話でしょう? 婚約者とかいらっしゃるのかしら」

「私が聞く限りないね。舞い込む婚約話に頑として首を振らないんだとか。あのスラミア公爵家のご令嬢もすげなく振られたって話よ」

「あらまあ。スラミアっていやあ実権の殆どを握ってるそうじゃない。それを断るなんてよっぽどね」

「あまり権力に興味ないのかしらね。若いのに無欲なこと」


 こうした先輩メイドの方々の噂話だとか、恋バナだとかである。

 僕達メイドは外部と完全に隔離されているわけではなく、文通もできるし休みの日に外出することもできる。個人個人で色んな人脈を持っている。

 そして女性の噂話ネットワークというのは恐ろしいもので、その人脈から日々色々な情報が舞い込んでくるのだ。

 街のパン屋の倅が誰それに夢中で脈ありらしいだとか、遠くどこかの貴族様が女と見れば誰にでも手を出すろくでなしらしいとか。

 

 通信用の魔道具を使っているわけでも、新聞に載っているわけでもないのに速く遠くの情報が手に入る。正直怖い。

 

「ねえねえ、エスティはどう思う?」

「え? 僕、ですか?」

「そうそう。あんたあの団長さんと年近いじゃない。何かこう、魅力的だとか思ったりしないの」

「ええ……」


 茶化すような声色だが、先輩メイドさんの目はきらきらと恋バナを求めて輝いている。どうやら話題という皿に乗せられてしまったようだった。


「そうね、エスティはいつもお嬢様とべったりでそういうお話聞かないから気になるわ。ケイトとあなたが今一番あの人と接してるでしょう? どうなのよそこのところ」

「どう、と言われましても」


 一応心は男のままなのでお姉さま方が期待するような答えはできそうにない。

 それよりも。


「あの人と僕、年近いんですか?」

「そりゃもう。十八歳だってのに北方の『紅屍樹くれないしき』を倒した英雄様なんだから」

「なんと」


 今の僕が十五歳だから、彼は三歳年上という事だ。騎士団長なのだからもっと年上、二十の半ばくらいだと思っていたのだけれど想像以上に若い。

 それなのにあの強さ、岩のような佇まい。一体どんな鍛錬を積み重ねれば辿り着けるというのか。


 ちなみに紅屍樹くれないしきとは王国の四方に位置する強大な魔物が一つで、冬が明けると辺り一帯の動物の血を吸って自らの傀儡とする厄介な存在だと聞かされた覚えがある。

 その花弁は血のように紅く不滅、見た者の目を奪う魔性があるのだとか。お嬢様の口紅にしたらさぞ美しかったろうに……。


「とっても遠い方ですね」

「そういうことじゃないのよ。男として魅力的かどうかって話」

「男として……」


 

 仮に僕が女の子であったとしても、身分や功績が違いすぎて普通に釣り合わない。恋愛対象以前の問題であるので無難に答えたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 そんなわけで改めて彼を思う。地位はある、顔も良くて強さは十分すぎるほど。性格は多少天然というか、人の機微に疎い所はあるけれど優しい人には違いない。何より誠実だ。


「悪くないと思いますよ。良い方だと思います」

「「おお」」

「是非味方に引き入れたいですね」

「……味方?」

「はい。お嬢様の敵に回られるととても厄介ですから」

「「おお……」」


 お姉さま方は天を仰いだ。


「やっぱりエスティは……」

「百合の花かしら……」


 一体何の話だろうかと首を傾げる。僕と百合に一体何の関係があるのだろうか。

 尋ねようとしたところで、誰かがぱたぱたと駆け寄ってくるのが聞こえた。


「あら、アンじゃない」

「今日も元気ね」

「はい!」


 両手で籠を抱えたアンが元気よく返事をする。籠の中にはやはり洗濯物がいっぱいで、彼女が床に籠を置くとどさっと重たい音がした。

 そしてアンは息を吐く間もなく、袖をめくっては籠から服を手に取って洗い始めたのだった。


「少しは休んでもいいんですよ? 籠、重たかったでしょうに」

「いいえ、大丈夫です!」


 心配して声を掛ければ、溌剌にアンは笑った。


「私だってここじゃ一番若いですけど、孤児院じゃみんなのお姉さんだったんですから!」


 アンはアリフレタ公爵家が援助している孤児院から一年前にやってきた子だ。視察に孤児院へ向かわれたお嬢様に、この屋敷のメイドになりたいと言って必死に頼み込んでいたのが懐かしい。


「確かに。こんなに元気で頼もしいなんていいお姉さんですね」

「でしょう?」

「不安はどこかに行ったみたいでよかったです」

「それはなんていうか、違うじゃないですか。忘れてくださいよう」

「そうですね。でもちょっと忘れるには惜しいなあ」

「もう! エスティリアさんの意地悪!」

「ふふ」


 取り留めもない会話で笑い合いながら、手は忙しなく動かし続ける。

 孤児院という言葉で、ふとあることを思い出した。


「アンさん、明日が定期便の日ですよね。孤児院の子達からは何が送られてくるんですか?」

「そう、そうなんです!」


 アンがメイドを志望したのは、孤児院のためだった。援助は十分されているけれど、下の子達にもっと楽をさせてあげたいのだと。

 孤児院には多くの子ども達がいる。大体は魔物や賊に襲われて両親を失くしたり、なにがしかの事情で捨てられた子だ。そしてそんな悲劇は珍しくもない。

 だから孤児は増えるし、何もせず放置しておけば街の治安も悪化していく。受け皿として孤児院を建てて援助をするが、孤児全員に十分な生活をさせるのは難しい。

 それでアンは仕送りをして少しでも孤児院の助けになりたいと思ったそうだ。

 本当に、尊敬に値することだ。


 屋敷のメイド達への郵便は定期的にまとめて届けられる。記憶が正しければ丁度明日がその日だったはずだ。そしてアンはよく孤児院の子ども達からたくさんの贈り物をされていて、いつもそれについて嬉しそうに話してくれるのだ。

 それを思い出して聞いた途端、アンの笑顔が一層明るいものになる。ただ楽しみで仕方がないという様子だ。

 

「前の定期便でですね、カイルっていう私の弟みたいな子が手紙を書いてくれたんですよ! 院長様に教えてもらったそうで、まだまだ字はすごく汚くて読むのも大変なくらいなんですけど一生懸命な字で、綺麗なタンポポが咲いてたから次の便で押し花にして送るねって! 私思わず泣きそうになりました!」

「それはいいですね。なんかもう、健気でお姉ちゃん思いないい子ですっごく可愛らしいです」

「わかりますか!? そうなんですよすっごい可愛いんですよ! もう、昔はいつも泣きながら私の後ろをついてくるような子だったのに、なんだか成長してるのが嬉しくて。早く次の手紙と押し花が届いてくれないかってずっと思ってるんです!」


 カイルという子への想いが言葉になって溢れているような、いつにもまして凄まじい勢いだった。愛情が迸っている。

 そんなアンの話を鬱陶しく思うような人間はここにはおらず、皆が末の妹を見守るような優しい目で彼女を見ている。

 なぜなら、皆もお嬢様について語るときはこのようになるからだ。当然僕もそうである。

 尊いものを愛でる感情を誰もが理解しているからこそ、健気に姉貴分を応援する男の子とそれをとても嬉しそうに話す女の子という光景を慈しむ。

 ああ、素晴らしきかな。

 アンの笑顔があまりにも眩しいものだから、目を細めずにはいられない。


 ……と、洗濯はこれくらいでいいだろうか。あまり洗いすぎると生地が傷んでしまう。


「あれ、エスティリアさんのそれは新しいシャツですか? ずいぶんと大きいみたいですけど」

「これは人からの預かりものでして」

「ええ!? 誰よ誰よ!?」

「誰なんですか!? 私も聞きたいです!」

「おおう」


 気が付けば皆が僕をらんらんと輝く目で見ていた。飢えた獣のように、何か面白そうな匂いがする獲物を逃がすまいと圧を掛けている。眼力で捉えられている。

 確かにアルフレドさんのシャツは僕が着るにはだいぶ大きい。僕の物とは二回りほど違いそうなそれを洗っていれば流石に不自然か。

 ただでは逃がしてもらえそうになかった。


「アルフレド様からです。せっかく強い方が来られたので、朝手合わせをお願いしまして。お礼といいますか、手間賃としてシャツを洗って返すことにしたんです」

「「「きゃー!」」」

「そんな大したことではないと思うんですけども」

「そんなことないわよ! アイラ様ラブで男なんて眼中にないみたいな子だったエスティから急に男の話が出るなんて!」

「しかもお相手は騎士団長様! そのシャツをやけに丁寧に洗って返す!」

「汚かったら失礼で「これはロマンスですね!」ええ……」


 僕以外の全員がうっとりと頬を染めて何かを想像しておられるようだった。勿論僕の内面は男なのだから、アルフレドさんに惚れた腫れたなんてことは全くない。しかしそんなことは他の人にはわかりようのないことだ。というよりもわかられる方が困る。

 しかしここまで言われると、反論の一つはしたくなるというもの。


「僕とアルフレド様にそう言うのはありませんよ。この屋敷へ急に踏み込まれた男性なのですから。皆さんも、集められた時あんなに敵意剥き出しで睨んでたじゃないですか」

「そりゃねえ。アイラ様が何か悪いことしたみたいに言われちゃあねえ」

「あの姫様に悪いことできるわけないじゃない! って怒りたくもなるわよ」

「え? 敵意? そんなことしてたんですか?」


 うんうんと息の合ったお姉さま方の横で、アンだけが話に取り残されている。彼女にはまだ戦いを教えていないから、多分やけに緊張感のある空間だなとしかわからなかったのだろう。

 このままアンの話題に逸らせばどうにかならないだろうか。


「そうなんですよ。皆すごく圧が「でもそれとこれとは話が別なのよ」――圧が「そうそう、姫様がやってるわけないんだから。あいつらが変なことしてくるならそりゃしばくけどさ、そうでないならいい男を見つける機会よ」……」

「確かにそうですね! 私もいい出会いないかなあ……」

 

 残念! お姉さま方の絶妙なコンビネーションで阻まれてしまった!


「実際の所どうなのよ、アイラ様のこと抜きにしたら気にはなるんじゃないの?」


 お嬢様のことを抜きにして考えたら、と言われれば少し悩まざるを得ない。僕は得てして、お嬢様のためになるかどうかという基準で物事を考えているからだ。

 悪くは思わない。善人だし、無頓着な面も別に気にしない。しかしそこを補おうと、なんだかんだ世話を焼きたくなってしまいそうだ。

 いうなれば、そう。


「弟? 友達? うーん、なんだか見守りたくなるような感じですね」

「弟……?」

「友達……?」

「騎士団長様のことですよね……?」

「はい」


 三人ともそれはちょっと、と物言いたげな様子だった。流石に国一番の騎士様を相手にこの言い方はまずかっただろうか。


「いやでも男っ気のなかったエスティに進展があったと考えれば」

「それに見守っているうちに芽生える想いもあるに違いないわ」

「やっぱりこれは……!」

「「「ロマンス!」」」

「ここに干していきますねー」


 意気投合してがっちりと手を握り合う三人を横目に、僕はアルフレドさんのシャツを物干し竿に掛けてその場を後にした。


「ちゃんとこのシャツを見ててあげるからねー!」


 うるさいです。

 

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