手合わせ→理解(表)

 朝日が昇り始めてまだ間もなく、辺りには夜の影が残る時間。

 僕は今、屋敷の外の少しばかり拓けた場所でアルフレドさんと相対している。

 お互いシャツにズボンという簡素な衣服で木剣を手に持ち、僕は半身に、彼はだらりと脱力した自然体での構えだ。

 夜番を交代してから少々仮眠を取ったから、体調に問題はない。

 問題があるとすれば。

 

(やっぱり強いなあ)


 三歩で踏み込める距離、一見無防備な構え。だというのに打ち込める気がしない。

 正確に言えば、僕から切りかかった所で瞬時にいなされ、返す剣でこの首が飛んでいるという図が簡単に想像できるのだ。

 僕とアルフレドさんには頭一つと半分ほどの身長差があるし、今の僕は華奢な体格なものだからまともに打ち合っても勝ち目はない。

 では技術で戦えるかと言えば、下手な小細工は正面から踏みつぶされそうだ。あの王子の護衛騎士や他の騎士団員相手にこれほどの差を感じたことはないというのに。

 王国一の騎士という地位は伊達ではないらしい。


「来ないのか?」


 じっと見合う時間が数十秒続いたところで問いかけられる。どうにも意地の悪いお人だ。


「ご冗談を。こちらから動けば詰むのはおわかりでしょうに」

「……なるほど。守りならば戦えると?」

「多少は」


 実のところあまり自信はない。けれど何分か持たせられるとは思う。

 とはいえこちらから申し込んだ話なのに、意地を見せないまま終わるというのも癪な話だ。


「ならばこちらから行かせてもらおう」

「っ!」


 速い! 踏み込みの瞬間だけが見えて、反射的に構えた剣に重たい衝撃が伝わってきた。


「ほう」

 

 体をずらし、刃を滑らせて受け流す。そのまま行けば地面を叩きつける一撃になるだろうけれど、そううまくいくものか。

 次撃があるものと備えていれば、彼の剣は慣性を筋力だけで殺しきり瞬時に下段からの切り上げへと変わる。

 そんなことを口元をにやつかせながらやるだなんてどんな身体能力だよ!


「ぐっ!」


 下からの攻撃は避けるに限る。傾けた体のすれすれで、ブンと空裂く音がする。

 そこから体勢を立て直す前に振り下ろされた第三撃は流石に勢いが弱まっており、辛うじて無理やりな後ろへのステップが間に合った。


「そこらの騎士なら討ち取るつもりの攻めだったんだがな」

「騎士がそこらにいてたまるものですか」

「それもそうだ」


 愉快そうに笑いながらも踏み込んで斬撃を見舞ってくるものだから、こちらに楽しんでいる余裕はない。

 ぎりぎり、数瞬遅れれば木剣であれ手痛い一撃を貰うだろう剣戟が息つく間もなく飛んでくる。手加減はしていても容赦はないですね!? 流石に寸止めしてくれるとは思うけれども!

 避ける、受け流す、反撃を狙う余裕もなくただ生き延びることに注力してようやく凌いでいるというのに、十合、二十合と続けるうちに徐々にペースが速くなってくる。

 ついでに笑顔も深まっている。さては人を虐めて楽しむ性質の人間か?


「ふむ、そういうことか」

「なに、が……!」


 呟くと同時、アルフレドさんが目前から消え去った。いや消えたのではなく、僕の死角――背後へと踏み込んでいったのだ。


(お嬢様……!)

 

 反射的に振り向き、後先考えずに突きを入れようとして気づく。

 アルフレドさんはこちらを向いている。

 やられた。そう思った時には僕の木剣は弾き上げられ、喉元へ剣を突き付けられていた。


「……参りました。流石は王国一の騎士団長ですね」

「やめてくれ、俺などまだまだ未熟者だ。それに流石はこちらの言葉だな。こうも固く耐えられるとは」

「ですが敗れてしまいました」

「不意打ちのようなものだろう。なんせ俺は君の守っている存在を狙ったのだから」


 そこまで見抜くかと驚くが、実際に目の前でそうされては納得せざるを得ない。


「アリフレタ嬢を背後に庇っての戦い方とはな。攻めに疎いのも頷ける」

「……ご明察です」


 恐るべき慧眼だ。

 僕は戦いの際常にお嬢様の前に立って戦うことを想定している。護衛戦であり、背水の陣だ。


「何故そんな戦い方を?」

「お嬢様が見てくださっていると思えば力が湧いて来るものですから」

「……そんなことがあるのか」


 半分冗談である。しかし彼は正直に受け取ったようで、目から鱗が落ちたとでも言わんばかりだ。

 ここまで素直だと、逆にこちらが申し訳なくなってしまう。


「まあそれもありますが、一番の理由は私の戦いは常に誰かを守るものだからです。私は最後の盾、後ろには必ず守るべき存在があります」

 

 お嬢様を最後まで守り抜く。彼女が逃げ切るか、応援が辿り着くまで。そのために攻撃を捌き、いなして時間を稼ぐ。

 僕の戦いはそういうものだ。だから常にそういう状況を想定している。

 アルフレドさんが僕の後ろへ駆けたのは模擬戦としてはただ距離を取ったに過ぎない。だけど僕にとっては超えられてはならない一線を軽々と抜かれたのだ。

 試合にも勝負にも負けたと言っていい。

 

 僕の言葉にアルフレドさんは目を瞑り、深く頷いた。ただその表情は肯定というよりも、何かを惜しむ寂しさをたたえていた。


「美しい心構えだ。誰もがそうあれればいいのだが」

「それはまたどういう……」

「いやー、こりゃあ驚いた。すっげえや」


 詳しく問おうとしたところで、ぱちぱちと拍手の音に遮られる。

 音の主は木の陰からするりと姿を現し、軽薄な笑みを浮かべながらこちらに歩いてきた。


「ゲラート、見ていたのはお前か」

「朝起きたらカンカン打ち合っていたもんですから、気にもなるでしょうよ」


 ゲラートと呼ばれた彼は、昨日皆の前でレベッカさんに床のゴミにされていた人だった。

 ツンと逆立った茶髪に何を考えているのかわかりにくい細い目、一方で油断なくこちらを見ているように感じられる。

 いま改めてみると、不躾な男というよりは理性的な野狐と言った方が適切な印象に思えた。

 油断ならない、さりとて敵意も見えない。そんな不気味な感じだ。


「おはようございます。エスティリアと申します」

「おん、おはよーさん。俺はゲラート、そんな固くなくていいって。そんなんだと息が詰まっちまう」


 いや、考えすぎか? ずいぶん軟派な言葉づかいでへらりと笑っている所を見ると、どうにも警戒しすぎなのではと思えてくる。

 彼はアルフレドさんの隣に立つと、腰をかがめて僕に目線を合わせてきた。

 ……僕、男の中では小さいんだなあ。身長は変わってないはずなのに。


「しかしやるなあエスティちゃん。団長の剣をあれだけ凌ぐなんて」


 初手愛称呼びとは。この人はお嬢様に絶対近づけてはいけない男だ。

 

「手加減いただいていましたし、魔法は禁止でしたから」

「いやいやそれでもだ。そりゃ最初は手加減してたろうけど、最後の方は団長割とマジだったぜ?」

「まさかそんなことはないでしょう」


 たかが一メイドに本気を出すなんてそんな大人げないことを騎士団長がするわけない。そう思ってアルフレドさんを見れば、彼は頭が痛そうに額を抑えていた。

 いやいや、まさか、そんな。


「ない、ですよね?」

「……俺は途中から、君をメイドではなく守勢に長けた手練れの騎士だと思って戦っていた。正面から抜くにはそれこそ殺すつもりでやらねばならない相手だと」


 うっそだあ……。


「ちなみに団長は俺達に手加減なんて一切しないぜ。さっきのあれを凌げるの、この団の中だと多分レベッカくらいってもんだ」

「お前はもっとまじめに訓練しろ。実力はあるだろうに」

「適宜検討し、善処する所存でござあ」

「耳にタコができるな」

 

 何とも反応に困ってしまう。思った以上に自分が力をつけていたことを喜ぶべきか、それで要らぬ注目を集めてしまったことを憂うべきか。


「タコ、美味しいですよね……」

「いや、俺の耳は食べられないぞ?」

「ほほう、団長に食べられたい女性は数いれど、逆に食べようとする女性が現れるとは。思わぬこともあるもんで」

「お前は話をややこしくするな」


 適当なことを言いながら苦笑い。まあどうにかなるだろう、多分。

 若干現実逃避していると、ゲラートさんがこちらを見据えていた。


「で、エスティちゃんはどうやってそんなに鍛えたんだい? まさか独学なんてことはないだろう?」


 軽薄な空気が若干険を帯びる。それで、これが彼にとっての本題なのだと察した。

 考えてみればそれもそうだ。暗殺の容疑で立ち入った屋敷に思わぬ実力者がいた。ならばその人物を疑うのは自然なこと。

 さてどう答えたものか。迷う素振りを見せれば余計に怪しまれるから難しい。


「メイド長と一緒に訓練をしているんです。彼女はこの屋敷一番の実力者ですから」

「メイド長っていうと、あの堅物そうな子かあ。エスティちゃんとどっちがつええんだ?」

「メイド長ですね。手合わせで勝ったことがありません」

「ひええ、おそろしいこった」


 嘘は言っていない。しかし全部を話したわけでもない。

 この屋敷のメイドはアンなどの新参の子を除いて、殆どが戦う術を持っている。

 中でも僕とケイトさんが強いというだけのこと。ただだからといって他の人が弱いわけではない。

 今でこそ二人で組んで他全員と乱取りなんてこともできるが、昔はそれはもう扱き上げられたものだ。


「変わったもんだなあ。貴族のご令嬢の屋敷だってのに、メイドが貴族に連なる出身ではないようだし、こんなにつええ子も居るとは」

「ゲラート、行き過ぎだ」


 このゲラートという男、おどけた様子ではあるもののなかなか鋭い。

 確かにこの屋敷には貴族と関係の深いメイドはほとんどいない。でもそれは決して後ろ暗い理由などではないのだ。


「怪しまれるのも御尤もですが、口さがないのも考え物ですね。ここにいる者の多くが孤児や没落した家の出身で、お嬢様に拾われたというだけのことです」

「お、おう……ごめんよ」

「何がでしょうか? 僕は別に怒ってなどおりませんから、ええ」

「いや完全に怒ってる笑い方じゃんよ。ごめんて! エスティちゃんのお嬢ちゃんを悪く言ってごめんて!」

「お嬢様は僕のではありません」

「え、そこぉ……?」


 いけない、つい感情的になってしまった。あちらも疑わねば仕事にならないのだから、しょうがないことだ。

 悪いのは暗殺事件でお嬢様を陥れようとしている人間と、のうのうと殺されたザック王子だ。彼らに罪はない。

 そう自省していると、アルフレドさんがわざとらしく咳ばらいをした。


「俺の部下がすまない。どうか許してほしい」

「それが仕事なのでしょうから、仕方のないことです。私こそ、感情的になりすぎました」


 軽く頭を下げる。そうして頭をあげると、アルフレドさんは目を微かに丸く見開いていた。


「自分のことを僕、というのだな」

「あっ」


 しまった。対外的には私で通していたというのに。

 ついいつもの癖が出てしまった。


「おかしかった、でしょうか」


 ここから僕が元男であった、などという所には流石に行きつかないと思うけれど、傍から見れば変わっているのは間違いない。

 何か勘付かれていないかと不安になる。

 しかしアルフレドさんの反応は想像とは違ったものだった。


「いや、珍しくはあるが……なんだろうな、こちらの方が親しみを感じられてよいと思う」


 端正な顔が柔らかく綻ぶ。羨ましくなるくらい綺麗な笑顔だった。

 これは多くの令嬢を泣かせてきたに違いないなあ、などとどうでもいいことを思うくらいには。


「そうですか」


 怪しまれてはいないようで、ほっと息をつく。

 まあ悪くはないだろう。

 ……とはいえ、なんだか失敗ばかりしているなあ。


「しかしいい運動になった。感謝する」


 息をついたのはアルフレドさんもだったようで、彼はおもむろにシャツを脱ぎはじめた。

 よく見れば彼は全身に汗をかいていて、シャツにもシミが出来ている。汗で張り付いて気持ち悪かったというところだろう。

 シャツの下にはたくましい肉体があった。六つに割れた腹筋、一切の無駄がなく、それでいて隆々と蓄えられた筋肉の数々にたゆまぬ鍛錬のあとが窺える。

 僕はいくら訓練してもこうはならなかったから、正直羨ましい。

 

「こちらこそありがとうございました。ああ、そのシャツはこちらで洗っておきますから預かってもよろしいですか?」

「いいのか? 助かるが……」

「こちらから頼んだことですから、これくらいはさせてください」

「なら頼む」

「……え? いやいやいや、団長!? エスティちゃんも、ええ!?」


 汗を吸ってずっしりと重いシャツを受け取ると、急にゲラートさんが叫び始めた。

 一体何なのだろうとアルフレドさんと顔を見合わせる。


「どうかしたか?」

「団長! 女の子の前でそんないきなり脱ぐなんて、ここは宿舎じゃないんすよ!?」

「……ああ!」

「あー」


 言われてみれば確かに。僕が普通の女の子であれば顔を真っ赤にして恥ずかしがらずにはいられないだろう。

 残念ながら、僕は男だ。


「ま、待て、すまない。決して他意は」

「僕は大丈夫ですよ。男性の裸なんて見たところで何も思いませんし」

「……は?」

「ただ他のメイドとお嬢様の前でそのようなことはなさらぬようお願いします。それでは」


 メイドは忙しい。この後も身だしなみを整えて、お嬢様の朝食をサーブして、洗濯などもしなくてはならないのだ。

 次の予定を組み立てながら、僕は屋敷へと急いだ。シャツからは意外と爽やかな匂いがした。


 

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