警備→友情

 夜、それは誰もが息を潜める時間だ。

 同時に影に身を潜める者達にとって最も息をしやすい時間帯でもある。

 暗殺者や敵対する人間、彼らは夜闇に紛れて人の大切な物を奪い去っていく。

 だから僕達は夜間の警備を交代で行っているのだ。勿論お嬢様に言うと心配されるのでばれないように。

 メイドが警備をしたところでと思う人間もいるだろうが、その偏見こそが僕達に有利に働くのだ。


 星見の御子であるお嬢様に良からぬ企みを持つ輩は後を絶たない。

 攫って未来視の力を悪用しようとする者、あるいは権力争いで邪魔だから殺そうとする者。

 正直どちらも今すぐ死んで、地獄で己の罪を那由多の時ほど悔いて欲しい所ではある。

 手先をいくら地獄送りにしても、首謀者は何食わぬ顔で生き続けているのだから憤懣やるかたないのだ。

 確固たる証拠を掴めない僕達の無力さも苛立たしいのだけれど、できることにはどうしても限りがある。

 権力ばかりある相手というのは心底、煩わしくて仕方がない。


 とにかく僕達はお嬢様を守るべく警戒を怠らないよう努めている。

 特に今のような混乱した状況など、奴らにとっては狙い目でしかないだろう。


 だから僕は今、お嬢様の部屋の前でじっと門番の如く立ち尽くしている。

 燭台の火の揺れる音が聞こえるほどに静まった世界の中で、どんな些細な異変も見逃さないように注意を巡らせている。

 そうしているうちに、かつ、かつと規則的で極力抑えられた足音が聞こえてきた。

 夜の影の中にあってなお、橙色の明かりを受けて白く輝いて見える騎士服を着た御仁が暗がりの中から姿を現す。

 のっと姿を見せた騎士団長は、部屋の扉の前に立つ僕を見て少し驚くように目を瞠った。彼の横にはアンが立っていて、僕を見ると軽く礼をして去って行った。

 恐らく彼を案内していたのだろう。

 

「お疲れ様です、騎士団長様」

「……予定通りに来たはずなのだが」

「お嬢様はお疲れになっておられますので、早めにご就寝為されました」

「そうか。ならば遅れてすまないな」

「いえ、時間通りですから」


 あくまで儀礼的な態度を崩さない僕の様子にアルフレドさんは一瞬顔を伏せると、何事もなかったかのように僕の隣に立って番をし始めた。

 僕はそれに対して、微妙な心持ちにならないではいられない。


 夜にお嬢様の部屋の警備をしたい、というのは騎士団からの申し出だった。

 まだ状況がはっきりしない以上、犯人が混乱に乗じてお嬢様を狙う可能性も考えられるためだという。

 会議でそれを聞いた僕とケイトさんは意図を図りかねて顔を見合わせたものだ。


 今回の任務において、騎士団がお嬢様の警備をする必要はないはずだ。

 あくまで彼らの仕事は事件についての捜査なのだから。

 仮に夜にお嬢様が証拠隠滅することを警戒するのであれば、わざわざ直接言わずに監視してその現場を抑えればいい。

 

 だから不可解なことではある。不可解なのだが、真っ向から否定する理由もあまりなかった。

 頑なに拒めば何かを疑われた時に反論しがたい上に、お嬢様へ危害が加えられる可能性を示唆されては頷くほかない。

 ただ誰にでも任せられることではないので、こちらからは僕とケイトさん、騎士団からはまだ信用できそうなレベッカさんとアルフレドさんの四人のみで行うことを条件とした。

 暗に騎士団を信用していないということだが、気に留めていないかのようなアルフレドさんの頷き一つで快諾されてこうなったというわけだ。


 僕とアルフレドさん、ケイトさんとレベッカさんで二人組を作り、お嬢様の部屋を守る。

 屋敷の敷地内は他のメイドが、外は騎士団が夜警を行うといった形で、今この屋敷は夜でさえ眠らない。

 

 おかしなことだ。疑われているのか守られているのかわかりやしない。

 とはいえ仕事である。敵か味方かはっきりしない相手だが、お嬢様を守るためならいくらでも利用しよう。

 

 そうして暫く静かな時間が流れた。アルフレドさんは瞑目しながら、周囲に気を張り巡らせている様子だった。

 僕に向けられたものではないが、ひりひりとした圧を感じる。これは達人の手合いだと息を呑む。恐らく不意打ちは通用しないだろう。仕掛ければ二合程は先手を取れるだろうけれど、その後は全くわからないと言ったところだろうか。


 かと思えば時折気遣わし気に横目で僕を見てくるものだから、どう反応していいものかわからない。

 そして僕にはアルフレドさんの目論見がわからず、様子を探っているような状態だから沈黙が横たわり続けるのだった。


「あーその……すまないな」


 三十分程経った頃、突然アルフレドさんが口を開いた。あまりにも突然で、言葉足らずだから何のことやら全くわからない。


「一体何のことでしょうか」

「俺は女性の扱いに慣れていない。だからこういう時にどう声を掛けていいのかわからなくてな。怖がらせてしまってすまないと」

「別に怖がってなどおりませんが……」

「そうは言ってもだ。俺の気のせいでなければ、君は昼からずっと俺を警戒しているようだったから」


 ああ、なるほどと思い至る。確かに初対面の時、僕はこの人に正面から殺意を向けていた。荒事に慣れている騎士がそれに気付かないはずもないわけだ。

 その後も僕はこの人がどういった立場の人か測るような態度で接している。相手からすれば警戒していると取られてもおかしくない。

 実際に警戒はしているのだ。この人はお嬢様の敵なのかと。


「警戒はしていますよ。怖がってはいません」

「ならばやはり俺は一度謝るべきなんだ。守るべき人間を怯えさせているなど、未熟であることの証だ」

「守るべき人間? 私達はあなた方にとって疑うべき相手なのではないですか?」


 不思議なことだ。王子の暗殺に携わっていたかもしれない相手を、守るべき人間というなんて。

 聞く人によっては不忠、不敬だとなじられかねないだろうに。

 しかしアルフレドさんは躊躇い一つなく、毅然と答えた。


「俺は騎士だ。戦う力のない者を守るためにある人間だ。今回の事件では確かに君たちを疑わざるを得ないが、それでもだ。それでも君やアリフレタ嬢が守るべき人間であることに変わりはない」


 なるほど、これがこの国の象徴たる騎士団長の姿か。

 気高くて、かくあるべきという高潔な騎士像を胸に抱いて生きている。そしてこの国で一番と言っていい騎士となっても満足していない。

 僕が彼に抱いていたちぐはぐな印象の原因が一つ分かった気がする。この人にはきっと人を疑うということが向いていない。あるいはできないのかもしれない。

 それなのに人を疑う任務にこうして当てられているからおかしく見える。

 彼の考えがただ世間ずれしたお坊ちゃんの思考なのか、人の善性を諦めきれない人間の思考なのかはわからないけれど。

 それでも多分、この人はお嬢様に害意を持っているわけではない。


「そうですか」


 一つ、安堵の息をついた。


「ですが訂正させていただきたいことがあります」


 それはそれとして、だ。


「僕は守られる人間ではなく、お嬢様を守るメイドです。確かに騎士団長様には及ばないでしょうが、そこまでか弱いと思われるのは少し心外です」


 あんまり舐められるのも癪に障るというものだ。決して騎士だけが戦う人間ではないというのに。

 

「それはまた……いや、そうか。君は昼にも俺を本気で殺そうとするほどの気概を持っていたな」

「お気づきでしたか」

「隠す気がなかっただろうに」

「勿論です。この世の可愛さの権化と言っても過言ではないお嬢様をあんな風に脅されては。とはいえ、失礼をいたしました」

「いや。俺も事が事だから焦りすぎていた。今思えば不明を恥じるばかりだ」

 

 そう言って天井を仰ぐ彼は本気で後悔しているようだった。

 それがなんだかおかしくて、ふっと笑ってしまう。

 王国一の騎士団長だというのに偉ぶることもせず、ずっと謝ったり反省したりでそれらしさがない。

 素直で天然な子どものようだった。


「何か、おかしかっただろうか」

「いえ、何でもないです。思いの外素直な方なのですね」

「ああ、まあ良く言われるな」


 少し気まずそうなのは、それがいい意味でも悪い意味でも言われるとわかっているからだろうか。


「いいと思いますよ。そういうの」

「そうか」


 お嬢様の可愛さが美しいものであるように、人の素直さもまた良いものだ。

 お嬢様を害そうとする貴族社会では、それがあまりにも稀有なものだからより際立つ。

 皆がこうならお嬢様ももっと生きやすいだろうに、というのは嘆いても仕方のないことだろうか。

 

「一つお願いがあるのですが」

「なんだ?」

「明朝、一つ手合わせ願えませんか? お嬢様を守る上でお互いの実力は把握しておいた方がよいでしょうし、先程か弱くないと吐いた以上証明したいです。私もお嬢様のメイドとして、口だけの人間にはなりたくありませんから」

「なんと……」


 打算はある。僕とケイトさんが騎士団の人間と一緒に警備に就くのはお互いを見張るためだ。それはつまり、アルフレドさんがお嬢様を害そうとした場合に相手となってお嬢様を守ることまで想定している。

 彼の人柄からするに、その恐れはないと見ていいだろう。しかし思いもよらぬ人に裏切られるからこそ最悪の事態は起きるのだ。

 だから彼の実力を知る意義は大きい。加えて僕の実力を向上させる切っ掛けにもしたい。


 メイドから手合わせを申し込まれるなど想定外だったようで、アルフレドさんはすっかり驚いている。

 彼の誠実さに付け込むようで悪いがもう一押し、してもよさそうだ。


「どうでしょうか、今日はずっと謝っておられるのでそれで手打ちにするというのは」

「……強かだな君は」

「か弱くなくてすみません」

「いや、俺の目が曇っていただけのことだ。こちらこそすまない」

「また謝りましたね」

「……困ったな。口では勝てそうもない」


 わかった、という彼は楽しそうに笑っている。そういう表情も出来たのだな、と一瞬呆気に取られるけれどはたと我に帰る。

 男の表情を観察して何が楽しいだろうか。観察するならお嬢様がいい。お嬢様の四六時中移ろう表情を一つ一つ大事に見守りたい。

 それこそ草葉の陰から見守るようにだ。お嬢様の可愛さのあまり死ぬのか、死んでもお嬢様を見守り続けるという強い想念なのかはわからない。多分どちらでもいいのだ。


「俺からも頼みたいことがある」

「なんでしょうか」

「騎士団長様というのはやめてくれ。俺はそんな畏まられるような人間じゃない」


 そういうあたり、やはりこの人は与えられた地位や肩書きにこだわっているわけではないのだろう。

 僕も僕で、うっかりアルフレドさんと内心での呼び方が出てしまいそうだったので丁度よかった。


「ではアルフレドさんと呼んでもよろしいですか?」

「それでいい。俺もエスティリア嬢と呼ぶことにしよう」

「それはちょっと長いので屋敷の者はエスティと呼びますよ」

「そうか、エスティ嬢」

「はい」

「君とは不思議と仲良くなれそうな気がする」

「そうですね」


 確かに、この人とはきっといい友人になれるだろう。

 彼がお嬢様の敵に回らない限りは。


 そんなことを思いながら、僕達は交代の時間まで密やかな声で他愛ないお話をしていた。

 

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