食事→夜
「う、ううぅ、つかれたよ……」
「お疲れ様です。よく頑張られましたね」
「エスタぁ……」
食堂の真ん中に置かれた十人掛けの大きなテーブルの端、特等席と化して久しい主賓席でお嬢様はぐでーんと魂が抜けたように脱力して突っ伏している。
ディナーを給仕する準備をしながら慰めの声を掛ければ、親に甘えるような弱弱しい声が返ってきた。え、かわ、し、あ。
……ふう。
貴族としてではなく、年相応のか弱い少女としての姿がここにある。ここまで気の抜けた姿は眼福ではあるが非常に珍しいものだ。
それだけ今日の出来事に気疲れしているという事だろう。
突然暗殺事件について知らされ、騎士団に押し入られて、メイドと騎士の間に流れるひりついた空気を感じながら貴族として振舞い。
その後は調査の予定について僕とケイトさん、アルフレドさんとレベッカさんで話し合う横に居心地悪そうに座っていたのだから。
お嬢様には申し訳ないのだが、人の世の常として相手の面子を立てるというのは重要だ。
相手の最高責任者がいるというのにこちらはメイドだけという状況は宜しくない。
無論実務的な責任者はケイトさんで、お嬢様がその会議にあまり口を挟めないとしてもだ。
ちなみに予定のすり合わせはそう簡単ではなかった。
元々僕達メイドには日常的に行っている業務があるのだ。屋敷の掃除や警備、庭の手入れや料理。無論お嬢様に関わることだけでなく、働いているメイドの衣食に関連するあれこれもある。
それは決して多くの余暇を持ったものではない。その中に騎士団の捜査をねじ込もうというのだから、調整も難儀する。
騎士団は有無を言わせず捜査を速く済ませたい。メイドは余所者にあまり好き勝手させたくない。
騎士団の要望をすべて受け入れるではメイドの不満が溜まるし、何をされるか分かったものではないのだ。
勿論騎士団からしても何か怪しい点に気付けるよう監視の目を光らせたいので、要求を通したい。
多分ケイトさんとアルフレドさんはあらかじめ妥協点を見積もってはいたけれど、それはそれとしてぎりぎりのラインを求めあっている。
だから話し合いは中々緊迫した雰囲気となっていた。
どこまでも事務的な会話の中、僕はお嬢様の警護の観点で口を出し、お嬢様は借りてきた猫となり。
なんだかんだいい塩梅に落ち着いて今に至るというわけだ。
「ほら、今日はお嬢様の好物を揃えてくれてますから、元気出しましょう?」
僕があっさりとした野菜と魚介のスープに、オムライスをサーブするとお嬢様が嬉しそうに頬を緩ませる。
お嬢様は料理について好き嫌いはあまりないが、オムライスを特に好まれるのだ。
ケチャップで味付けをしたライスの上に乗せられたオムレツへとお嬢様がナイフを滑らせると、半熟の中身がとろりと流れ出す。
黄金のマグマのような美しい見た目は、下手に真似ようとすると加熱が足りずに腹を痛めたり、逆に固くなりすぎて残念なことになったりするという代物だ。
僕にはまねできない職人の技。
お嬢様に喜んでもらおうとシェフが研究を重ねた果ての産物である。
「ん~! おいひい! なんだか全部吹っ飛んじゃいそう!」
「それは何よりです」
「はふう……」
幸せで満たされているのだとうっとりした表情で、頬に手を添えてゆっくりと味を噛み締める。
僕はお嬢様のこの顔がたまらなく好きだ。何の外連味も曇りもない、晴れやかな幸福の色がある。
守りたい。僕の、いや人類の宝として守らねば。
「そうだ、エスタも食べてみてよ」
「え?」
そんなふうに決意を改めていると、突如爆弾が投下された。
冗談ではないようで、僕を見るお嬢様の目は明るく輝いている。
そしてつい、と一匙オムライスを乗せたスプーンが目の前に差し出された。
「わ、私だけで食べるのももったいないから。それくらい美味しいの」
「いや、しかし……」
メイドが主人と同じ匙に口を付ける? 論外極まりないことだ。
あまりにも恐れ多い。それにお嬢様の匙を僕の唾液で汚すなど……。
確かに目の前のオムライスは黄金色に輝いていてとても美味しそうだ。お嬢様が食事を終えられた後に僕達が口にする賄い料理より一段手が込んでいるのだろう。食べてみたいと邪な思いがよぎったことも、あるにはある。
しかし実際に食べるとなると、その他の問題が湯水のように湧いて出るのだ。
だからそう、ここは断らねば――。
「だめ、かな?」
「駄目なんてことはございませんぜひ頂きます頂かせてください」
ああ神様、情けないメイドをお許しください。お嬢様に悲しそうに目を伏せられては僕の心情や問題などゴミのようなものなのです。もしそこから涙一滴でも零れ落ちようものなら僕はこの命を以ても償いきれないのです。
とはいえ、だ。勢いで答えたからと言って迷いなく口に入れられるかというとそうでもなく。
お嬢様の輝く目に見つめられながら、迫りくるスプーンを前に一瞬逡巡する。
なんと罪深いメイドだ――いやでもお嬢様を悲しませるくらいなら――僕は今女の子、女の子だから大丈夫――これケイトさんに見られたら殺されるなあ。
諸々の思考をぐっと飲み下し、恐る恐る僕はスプーンを口に加えた。
「……おいひい、れす」
「よかったあ!」
正直に言えば味なんてわからない。卵とお米の味わいの中にどこか不思議な甘さがあって、それがお嬢様の味だと思うと味覚など麻痺していた。
それに花開いたお嬢様の笑顔の尊さや、呑み込んでなお消化できない背徳感で既に胸はいっぱいになっている。
でもこの笑顔を守れたなら、なんでもいいや……。
「皆頑張ってくれてるのに、いつも私だけこんな美味しい料理を食べてるのがなんだか申し訳なかったから、よかった」
「お嬢様の為に皆頑張っているのですよ。お嬢様が美味しいと仰ってくださるのであれば、それだけで僕達は報われているのです」
「でも皆は私とはまた別の物を食べているんでしょう?」
「それもまた当然のことです。お嬢様にお出ししているのと同じものを僕達が口にするなど、過ぎた贅沢ですから」
「なら私もそれでいいのに」
「そういうわけにもいきません。僕がお嬢様の傍に侍り種々の問題を払いのけるように、シェフにとってはお嬢様の為に特別な物をお作りするのが仕事であり、腕の振るいどころなのですから」
そう、それは至って普通のことなのだ。
僕達は雇われている身であり、仕えている人間である。だからお嬢様が僕達のことを気にかけて悩む必要などないのだ。
だというのにいまいち納得が行かないと俯くのは、お嬢様が貴族とそれ以外という社会に囚われ切っていないから。
それは人を人として見て、優しく接することが出来るという美点である。
けれどその美点が、貴族社会では汚点とみなされてしまうことがある。
そして彼らの中傷の刃先が向けられるのは僕達ではなくお嬢様だ。僕はそれを防ぎたいと願う。
「騎士の方々にも、料理をお出しできたらいいのに……」
「それは……」
お嬢様が僕を通じて騎士団に提案し、断られた事柄だ。
確かにそれが出来れば向こうにとってはだいぶ楽になるだろう。いくらか今回の行動に備えて食料を運んできているに違いないけれど、野営で満足な食事を確保するのは簡単なことではない。
しかしあちらからすれば僕達は容疑者なのだから、提供されるものにどうして毒が入っていないと思えるだろうか。
どんな要素があっても警戒するに越したことはない。善意の皮を被った悪意によって人が死ぬような、油断ならない世界なのだから。
僕が騎士団の立場であっても、きっと同じようにする。
「仕方無いことですよ。彼らの状況では」
「そう……なんだね」
それっきりお嬢様は黙りこくって、静かに料理に口を付けていく。
そして何度か小鳥のようにスプーンを啄んだ後にきょとんと首を傾げ、視線を銀色に輝く鏡面に落とす。
「ぁ……」
そうですね。ちょっと、こう、はい。いわゆる間接キスといいますか。
ようやく気付いたようで、白雪に赤い絵の具を落としたようにぽっとお嬢様の肌が染まった。
「い、今のエスタは女の子だから、女の子だから、大丈夫。で、でも初めて。ど、どうしよう、エスタもなのかな、奪っちゃった? え、え、え、きゃぁ」
一体お嬢様は何を言っているのだろうか。間違いなく混乱しておられるのだが、僕も僕で意識してしまってきっと顔が赤い。
だから気まずくてたまらない。
こちらをちらちらと窺うお嬢様に気づかないふりをして、僕は給仕を続けるのだった。
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