警戒→沈黙

 僕達が屋敷の玄関に面している大広間に辿り着くと、そこはいつになく狭くなっているように感じられた。

 この屋敷に勤めるメイド十人余りが綺麗に整列し、騎士七名がそれと向かい合っている。

 その中にはアルフレドさんとケイトさん、アンもいた。


 痛いほどの沈黙だ。空間自体はこれだけの人数がいても余裕がある。それなのに狭く感じたのは、敵意にも近い張り詰めた空気で満たされているからだろう。

 殆どのメイドの姿勢は針のようにピンと真っ直ぐ整っており、澄ました顔で瞑目している。堂々としたその姿はメイドというよりも兵士や騎士といった鉄火場の人間のものだ。

 口には出さないが、皆の言いたいことは明白だ。

 ――歓迎などしないからさっさと帰れ。

 それを騎士達も察しているようで、中には露骨に顔をしかめて不機嫌そうにしている者もいる。

 アンのように仕えて浅い子はこの空気にいたたまれず、おどおどしているようだった。


「ひぅ」


 当然というべきだろうか、気の弱いお嬢様もこの空気に怯まずにはいられない。

 小さく引きつった悲鳴を漏らして立ち止まってしまう。

 それだけの所作でも波紋一つない水面のように静まった空間の中では悪目立ちしてしまうというもので、騎士の何人かが不躾な視線を寄越してくる。

 そんな目でお嬢様を見るなんて片目を引っこ抜いて目の前で魔物の餌にしてやろうか? ああ??

 

 しかし内心で腹を立てても今この場ではお嬢様の後ろに控えることしかできない。

 お嬢様は貴族で、この屋敷の女主人として振舞わなければならないのだ。

 僕が今お嬢様を庇うにしろお嬢様が僕に隠れるにしろ、そうしてしまえば侮られ、舐められる。

 そして格下と見ればいくらでもむしり取ろうとしてくるのが貴族社会だ。


 つくづく嫌になる。

 運命はいつだってお嬢様に望んでもいない物を与えて、見返りを寄越せと酷な事ばかり押し付ける。


「大丈夫ですよ、お嬢様」


 お嬢様にだけ聞こえるように囁けば、それに気付いたお嬢様は一つ深呼吸をして再び歩き始めた。

 まだ頼りなさは残るものの、淑女に相応しい楚々とした歩みだった。


「アイラ・エス・アリフレタ、ただいま、参りました。御機嫌よう、第一騎士団の皆様方」


 アルフレドさんの前、少しばかり離れた位置に立ってゆっくりとカーテシーをするお嬢様に合わせて僕達も頭を下げる。

 それに対してアルフレドさんは右腕を床と平行に持ち上げ、握りこぶしを左肩につける騎士の礼でもって応えた。


「突然の来訪にも関わらずこうしてお出迎えいただけたこと、感謝する。第一騎士団団長、アルフレドだ」


「お出迎え、ねえ。これまたずいぶん物騒な出迎えもあったもんだ」

「慎め、ゲラート」

「いってぇ」


 アルフレドさんの挨拶の陰で、へらへらと軽薄そうな声が聞こえた。

 目線だけで確認すれば、明るい茶の短髪をした男が隣の女性騎士に鞘の先で足を小突かれている。

 それはなんと周りにばれない程度に柄を小さく動かし、てこの原理で的確に足の側面を狙い撃つという無駄に技巧溢れる動作だった。

 受ける方も受ける方で、見もせず攻撃に備えてダメージを最小限にしているようだ。

 

 この状況で軽口を叩ける度胸を褒めるべきか、それとも希少な女性の騎士がここにいることに驚くべきか。

 どちらにせよ彼らはこういう状況に慣れている手練れのようだった。


「さて、楽にしてくれて構わない。後ろの皆もだ」


 許しを得たので姿勢を正したところでようやくアルフレドさんの表情が窺えた。

 しかめるでも軽薄に笑うでもなくただ慮るように眉を少し下げ、柔和な態度を作っている。


「今回我々がこの屋敷を訪れたのは、ある事件の捜査をするためだ。ことは重大ゆえに詳細を説明できないが、この行動は国王陛下の勅命に基づいていることを心得てもらいたい」


 視界の端でアンがぎょっとしているのが見えた。

 そういえばアルフレドさんがお嬢様の元へ来て説明をした時、この子もその場に居たな……。

 つまり事件という言葉がザック王子の暗殺を指していると、アンも知っているわけで。

 ここでアルフレドさんが詳細を伏せるという事は、メイド達にそのことを知られるわけにはいかない事情があるのだろう。

 恐らく言いふらさないようにケイトさんが釘を刺しているとは思うけれど、自分だけが知らない方がいいことを知っている彼女の心境やいかに。

 そしてアンがいたのにかかわらずアルフレドさんがあの場で語ったのは、それよりも屋敷の封鎖を優先したからなのだろうか?


「皆にはこれから捜査が終了するまで、許可なく外部の人間と接触することを禁ずる。また事情があって外出する必要がある場合は、必ず騎士を同行させること。この二つを徹底してもらう」


 そして、と一つアルフレドさんは間を置いた。


「捜査のために皆の部屋に立ちいり、検めさせてもらう必要がある」


 その瞬間空気が刃のように研ぎ澄まされた。

 ざわつくなどという生易しいものではない。

 怒りと殺意、軽蔑を露わにした目線がメイドから騎士達に向けられているのだ。

 勿論僕もそんな目をしている。

 いくら捜査だからといって、何も知らぬ無遠慮な男にお嬢様の部屋を調べられるなど冗談ではない。

 それは女の矜持を穢す行いだ。

 ……僕が言うのもおかしな話ではあるが、それでも長年女性として振舞ってきた分気持ちがよくわかる。


「隅から隅まで調べさせてもら「余計なことを言うなこのバカ者!」うじゃああいだあ!」


 わきわきと手を蠢かせておどけた茶髪の男が、速攻で女性の騎士に沈められる。

 鮮烈な赤い髪が馬の尾のようにたなびく。風のような速さで振るわれた拳は男の頭頂部を芯で捉え、ゴヅッ! という鈍い音と共に男は床に叩きつけられたのだった。

 いいぞ、もっとやれと内心快哉を叫ぶ一方で、男の生死が心配になるような凄まじい音だったが……。

 他の騎士にとっては慣れたことなのか、呆れを滲ませた目で茶髪の男を見ていた。


 女性の騎士は死にかけの虫のようにぴくぴくと痙攣している男に一瞥もせず、アルフレドさんの傍に寄る。


「団長、言葉が足りません。それだけでは要らぬ誤解を招きます。というよりも、思い切り招いています。ここがアリフレタ公爵令嬢のお屋敷であることをお忘れですか?」

「む、そうか。いや……そうか、そうだな。すまない、俺はどうにも疎くてかなわん」


 どうやらアルフレドさんは本気で困惑しているようだった。

 向けられた敵意はわかる、しかし何故なのかがわからないと言ったところか。

 ひょっとして彼は男女の違いに驚くほど無頓着であるのだろうか。

 英雄とも言われる騎士団長がそんなまさか、嘘でしょう?


 敵意は半分呆れに変わっている。

 こちらを向いた女性の騎士はその微妙な空気に気付いたようで、あーと目を一瞬遠くに逸らしてから咳ばらいをした。


「皆すまない、副団長のレベッカだ。一点重要なのが、私室や浴場などへ立ち入って捜査を行うのは私だけだ。男どもには屋敷周りの警備と立ち入っても問題ない場所だけを担当させる。だからその点については安心してくれ」


 皆がほっと肩を降ろしたのが分かった。

 しかしそうなると用を足すときや、騎士の方の入浴はどうするのだろうと思う。

 どちらも僕が長年苦心してきたことだ。


「我々は捜査の間、屋敷の外に拠点を置く。だから洗体や用でそちらの施設に立ち入ることはない。無論しばらくの間不便を強いることに変わりないが、こちらからも配慮はさせてもらう」


 最大限妥協したとまでは言わずとも、お嬢様の事情やこちらの心情にある程度配慮した形だろうか。

 本音を言えば全員女性にしてくれればいいのにとは思うが、そもそもこの貴族社会において騎士となる女性があまりにも少ないのだから無理難題というものだろう。

 彼らに僕のように神代魔道具アーティファクトで性転換しろというわけにもいかないのだし。


 無論これだけですべての心配事が無くなるわけではない。

 さっきの男のように不埒な素振りを見せる騎士もいるだろうし、権威を笠に着て迫ってくる騎士も出るかもしれない。

 騎士は決して高潔な者ばかりではないようだから。


 そしてレベッカさんが一歩引く。

 アルフレドさんが頷いて言葉を発した。


「というわけだ。いや、すまないな……。とにかくだ、これからしばらく皆には迷惑を掛けることになるが、捜査が終わり次第我々は立ち去る。どうか王国とアリフレタ嬢のためと思って協力してほしい」


 最初の張り詰めていた空気はどこへやら、今は何か気まずさがある。

 何といえばいいだろう、立派な狼だとばかり思っていたのに実際目にしてみるとよく似た犬だったという感じだろうか。

 とにかく僕達は静かに礼をして返答としたのだった。

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