平穏→事件

 動きやすいよう切りそろえられた金の髪にアイスブルーの怜悧な瞳。

 純白の騎士服の肩には口を結んだ狼の刺繍が金糸でされている。

 鞘に収まっていてなお業物と見える剣を腰に佩き、迷いもなく屋敷の居間に立ち入ってきた男。

 ――第一騎士団長アルフレド・エス・キンドム。


 騎士団の象徴的存在である人間が先触れもなく訪れて、暗殺事件があったと告げた。

 これだけでとんでもない厄ネタだ。

 

 あの王子も死ねばいいのにとは思ったが、まさかこんなことになるだなんて。

 ここへ捜査に入るという事は何かしらの要因があって屋敷の人間、もしくはお嬢様自体が疑われているということだ。

 王子がこの屋敷を発ったのは昨日のこと、その帰り道で暗殺に遭ったとなればそれも自然なことだろう。

 

 冗談ではない。

 こちらはただ押しかけられてきただけなのだ。なのに暗殺の疑いを掛けられるなどと。

 勿論明言されていない以上王子の生死は不明だ。しかし奴の生死はこの際全く問題ではない。

 問題は程度がどうあれお嬢様を疑われているという一事。

 僕達がするべきは身の潔白を証明すること。

 

 突然の事態にお嬢様は混乱している様子で、ケイトさんもアルフレドさんを警戒――というよりは既に臨戦態勢を取っている。

 彼がお嬢様に狼藉を働こうとすれば、即座に対応するだろう。

 無論アルフレドさんもそんな気配を感じているようで、空気が一瞬にして張り詰めた。

 

「詳しくお話を伺ってもよろしいでしょうか」

「……君は一体?」

「申し遅れました、お嬢様の傍仕えを務めているエスティリアと申します。まずは騎士団長様をこのような形で出迎えることになり、申し訳ございませんでした」


 怪訝な目でこちらを見ていたアルフレド様にお辞儀をして一歩前に出る。

 相手はこの国の騎士団長だ。お嬢様を害そうとしない限りは敵に回すべきではない。

 まずは状況確認、そして交渉。

 いざとなればケイトさんにお嬢様を任せて僕が足止めをする、そういう意図を隠しながらアルフレドさんに近寄っていく。


「いや、急に立ち入ったのはこちらだ。その点に関して貴殿らに落ち度はない」


 僕の言葉に対し、厳格な態度を崩さないままで詫びてくる。

 ここで相手はそれなりに節度のある相手だとわかった。

 事態が事態とはいえ、こうして貴族の屋敷に主の許可を得ずに立ち入ってきた以上ある程度の強権が与えられているはずだ。

 それこそ国王の名の下に捜査の全権を与えられていてもおかしくない。

 しかしその権利を問答無用で振りかざしてくる相手ではないのだろう。

 

 アルフレド第一騎士団団長なる人間については、少しばかり耳にしたことがある。

 曰く王族の遠い縁戚で、謀略や権威を使わず実力で以てその立場を得たのだという。

 他には国の英雄、騎士の鑑、騎士だけでなく一般の兵士や魔導士を束ねる次期総帥の最有力候補とも。

 あと王子は名前を聞くだけでゴミ虫を見つけた時のような顔をしていたから、少なくとも彼の派閥ではなかったのだろう。

 要するに彼は王子も意識せざるを得ないほどの影響力を持つ人間だという事だ。

 

 そんな重要な立場にいる人間が、たかが一侍従の話に耳を傾けあまつさえ詫びを入れる。

 言葉だけの物とはいえ、それだけでも相手が話の分かる人間だと知るには十分だ。


「ありがとうございます。それからお嬢様は殿方へ恐ろしい思い出を持っておられますので、代わりに私がお話するお許しを頂きたく思います」

「……承知した。アリフレタ公爵家のご令嬢の身に起きた事件については俺も聞き及んでいる。どうしても捜査の上で聞く必要がある事柄もあるが、それ以外は君が代理人となってくれて構わない」

「ありがとうございます」


 儀礼的なやり取り、しかし相手にはこちらの要請を受け入れる余裕がある。

 警戒は緩められないが、悪くない方向に進めそうだ。


「話に入る前に、今この屋敷にいる人間の出入りを直ちに禁止してもらいたい。また許可なく破ったものはその場で生死を問わず取り押さえる。これは陛下より権限を与えられた人間としての命令だ」

「かしこまりました。……メイド長、お願いできますか?」

「すぐに手配いたします」


 ケイトさんに頼むと少し迷う様子を見せたが、すぐに切り替えて部屋を出ていった。

 傍らに先ほど部屋に入ってきたメイドも伴ってだ。

 アルフレドさんの命令を迅速に遂行するだけでなく人払いの意味もあるのだろう。

 彼女もまたすぐには危機的状況に陥らないと判断して、この場を僕に任せてくれたのだ。

 その信頼に俄然やる気が湧いて来るというもの。


「まず初めに聞くが……今回の事件を企んだのは貴殿らか?」


 剣の切っ先のように鋭い視線だった。

 あまりの迫力にお嬢様が息を止めてしまうほどに。


 ……は?

 

 僕は少し下がってお嬢様を庇うように立ち、殺意まで込めて彼を睨み返した。

 メイドとして表情は崩さずに、目で全てを語る。

 

「そんなはずがありません。お嬢様を脅すような真似はおやめください」

「これを聞かないことには始まらなくてな」

「それはそうなのでしょう。犯人を突き止めるのが騎士団長様のお仕事なのでしょうから。ですがこれは捜査であり尋問ではないはずです。その一線はお守りください」


 国王から権限を与えられている。それはわかる。

 聞いても否定しか返ってこない無意味な質問をするのも、形式的に必要なのだと理解はしよう。

 

 しかしあまり舐めたことをしてお嬢様を泣かせるようであればこちらにも考えがある。

 僕はそんな意思を全く隠さずにいた。

 会話の主導権をあまり与えたくないという以上に、お嬢様を威圧したことが許せなかった。


「……すまない。俺の気が荒立っていた」


 目を閉じて深く息を吸う。

 アルフレドさんは自分を省みたのか、冷静さを取り戻そうとしているようだった。

 数度の深呼吸の後に彼はゆっくりと腰を傾け、お嬢様に礼をした。

 

「礼を失していた。アイラ嬢、そしてエスティリア嬢、どうかお許し願えるだろうか」


 まさかここで謝罪が飛び出してくるとは。

 思わぬ行動に僕は目を見開いてしまう。

 お嬢様もまた突然のことに慌てているようだった。


「だ、だい、じょうぶ、です。騎士団長、様。そ、そんな、とんでも、ないです」

「お嬢様が宜しいのであれば、私に否はありません。こちらこそ出過ぎた真似をしました」

「……感謝する」


 意外だ。

 王国の騎士団長ともなれば、まだ家督を継いでいない公爵令嬢よりは重宝される人間だ。

 実力も地位もある。

 それが責められたとはいえ威圧したことを申し訳なく思って謝罪する?

 それも令嬢だけでなく侍女にまで?


 アルフレドさん、彼は僕が知る貴族とはまた違った価値観のもとに生きているようだ。

 

「先ほども言った通り、俺は陛下の名の下に命令を下す権限を与えられている。それは一刻も早く下手人を捕えるための物だが……とはいえなるべく禍根は残したくない」


 それはそうだろう。

 強権を振るえば反感を買う。疑わざるを得ずとも、疑われた人間は気持ちの良いものではない。

 体面を重んじる貴族社会においては尚更で、その気持ち程度のことが反発となり、策謀となって時には人を殺す。

 

 実際僕が今最も恐れているのは、彼が強権を盾にお嬢様をさも暗殺の首謀者であるかのように扱うことだ。

 それは何よりお嬢様を傷つけるだろうし、抗う手段が少ない。

 そしてそのように扱われたという話が外に広まれば、悪意や好奇心を混ぜ込んだ噂となって広がっていくだろう。

 果ては姿を持たない怪物となった噂はきっと、潔白を証明できてもお嬢様にまとわりつく棘となる。

 じわじわと心を蝕む毒を孕んで。

 

 だから彼の姿勢は僕にとって喜ばしい物ではあった。

 誠実さと冷静さを持ち合わせている。それだけで状況が最悪に傾く恐れが少なくなる。


「貴殿らを疑わなければならない人間の言葉ではないかもしれないが……どうか捜査に協力していただけないだろうか。これは命令ではなく、俺個人としてのお願いだ」


 貴族ではなく信念を持った騎士。

 今僕の目の前にいるのはそんな人だと感じた。

 そして光明にも思えた。


「お嬢様」

「え、ええ」

 

 お嬢様の意志を確かめようと見やれば、こくりと頷かれる。

 ならば道は決まったというものだ。


「わ、私達も協力、させていただき、ます」

「痛み入る。早急に犯人を捕まえることを約束しよう」

 

 早急に犯人を捕まえる、というのは不思議な言い回しに思えた。

 捜査をする以上はこの屋敷に手がかりがあると踏んでいるはずだ。

 けれどこの言い方だと犯人はこの屋敷の者ではないと思っているように見える。

 さっきもそうだ。アルフレドさんは命令ではなく、お願いをした。

 誠実や礼儀という以上の理由がある?

 例えば彼自身の思惑と、命じた人間の思惑が異なるだとか。

 

 ふっと事の背景に思考を巡らせられたのはそこまでで。

 僕はアルフレドさんが語り始めた、事の経緯に耳を傾けるのだった。


「昨日の夜にザック王子を乗せた馬車が何者かに襲撃された。生存者は御者のみで、護衛の騎士達や王子の死体だけが現場に残されていた」

「そんな……それでは、ザック様は」

「残念ながら、我々が到着したときには既にあの世へ旅立っておられた」


 お嬢様が息を呑み、瞼を震わせる。

 お嬢様を利用しようとしていた男の死に、痛めるだけの心を僕は持ち合わせていない。

 ただお嬢様は違うのだ。人の死に触れて悲しみ、涙を流すことが出来る。

 例え良からぬ輩であったとしてもだ。


 それは甘さであり美徳でもある。

 僕はただその美しく透き通った心を守りたいと思う。

 だから僕は矢面に立とう。

 

「何故御者の方だけが生き残ることが出来たのですか?」

「わからん。ただ言えるのは彼もまた相当な手傷を負っていて、現在も治療中という事だけだ」


 そして唯一の手掛かりも彼が握っていた、とアルフレドさんは続ける。

 その瞬間背骨をぎゅっと握りしめられたような、嫌な感覚に襲われた。

 何故だろうか。彼の視線がこちらを探るような物に見える。

 

 そうしてアルフレドさんはこう告げたのだった。


「この屋敷にいた男に襲われた、と」

 

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