第19話 君のための


 ローラは伯爵家の二女として生まれ、いつか、他家に嫁ぐことが決まっていた。己の意思もなく、望まれた家に。そうすることが義務で幸せだと。

 それに疑念を抱きながらも親の決めた通りに18の時に嫁いだ。


 ローラは結婚して5年、子ができなかった。それを理由に離縁され家に戻された。理由はローラだけにあるわけではないのにも関わらず、出来の悪い嫁として捨てたのだ。

 5年の結婚生活の内、夫が家にいたのは1年目くらいで残りは愛人の家か仕事だった。その愛人はローラと結婚する前からの付き合いで元々そちらに住んでいたという。

 親がうるさいから、結婚しただけと少し困った顔で言われた。それで、ローラがどれほど困ろうとも、気にも留めなかった。それどころかその愛人が子を産むまでの時間稼ぎに使われた。

 後継者を産めない正妻と後継者を産んだ愛人、どちらを選ぶのかと両親に迫ったらしい。


 結果、ローラが捨てられた。

 このような離縁でも、ごめんね、と軽く言って愛人の元へいく薄情な男を少しでも好きになろうとしたことすら後悔する。

 いっそ、親に逆らって独り身を通したほうがましだったとさえ思えた。


 戻ってきてからのローラは屋敷を出ることはなかった。さすがに気にしたのか両親はローラに何かを望むことはなかった。今はそっとしておこうという気持ちに苛立ちを覚えるが、微笑んでやり過ごしている。

 元夫に愛人がいることは事前に、わかっていたはずなのだから。


 今のローラを気にしてくれるのは、昔馴染みの侍女たち。それから、幼馴染だった。


「お嬢様、フローリス様がいらっしゃいましたが、お会いいたしますか?」


 ローラ付の侍女がそう告げる。

 それにローラは顔をしかめた。幼馴染が訪れるのはもう3度目だ。そのすべてを断った。いまさらどういう顔で会えばいいのかわからない。

 彼が知っているころのローラと今のローラは違っている。


「会わないわ」


 これほど断っているのだから、そろそろ、来なくなるだろう。それでいいとローラは思う。幼馴染は気が弱いところがあるがいい人だ。出戻りの娘に関わって時間を無駄にすることもあるまい。

 ローラはそのうち修道院行きだろう。あるいはどこかの後妻に入るかもしれない。子がいらない家というものもある。すでに後継者がいて、それを養育したり、家の采配だけをしてほしい場合だ。それなら穏やかに過ごせそうではある。


「お嬢様、どうしても、ですか?」


「会って、なにを言えばいいのか、わからないの」


「昔の通りお過ごしになればよろしいのでは?」


「騎士ごっこでもしろっていうの?」


 あの頃のローラはなりたかったのだ。なんでも解決するかっこいい騎士に。

 父や兄に対する憧れもあったが、氷の騎士と呼ばれる方への思い入れは強かった。


「懐かしいですね。私が攫われる姫役でした」


「そうね。フローリスが従者で。

 考えてもみればあの頃からお姫様になれなかったのよね……」


 元夫が愛した人は儚そうではあった。ローラとはタイプが違う。微風でも風邪をひきそうな愛人と雨の中でもぴんぴんしてそうなローラでは価値が全く違うだろう。


「お姫様になりたかったんですか?」


「昔は違ったけど、今はそうね」


 誰かにここから連れ出してほしい。そう願ってしまった。

 自分ではもう立てないと。

 もう、がんばれない。


「……だそうですよ。フローリス様」


 侍女は扉の向こう側に声をかけた。そういえば不自然に扉が開いたままだった。

 気まずそうに幼馴染が姿を見せる。

 侍女を睨めば肩をすくめていた。


「こっそりでもいいから、姿を見たいというので、クッキー一袋で手を打ちました」


 侍女はすました顔で買収されたことを告げる。


「では、ここからは若いお二人でどうぞ。

 あ、フローリス様、ケーキは回収しておきますね。保冷庫に入れておきますが、お早めにおいでください」


 え、という顔のフローリスをぐいっと部屋に押し込んで、侍女はばたんと扉を閉めた。

 二人で閉じた扉をしばし見つめてしまった。

 そして、顔を見合わせる。強引にもほどがないだろうか。


「……ええと、久しぶり?」


 沈黙の末に彼はそういった。戸惑いがかなり残っている。


「久しぶりね。元気そうでよかったわ」


 お互いにそれ以上の言葉が出てこなかった。心の準備というものが何もないままに今の状態である。

 ローラが幼馴染と会うのは実は6年ぶりくらいだった。6年前に家業である軍に入ったからだ。三男だから、別の道を選ぶかもと言っていたのに意外だと思ったのを覚えている。

 軍に入れば気軽に会うことは難しく、手紙のやり取りは数度あったが、ここ数年は絶えていた。


 改めて見れば彼もまたローラの記憶の中の少年と違っていた。まだ幼さ残っていた顔立ちはこの数年で大人になっている。自分の後ろをついてきた幼い日々はもう遠い。


「その、ごめん。元気がないって聞いたから、おいしいものでも食べれば元気になれるかなって」


「誰に聞いたの?」


「エリュウ君に。その、事情も聞いた。それで、その」


「なに?」


 エリュウはローラの従弟だ。彼もまた軍に所属していた。だから、知り合いであってもおかしくはなかった。身内にはローラが戻っていることは知られているだろう。


 ローラは少し身構えた。出戻りといわれるとは思わないが、それでも。


「えっと、僕と……」


 彼はそういって黙り込んだ。

 ローラが見上げれば顔が赤かった。


「仕事」


 ぽつりとそう言われた。


「え?」


「仕事してみないか? うちの師匠が女性の従業員をさがしていて、働いていたら気が紛れていいんじゃないかなって」


 彼は勢いよく言い切った。

 きょとんとローラが見返す。

 貴族の女性が働くことはほとんどない。許されるのは家の事業などの手伝いや家庭教師、城などへ行儀見習いを兼ねて侍女として働く程度だ。それも若いうちと決まっている。

 ローラはまだ辛うじて若いと言えそうだが、雇うほうがどう思うだろうか。


「家を出て、一人で暮らして、仕事してって生活もあるんだよ。

 家に縛られなくても、もういいんじゃないかな」


 そう言うと少し気まずそうに彼は視線を外した。


「詳しく聞かせて?」


「じゃあ、ケーキでも食べながら話そうか」


「ええ」


 ローラは一か月後、家を出ることになる。

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