第18話 なんでもない日のケーキ
それは、ある休店日のことだった。
もう少しで夕方という時間に私は店の裏口から弟子を見送った。フローリスはちょっと気弱そうなところがあるが、気のいい奴なんだ。
まあ、気のいい奴なのでそこで終了することもあろうけど。
「うまくいくといいけどね」
「そーっすね」
私と一緒に裏口に立っていた別の弟子がそういう。フェリクスというが、お客さんから名前で覚えられることは少ない。あのっすとか言う人とよく指名される。接客態度としてどうなのかとも思うが、キャラとして受け入れられているようなので放置していた。修行にはまじめだからね。
「ま、しょげていたら飲みにでも連れていくっすよ」
フェリクスはそういって笑って厨房に戻っていった。
私も裏口から厨房に戻る。今日の厨房の中は賑やかである。いつもはどこか緊張感があったのだなと今更気がつく。
発端はフローリスが終業後に厨房を借りたいと言ってきたことだった。事情を聞けばフローリスの幼馴染が元気がないからおいしいものでも食べてもらいたいと言う話だった。
それも、自分が作ったものを。
ここは菓子店で、いくらでも売っているというのに。
ちょうど一緒にいたシアさんと目くばせをした。
ただの幼馴染、というには力が入りすぎている。何か特別さを感じた。
シアさんがさりげないように最近の女性の売れ筋や流行りなどを混ぜ込み、事情聴取。私は相手の好みだのを聞きだして、フローリスが作れて、見栄えもしそうなものを思案した。
ミモザケーキを作ることになった。
手順的にはそれほど難しくない。
1.スポンジケーキをスライスし型に入れ、カスタードクリームを流し、再度スポンジケーキで蓋をする。
2.型から外し、クリームを塗る。
3。スポンジを細かくし、ケーキにつける。角切りからほわほわまでお好みで!
これなら元々教えていたスポンジとカスタードクリームだけでなんとかなる。なにせ本人は自分で全部作りたいと言っているのだ。
しかし、ケーキは終業後に作って相手に持っていくとなると夜遅くなりすぎる。そのため、休みの日に作ることを提案した。
特別扱いということにはなるが、弟子の幸せを手伝うのも師匠の務めだろう。たぶん。
ただ、建前上、昼までは私の試作を手伝い、昼過ぎから自分の試作をするという話にしておいた。贔屓があると揉めそうな人間関係ではなさそうだが、配慮はいるだろう。
しかし、その話を聞いたほかの弟子たちも手伝いたい、ついでになんか作りたいと言いだし、大試作会が発生するとは思ってもみなかった。
用事があって今日いない弟子たちからは、次やるなら事前に知らせてくださいと恨みがましそうに言われた。次回も開催しなければならないようだ。
いつもは分業していた作業も一人でやるという経験は大事だろう。
弟子たちは今は使った道具の片付けと厨房の掃除をしていた。思ったより手早いのは軍での経験が生きているらしい。訓練場や拠点の清掃は下っ端の役目だそうだ。
こちらの監視はいらないなと店の方に移動する。
店内のテーブルには所狭しとお菓子の皿が並べられていた。成功も失敗も選別されていない。
これらは店に出すこともなくお持ち帰りされる。
持ち帰り用の箱を用意してたもう一人の弟子とシアさんが私に気がついたようだった。笑顔で手招きをされる。
「師匠の分はこれで」
「へ?」
「弟子の成長をお楽しみください」
シアさんも面白がるように言う。
私の目の前にあったのは、焼き菓子からゼリーなどまで幅広いスイーツ。それぞれの出来の良いところを集めてきたようだが、一つ二つずつでも集まったら量が半端ない。
「あの、私一人で食べるの?」
冗談でしょ? 引きつりそうな顔になるのは仕方ない。
お前の総カロリーは何日分の食事だ? というモノである。ああ、いっぱい作ってたなぁと思ってたらこんな目に……。
「試食も師匠のお仕事でしょう」
「そうそう」
「筋トレはお付き合いします」
「おぉう」
気がつけば背後からも迫りくる弟子の圧。
最終的にクッキー類は3個、ゼリー類は1個で話がついた。ケーキやタルト類は小さく切って本日中にお召し上がりである。
自分の試作分も皆に分配しておいた。おまえらも等しく増量しろ。
シアさんはこれから友達とお茶会だそうだ。良い手土産ができましたと機嫌が良さそうである。
弟子たちも片付けが終われば、それぞれ帰宅していく。実家に帰ったり、友人と会ったりいろいろ予定があるそうだ。
一応、私のことも気にされたが、早く帰りなさいと促した。
「……はー、静かになったわ」
ようやく一人になった。静まり返った店内はやや暗くなってきている。
今日はもう一仕事残っている。もう誰とも会わないし、自宅は二階だ。色々終わったら汚れ仕事をしするつもりだっのだ。
終わったらお湯いっぱいのお風呂入るぞと思いつつ、やらねばならないことに向き合う。
それは厨房の床下にある。
厨房の排水はそのまま下水道に流せない決まりがある。これは飲食店共通なのだそうだ。ほっとくと下水が詰まるから。
それの解決に用いられたのが、人造スライムである。そのままで流すには問題のあるごみなどを食べてくれる。元々存在した微生物の集合体なんだそうだ。便利なのだが、無限に大きくなる性質がある。時々小さくしてやらないと住処から溢れて大変なことになる。
月に一回くらいの頻度で、半分くらいにするんだけど、全く全然少しも慣れない。
蓋を開けた瞬間緑と黒のマダラのぐるぐるがぬぺっと出てきた。
「うわあああっ! あふれないでぇ」
逃亡しようとずももと盛り上がってくる。
ここ食べ物を作っているところなので、もっと食べ物を求めて出てくるんだ。
「ええと、A薬が最初、ほら食えぇっ」
出てきそうなスライムを抑え込みながら、小さくする薬Aを振りかける。ふしゅーっていいってるぅ!
でも次の薬投入するのに一分待つって!
無の気持ちで押さえつけ、次の薬を投下する。
「……ふふふ。私に勝てると思うなよ。くくっ」
ふしゅーと言いながらスライムはおうちにかえっていった。また来月なと思いながらふたを閉め、厳重に封印する。このスライムは滅多にちぎれたりしない性質なので、破片が落ちることもないのが良いところだ。
「はー、しんど」
格闘5分程度である。
それなのにも関わらず、スライムの粘液やら排水やらで私はずぶぬれだった。しかも臭い。
「……ほんと、最悪」
これをしてくれる業者もいるらしいのでそのうち依頼するつもりだ。ちゃんと選ばないとひどい目にあうとか言われると慎重にもなる。
あー、おふろーと裏口から外に出る。
外階段を通って自宅に。今日はスライムと戦う予定だったから玄関から風呂まで床に布をしいてある。その上をたどって浴室までたどり着いた。
贅沢にお湯を使って風呂に入り、人心地ついたところで私は思い出した。
あ、ケーキ持ってくるの忘れた。と。
「鍵もかけ忘れてるって……最悪」
誰もいないとは思うが、フライパンを片手に店内を確認する。先ほどとなにも変わらない。安心しつつ、戸締りを再確認する。店側は今日は開けていないから、大丈夫だとは思うけど念のため。
戸締りがしっかりしてあることを確認し、私は厨房に戻ってきた。
ケーキセットを作って、部屋に戻ろうと思ったとき、裏口の戸が叩かれた。
「はい?」
そのまま私は戸を開けた。不用心かもしれないが、ここまで入れる人は限定される。弟子の誰かが忘れ物をしたのかもしれない。
と思ったのだが。
「ええと。ライオットさん、どうしたんですか?」
開けた先にいた予想外の姿にちょっと私はびっくりする。なぜか、シェフも驚いたように固まっている。
「弟子が、鍵返し忘れたって」
どこかぼんやりとしたような声に私は首をかしげる。
ひとまず鍵は預かった。食糧庫の鍵だ。これがないと朝、困ったことになるのは確かなんだけど。
「ありがとうございます。
お仕事、大丈夫ですか?」
休みとも聞いてないし、今は夕食の時間に直撃している。つまり、今、王城の厨房が一番忙しいとき。
ここにいる理由が謎だ。
「今日は急用ができて実家に顔を出してきた帰りだ。
夕食でもと食堂に入ったら、弟子につかまって」
「そうでしたか。うちの弟子がご迷惑をおかけしました」
「いや、別に、それはいい」
とは言いながらもなんか気まずそうだ。なんだろ、いつもとどこが違うんだろうか?
まあ、来てもらったのだし、お礼は必要だろう。
そして、ちょっと邪なたくらみを思いついてしまった。
「じゃあ、せっかく来ていただいたのでお茶でもいかがですか?」
「では、一杯いただこうか」
彼の想定は店内か厨房だろう。
「これ持ってください。
外階段で上に上がらなきゃいけないんです」
「え」
私はおうちに連れ込むつもりである。
まあ、この状況ですらシェフが私に手を出してくるとは思えないのだが。
「行きますよ」
ためらいながらもついてきてくれてよかった。断られたら、それはそれで思うところがある。紳士的だと評価すべきか、興味がないということかという点で。
「ちょっと待ってくださいね」
そういって、玄関先で待ってもらう。変なもの置いてないと思うけど自信がない。突発的イベントに対応できている部屋なのだろうか。
幸い見られちゃまずいものはちゃんと片付けてある。
「どうぞ。狭いですが」
「おじゃまします」
シェフが神妙にそういって入ってくる。
無難に珈琲を入れ、今日の出来事をお互いに話をして。
そこから弟子たちのケーキレビューに付き合ってもらった。どうしてもなんか、こう、それっぽい話に突入できなかったのだ。
少しは、好きになってくれましたか? なんてのをどうやって聞けばいいのか、ぐるぐる悩む日が来るなんて。
む、難しい。
条件が合うから結婚してくれと言っていた時のほうが、気楽だった……。相手の気持ちが読めぬ。ある程度の好意はあるだろうが、それの種類ってものが、読めない。最近まで子供扱いだったわけで、いきなり大人扱いされるわけもない。
既成事実をだなと言いだしそうなところを理性が頑張って止めていた。
そうじゃないんだよという乙女が心が残っていたらしい。
次が、あればお酒を用意しようと思う。勢い大事。
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