第7話 「 美文字より、いい文字を書け 」

 響はどうしたものかと考えた。この手紙を返すときっと少女は極めて恥ずかしがるに違いない。しかしこんな大事な手紙を自分が勝手に処分していい筈はない。しかもこれだけ魅力的な文字で書かれていることは告げてあげたいものだ。それはアーティストとしての響が持っている願望から来ていた。


 夕刻になって自宅の黒電話で、朝方メモ帳に書いた少女の電話番号に従いダイヤルを回してみる。暫くすると母親らしき落ち着いた声で答えが返って来た。


「はい、照崎でございますが」

「あの、私今日の朝、照崎香奈美さんの自転車と衝突してしまった結城と申しますが、香奈美さんが大丈夫だったかと・・・・」


「あ、結城先生のお家の方ですね、娘から電話で聞いています。娘は怪我も痛みもないようです。すみません、慌てん坊で不注意なことで、お怪我なされていませんか?」


「いえ、全然大丈夫ですよ」


丁寧な対応に響はホッとした。


「実はお嬢さんがメモ書きを落とされたようで、お届けしたいのですが」


 言ってしまってから響は不安になった。娘にすればラブレターを母親に知られるのはとてつもなく嫌に違いない。


 「結城先生のご子息なら安心だし、ウチから至近距離です。娘も場所を知っていると思いますので取りに行かせますよ。お時間は大丈夫ですか?」


 響はホッと胸を撫で下ろした。


「ついでにあの子にお習字教えてやってくださってもいいですよ、もう字がむちゃくちゃ下手で」

「いえいえ、なかなかいい字をお書きですよ」

「もう、いい字なんて、お世辞言っていただいて・・・」


 打ち解けた会話になって緊張が解れて来た。響は夕方家で待っていると告げて電話を切った。


 晩秋の薄暗くなった時刻に少女はやって来た。玄関で出迎えて響は香奈美を書斎に案内した。書斎の上、欄間に掛かる父暁石の揮毫による扁額を見上げて香奈美は少し緊張していた。


 「お茶でも飲む?それともコーヒーがいいかな?」


 香奈美は遠慮しながらもコーヒーを選択したので、響はミルでコーヒーを挽き出した。そんな光景が珍しいのか、香奈美は手を見つめている。


 「あの、私の落とし物って・・・」


 響はその言葉に手を止めた。そして折り畳んだ手紙を手渡すと香奈美は目を丸くしてそれを受け取り礼を言った。


「あ、ありがとうございます。これ、読んだんですか?」


それは非難とも恐れとも言えない緊張と戸惑いを含んだ口調だった。


「あ、そう。だって開けないとキミのものって分からなかったし」


「それは、そうですよね」


少女は下を向き、赤面していた。


「とっても魅力的な文字だよ」


響は正直な感想を言った。


「魅力的?どこが魅力的なんでしょう?」

「感情が伝わってくるよ」

「だってアタシ、人一倍悪筆で、先生にも綺麗な字を書けっていつも言われてて・・・もちろん親にも」


「綺麗な字がいい字とは限らないよ」


 響はそう言うと、本棚から一冊の画集を取り出した。それはニューヨークで買ったジャン・ミシェル・バスキアの画集だった。黒人ジャズサックス、チャーリー・パーカーの名前をイニシャルで書き、アフリカン・アメリカンの矜持を示す王冠の記号を大きく記した作品は強い筆致でキャンバスに描かれたものだ。


「この人の文字、これは美しくないかい?」

「なんか子供が書いたみたいです」


「じゃあこれは?」


 同じくチャーリー・パーカーの名曲「チェロキー」のタイトルの上に描かれた王冠、そして彼は黒人のスーパースターだ、という意味を記した「S」の大文字。


「なんか、強さを感じる」


香奈美の答えが変化して来た。響は次々とバスキアがアフリカン・アメリカンの誇りを主張するバスキアの作品を見せ続けた。


「この人のなんか主張したい、オレはここにいるぜ、っていうのが見える」


 香奈美の答え核心に迫って来たところで響は畳みかけた、


「この作家の文字は確かに美文字じゃない。でもこんないい字はなかなか見れない。なぜって彼はニューヨークという白人の国アメリカの経済的中心で、オレは黒人だ、でも黒人にいっぱいヒーローはいるって主張してるんだよ。


 そしてこうも言ってる、オレはいつか黒人のヒーローとして白人と対峙してやるってね。だから彼の筆致は強いし、文字は美しいんだよ。美文字じゃないけど美文字よりも美しい、わかるかい?」


香奈美は頷いていた。


「で、オレは君の文字の中にこの人と同じ種類の美しさを見たんだよ」


「ありがとうございます」


香奈美は小さく一礼した。


「そのラブレター、相手にそのまま渡すのかい?」

「あ、い、いいえ。これは原稿なんで。学校で親友にだけ見せて意見もらおうかと・・・」

「渡すまでにまだ日はあるのかい?」

「あ、これバレンタイン用なんで。実は今年のバレンタインではチョコだけで、相手に拒否されたんで、今年は手紙つけようかと」


「わかった、未だ日はあるわけだ。じゃあ、この私が君のラブレターのアドバイスするってのはどう?」

「え、どうされるのですか?」


「月曜日のこの時間帯はオレ用事は特にないんだよ。自分の都合に合わせて悪いけど、まず原稿書いて来てオレに見せてくれない? 君の友達もいいけれど、オレ一応書道やってるから」


「あ、アタシだから字は・・・」


響は被りを振った。


「美文字なんか書かなくていい。君の文字は今のままが一番素直で美しい。それをもっともっと魅力的にしようじゃないか。美文字じゃなく、いい文字書いてこいよ」


「そういわれましても・・・」


「とにかく、線が引いていない白紙に書こう。いい文字を書いて来た昔の書道家だってほとんどみんな罫線なしで書いてるんだから」


 香奈美は俯いて躊躇しているようだった。


「ごめんね、変な提案してさ。でも気が向いたらでいいから、この時間に来たらヒントをあげるよ。あとは君に任せた。強制はしないよ。気が向いたらでいい」


「はい、考えてみます」


 香奈美はそういうと、コーヒーを飲み干して玄関に降り、別れ際にもう一度響の方を振り向いた。


「暁石先生が仰っていた通りの方でよかった。息子は天才的な書家でアーティストじゃ、そして気持ちが真っ直ぐじゃって、失礼します」


そういうと、香奈美は恥ずかしげに俯いてそそくさと去って行った。


つづく




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