22話 友、遠方より来たる……
そして、夜の九時半を回った頃。
入浴中の和樹の前に、父が現れた。
大喜びで父の両手を取り――飛び切りの笑顔を見せる。
「良かった、来てくれたんだね」
「ああ。今夜は上野くんのこともあるし」
「そうなんだよ。彼も、お風呂に入らなければ魔窟に行けないのかと思って」
フリーザーパックに入れたスマホを見せる。
「昨夜は不思議を聴いて、魔窟の泉に出られたって聞いたんだけど」
「今夜からは、お前がリードするんだ。午後十時に魔窟に行くと決めたら、その時間に合わせて水に潜る姿をイメージして貰う。そうすれば、二人同時に魔窟に移動できるだろう」
「分かった。じゃあ、今から十五分後に決行するよ」
フリーザーパックの上からスマホを操作し、上野にメッセージを送る。
そんな息子を見つめる父の眼差しは――憂いに溢れている。
和樹も察し、弾む声を絞り出す。
「大丈夫だよ。僕たちは負けない。恐くないって訳じゃないけど、不思議な行者さまも手助けしてくださる」
「……すまない。父さんが思っていたより、事が大きくなっているようで……」
「ううん。大変な事態だけど……大好きな人たちを守りたい。できれば、魔窟の人々を……ひとりでも多く救いたいんだ」
呟きながら、上野からの返信を読み終えると――もう父の姿は消えていた。
父のいた場所には、円を描く水紋が揺れているだけだ。
(……仕方ないよ。
浴室に満ちる花の香りを吸い、湯の底に向かって「頑張るよ」と呟いた。
軽く目をこすり――浴槽から出て、予備の醤油さしに湯を注入する。
自分にも、上野にも命綱となる『魔法の水』だ。
一個たりとも無駄に出来ないし、誤用は許されない。
(そうか。一戸が花婿役だったのは、醬油さしのせいかも。悪霊に目を付けられたのかな)
やはり、醤油さしを渡したのは悪手だった。
明日には、適当な理由を付けて返して貰おう。
あれこれ考えるうちに、時間は過ぎる。
湯桶に醤油さしをまとめ入れ、浴槽に入り、意識を絞り込む。
揺れる糸が張り詰め、ビュンと鳴った。
浴槽の底が消え、深奥へと落下していく。
* *
朱の月光が射す煉獄――。
魔窟に降り立った和樹は、すぐに上野と合流できた。
上野の頭には、いつも通りチロが乗っている。
二人と一匹はゆっくりと進むと、先に巨大な山門が視えてきた。
「へえ~、つまり敵を倒すごとに、奥の王宮に続く山門が開くのか。ゲームみたいにアイテムが買えるとか、拾えるとかは?」
「残念だけど、お店は無い」
和樹は苦笑しつつ、天を仰ぐ。
妖しくも美しい空の下で、多くの魂が囚われて苦しんでいる。
その敵は、現世にも手を伸ばしている。
この瞬間も、こちらを冷徹に見つめているだろう。
けれど、今夜は緊張感が少し緩んでいる。
親友と、その愛犬が一緒だから。
後ろを任せられる友がいる。
助け合える仲間がいる。
不思議な懐かしさに胸が疼き、目尻を拭った。
「そうか。オレさまは泣くほど美しいか。ようやく、光源氏なみの美貌だと気付いてくれたか」
上野は顔を綻ばせ、シャツの襟元を整える。
こうして見ると、やはの上野は現実の彼よりも年を取っている。
彼の兄の
二人は何気ない会話を楽しみながら、山門をくぐった。
すると――街並みが今までと異なっていた。
影ではなく、ちゃんと壁も戸も窓もある家屋が並んでいる。
全てが木造で平屋か二階建てで、どことなく既視感がある。
「……何じゃ、こりゃ? 昭和時代の街並みか?」
「……それっぽいね」
和樹は頷き、街を見渡す。
人気は無く、風が低く唸っているだけだ。
見ると、ある家屋の前にリヤカーが停まっている。
だが、車輪はも引き棒も木製だ。
そして、そのすぐ近くに立て看板がある。
和樹と上野は、それを見上げた。
木製の看板に縦書きの文字が書かれているが、墨汁の崩し字だ。
最後の行に大きく書かれている『太政官』以外は読めない。
「これってよ、時代劇で見るアレじゃね? 上からのお達しを書いてるやつ。よく、町民が前に群がってるじゃん」
「それっぽいな」
「ここは江戸時代か?」
「それを真似た感じかな」
敵の意図は不明だが、前回までの平安風から時代が進んだ。
「機関銃を持ってた敵もいたしな。鉄砲隊でも出て来るかも」
「マジか?」
「ああ。集団が出て来たら任せる」
「任せとけ」
上野は頷き、「ふんっ!」と気合を入れた。
彼の周囲に『
攻撃術を封じた五枚の霊符をベルトに挟み、右腕を天に伸ばした。
「……元気そうだのう」
後ろの家屋の板戸が開き、方丈の行者がヒョイと姿を現した。
「行者さま!」
二人は駆け寄り、会釈をする。
行者も二人を見上げ――影と化した顔に、微笑みが浮かんだように感じた。
「友、遠方より来たる……か」
「はい!」
行者の言葉に、和樹は姿勢を正して頷いた。
チロも行者の足元で尻尾を振る。
闘いの準備は整った。
友人たちを守るための闘いの準備が。
「……来よったぞ」
行者は後退し、長杖で地を叩く。
一陣の風が舞い、身を護る結界が形成される。
和樹も抜剣し、瞼を閉じて気配を読む。
道の向こうから、
「……馬か?」
上野も耳を澄ませる。
こちらに犬がいるのだから、敵に馬がいても驚くことではない。
が――闇の中から現れた敵を見て、二人は愕然とした。
闇を裂いたのは、堂々たる体躯の白馬である。
だが、その赤い鞍に跨るのは――
「おい~、ありゃ隣のクラスの花婿だぞ!?」
上野は目を見開き、和樹も腰を浮かせる。
上野の言う通り、騎乗の人は一戸だ。
花婿衣装を身に付け、右手に
漆黒の
「……あれは味方だと思うか?」
「……思わない」
上野と和樹は左右に散る。
騎馬花婿は、殺気を撒き散らしながら間近に迫った。
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