19話 魔俄霊(まがたま)

 和樹は、視線を四方に走らせる。

 敵は十二体。

 身長は、自分より高い者が半数で、子どもと思しき者もいる。

 全身は灰色で、煙のようなオーラを纏っている。

 またも、罪なき民が変化へんげされられているようだ。


「おい、オレはどーすれば良いんだ!?」


 右往左往する上野に、行者は顎高に笑う。


「ほれ、如月きさらぎ。ワシの股の間に這いつくばれ。護ってやらんこともない」

「そんなこと出来るか!」


「では、あぶり出せ」

「はあ?」

「剣士は一撃必殺を繰り出す。それを援護するのが『魔俄霊まがたま』の使命であろうが!」



「え……?」


 和樹は、激しい違和感に貫かれた。

 

 違う。

 何かが違うと、否定が繰り返される。


 術士は、二系統に分類されていた。

 攻撃術を使う『魔俄霊まがたま』。

 守護術を使う『霊儸宜ひいらぎ』。


 だが――時として、地を焼き払いかねない『魔俄霊まがたま』は危険視され、厳しい制約を受けていた。

 夜明けから、次の夜明けまでに放てる術は五度まで。

 術は、必ず霊符れいふに封じて使わねばならない。

 この掟を守れぬ時は――


 …………

 ……



 

 異形の一体が吠えた。

 他の十一体も呼応し、夜空を仰ぐ。


 月光の朱が深まり、異形の胎内に燈が灯る。

 咆哮は悲鳴に変わり、悶え始めた。

 ある大人は膝を付き、振り子のように上半身を地に打ち付ける。

 子どもは毬のように跳ね、砕けた四肢を垂れ下げる。

 地は炎に包まれ、一帯の気温が容赦なく上昇する。



「……おい……」

 

 上野は顔を歪め、異形の炎陣から飛び退く。

 記憶の果てより、の哄笑が項を這う。

 

 のた打ち回りしは、我が手駒なり。

 手駒の苦痛など、数えるに値せぬ。

 手駒など、腐った瓦落多がらくたに過ぎぬ。


 されど――

 現世うつしよに帰るなら、深追いはせぬ。

 紅の月の国を、恒久たらしめよ。

 静寂を乱すな。

 時を崩すな。

 

 この地は、終わりなき夢に浸りしゆえに。


 



「……ふざけんじゃねえ、クソが!」


 上野の叫びが、記憶を振り千切る。


「誰だか知らねーが、テメエがとてつもないクソだってことは分かった! あいにく、クソに平伏ひれふす趣味はねーんだよ!」



 上野の足元から幾つもの魔俄霊まがたまが飛び出し、心臓の高さまで上がり、身の回りを巡る。

 魔俄霊まがたまは淡い瑠璃に輝き、如月きさらぎは手品師のような手さばきで回転する魔俄霊まがたまを引き寄せ、手の内に纏めて畳む。


 その重ねた手のひらの間で、宿かれた霊符れいふ燦然さんぜんと閃くのを神名月かみなづきは視た。


(……そんな筈はない。彼も水葉月みずはづきも『霊儸宜ひいらぎ』だった……)


 驚愕と疑念が、剣士の判断を鈍らせる。

 地の下から伸びた手が、和樹の左足首を掴んだ。

 炎が身を駆け上がり、瞬時に喉元に達した。

 構えを解き、袖で振り払い、剣先で異形の手首を貫く。

 燃え盛る異形は地より這い出し、手首を押さえて転げ回る。



たわけ者が! 剣士が敵から目を離して何とする!?」


 行者の叱咤が飛ぶ。

 この御方は、異形の炎陣をものともせず、結界の内に立っている。

 

 和樹は歯噛みをし、後ろに下がった。

 行者の言葉通り、言い訳の立たぬ愚行だ。

 剣士は、一撃で敵将の戦力を破断せばならない。

 

 雑兵は、術士に任せれば良い。

 魔俄霊まがたまなら雑兵を打ち、霊儸宜ひいらぎなら守護結界を張る。


(そうだ……信頼しろ!)


 和樹は、精神を研ぐ。

 

(この異形たちを操る存在ものがいる。この者たちに火を放った存在ものが……!)



「ありゃ~、チロがいねえぞ?」

 

 上野が――軽口を叩いた。

 しかし、和樹は意図を読む。


 「どっかのお宅に、か」


 愛剣を構え直し、跳躍した。

 同時に、上野が霊符の一枚を射る。

 瑠璃の閃光が円状に広がり、地ごと異形を凍結させた。

 砕氷の如き光が降り注ぎ、異形たちの咆哮も止まる。


 和樹は路際みちぎわの屋根に降り、気配を読む。

 

(……この家の後ろ……二軒後ろ、その右隣だ!)


 

「そこだ!」

「戻れ!」 


 和樹は剣を垂直に構え、上野はもう一枚の霊符を射る。

 和樹の真下に、高速で駆けるチロがいる。

 影の家屋をすり抜け、上野の元に走り行く。


 それを確認し、瞼を閉じ、念を込めてゆっくりと身を降ろす。

 氷の刃と化した霊符は二軒の家屋を透り抜け、

 三軒目の壁を真横に切り裂いた。

 家屋の上半分が吹き飛び、中が顕わになる。


 家の炉の前に、女の影が立っていた。

 炉に薪をべていたが、炎は消えかかっている。

 上野の魔俄霊まがたまが、敵の炎を鎮めつつある。


 

(いつか、あなたたちの御魂を解放します! ですから、どうか今は無体をお赦しください!)


 和樹は誓いを捧げ、女性の胸を貫いた。

 



 

 凍り付いていた異形たちが砕け散る。

 氷のかけらは瞬く間にくうに溶け、

 凍てる地も元の黒い土へと戻る。


 

「ワン!」

 

 戻って来たチロは落ちていた呪符を器用に噛み集め、行者に差し出した。

 行者は両膝を付いて呪符を受け取り、チロの頭を撫でる。


「お利口よのう。良い子だ」

「……行者さま……」


 和樹も一枚の呪符を差し出す。


「この御方も……お願いいたします」

「分かっとる……」


 行者は黒の呪符を纏め、経を唱えつつ畳紙たとうしに包んで懐に仕舞う。

 それを横目に、帽子を被り直す上野の姿に――不安が募る。


 自分の射た術に何の疑念も持っていないようだが、それが不思議でならない。

 ゲームだと僧侶が魔術師に転職したようなものだが、本人に自覚が無いのは変だ。

「え? オレが昨日まで僧侶だったぁ?」と魔術師が首を捻っているようなものだ。


(……まさか……顔面を盗られたことと関係あるんじゃ……)


 和樹は、ぞっとした。

 顔面泥棒の目的は、こちらの戦力編成を変えることだったのか?――


 


 (――それが、我らに不利に働こうや?)

 

 深層の声が胸に拡がる。


(――生き延びよ。二つの国と数多あまたの命を託す……)


 目の前に、神名月かみなづきの中将が立っている。

 生成りの小袖と細身の短い袴を身に付け、無造作に削がれた髪が揺れている。


 それは、罪人とがびとが着せられる装束だった。

 削がれた髪も、高貴な者には耐えがたい屈辱の証だ。


 だが彼の瞳には、一条の曇りも無い。

 揺るがぬ『義』と『誇り』に満ちている。


 だが、その姿は水珠みずたまに弾け、二人と一匹は帰還の途に就いた。

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