18話 君が誰か分かるよ


 和樹は、前と変わらず『魔窟まくつ』に着地した。

 

 風のがなびき、意志なき者が住む影の街がある。

 闇空やみぞらの半分を占める巨大な紅い月は、朱の光を地に注いでいる。

 

 目の前には、聳え立つ二つ目の山門がある。

 門扉は開いているが、その向こうは黒一色で何も見えない。


 車輪の音が聞こえ――向こうから、牛車の一団が現れた。

 この先に進んだものの、また引き返して来たのだろう。

 マンションの外壁の周りを歩いていた悪霊を鎮めれば、次の三つ目の門扉が開くに違いないが――


(山門の先には王宮があって、そこに御神木があり、ラスボスの『宵の王』とやらが居座ってるってことか……)


 本当にゲームのような展開になってきたが、ラスボスを倒さない限り、蓬莱さんを救えないとしたら……

 

 和樹は拳を握り締め、遠ざかる牛車の音を追う。

 牛車は、鶏を飼う家族が住む家の前を通るだろう。

 そして、呪符に閉じ込められた人々の魂――。


 もはや、蓬莱さんと自分だけの問題では無くなっている。

 上野の顔面が盗まれると云う、奇妙な事件も起きた。

 盗んだのが黒いチワワで、上野にくっ付いている幽霊のチロもチワワだ。


 (おかしい……)


 和樹は熟考する。

 そもそも『神名月かみなづきの中将』とは何者だろう?

 『白鳥しろとりの剣』の前の持ち主とのことだが……

 

 

 

「ふぉっふぉっ。待っておったぞ、中将よ」

 

 背後から呼ばれ、和樹は「ひえっ」と飛びのいた。

 真後ろに現れたのは、方丈の行者だ。

 着衣以外は、影のように全身が黒いままである。

 和樹の驚きが楽しかったのか、行者は嬉しそうに言う。


「お主がいないと退屈でたまらん。そこらの家で寝起きするより、することがない」

「行者さま、ごきげんよう」

 

 和樹は、老人に頭を下げる。

 頼れるのは、この老人しかいないのだ。


「先に待ち構えている悪霊を調伏ちょうぶくします。蓬莱さんの家の周りを歩いています」

「ほう。『調伏ちょうぶく』などと小難しい言葉を使うようになったか。手馴れてきよったな。 それで……何か、変わったことが無かったか?」

「ありました……」

 

 行者は、現世の出来事を見通しているようだ。

 それでも、上野の身に起きたことを話す。


「ですから、友人の顔面を奪った小犬も探さなくてはなりません。どこに逃げたのか見当も付かないのですが、僕の身に焼きたことと無関係とは思えないのです」

「……ん? 何か聞こえんかったか?」

 

 老人は、耳に手のひらを当てた。

 和樹も、耳を澄ます。

 確かに、背後から声が聞こえる。




「だれか……いないかあああああ!」

「ワン、ワワワン!」

 

 聴き慣れた声と、犬の鳴き声が近付いて来る。


「まさか……おーい、こっちだ!」

 和樹は叫び、向かう先と逆方向に走り出す。

 ゆっくり進む牛車を追い抜き――その先に、走る人影を見つけた。

 

 深い闇の中にも、その姿は鮮明に映る。

 黒い帽子をかぶり、黒いマントをなびかせ、必死に走り来る。


「おーい、かみなづきぃ~! お前か!」

「……きさらぎ!」

 

 和樹は彼の名を呼んだ。

 自分の知る上野昌也とは、容姿が少し違う。

 やはり、大人びているように視える。


 だが、懐かしさが込み上げる。゜

 彼は、如月きさらぎの中将だ。

 教わらずとも、深層の記憶がおのずとよみがえる。

 

 上野も歓喜し、和樹に抱き付いた。

 チロも、上野の頭の上に飛び乗る。


「おああっ! 良かった、ぼっちで魔界に放り出されたかと思った!」 

「……如月きさらぎ、どうして此処に?」


「家で知らん女に首を絞められて……気付いたら、ここにいた」

「……その服は?」


 和樹は、彼の装束を見て訊ねる。

 自身や行者の和装とは掛け離れた、クラシカルな洋装だ。

 

 髪型は上野昌也のままで、黒いベレー風の帽子を被っている。

 そして、裏地が赤茶色のマント。

 白シャツの襟元には青と黒のストライプのスカーフを巻き、ゆったりした黒パンツに黒いショートブーツ。

 

「こりゃ、画家のモディリアーニの写真と似た服だ」

 上野は、マントをヒラヒラ揺らす。

「首を絞められた時、目の前にモディリアーニの写真と複製画があってよ。変な声が聞こえて、『霊名ひいなを唱えて、新しい名を決めろ』って言われた。写真のせいで、ついつい『モディリアーニ』って名を思い付いたら、こうなってた」


「その画家なら知っておる。なで肩の人物を描いた独創的な画風だな」


 行者が言うと、上野は不思議そうに瞬きした。


「……どちら様ですか?」

「方丈の行者と呼べ。たたのヒマな爺だ」

「どうも。お初にお目にかかります……って、おい!」


 上野は、ギョッと目を剥いた。

「オレ、首を絞められてたぞ! ひょっとして、ここはか!?」


「安心せい。ここは死者の辿り着く『黄泉』にはあらず。お主らの世と同じ、黄泉の合わせ鏡の如き地である」


 行者は、厳めしい顔付きで諭す。


「ふむ。その犬は、お主に取り憑いてるな。死した魂はここには来れぬが、お主への想いゆえか……」


 珍し気にチロを眺めると、チロも地に飛び降りて尻尾を塗った。

 上野はチロを抱き上げ、和樹の全身を見定める。


「こりゃまた……神主っぽい格好だな」

「お前のお祖母ばあさんのお姉さんにも、同じことを言われたよ。でも、首を絞められたって……」


 何とも物騒な話である。

 悪霊たちは蓬莱さんに嫌がらせをしたが、今の所は実害は無い。

 ところが、上野の身に起きたことはレベルが違う。

 顔面を持って行かれた上に、首を絞められたとは尋常ではない。


 詳しい状況を訪ねようとすると――行者の杖が地を打った。

「ほれ、お主らの相手が出て来たぞ……」


 二人が見回すと、通りの都有の家屋の扉が開いていた。

 そこに佇む人影は、十数体――。


「……こいつらが悪霊か!?」

 

 上野の顔が情けなく引き攣り、そして和樹は剣を抜く。


「この人たちは、呪符に操られているだけだ! 魂に埋められた呪符を取り出して鎮める!」

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