第5章 キサラギ・モディリアーニ 見参!

20話 主の心、犬知らず

 上野の顔面が持ち去られてから五日後。


 以来、彼は毎日和樹の家を訪れる。

 母の在宅時は来ないようにと、釘は刺してある。

 対面したら、物の一秒で上野の異変に気付くだろう。

 絶対に避けねばならない至上命題であるが――

 


「明日から三学期だな」

 

 上野はビスケットを摘みつつ、のんびりスマホで動画を見ている。

 醤油さし効果で生活に大きな支障が無いと悟り、生来のお気楽さが戻ったようだ。

 チロも座卓の下で横になり、スピスピと寝息を立てている。

 

 和樹はと言うと、スマホで平安時代の装束を検索している。

 『神名月かみなづきの中将』の衣装を調べるためだ。


(袴が少し細身の『指貫さしぬき』で、くつが『鳥皮沓とりのかわぐつ』か。笙慶さんが履いてるお坊さま用の黒靴にも似てるな)


 変身した姿を思い出し、あれこれ検証する。

 巫女のように長髪を束ねているが、『古事記』のヤマトタケルノミコトも、髪を結わずに垂らした姿で描かれている画もある。


 だとしても、やはり中将の姿は現世の平安時代の男性の装束とは異なる。

 『魔窟』と呼ばれるあの世界は、やはり遠い異界だろうか。

 それが、たまたま『三途の川』で繋がったとしたら……。


(その異界の悪霊が蓬莱さんを狙い、その蓬莱さんが僕の『運命の恋人』……)


 向き合う姿を想像したが、すぐに振り払う。


(止めよう……それは無い)


 久住さんの笑顔を思い浮かべ、ぶんぶんと頭を振る。

 友人として、蓬莱さんを助けるのは当たり前だ。

 お祖母ばあさんと二人暮らしで、色々と大変なことも多いだろう。

 男手が必要なら、上野や一戸も動員しよう。

 


 だが――

 

「でも、そのマスクは何とかならなかったのか?」

 

 上野の横に置いてある、頭全部を覆うマスクを見て嘆く。


「何で、スケキヨマスクなんだよ」

「コレとゴリラしか売ってなかったんだよ。毛が無い分、ゴリラより千円安かった」

 

 上野はカフェオレをすすり、スケキヨマスクを膝に乗せる。


「頼むよ。一日も早くオレの顔を取り戻してくれよ」

「ああ。でも、まだ手掛かりがない。ごめん」


「いつまで、家族にゴマかせるかねえ……。で、蓬莱ほうらいさんは無事?」

「たぶんね……」

 

 和樹は、久住さんが何だかんだと理由を付けて、久住さんと毎日会っている。

 天狗面の悪霊は、塾生と講師にも嫌がらせをした。

 それを考えると、蓬莱さんと仲良しの久住さんにも異変が起きる可能性が高い。

 だが、今のところは久住さんに異変は無い。

 それでも、油断は禁物だ。


 和樹は立ち上がり、ベランダの窓から斜め向かいのマンションを眺める。

 残念ながら、蓬莱さん宅は死角で見えないのだが――。

 


「……ん?」

 

 和樹は目を凝らした。

 マンション五階の外壁部分に、何かが視える。

 半ば凍り付いていた窓を力任せに開けてベランダに出ると、確かに『灰色の人影』が宙を歩いている。


「悪霊が視えた! 外壁に沿って歩いてる!」

「マジか? どこだ!?」


「五階の外壁だ! 煙のような人影だ!」

「……駄目だ、オレには見えねえ……」


 すると、チロが上野の頭に飛び乗った。

 途端に、上野は「うおおおおおおっ!」と叫ぶ。


「みえた! オレにも悪霊が視えたっ! チロがくっ付いてりゃいいんだな!」

「……喜ぶなよ」


 真冬の寒風のせいもあり、和樹は身震いする。

 『灰色の人影』は、五階の外壁を一周し、また戻って来た。

 今夜は、あれと闘わなければならないのだ。

 


「寒いから戻ろう」

 

 上野の腕を引っ張った時、座卓に置いていたスマホが鳴った。

 戻って確認すると、一戸からのメッセージだった。



『急ですまない 下の入り口にいる 開けてくれるかな』



「ええっ? もう下に来てるのかよ!」

 

 上野は驚き、マスクをソファーの下に押し込んだ。

 和樹も急いで座布団を出す。

 一戸の突然の訪問とは穏やかではない。

 彼は、必ず前日に約束を取り付ける男だ。


「何かヤバイな……」


 和樹は肩をすくめ、一階ドアのオートロックを解錠した。



  *

 


 二人は身構えつつも、笑顔で友人を迎え入れる。


「こんにちは。お邪魔します」

 

 一戸は丁寧にお辞儀をし、玄関の履物を見た。

 

「お母さんはお仕事かい? 上野が来てるのか?」

「うん。バッグはそこに置いといて。コートは預かるよ」

「では、遠慮なく。まずは、お参りをさせていただくよ」


 一戸は和室に向かい、仏壇に手を合わせる。

 和樹はカフェオレをれ、上野の向かいに座る一戸の前に置いた。


「ビスケットでもつまんでくれ」

「ありがとう。急に来てしまって申し訳ない。ちょっと気になって、予備校の帰りに寄ったんだ」

 

 一戸は軽く会釈し、カフェオレをすする。

「うん、温まるね。美味しいよ」


 一戸は笑い、首を半回転させて和樹を見た。

 いつもながらの品行方正なイケメンだ。

 母は「精悍な子ね」と評したが、文武両道の申し分のない優等生である。


「それで……気になることって?」

 和樹は平静を装いつつ、ビスケットを口に入れる。


「うん、明日からは三学期だ。いよいよ受験だな」

「僕は何とか志望校に滑り込めそうだけど……」

「お前ら、余裕だな~。ははは……」


 上野はカラ笑いをする。

 一戸はカップを置き、目が泳いでいる上野に視線を移動した。


「君も、裕樹さんのお参りに同席したんだよね?」


 一戸の眉尻がキュッと上がる。


「その日の夜に、叔父から電話があったんだ。君たちが困っているようだったら、力になってあげてくれと念を押された。こんな頼まれ事は初めてだから、君たちに悩み事でもあるのかと気になって」


「いや、オレのお祖母ばあちゃんが……最近夢見が悪くて、ちょっと相談を」

 

 上野は、半オクターブ高い声で嘘を付いた。

 真実とは無縁ではない嘘ではあるが、一戸の眉尻は下がらない。


「本当なのかい、上野?」

「うん。笙慶さんにお経をあげて貰ったら、変な夢を見なくなったって」


「……君がお経をあげて貰ったのか?」

「お祖母ばあちゃんにも届いたみたいだ。離れていても祈りは通じるんだな」


「……ごめん。家に上がって手間をかけさせたな。でも、不思議な話だな」


「そうだねえ……」

 和樹も苦し紛れに笑う。

 一戸を巻き込まないための嘘だ。

 優秀な彼は回転が鋭いのか、妙に敏感なところがあるから厄介だ。

 

 しかしその時――和樹と上野は飛び上がらんばかりに驚いた。

 チロの下半身がソファーの下からはみ出ている。

 スケキヨマスクを引っ張り出そうとしているのだ。


 マスクの端っこがズルッと滑り出て、一戸は身を乗り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る