18話 蛍。そして不吉な黒い影

 女の子たちは立ち止まり、すがるように和樹を見上げる。

 

「……じゃあ、ちょっとそこの座る場所で待ってて」

 

 真横にはテーブル席があり、人々が座って食事を楽しんでいた。

 待ってましたとばかりに、四人分の席もいている。

 先ほどは見当たらなかったコーナーで、落とし穴に等しい罠に思える。

 だが、飛び込むより打開策は見当たらない。

 

 それに、残金は七千円ある。

 どこから湧いた金か知らないが、彼らにおごっても間に合うだろう。


  

  *


  *

 

 

 お好み焼き、チョコバナナ、アメリカンドッグ、フライドポテト。

 クレープ、焼き鳥、味噌おでん、ラムネ、ペットボトルのお茶。

 

 テーブルの上には、和樹が買った食べ物が所せましと並んだ。

 お面を付けた三人は夢中でそれらを食べ、飲んだ。


「このお茶、変な瓶に入ってるけど、おいしいね」

「これ、お母さんが作るホットケーキに似てるけど、ずっと薄いね。でも、やっぱりお母さんのホットケーキがいいな。すりおろしたニンジンが入ってるの」


「君たちのお母さんも、ホットケーキ作ってくれるんだ」

 

 和樹も上野のお面を付け、フライドポテトを摘まみつつ少年を見た。


「まだ、名乗ってなかったよね。僕は……ヒロキだ」

「僕は『かずお』。平和の『』に『おとこ』って書く」


「女の子たちは?」

「シズコちゃんとサチコちゃんだよ。三歳違いの姉妹なんだ」


「君の妹さんじゃないの?」

「働いている工場の、のおばさんの子どもだよ」


「君が働いているの?」

「父さんは、もう働けないから。戦争で足を失くしたんだ」

 

 和男は、おでんの玉子を食べきってから答える。

 

 和樹は「そうなんだ」と小声で返した。

 彼らが、昔の戦時中の子どもの幽霊ではないかと予測はしていたが……


「ふたりとも、ちょっと待っててな。このおにいちゃんを、送って行くから」

 和男は機関車のお面を外し、テーブルに置いて立ち上がった。

 彼は屋台の外れの方に向かい、和樹は黙って付いて行く。


 

 やがて屋台の明かりも人々の喧騒も遠ざかり、和樹はゆるい山道を登っていた。

 周囲には高い木々が繁り、下の川べりの茂みには、舞う蛍の光が見える。



「僕は……ずっと前に死んでるんだね。やっと分かったよ……」

 和男は足を止め、振り向く。

 

 見降ろした平地にはショッピングモールのような建物があり、五本の煙突がそびえている。

 煙突からは、もうもうと煙が立ち上っていた。


「僕の働いてた工場だよ。シズちゃんとサッちゃんのお父さんは、まだ戦地から戻って来ないんだ。戦争は、二年も前に終わったのに」


「……亡くなったのかい?」

 和樹が訊ねると、和男はうつむいた。


「分からない。でも、僕はずっとここに居た。ずっと夜だけが続いてて、どこにも行けずに、工場だけを見ていた。でも突然、光が見えたんだ。思わず手を伸ばしたら、君の友達の顔をつかんじゃって……ごめんなさい」

 

 和男は、和樹の額の上のお面を見る。


「それを持って、山の上の神社に行って。そうしたら帰れるよ。君の友達も無事だから、安心して」


「……ありがとう。和男くん。君と会えて良かった」

 

 和樹は握手を求めて、手を伸ばした。


「僕の本当の名前は、『和樹』だよ。嘘を付いてごめんね」

 

 ここが魔窟では無いと確信し、名を告げた。

 今は、彼らを疑っていたことが恥ずかしい。

 

 和男は、戦争が終わった頃に亡くなったのだろう。

 それを自覚せずに、思い出の光景を見つめ続けていたのだろう。

 何らかの偶然で、彼のいる場所と浴槽とが霊的に繋がり、そばにいた上野を引き込んでしまったに違いない。


 和樹は目尻を拭い、右手を差し出した。

 和男は笑顔で応じ、ふたりは固い握手を交わす。


「かずきくん、ありがとう。とても素敵な時間を過ごせた。この時代の夏祭りは、華やかで、美味しい食べ物がいっぱい売ってるんだね。楽しかった。忘れないよ」

 

 すると、周りに花のような香りが立ち込め、和男は淡い光に変化した。

 球体になった光は、月に向かって飛び去り、そして眼下の工場も消え失せた。


「和男くん……大好きな人たちに会えるといいね」

 

 和樹は鼻をすすりながら、しばし月を見上げる。

 ひとつの魂が、ようやく救われた。

 悪霊が出たと思って追って来てみれば、切ない出会いと別れがあった。

 

 帰ったら、岸松おじさんにも話そう。

 工場のことも知っているかも知れない。



「それにしても……」

 

 和樹は『烏帽子えぼし』を被ったまま、上野のお面を外す。


「これを持って帰れば、上野は浴槽から出られるってことかな?」

 

 上野の頭は水に浸かっていたが、溺れてはいないだろうと確信する。


 『霊界』と『現世』の体感時間はことなっているから、自分がここに来てから戻るまで、たぶん数秒だろう。

 和男も、上野が無事だと言っていた。

 

 しかし、ノンビリしていられない。

 和樹はお面を手に、山道を駆け上がる。

 やがて、頂上の鳥居の影が見えた。


 これで帰れる――。

 

 安堵して肩の力を緩めた途端――何かが横から飛び出た。


「え!?」


 一瞬の出来事で、飛び出た物は黒い手鞠てまりのように見えた。


 それは木の枝に飛び乗り、こちらを見降ろした。

 上野のお面を咥えた黒い物体は――月明かりを浴びて、その姿を垣間見せる。


「は!? チロ……?」


 ――いや、違う。


 チロと同じチワワだが、全身が黒い。

 赤っぽい首紐をしているように見える。


 和樹が驚いている間に、黒いチワワは木々の隙間を飛び越え――消えた。

 上野のお面と共に。


「そんな……上野のお面が!」

 

 和樹は、呆然と木々の隙間を見渡す。

 お面を手離したら、上野の身に危険が及ぶだろう。

 

 しかし体が宙に浮き、高速エレベーターに乗ったように急上昇した。

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