15話 差し伸べられる手がある限り

 天狗は馴れた所作で機関銃を構え、躊躇なく引き金に指を掛けた。

 

「ええっ!?」

「股の下に入れっ!」


 二人は同時に叫び、行者は長杖の石突きで地を叩く。

 しかし、結界の形成より発射の方が早い。


 見切った和樹は、一瞬に満たぬ速さで動いた。


 背を向け、行者を抱え、うずくまる。


 同時にその背に着弾し、火花が散った。

 


「……いっ!!」

 

 大袿おおうちきは、加護の力を秘めている。

 それでも、えぐられる痛みが天頂を貫いた。

 心が怖じ、勇気が怯む。



神名月かみなづきの中将!」


 行者が発破をかけた。

 荒ぶる声は、沈殿する意識を呼び覚ます。


 裏の意識が、表の意識を導く。


 あれは、機関銃ではない。

 散弾銃に近い。

 

 放たれた散弾は、ほぼ密集して着弾した。

 霊力弾で、自在に軌道を操れる。


 二弾目は、あの家屋の親子に向けられるだろう。

 奴は、そういう男だ――。


 

 天狗が、また発射姿勢をとった。


 彼は反転し、地を蹴った。


 幅跳びのように空中を這い、

 身を捻り、家屋の壁を蹴る。


 白の大袿おおうちきを脱ぎ、

 長銃に投げ付け、包み、そこに右足で着地した。


 天狗は長銃を捨て、わらの内より黒い両翼を広げる。

 真紅の月に向かってったが、神名月かみなづきの中将は難なく追い付いた。


 驚異の跳躍で天狗の両肩に膝を乗せ、

 白刃で心の臓をすくい上げる。


 白鳥しろとりの刃は漆黒の呪符を貫き、

 天狗の面は切り裂く声を残して四砕した。

 紛い物の体は土埃に戻り、

 吹き惑う風にさらわれる。



 和樹は呪符を見た。

 禍々しい赤い文字を刃が貫いているが、囚われた魂には掠り傷も無い。

 主が望まぬものは傷付けぬ刃だ。


 落ちていた大袿おおうちきを拾い、刃から引き抜いた呪符を行者に差し出した。


「行者さま、この人をお願いします」

「ああ……引き受けようぞ」


 行者は呪符を受け取り、畳紙たとうしで包んで懐に仕舞う。

 和樹は大袿おおうちきに袖を通し、思い立って訊ねた。


「そう言えば、あの犬の親子は?」

「あの泉の畔に居る。あそこは邪が近づけぬ聖域よ。心配は無用だ」


「そこの家屋の親子も、牛車の人々も移動させられないのですか?」

「意志を奪われた者を、わしらが移動させることは叶わぬ」


「……そうですか……」


 和樹は落胆した。

 影と化した人々安、全な場所に移せないのは残念だ。。


 それに――内なる声が警告した。

「奴は、そういう男だ」と。


 鬼や天狗を操り、蓬莱さんを狙っているのは男なのだろうか。

 あの声が自分の霊体だとしたら、その男を知っているのだろうか。


 右手を掲げ、じっと見つめる。

 

 すると――街路の先に、また山門が浮かび上がった。

 前の山門と同じ形で、威風堂々とそびえ、また扉が開く音がする。


 和樹は、ほーっと息を吐く。

 どうやら、三番目の刺客が待機しているようだ。

 受験間近なのに、と愚痴も言いたくなる。



「中将、帰るが良かろう。お主の世界にな……」


 労わるような行者の声音に顔を上げると――水珠みずたまに我が姿が映った。

 途端に視界が白く染まり、柔らかな水に包まれた。







「うっ……うえっ!」

 和樹は水を吐き出した。

 かなりの量の水が床のタイルに掛かる。


「和樹!」

「無事か…!」

 父と岸松おじさんの声が重なり合う。


「何てこった…!」

 崩れかけた和樹を支え、岸松おじさんは唸る。


「信じられん……どこに行ってたんだ? 幽体離脱をしたんだな?」

 荒い息を吐く和樹の背をさする。

 おぽろな視界の向こうにミニサイズの父が浸かっている木桶があり、そこの湯面に赤い月が薄く映っている。


「痛かっただろう……背中が少し腫れてるぞ」

「ええっ!?」


 岸松おじさんの言葉に驚愕しつつも、どうにか正座をする。

 散弾が命中した部分が腫れているとは、非情にまずい状況だ。

 あの大袿おおうちきには加護の力がある筈だが、霊体がダメージを受けると、本体にも影響があるのだろうか。


「そんな……」


 手前の木桶の中に立つ父を眺めると――父も呆然としている。

 父にも、預かり知らぬことだったのだろう。


「和樹。父さんは霊界に戻る。上層部に掛け合い、詳しい話を聞いて来る!」


 叫ぶなら、スッと木桶の中に沈むように消えた。

 風呂に漂っていた花の香りも薄れ、木桶の中の湯も無くなり、硫黄の匂いだけが鼻を突く。



「父さん……」


 カラになった木桶を引き寄せ、触れてみる。

 僅かに、異界の水の手触りが残っている気がする。

 岸松おじさんは、床に落ちたハンドタオルを拾い、浴槽の湯で流して絞った。


「和樹、そろそろ上がる時間だが……背中は痛くないか?」


 岸松おじさんに優しく背中をさすられる。

 少しばかりヒリヒリするが、我慢できる範囲内だ。


「平気です。上がろう……おじさん」

「そうか……今夜は、ゆっくり休め。魔窟とやらのことは、後で話を聞こう。いいか、お母さんにだけは知られないようにしよう」


「はい……」


 気が緩み、今にも涙が込み上げそうだ。

 だが、絶対に母には腫れた背中は見せられない。

 父が戻って来るまで、体の危険を回避する方法が見つかるまで、何事も起きないことを祈るのみだ。


 

 二人は手早く浴衣に着替え、貸切風呂を後にした。

 部屋に戻ると――母も浴衣姿で、スマホでカウントダウンコンサートを見ていた。

 

「ああ、言ってなかった? マキナくんたちが生配信中なのよ」


 無邪気な母の笑顔に、和樹は安堵した。

 この世にならぬ地で、息子が命懸けの闘いをしているなどと、決して悟られてはいけない。



 その夜は、和樹を真ん中に川の字で眠った。

 両脇の家族の寝顔を何度も確認し、和樹は穏やかな気持ち瞼を閉じた。

 

 闘いの先は見えない。

 影の街のように、すべてが朧気だ。

 それでも、今は穏やかな心持ちだ。


 愛する人たちがいて、愛してくれる人たちがいて、その人たちは自分を守ろうとしてくれるから――。

 

 

    

  *

  

  *


 


 雪が舞う中――年が明けた。

 

 旅館の朝食のおせち料理を食べ、帰宅し、和樹はすぐに塾に向かった。

 元旦にも塾の講習は行われたが、理科は無かった。

 だが、塾生は自由に自習室を使うことが出来る。

 

 和樹は廊下で蓬莱さんと久住さんに挨拶し、背中から天狗が消えていることを確かめた。

 今回も友達を、呪符に操られている人を助けられた。

 僅かに残る背中の腫れも、名誉の負傷だろう。

 

 けれど、その夜――父は浴槽には現れなかった。

 その次の夜も、その次も。

 

 音沙汰が無いままに特別講習は終わり、蓬莱さんにも異変は起こらず、冬休みは深々と過ぎる。


 そして、三学期開始の一週間前。

 災いは、思わぬ方向からやって来た。

 それは、和樹の父の月命日つきめいにちの真昼の出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る