12話 おじさんは『霊能者』。

 入試を控えた中学三年生には、大晦日も元旦も関係はない。

 和樹も登校日と同じ時間に起床し、身支度を整える。


 特別講習に通う目的は蓬莱さんの護衛だが、自身の受験のためにもなる。

 それに蓬莱さんも、桜南高校を受験しようと考えているらしい。

 

 魔窟での悪霊との闘いは、まだ続くだろう。

 幽霊の父にも、「悪霊は、まだ諦めていない」と言われている。

 あの異様な月も頭から離れず、そして行者に言われるままに『ポン酢』と名乗ってしまった。

 つまりは魔窟を再訪して、次の悪霊を鎮めねばならない使命があるのだろう。

 


(……気は進まないけどね……)


 嘆きつつも、不思議な使命感に背を押される。

 正義のヒーローとして、『魔窟に光をもたらそう!』と張り切っている訳ではないが、この世界の友人たちに災いが降り掛かるのは静観できない。


 火の粉を振り払わねば、火傷をする――。



「どうしたの、ナシロくん」

 

 蓬莱さんは顔を上げ、鉛筆を止めた。

 どうやら、気難しい顔をしていたらしい。

 

 顔を背けて誤魔化し、参考書を閉じて立ち上がる。


「はは……やっぱ理科は得意じゃないな。そろそろ授業が始まるよ。行こう」


 ここは、塾の自習室だ。

 大晦日の今日は、二限目の理科の講習に出席する。

 久住さんは一限目の英語に出席しており、二限目には合流できる。


「そうね。行きましょうか」 


 彼女が立ち上がると同時に、一限目終了のチャイムが鳴った。

 他の生徒たちも立ち上がり、移動を開始する。

 彼らの表情は引き締まり、ヒリヒリした雰囲気を滲ませている。

 


 教室に入ると、すでに久住さんは席に着いていた。

 三人とも席は離れており、軽くお手振りしてから、和樹は最後列に着席する。

 他の生徒たちも、無言で席を埋めていく。


 生徒数は二十八名だが……



(……勘弁してくれよ……)


 和樹は、彼らの背中を見回して嘆く。

 全員の背中に、赤い天狗の顔が浮き出ている。

 毛糸のセーターには編み模様、トレーナーにはプリントと、妙に手が込んでいる。

 入って来た講師のスーツの背には、『天狗先生』と文字が記されている。

 ちなみに、蓬莱さんの背中の天狗面は白だ。

 教室に入った途端に、浮き出したようだ。


(昨日までは異変が無かったのに……今夜、また魔窟に行くのか……)


 どうやって誤魔化すか、と和樹は頭を捻る。

 実は、今夜は郊外の温泉に宿泊するのだ。

 内湯付きの部屋で、予約を入れてくれたのは岸松おじさんだ。


 本名は『岸松善治よしはる』で、独身で六十五歳。

 母の母の兄で、身近な親戚と言えるのはその人だけだ。

 

 母の母――つまり祖母は母を産む前に離婚し、母が小学校に上がる前に失踪した。

 父は奈良の旧家の出身で、旅行先のこの街で母と知り合った。

 

 しかし交際を実家に反対され、大学も辞めて、この街に移住した。

 カメラマンのアシスタントとして働き始め、結婚し、一年が過ぎた頃に山岳事故で世を去った。

 訃報を実家に知らせたが、返事は無く――岸松おじさん以外の親戚とも、年賀状のやり取りをする程度の付き合いだ。



(父さん……)

 

 和樹は、ズボンのポケットに忍ばせた『醤油さし』に語り掛ける。


(どうしたらいい? 母さんに気付かれずに、魔窟に行って闘えるかな?)


 しかし、今は何の反応も返ってこない。

 だが、このタイミングでの岸松おじさんの行動は、偶然ではないと確信する。

 

 『霊能者』を名乗っているのは伊達では無い。

 若い頃に、仙人のような修験者に師事したらしい。

 『一心会』なる講和会を主催し、数十名の会員相手に勉強会を開き、相談にも乗っている。

 家から居なくなった高齢者の居場所をほぼ正確に言い当て、命を救ったこともあると聞く。


 今夜、何が起きるか分からないが――悪霊を退散させねばならない。

 左端の久住さんの背中を睨み、意を固める。




  *



  *


 


 午後六時。


 和樹と母の沙々子は、岸松おじさんの運転する自家用車で、温泉旅館を訪れた。

 大浴場は地元客で混雑している様子だが、三人は予約していた和室に通された。

 十畳の和室で、座卓が置いてあり、すでに三組の布団が敷かれている。


「どうだ。隣が内湯だ。だが風呂に入る前に、食事処で夕食を摂ろう。すき焼き御前とカニの網焼きを予約している」


 岸松おじさんはスーツのジャケットを脱ぎ、胸を張って仁王立ちする。

 身長が百八十近くあるガッシリ体型だが、よく見ると左耳の穴に小型の補聴器が差し込まれているのが分かる。


「でも、わざわざ家族風呂まで予約なさったなんて。大晦日だから、宿泊代も高かったでしょうに」


 内湯の岩風呂を見た母は申し訳なさそうに呟いたが、岸松おじさんは豪快に笑って手を振った。


「無粋な言動は禁止だ。さっちゃんは内風呂を使いなさい。私と和樹は、家族風呂に入る。まあ、内風呂の蛇口が二つあるとは知らんかった。支払いはクレカにしたし、家族風呂をキャンセルするのも面倒だ。男同士、心ゆくまで背中を流し合おうじゃないか……和樹?」


 岸松おじさんは、和樹を見て意味深に口元を引き締めた。

 和樹は、うわあ……と眉を泳がせる。


(おじさんに魔窟のことがバレてる……)


 やはり、『霊能者』の肩書きはダテでは無かった。

 たった一回の戦闘で見抜かれるとは恐るべし、だ。


(まさか、家族風呂に父さんが来るんだろうか……)


 けれど、岸松おじさんが味方に付いてくれたら心強い。

 要は、母や久住さんたちを巻き込まなければ良いのだ。


 そう思い直し、「そうですね……」と軽く笑い返し、覚悟を決めた。

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