第3章 闇、裂き誇れ

11話 剣士の矜持

 塾の特別講習の一件は、トントン拍子に進んだ。

 母に内緒で受講したかったが、保護者同伴での面接と手続きが必要だった。

 やむなく相談し、「受講費は貯金から出すよ」と告げたが、秒で却下された。


「子どもは心配しないの。あんたの高校進学の準備は出来てる」


 そう言い、仏壇の引き出しから白封筒を出し、両手でかざして見せてくれた。

 母も、岸松おじさんから心づてを渡されていたのだろう。


 

 翌日には塾の面接を経て、手続きも済ませた。

 費用の都合上、受講科目は『理科』のみとした。

 苦手な英数は捨て、国語・社会・理科で入試の点数を稼ぐ。

 面接官もそれに同意し、理科の点数をもう少し上げれば「桜南高校の合格は間違いなし」と太鼓判も貰った。


 母ともども上機嫌で塾ビルを出ようとした時。

 一階エントランスにいる、蓬莱さんとお祖母ばあさんが目に入った。

 二人はソファーに座り、受講概要を記したプリントを見ていた。


 気づいた和樹は母の手を引き、四人は和やかに挨拶を交わした。



「……では、理科と数学を受講なさいますの?」

「ええ。孫が不安だと言うので。理科は、和樹くんと一緒なのね。よろしくね」


 祖母の村崎七枝さんは、深々と頭を下げた。

 近くのクリニックの看護師で、今日は公休日とのことだった。


「私も、今日は休みなんです。うちに上がって、お茶でもいかがでしょう?」

 

 母の笑顔につられてか、村崎さんは遠慮しつつも承諾した。

 しかし、和樹は――


「母さん。実は、一戸いちのへの家に行く約束をしてるんだ」

「あら……じゃ、女子会と行きましょうね、天音ちゃん」

「はい、お邪魔させていただきます」


 蓬莱さんはペコリと会釈した。

 その笑顔は愛らしく、夢で見た乙女と瓜二つである。

 白い花のように清楚で、晴れやかに微笑む乙女――。

 

 胸と涙腺が熱くなり、思わず――手を伸ばしかけた。

 バッグを下げていたから、幸いにも不躾な真似をせずに済んだが――。

 

(……やばい。馴れ馴れしく触るとこだった……)


 我を取り戻し、同級生を見ないように、狭い雪道の先頭を歩く。

 

 十五分ほどでマンションに着き、ここで和樹は三人と別れて、路地を曲がる。

 歩いて十数分かかる一戸の家を目指して。



 

 

 一戸蓮の自宅は、北海道では珍しい瓦屋根の日本家屋である。

 書道教室が併設された邸宅で、この辺りの地主と聞いている。

 父親はパティシエで、数年前に大手スーパーにパティスリーを出店した。

 母親もそこで働いていて、祖母が家事を一手に引き受けている。


 塀に囲まれた邸宅に着くと――和樹は、一戸にメッセージを送った。

 すぐに、一戸が現れて門を開けてくれた。

 シャツに茶色のセーターを着て、濃い色のデニムを履いている。



「ナシロ、済まないな。祖父が教室を開いてる最中で」


 一戸は白い息を吐き、爽やかに微笑む。

 和樹より少し長身で、色白で首が太く筋肉質だ。

 

 彼と上野とは、小学校入学以来の付き合いだ。

 一戸とは今は違うクラスだが、そんなことで遠ざかる仲ではない。

 秀才肌で、誠実で、信頼の置ける友だ。

 

「寒いだろ? 早く入れよ」

「ありがとう。お邪魔するよ。無理を言ってゴメン」

「いや、今は稽古も休んでるし。気分転換には良い」


 

 ひそひそ声で話しつつ、二階の一戸の部屋に入る。

 六畳の和室で、勉強机と椅子・本棚・箪笥が置いてある。

 

 机には二つの湯飲み茶碗が置いてあり、勧められるままに温かな玄米茶を呑んだ。

 壁際には折り畳んだ座卓と、紺色の竹刀袋が立ててある。


 中央には新聞紙が敷かれ、竹刀本体・ペンチ・ハサミ・弦・細い革袋・ゴム手袋などが整然と並んでいる。


 一戸は新聞紙の前に正座し、壁際の竹刀袋を示した。

 

「その袋に収めてある竹刀は、夏まで使っていたものだ。手入れはしてある。これで良ければ使ってくれ」

「助かるよ!」


 一気に玄米茶を呑み干し、袋の上から竹刀に触れる。 

 二面鬼との闘い後、この世に戻っても『白鳥しろとりの剣』のことが頭から離れなかった。

 

 あの美しい剣を振ったのは、本当に自分なのか。

 霊体だからこそ可能な技だったかも知れないが、しかし納得できない。

 

 人ならぬ存在に操られていた、と考える方がしっくり来る。

 だからと言って、「僕を使って闘ってください」では駄目だ。



(今後のために……!)


 そう決心し、剣道二段の一戸から竹刀を譲り受けることにした。

 家に竹刀を構えるスペースは無い。

 だが、イメージトレーニングは出来る。

 

 ただし、一戸は譲るための条件を提示した。


「俺が竹刀を仕組むのを見て欲しい。仕組み、手入れをする。それも剣道の一部だ。竹刀に関わる職人たちに敬意を払う。大切な心構えだ」


 彼らしい条件に賛同し、こうして竹刀と向き合うことになった。



「……お願いします!」


 頭を下げると、一戸は深呼吸を繰り返した。


「では、集中して見てくれ。手順を覚えるのは無理でも、得るものはある筈だ」


 一戸は竹刀本体を持ち上げ、組み合わさった竹の表面を検分し始めた……。

 

 

 

  *



  *




 空が薄く暗くなった頃。

 和樹は、一戸宅を出た。

 贈られた竹刀袋を両腕で抱き、寒風の中を帰路に就く。


 一心不乱に竹刀を仕組む友人は、やはり凄かった。

 まさしく己との闘いであり、真剣勝負そのものだった。

 まだ志望校を決めかねているらしいが、同じ高校に進めれば、とは思う。



 やがてマンションに到着し、エントランスのポストを確認する。

 隣のポストの『久住』の字を見て、和樹は思わず微笑んだ。

 久住さんは、塾から帰宅しただろうか。

 蓬莱さんは、もう帰宅しただろう。


 (それに、今夜も父さんは来てくれる……)


 和樹は、ズボンのポケットに入っている魚の形の『醤油さし』を思う。

 父に従い、『三途の川』から引き入れた浴槽の水を収めている。

 これだけで、安心感が格段に違う。


 「剣士は『聖なる水』を装備した! 攻撃力が上がった!」


 そう呟いた時――バッグの中から着信音が聞こえた。

 竹刀袋を壁に立てかけ、スマホを確認する。


「……岸松おじさん……?」


 相手は『霊能者』を生業とする、母の伯父だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る