9話 往にし方(いにしえ)の剣士

 静かなる怒りが溢れ、剣の切っ先を下げる。

 

 倒すべき敵は、眼前の哀れな異形ではない。

 異形を動かす『宵の王』だ――。



 異形と同化された哀れな子らの、啜り泣きが風に揺れる。

 和樹は構えを崩し、歯を噛み締める。

 

 分かっている。

 目前の異形を睨んでいても、無駄に時が暮れる。

 倒さねば、蓬莱天音に危害が及ぶ。

 その前に、自分が倒されるだろう。


 異形は、足を引き摺って前進し始めた。

 背後にそびえる厚い門扉を見つめ、目測する。

 『宵の王』とやらは、その遥か奥で獲物たちを嘲笑しているのだろう――。



「……かわやに行きたいのなら、早く二面の鬼を滅するが良かろうて」

 行者は、微動だにせず呟く。

「安心せい。この爺、我が身を守る術ぐらいは使える。それとも、お主もこの結界に入るか? わしの股の下に這いつくばれ」


「……無用です」

「では、何とする? あの子らの声は、鬼の罠とは思わぬか? お主を騙して首級くび飾りをこさえる腹づもりとしたら?」


 行者が気だるく失笑した時、二面の鬼が吠えた。

 鬼の左腕が、右腕の一本をと掴む。

 鬼の右の顔が苦痛に歪み、鳴く。

 皮膚が裂け、筋が断たれ、骨が砕ける。

 鬼の直衣が真紅に染まり、腐臭が渦を巻く。


 それを正面から受け止め、身構えた。

 吐き気を催す悪臭だが、鼻を覆って隙を作っては駄目だ。

 息を止め、両手で剣を構える。


 ――不思議だ、と和樹は思った。

 緊張はしているが、恐怖は感じない。

 剣を構えるうちに、心は落ち着いた。

 何時間でも、不動を保てる気がする。



 やがて、鬼は痺れを切らした。

 棍棒と化した千切れた右腕を掲げ、すると皮膚が割れた。

 皮下の筋肉と血管が飛び出し、そこに巻きつく。

 それは次第に形を成し、棍棒の先端に――幼い兄弟の顔面が浮かび上がった。

 後頭部が結合した二つの顔は恐怖で歪み、震え、号泣している。


「うううっ……こわいよ……」

「おとうとをぶたないで……」



 痛ましい光景だが、じはしない。

 冷静に戦況を見据える。

 あの棍棒を振り回させてはいけない。

 地面に当たれば、あの兄弟の苦痛が増す。

 それでも、彼らは死ねないだろう。

 顔面が砕けても、再生させられる。



「中将!」

 行者が叫ぶ。


「行けます!」

 行者の言わんとすることを察し、即座に行動に移す。

 

 『白鳥しろとりの剣』は力を貸してくれる。

 纏った二枚のうちきは、巫女たちの手仕事による逸品だ。

 傷を癒し、纏う者を守護する力を秘めている。


 彼は、『白鳥しろとり』を斜上しゃじょうに放つ。

 放つと同時に、地を蹴る。


 動ける。

 霊体だからこそ、『白鳥しろとり』に秘められた力を使いこなせる。

 肉体の限界を超えて走り、跳べる。



 跳躍しながら、二枚のうちきを脱いだ。

 真下の鬼が、こちらを見る。

 その瞬間には、すべてが終わっていた。


 広がったうちきは綺麗に二枚に分かれ、鬼の頭と棍棒を包む。

 きつく絡みつき、兄弟の苦痛を緩和する。


 鬼の巨躯きょくを飛び越えた神名月かみなづきは、門扉を蹴った。

 跳び上がり、反回転し、屋根の軒裏のきうらくつを着く。

 そこには、放った『白鳥しろとり』が刺さっている。


 『白鳥しろとり』を引き抜き、軒裏のきうらを蹴り、真下の鬼の項に切っ先を向ける。

 そこは邪念の蜷局とぐろうごめき、中心に兄弟の御魂の儚い光がある。

 両手で柄を握り、祈りと共に邪念を刃で貫いた。


 

 異形の断末魔が枯れ野に響く。

 異形の体が八方に散り、消失し、地にはうちきと黒い短冊状の呪符が遺された。

 呪符に書かれた血文字は、兄弟の名だろう。


 行者は呪符を拾い、経を唱えた。

 が、変化は起きない。


「ふむ……わしでは、わらわたちの御魂は解放できぬな。浄化術の使い手でなくば無理だ。それに、この滅世に放っても行き場はなかろう」

「では……二人をお預かり願えますか?」


 和樹はうちきに袖を通し、剣を鞘に納める。

 行者は頷き、呪符を白い畳紙たとうしで包み、胸元に治めた。


「この爺で良ければな。心配は無用ぞ。この紙は、あの泉の水で梳いたものだ。わらわたちの御魂を護ろう」

「ありがとうございます……」


 一安心し、月を見た。

 兄弟は危機を脱し、蓬莱さんにしがみ付く腕も消えただろう。

 だが、異様な景色は変わらない。

 じゃれ合う犬たちの姿も影のままで、何も解決していない。

 


「それはそうとて……お主、このままでは危ういぞ?」


 行者は、またも長杖の先端を和樹に向けた。


「いずれは、お主の人格が消えよう」

「ええっ!?」

「先ほどの闘いで自覚せなかったか? 剣を振ったのは、剣に宿る先の持ち主の人格なるぞ。『名』を決めねば、闘う都度にお主の人格が呑まれて消える」


「そんな……」

 和樹は絶句した。

 人格云々より、『闘う都度』なる言葉にである。

 こんな闘いが、まだまだ続くのだろうか。


 『黒い呪符』を生み出した存在――

 それが、『宵の王』であるなら――

 それが、蓬莱さんを狙っているのなら――



「さて……『名』を何とする? 『メイドさん』でも『桃太郎』でも良いぞ? 本名以外の『名』を当てがえ」

「……は……」


 考え込み、半ば上の空だった和樹は、ついつい答えてしまった。

「……じゃあ、ポン酢で」

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