2話 見えない『何か』が足元にいる

 新英中学校三年二組――。


 終業式の今日も、教室の緊張感は消えない。

 冬休み後には、高校入試という一大イベントが待っている。

 クリスマスだ正月だと、浮かれている隙はないのだ。

 

 それでも、生徒全員の顔が引き締まっている訳でもない。

 多少は気を抜く者もいる。


 和樹も席に着き、周囲を見回した。

 ひと足先に教室に入った久住さんは。仲良しの大沢真澄さんと向き合っていた。

 一緒に教室に入るのは気恥ずかしく、いつしか時間差で入室するようになった。

 二人が隣人であることは、クラスメイト全員の知る所ではあるが。



「うん。お祖母ばあさまと暮らしてるんだって。それがね、女優の三木瞳ちゃんに似てるんだよ」


 久住さんは、登校時に出会った少女について話している。

 顔面から雪に突っ込む恥態を晒したが、あの後は四人一緒に登校した。


「今日から、新英中学にお世話になるんです。よろしくお願いします」

 少女はアルト気味の声で丁寧に話し、会釈した。

 ミディアムロングの艶めく髪が頬に掛かり、平安装束の少女の幻像と重なる。

 二人の少女は、目鼻立ちも双子の姉妹のように似ていた。


 

 国語や古文が得意な和樹は、平安時代の装束にも詳しい。

 頭からうちきを被ったスタイルは、平安から鎌倉時代の高貴な女性の旅装だ。


 だが、幻像の少女は何だったのかと疑問符が付く。

 転校生と瓜二つの平安朝装束の少女――

 その上、彼女の声も聞いている。

 

 少女は、確かに「中将さま」と言った。

 ある書籍には、「中将」は当時の女性たちの憧れの官位だったと書かれていた。


(はは……僕が女性の憧れねえ……)


 凡々たる我が顔を思い浮かべて苦笑し、久住さんたちに目を向けた。

 女子が二人増え、話題は冬休みの講習に切り替わっている。

 大沢さんは帯広の農業高校の推薦入試、他の三人は市内の高校の一般入試を受けるらしい。


 それとなく会話に聞き入っていると――違和感を感じた。

 自然と、床に目が吸い寄せられる。


(ん……?)


 和樹は、久住さんの足元を注視した。

 そこには何もない。

 だが、何か気配を感じる。

 何かがいる気配がする。


 眉をひそめて眺めていると、床の上の何かが動いた。

 それは机の間を通り、こちらに近付いて来る。

 見えないのに、それが分かる。


(……何だって!?)

 和樹は、椅子ごと後ろにずれる。

 ギイッと音が鳴り、後ろの席で転寝うたたねしていた男子が顔を上げた。

 

(おい、ホントに幽霊か!?)

 背筋が強張り、母の真顔が浮かぶ。

 自宅で霊を感じた時の母は、厳しい顔で部屋に戻れと言うのが常だ。


 しかし、母と違って霊感はない。

 なのに、何かが足元で立ち止まったのが分かる。

 信じがたい現象におののきつつ、足元を睨む。


 それは、足元から動かない。

 左の席の女子は単語帳を開き、後ろは座ったままウトウトしている。

 誰も異変に気付いていない。


 喉を鳴らし、前のめりになり、そろそろと足元に手を伸ばした。

 気のせいだ、何もない、何もいない――

 それを確かめよう――


 そう唱えつつ、指先を振っていると――触れた。

 見えない何かに触れた。

 それは小さくて、ほんのり温かかった。

 同時に『声』が体内を突き抜ける。



『おばさま、お花とドッグフードです。チロちゃんに……』

『ううっ……チロぉ……』

『ごめんね、昌也。母さんが、しっかり抱いていれば……』

『チロ……チロぉ……』

『母さんのせいじゃないよ。心臓が弱ってたし……寿命だったんだ』


『あの……叔父と連絡が取れました。三十分ほどで着くそうです』

『ありがとう、一戸くん。お坊さまにお経まで頂けるなんて……』

『ぜひ、ご一緒にお見送りさせてください』



「ま、さ、か……」

 記憶の扉が開き、あの日が鮮明によみがえる。

 二年前の春、上野家のペットのチロが亡くなり、放課後に弔問に行った。

 チロは小さな棺の中で、母親の手縫いの服を着て、花に埋もれていた。

 久住さんと大沢さんも大泣きし、チロは火葬車で荼毘に付されたのだった――。



「おっはよ~! ナシロくん、顔が引き攣ってるけど幽霊でも見まちたか~?」

 現れた上野は、元気よく和樹に手を振る。

 マッシュルームカットで、生まれつきのダークブラウンヘアの彼は、顔立ち華やかだった。

 右目の下に泣きぼくろがあり、カラッとした性格で女子にも人気がある。


「……いえ、みてません……」

 和樹は首を振って否定したが、上野は唇をプクッと尖らせる。

「あぁん。交際歴十年以上で、お席も並んでるのに冷たいにょ~」

 

 彼は机にスクールバッグを置き、ファー付きピーコートを後ろのハンガーラックに掛けに行く。

 

 すると――床の上のは、ジャンプした。

 上野の頭に乗り――その途端にチロの姿が浮かび上がった。

 ブラックタン&ホワイトのチワワで、黄色の首輪をしている。

 上野の頭に前足を乗せてぶら下がり、尻尾を振っている。



(……どうなってんだ……)

 和樹は口を長方形に開け、椅子に座った上野の背を見つめる。

 チロの体勢は、完全に重力を無視している。

 前足の力だけで、人の頭にぶら下がり続けるのは不可能だ。


 このまま、見ない振りをすべきか――

 悩んでいると、チャイムが鳴った。

 全員が着席し、担任と副担任が入って来た。

 二人に続き、この中学の制服姿の女生徒が続く。

 

 時期外れの転校生と思しき少女に、生徒たちはどよめく。

 二列向こうに座る久住さんが、こちらを見た。

 登校時に出会った少女である。


「ね、すっごいカワイイ人だね」

「ホントだ。三木瞳ちゃんに似てる」


 女子生徒たちはささやき、男子生徒たちは無意識にネクタイを正す。

 日直の生徒が号令をかけ、型通りの挨拶が交わされ、朝礼が始まった。


「皆さん、おはようございます。今日で二学期が終わります。ですが、今日から新しい仲間が増えました。東京から越して来た『ほうらい あまね』さんです」


 担任の野田みちる先生は、黒板に『蓬莱天音』と記した。

 蓬莱さんは粛々と一礼し、自己紹介をする。

「蓬莱天音と申します。北海道は初めてで大雪に戸惑っていますが、この学校で過ごす時間を大切にしたいと思います、よろしくお願いします」


 ただ頭を下げただけなのに、育ちの良さがにじみ出ている。

 けれど――薄幸そうな雰囲気をも和樹は感じ取っていた。

 黒目がちな瞳に、寂し気な影が見える――。


 他の生徒たちはそれに感づかないのか、無邪気に「よろしくお願いしま~す」と呼応する。


 だが……この時、和樹は驚愕した。


 蓬莱さんの右肩の後ろから、青白い大きな手がニュッと出現し、ガッシリと右肩を掴んだのである。

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