第1章 死者の国から

1話 白き花の乙女

 十二月二十三日。

 多くの学校は終業式を迎える。

 

 道路を挟んだ家々の屋根には、雪が積もっている。

 今年も、雪深い聖夜を迎えるだろう。

 


(……結露がひどいな)

 

 ほーっと息を吐き、内窓のガラスをタオルで拭く。

 窓ガラスには水滴が付着し、湿気で隅の壁紙も少しめくれている。

 

(父さん……)

 振り返り、壁際のテーブルの上の小さな仏壇に語りかける。

 仏壇の横には、若くして世を去った父の遺影が置かれている。

 遺影の父は黒縁メガネを掛け、ネイビーのスーツ姿だ。

 成人式の写真らしいが、髪型も顔も自分に似ている。

 五年後には、瓜二つになりそうだ。

 

 その姿を想像していると、隣の居間から悲鳴が聞こえた。

「和樹、レコーダー見て! 動かなくなった!」


 

 ――駆けつけると、テレビ画面にはサムネイル画像が並んでいる。

 が、リモコンボタンを押しても反応しない。


「……フリーズしたんだよ」

「どして!? 変なことしてないわよ!」

「母さん、待ってて。リセットするから」


 右往左往する母をなだめ、台所から爪楊枝を持って来る。

 レコーダー前面のふたを開け、小さな窪みを爪楊枝で突くと、画面が黒くなった。


「どうなってるの? 直るの!?」

「もう少し待ってから再起動してみるよ。それより、時間は大丈夫?」


 壁の時計を見ると、午前七時四十五分だ。

 母は慌ててダウンコートを着込み、玄関に走る。


「十二時のワイドショー録画してね! マキナくんたちのインタが流れるから!」

「うん。転ばないように気を付けてね。除雪車が入ってないみたいだから」

「あんたも遅刻しないでよ!」


 

 ――母は玄関を飛び出し、家の中は静まり返る。

 立ち上がったレコーダーを確認すると、録画済みの番組は無事だった。

 手際よく、ワイドショーの録画予約をする。

 母の推しが所属する、アイドルグループのインタビューが流れる予定なのだ。


「これで良し……!」


 ついでに夕方の情報番組も予約し、ストーブを消す。

 ダウンジャケットに袖を通し、スクールバッグを肩に引っ掛け、家を出る。

 鍵を掛けてから――表札を見た。


 『神無代かみむしろ裕樹ひろき・沙々子・和樹』と記されている。


 亡き父の名も並んでいるのは、防犯のためだ。

 オートロックのマンションだが、油断は禁物だ。

 

「じゃあ、行って来るよ」

 刻まれた父の名に話し掛け、向かい合わせの隣家の玄関チャイムを鳴らす。



「はーい」

 インターホンから応答があった。

 『久住くすみなお・美晴・千佳』と書かれた表札の下には、『ミゾレ』と書かれた真新しい猫型プレートも貼ってある。


 ポケットに手を入れて待っていると――黒い分厚いドアが開いた。


「ナシロくん、おはよう!」

 クラスメイトの久住さんは、変わらぬ笑顔で出て来た。

 紺色のダッフルコートの襟に巻いた薄小豆あずき色のマフラーに、肩の長さの髪がはらりと垂れている。


「久住さん、おはよう。おばさんは?」

「ミゾレにゴハンあげてるとこ。挨拶はいいよ、行こう」


 久住さんはドアを閉め、エレベーターのボタンを押した。


 六〇三号室が久住家、六〇四号室が神無代かみむしろ家だ。

 両家の玄関前の踊り場前にエレベーターがある構造で、二人はいつも一緒に登校している。



「ねえ。昨日、桜南さくらみなみの新制服が発表されたね。派手目だけど可愛い」

「うん。男子は何人ぐらい入るかな」


 受験する高校の制服を見て、二人の胸は高鳴っている。

 

 道立桜南さくらみなみ高等学校は女子高だったが、来年度から男女共学になり、制服も一新されるのだ。

 ホームページ上に掲載された新制服は、ベージュ色のブレザーに茶色のチェック柄のズボンとスカート。

 インナーは、スタンドカラーの白シャツで、街中では目立つデザインとなる。


「あの制服、着れたらいいよね」

「うん。合格したいな。僕は英数はダメだけど、他で何とか」

「期末の国語は、九十八点いったんでしょ? すごいよ」

「そうかな……」


 久住さんの言葉に、胸がポッと熱くなる。

 何よりも、「あの制服、着れたらいいよね」に心臓が射抜かれた。

 頭の中では「あの制服、二人で着れたらいいよね」に変換されている。



「そうだ。おばさま、夕方の番組に出るんだよね」

「職場に中継は入るけど、映るかどうかは分からないよ。でも、上野と一戸いちのへ以外には内緒だよ」

「はーい」


 久住さんは、右手を上げて無邪気に笑った。

 母の沙々子は、市内中心部の『占いの館』で占い師として勤務している。

 芸名は『岸川沙都子』で、高松塚古墳の壁画の女性のような衣装に、クレオパトラ風メイクが特徴だ。

 本人も霊感が強めなので、天職なのだろう。


 その『占いの館』に、地元テレビ局の生中継が入るのだ。

 クリスマス前なので、『カップルにお勧めの恋占い特集』が放送されるらしい。


 

「……雪、降って来たね」

 マンションの玄関を出ると、雪がチラついていた。

 久住さんはフードを被り、和樹はイヤーマフを掛け直す。

 風は強くないし、髪が濡れるほどではない。


 しかし昨夜の大雪で、歩道が雪で埋まっていた。

 かろうじて、一人が通れるだけの細い道が出来ている。


「僕が先を行くよ」

 和樹は小股で歩き出す。

 久住さんのために、前を歩いて雪を掻き分けるのは当然だ。


 が――言った矢先に、災いは訪れた。

 積雪の下に、雪の固まりが隠れていたようだ。

 それを踏んでバランスを崩し、顔面から雪に突っ込む。



「ナシロくん!?」

 頭上から、久住さんの声が響く。


「……平気だよ……」

 手を突っ張り、四つん這いの姿勢から上体を起こした。

 心配そうな久住さんの顔が、すぐ後ろにある。


 けれど――彼女の後ろにも、少女がいた。

 碧い傘を差した少女で、白い厚手のコートを着ている。


 無意識に顔を確かめようとした瞬間――周囲の景色が跳んだ。





 降る雪は、白い花びらに変わる。

 白い花びらは、巨樹の枝から落ちているようだ。

 天に伸びる枝は太く長く、葉は隙間なく茂り、幽玄なシルエットを描いている。


「……え……?」


 瞬きを繰り返し、顔を上げた。

 巨樹の頭上には、金色こんじきを帯びた月が浮かんでいる。

 それは大きく、巨樹の背後の夜空は艶やかな群青色だ。

 


「……中将さま……」


 澄んだ美しい声が、耳に触れる。

 体の内から、花の香りが溢れる。


 視線を下げると、巨樹のふもとに少女がいた。


 少女は、明るい瑠璃色の着物を頭から被っている。

 その下には山吹色と紅梅色の衣を重ね、長い黒髪が胸に垂れている。

 それは、平安時代の女性の装束と髪型を思わせた。


 その美しい姿は痛いほどに懐かしく、目尻が熱く緩む。

 

 高貴なる身分の少女は、紛れなく……

 けれど、触れることも叶わぬまま……

 



「……ナシロくん、大丈夫?」

 久住さんは手袋を脱いで、頬の雪を払ってくれた。


「うん、大丈夫だよ。びっくりさせてゴメン」

 サッと姿勢を正し、全身の雪を払う。


 この時――ようやく、久住さんの背後の人影を確かめる余裕が出来た。

 碧い傘の少女の後ろには、臙脂えんじ色の傘を差す女性がいた。

 二人とも、目の前のアクシデントに目を丸くしている。


 道を塞ぐ形になった和樹は、「すみませんっ」とイヤーマフを外して頭を下げた。

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