第11話 前王妃の微笑み

カザヤ様とはそのまま厩の前で別れた。

さっきのことには一度も触れられていない。私もどういう顔をしていいのかわからず、ずっと俯いたままだ。

別れ際にカザヤ様は私の髪をそっと撫でた。


「じゃぁまたな」


その触り方が勘違いしそうになるくらいに優しくて余計に戸惑ってしまう。もっと触れてほしいなんて思うなんて、私はなんてはしたないんだろう。

名残惜しいだなんて……。


「はい……。ではまた」


自分の気持ちを飲み込んで、私は軽く微笑んだ。


当然、その日の夜は寝ることが出来なかった。何度も何度も唇を撫でる。

かすめる様な風のようなキス。目を丸くした私にカザヤ様は優しい瞳で見つめてくれた。

白昼夢のような、でも現実だ。


「どうしてあんなこと……」


自分の気持ちは不純物だと、見て見ぬふりをしようとしていたのにそれを思いっきり腕を引かれて押しとどめられたような気がする。


カザヤ様は落ち込んでいた私を元気づけるためにあんなことをしたのだろうか?

それとも、癒しの存在だったからキスで癒されたかった? カザヤ様にとっては挨拶代わりのようなものなのだろうか?


考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐるする。

こんなんでシュウ前王妃の治療の役に立てるのだろうか。


「仕事に身が入らないよ~」


半泣きで枕にしがみついた。



翌週。

仕事をしていると、さっそくシュウ前王妃の専属医師の使いが処方箋をもってやってきた。

内容を見て首をかしげる。


痛み止めか……。この薬なら棚にストックがある。

新たに作る必要はないだろう。

しかし痛み止めが欲しいということはどこかお体に痛みがあるということ。

専属医師からは何も説明がないし、詮索はしたくないけれど……。お体の調子が良くはないのだろうか。


先日、薬師室へ来たシュウ前王妃を思い出す。

特に不調そうな様子は感じられなかったが……。


「余計なことを考えるのは止めよう……」


私は薬棚から処方分をもってシュウ前王妃の元へと向かった。


シュウ前王妃のいる宮は、王宮敷地の北側にある。カザヤ様がいる宮が南東なので意図的に離したのだろうかと思うほど距離があった。


私たちがいる薬師部屋からも少し遠い。

私は迷わないよう、渡された地図をもとにシュウ前王妃の元へと急いだ。


宮の扉の前で身分を明かすカードを見せると話が通っていたようで、衛兵一人を伴いシュウ前王妃の部屋へ案内される。

カザヤ様の宮とは違い、女性の侍女があちこちで仕事をしていた。


奥まで案内され、大きな扉の前に立つ。ゆっくりと三回ノックした。


「シュウ前王妃様。薬師ラナでございます。お薬を届けに参りました」


そう一言声をかけると、扉が開く。

顔を見せたのはシュウ前王妃ではなく侍女だった。侍女に促され室内へ入る。香水のような花のような良い香りがした。


「ラナ。早かったわね。ありがとう」


シュウ前王妃が微笑みながら向かってくる。

礼を取り、手元の薬籠から処方分を手渡した。


「頓服として処方されておりますので、痛みがある時にお飲みください。シランという少し強めの薬草が使われておりますので、薬を飲む間隔は5時間ほどお開け下さい」

「わかったわ」


シュウ前王妃は薬を棚に置くと、私を振り返った。


「ラナ、少しお茶をしていかない? 話し相手がいなくて暇していたの」


そう聞きながらすでに侍女に指示して紅茶を入れ始めている。断れる雰囲気ではない。内心軽くため息をつきながら、私は恭しく頭を下げた。


「ありがとうございます。光栄でございます」

「こちらへ座って」


促されるまま、窓際の椅子へと腰掛けた。

向かいにはシュウ前王妃が座る。そして侍女がそれぞれに紅茶を出してくれた。


「どうぞ」

「いただきます」


進められたので、一口紅茶を口に含む。


ん……? これは……。


微かに苦みを感じた。

私はまたカップに手を付けていないシュウ前王妃に言った。


「シュウ前王妃様、これを飲んではなりません」


私を見つめていたシュウ前王妃が、器用に片眉を上げて「なぜ?」と聞き返す。

その表情はどこか余裕を感じる。


「紅茶から微かに苦みを感じました。舌がほんの少しピリピリします。私は多少なりとも耐性があるので大したことはありませんが、シュウ前王妃様が飲んで良いものではございません」


私のきっぱりとした口調にシュウ前王妃は一瞬目を細めると軽く手を上げた。入口に控えていた衛兵が紅茶を入れた侍女をとらえる。

侍女は真っ青になりながらカタカタと震えていた。


「この者は先月私付きになったばかりですの。時々視線が鋭かったから注意していたのだけどね……」


シュウ前王妃は立ち上がると、紅茶のポットを開けた。私もその手元を覗き込む。紅茶の茶葉に紛れて違う葉が混入していた。

しかしこれは知識のある者でなければ見分けはつかないだろう。


「この葉はしびれや麻痺を起こさせる毒葉です。少量なら大したことはありませんが、大量にまたは毎日のように摂取し続けると神経に影響が現れます。紅茶の葉に紛れるとそれとはわかりにくいですが……」


私はその葉を手に取って眺めた。そして捕らえられた侍女を振り返る。


「どこで手に入れましたか? ここら辺では取れない葉です。もっと南東の地域でないと」


私の疑問に侍女は震えた。


「答えよ」


シュウ前王妃の鋭い声にビクッと体を震わせると、ポツリポツリと話だした。


「南東出身なので手に入りやすい環境におりました。……昔、王妃が視察の際に、私の村の特産だったフルーツを一口食べてまずいとお仰いました。それ以降、その食べ物はまずいものだと噂され、私たちの村はそのフルーツが作れなくなり廃れて貧しい村に成り下がりました。今ではもう日々の暮らしだけで精一杯です……」


侍女は震えながらも悔しそうに唇を噛む。


「許せなかったんです。あのフルーツは本当に美味しいもの。王妃が気に入らなかっただけで、あんなことになるなんて……。だから王妃付き侍女になれた時、復讐しようと考えました。でも殺すつもりはありませんでした! 少し体調を崩すくらいなら大丈夫だと思って……」


私は横目でちらりとシュウ前王妃を見た。

シュウ前王妃はその傍若無人な振る舞いで、オウガ様が産まれて第一王妃が亡くなられた後なんかは、特に公務の視察の際などはやりたい放題だったと聞いたことがある。

その日の体調や気分によって食べ物や商品の良しあしが変わるのだ。

一時、名産を作る地域ではシュウ前王妃に戦々恐々をしていたと聞いたことがある。

この侍女はその犠牲者でもあるのだろう。


私はこの場で彼女に何か声をかけられる立場にいない。

黙って控えていると、シュウ前王妃は軽いため息をついた。


「復讐? この私に? あなた面白いことをするのね」


その声はとても冷たい響きを含ませていた。

目も顔も冷たい。今すぐ目の前で侍女が切られてもおかしくないほど、空気が張り詰めていた。


「まぁいいわ。あなたにはもう二度と会うことはないのだから」


鬱陶しそうに手を払う仕草をすると、衛兵は侍女を引きずるようにして部屋を出て行った。

侍女の言葉は何もない。

彼女が去って行った方を見つめた。

未遂とはいえ、前王妃に毒を盛った罪は重い。

シュウ前王妃は手を叩き、他の侍女を呼びつけて紅茶を入れなおさせる。古参の侍女なのか、表情一つ変えずに準備をしていた。


「全く、せっかくのお茶の時間が台無しよね」


そう話す前王妃の目は笑っていない。

どこか私を探るような目だ。私がどこまで気が付いているのか知りたいのだろう。


「ラナ、怒っている?」

「とんでもございません。シュウ前王妃様は先ほどの侍女が紅茶を入れるタイミングで、私を呼びよせたんですよね? 紅茶に毒が入っているか確かめさせるために」


侍女が青い顔をして震えた時、シュウ前王妃の意図が良く分かったのだ。

薬師なら多少の毒の耐性はあるということは知っていたのだろう。だからこそ、彼女のすることを黙って見ながら私に捕らえるきっかけを作らせたのだ。


「えぇ、そうよ。ダメだったかしら?」


悪びれることなく微笑む。


「いいえ。シュウ前王妃様のお体を守ることができて光栄でございます」


本来なら王族の食べ物は毒見役の人間がいる。

しかし侍女など近しい人間が企むと、いつどこで毒が入るかわからない。だからこそ、本当に信が置ける人間しか側に置けないのだ。

そして新しい侍女の彼女が来た頃から不穏だった。だから、新しい専任薬師を得たことでその薬師を試してみようと考えたのだろう。


「はぁ~あ、また新しい替えを見つけなきゃ」


まるで侍女を使い捨てのコマのような言い方をする。一瞬不快感がよぎるが、もちろんそれは顔に出すことはない。


「シュウ前王妃様、もしかして以前からあの侍女に毒を盛られていましたか? だからお体に痛みが? そのための痛み止めですか?」


そう聞くと、シュウ前王妃は可笑しそうに笑った。


「違うわ。毒を盛られたのは今回が初めてよ。痛み止めは、もう年だからあちこち体に痛みが走りやすいの。そのための薬よ」


さっきの冷酷は顔とは打って変わって朗らかな表情を見せる。

この違いに背中がうすら寒くなる気がした。


「さぁ、飲みなさい。今度は何も入っていないわ」


そう促されて、目の前に出された紅茶をゆっくりと口に含んだ。



その日、薬師室に戻ったのはかなり遅くなってからで、カザヤ様のお部屋に向かう時間はとっくに過ぎていた。

ホッとした気持ちと残念な気持ちが入り混じる。

どんな顔をして会えばいいのかわからない。でも半面、会えなかったことが残念でたまらない。自分の複雑な気持ちにため息をつきながら、残った仕事を片付けた。


それから、シュウ前王妃は午後や夕方の時間に私を呼びつけた。処方がない日も、従者が来て私を呼ぶのだ。

内容は正直どうでもいいことばかり。例えば、毒のある食べ物や植物の話。薬品も使い方や調合によって薬にも毒にもなること。

オウガ様の頃の幼い頃の話や私の子供の頃の話。侍女や使用人の面白い話など、他愛のないことばかりだった。


正直、そんな話は私でなくてもいい。

でもシュウ前王妃は私を指名してくる。専属薬師という名の下で、単に話し相手が欲しいだけなのだろうか……。


私は10日もカザヤ様と会っていなかった。


この日もシュウ前王妃の話に付き合っていたら、辺りはすっかり暗くなっていた。暗くなってから帰るのが当然となっている。

この日もまた、時計を見るとシュウ前王妃が声を上げた。


「あぁ、もうこんな時間ね。就業時間がとっくに過ぎているわ」


初めて気が付いたかのように言う。

でも、実はそれがわざとだと私は気が付いていた。遅くまで相手してくれる人が欲しいのだろう。そう思っていたから……。


「ではシュウ前王妃、今日はこの辺で失礼いたします」

「えぇ……。ねぇラナ。いつもこんな時間まで引き留めて迷惑かしら?」


この日、初めてそう聞かれた。

雑談も疲れると、こっそり心の中でため息をついたのがばれたのだろうかとギクリとする。前王妃はいつものように微笑みを浮かべながらも、その目は私を真っすぐに見つめてきた。

人をとらえて離そうとはしない、捕食者の目のようだと感じた。


「ご迷惑だなんて……。そんなこと思ってはおりません」

「そう? でも私のところへ来るとカザヤ様には会えないでしょう? 寂しいんじゃないかしらと思って」


シレっとそう言われて、言葉を失った。

冷たいものを浴びせられたような気分だ。きっと私は目を丸くしているのだろう。


「なぜ……」


かろうじて出た言葉に、シュウ前王妃はにこっと微笑んだ。


「私は何でも知っているのよ。あなたがカザヤ様の専任薬師をしていたことや、国王になってからは毎日のように仕事終わりに部屋へ通っていることとか」


何も言えなかった。

実はこのことは一部の人間しか知らされていない。きっとその一部の人間から、前王妃に情報がもたらされたのだろう。

カザヤ様とシュウ前王妃の関係からして、これは好意的にとらえていい話ではないような気がしてしまった。

何も言えずにいると、シュウ前王妃は「あら」と首をかしげた。


「そんな顔をしなくていいのよ、ラナ。カザヤ様があなたにご執心な「だけ」というのはよくわかっているわ。あなたも大変な人に好かれたものね」


同情的に話すシュウ前王妃に曖昧に微笑む。

カザヤ様は私にご執心というわけではない。もし仮にそうだとして、ではシュウ前王妃のこれはカザヤ様に対する嫌がらせなのだろうか。

現国王と第一王子の母……。

以前のカザヤ様の口ぶりからして良好なわけはないのだから、私を使った嫌がらせ位するのかもしれない。


「面白くないという顔ね」

「そんなことは……」

「もしかしてあなたもカザヤ様を?」


そう問われて、咄嗟に首を横に振る。


「そうよね。相手は国王陛下だものね」


牽制されている。

そう感じた。カザヤ様には近づくな。そう言われている気がしてならなかった。


「ではまたね、ラナ」


シュウ前王妃の微笑みに追い出されるようにして部屋を出た。


あちらこちらから牽制されている気がする。

そうさせるくらいに私の気持ちが駄々洩れなのだろうか……?

部屋に帰る途中、そんなことを考えながら首をひねる。みんな私とカザヤ様が特別な距離になることが面白くない様子だ。


はぁぁと自然と重いため息が出る。


そうして使用人の塔が立ち並ぶエリアに来た。

侍女は東塔、私のいる薬師部屋の職員の塔は南塔など部署や役所ごとに区分けされていた。その塔まであと少しと言う時だった。


突然、物陰から腕を強くひかれた。



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