第10話 突然の出来事

翌朝。

いつも通り薬師室へ行くと、珍しくディア薬師長がすでに出勤していた。そして私を見るとちょいちょいと手招きをする。


なんだろう?

呼び出されるような心当たりがなく、首をかしげながらディア薬師長の部屋へと入った。


「失礼いたします。お呼びでしょうか?」

「おはよう、ラナ。君にちょっと話があってね」


眼鏡の奥で切れ長の瞳が私をとらえる。肩で切りそろえられた髪をかき上げた。きりっとした格好のいかにも出来る雰囲気の薬師長は、デスクの書類に目を落としながらそう言った。


話って?


どこか言いにくそうにするディア薬師長は、ハァと一つため息を落としてから顔を上げた。


「配置換え命令よ。あなたを国王陛下付き薬師から、第二王妃様付き薬師へと配属替えにする」

「え……」


突然の話に言葉を失う。

国王付き薬師から第二王妃付き薬師へ……? それってつまり、カザヤ様の専属薬師ではなくなるということよね?

胸がドクっと不穏に鳴る。


「ど、どうしてでしょうか? そんな突然……。私、何かしましたか?」


頭によぎったのは昨晩のバルガだ。

バルガが私の気持ちを読み取り、カザヤ様の側に置けないと判断したのだろうか。だから配置換えなどをいいだしたのだろうか。


私の不安そうな顔を見たディア薬師長は軽く首を振った。


「ラナが何かしたということではない。少し前、第二王妃様から打診があったらしいわ。医療部門大臣がその話を受け、私に相談してきたの」


医療部門大臣は医師や薬師などを束ねる長だ。

ということは、バルガが何か言ったわけではないのね。少しホッとしつつも、がっかりした気分のままだ。


カザヤ様の専属薬師ではなくなるのね……。

それが何より残念だった。


「カザヤ様はもう健康体と証明されたでしょう? 今後、もしお体に何かあればラナを呼ぶこともあるかもしれないけれど、今までのように毎日薬を届ける必要はない。必要な時だけってことね。それよりも、第二王妃様のご体調を気にしてほしいらしいわ」

「第二王妃様……。シュウ第二妃はどこかお加減でも悪いのでしょうか?」


そう尋ねると、ディア薬師長は声を潜めた。


「どこがというわけではないようだけど、ここ最近体調がすぐれないらしいの。専属薬師がいることで安心したいのかもしれないけどね。全く、うちもそんなに暇じゃないんだけどねぇ」


ディア薬師長はどこかうんざりしたように呟いた。

すると、薬師長室の扉が叩かれる。同僚薬師が顔を出したが、目に見えて焦っていた。


「お話し中、申し訳ありません。薬師長、あの……」

「どうした?」

「だ、第二王妃様がこちらにいらっしゃっています!」


第二王妃が!?

思わずディア薬師長と目を合わせる。


すると、第二王妃の侍従や侍女が部屋に入ってきた。そしてその後ろには第二王妃の姿があった。

第二王妃は年の頃なら40代後半。白い肌に黒々とした髪。切れ長の瞳に、スラッとした手足。赤いドレスに身を包んでいるが、それが良く似合っており美しい美姫である。


若い頃ならもっと美しかっただろう。

この方があの第二王子オウガ様の母親とは想像がつかない。前国王からも想像できないので、一部噂ではオウガ様は国王の息子ではないのではとも言われるほどだ。


私と薬師長は慌ててその場で膝をついて礼を取る。


「仕事中、ごめんなさいね」


第二王妃は凛とした声でそう詫びた。


「とんでもございません。王妃様直々にこのような場所に足をお運びいただき、ありがとうございます」


ディア薬師長がそう話すと、第二王妃から苦笑が漏れた。


「‘前’王妃よ。名前で呼ばれた方が嬉しいわ。それよりも、私はこちらのラナに話があってきたのよ」


この国は前王妃、第二王妃、第二王子など前や数字でその称号を表す。前国王が崩御されたので、第二王妃は第二前王妃となる。

ちなみに、オウガ様は王位継承順位からして第一王子となる。


「ラナでございますか」


ディア薬師長は意味ありげに私に視線をよこした。きっと今話していたことだろうと予想が付く。


「ラナでございます。御用とはいったい何でしょうか?」

「薬師長から聞いたかと思うけれど、来週からあなたを私の専属薬師任命いたします。急でごめんなさいね。でも国王陛下の病に尽力した薬師だと聞いたので、ぜひと思って」


カザヤ様の病に尽力したと言われても、実際は病ではなかったが……。


シュウ前王妃がどこまで把握しているかわからないので、しかしそこはあえて何も突っ込むことはしない。現に、今王宮内ではカザヤ様は病ではなかったという者と、病から回復したという者と二分されているのだから。


カザヤ様は好きに噂させていて、肯定も否定もしないことをいいことにみんな好き勝手言っている。

シュウ前王妃は私が病に尽力したと思っているから指名してきたようだ。


「恐れ多いお言葉でございます。私は医師の指示のもと、薬を届けに行っていただけでございます」

「そうかしら? カザヤ様はあなたが毎日訪問してくれることで、精神的な安定も図られたと聞いたわ。あなたには癒す力があるのではなくて?」

「とんでもございません」

「謙遜ね。カザヤ様があなたを気に入っていたからというのも大きいのかしら」


ふわりと微笑むシュウ前王妃は含むいい方をした。


「あなたもカザヤ様に薬を届けることは苦痛ではなかったのでしょう?」

「もちろんでございます。とても名誉あることだと思っております」

「では、あなたもカザヤ様に好意があるのね」


‘あなたも’?

誰を差しているのだろう。

私はドキッとしながらも首を横にブンブンと降った。


「何をおっしゃいますか! 恐れ多いことでございます!」

「そう? ふふふ」


否定する私を楽しそうに見てくる。

口調は穏やかなのに、その目はしっかりと私をとらえてくる。視線に隙がない。私は背中に嫌な汗をかいた。


正直、シュウ前王妃が怖いと感じる。

前王妃としても威厳や佇まいだけではなく、何を考えているかわからない、でも私をとらえて離そうとはしない蛇のような瞳だと感じた。


「顔が赤いようだけど、そういうことにしておきましょう。話を戻すわ。その優秀なあなたに私の専属を命じます。最近体調を崩すことが多くてね。医師から頻繁に薬を出してもらうようにしたの。次期に私付きの医師から調合の任が下ると思うわ。どうぞよろしくね」


シュウ前王妃は言うだけ言うと、侍従や侍女を従えて帰って行った。

わざわざここまで直接言いに来たということは、私に迷いや断る権利を与えないように直接の命令をしに来たのだろう。

シュウ前王妃が出て行くと、私とディア薬師長は大きなため息をついて床にへたり込んだ。


「驚いたわね……。さすが前王妃。迫力が違うわ」

「そうですね。なんだか少し怖かったです」


正直にそう言うと、ディア薬師長は私を振り返った。


「ラナ、カザヤ様が好きなの?」

「えぇ!?」


直接的な表現で聞かれて、私は目を丸くする。今のやり取りでそう思ったのだろう。

薬師長は笑いながら立つと席へ着いた。


「あなたの気持ちは否定しないけど、相手が相手だからね。色々と障害は大きそうね」

「ご、誤解です! 確かにカザヤ様は素敵なお方ですけど、国王陛下にそんな気持ちを抱くなど不敬にあたってしまいます!」

「そうかしら? 思うだけなら自由よ」


サラッと返されて、思わず言葉に詰まる。


思うだけなら自由……。

叶わぬ思いでも、一方的に抱くだけなら自由なのだろうか。でも、昨日バルガにああいった手前、素直に認めることが出来なかった。


「本当に誤解です。私の気持ちは憧れなんです。では、ご命令通り、来週からシュウ前王妃様の専属となります。度々薬師室を離れることはあると思いますが、研究やその他の仕事は今まで通りこなしますのでよろしくお願いいたします」

「わかったわ。無理しない程度に頑張って」


そう励まされ、一礼してから部屋を出る。

なんだか気落ちした気分で席に戻ると、マリア先輩がそっと近寄ってきた。


「どうしたの? さっきシュウ前王妃様が薬師室に来てみんなびっくりだったわよ。何があったの?」

「来週からシュウ前王妃付きになりました」

「えっ!? じゃぁカザヤ様付きは?」

「必要な時だけということだそうです。つまり、専属ではなくなったようですね」


マリア先輩は目を丸くしてぱちぱちと瞬きをする。


「へぇ……。本当、ラナって凄いわね」


感心したように話す。


「王族専属なんて珍しくはないけど、気に入られ方が違うのよね。まぁそれだけあなたは有能だし、調合も的確だし薬師としては右に出る者も少ないから当然っていえば当然だろうけど」


嫉妬するわけでも嫌味を言うわけでも揶揄するわけでもなく、ただただ感心した口調のマリア先輩に曖昧に笑顔を返す。

褒めてもらっているのだろうけど、素直に受け入れられない。


シュウ前王妃の瞳を思い出す。

顔は笑っているのに、目は笑っていなかった。口調は穏やかなのに、どこか拘束力のある声。直接話をしたのは今回が初めてだが、私はシュウ前王妃が苦手だと感じてしまった。


なにより……。

私はカザヤ様の部屋の襲撃を思い出す。

カザヤ様が国王に就任する前に、その息の根を止めようと大勢に襲撃された。それを命令し、カザヤ様を殺そうとしていたのがもしかしたらあのシュウ前王妃かもしれない。


「いや……、でも証拠がないって言っていたし……」


あの日の襲撃はだれの指示なのか最後までわからなかったと聞いた。

シュウ前王妃なのかオウガ様なのか……。

どちらにしろ、シュウ前王妃は油断ならないお人かもしれない。

そう思った。


週末、仕事が休みだった私はカザヤ様に息抜きで外に出かけないかと誘われた。

たぶん、前日カザヤ様にシュウ前王妃付きになったことをどう話したらよいか迷い、元気がなかったため気を遣ってもらったのだと思う。

ついに言うことが出来ず、部屋に帰ろうとしたところ「明日の週末、少し外に出ないか?」と提案されたのだ。

いつも部屋ばかりだからたまには外へ出よう、と。

しかもいつものように夜会うのではなく、日中にと言われた。


「まるでデートのようだわ……」


自室のクローゼットを前に思わず呟くと、自分の考えに赤面する。


「な、何をバカなことを考えているのよ私は!」


浅ましい考えを払いのけ、私はクローゼットから動きやすいワンピースの服と靴を取り出した。

ゴテゴテのドレスで気合を入れすぎるのも恥ずかしい。派手過ぎず、地味過ぎず出しゃばりすぎないほど良いものを選んだつもりだ。


カザヤ様に言われた通り、厩へ行くとすでにカザヤ様が馬の手入れをしていた。

黒い大きな馬だ。

毛並みがつやつやしていてとても綺麗。


「綺麗な馬……」

「来たか。こいつは俺の馬だ。ジャルガという」


愛馬を撫でながら名前を教えてくれた。

気楽に話をするカザヤ様も、シャツにズボンというシンプルなスタイルだ。腰に剣は差してあるが、ラフなスタイルだった。気合入れすぎなくてよかったとホッとする。


「馬に乗ろうと思うんだけど、乗馬の経験はあるか?」

「はい。幼い頃に何度か乗ったことがあります」

「じゃぁそこまで心配いらないな」


カザヤ様は馬にひょいっと乗ると、私の腕を掴んで軽々と持ち上げた。


「きゃぁ!」


思っていた乗り方と違い、思わず声が上がる。

カザヤ様の体の前に私が乗せられる。後ろから手綱を引かれ、背中にぴったりとカザヤ様の胸板がくっつく。体の熱を感じた。


どうしよう……。今すぐ飛び降りたいくらいにドキドキしているわ。


顔が見えなくてよかった。

きっと驚くほど真っ赤だろう。密着する体が熱い。心臓の音が聞こえてしまいそうで困ってしまう。


「大丈夫か、ラナ?」

「は、はいっ! ご心配なく!」


声が上ずってしまい、後ろで小さく苦笑が聞こえた気がした。

その息遣いすら、もうどうしていいのかわからなくなる。


ゆっくりと馬を歩かせ、私たちは王宮の裏にある森を抜ける。初めて通った森だが、いろんな薬草がありそうだなと思った。

きっと採集者たちが手を入れているだろうけれど、自分の目で確かめてみたいという好奇心も湧き上がる。


森は王宮を守る様にあり、そこを抜けると大きく綺麗な湖があった。


「凄い……、とても綺麗」


水が透き通っており、湖面は太陽の光でキラキラと輝いている。

あまりの美しさに目を奪われた。


「綺麗だろう。ここは王宮の敷地内にあっても、あの森を抜けなくてはならないからめったに人は来ない」


馬から降ろされた私はそっと湖に近づく。

覗き込むと自分の顔が良く見えるくらいに透明度が高かった。


「こんなに綺麗な湖は初めて見ました!」


嬉しくなって満面の笑みで振り返ると、カザヤ様は満足そうに微笑んだ。


「元気が出たか?」

「え……」


カザヤ様は私の隣の芝生に腰を下ろす。私も同じように隣に座った。


「昨日、部屋に来た時浮かない顔をしていただろう? 何かあったのかと思って」


気が付いていたのか。

笑顔を作っていつも通り装っていたつもりなんだけど、カザヤ様の目は誤魔化せなかったようだ。


「仕事で……、いろいろとあって……」

「第二前王妃付きの話か?」


穏やかにそう問われ、はっと目を見開く。


「今朝の朝議で、決定事項として話があった。人事については各部署に任せているからな。よっぽどでない限り、俺は口を出さない」


ということは、やはりあの決定は覆せないということか。

カザヤ様はそれでよいのだろうか?


「カザヤ様専任ではなくなりました。カザヤ様はもうご健康だから、専任薬師は必要ないと。必要な時だけ、治療に当たればよいということらしいです」

「で、シュウ前王妃付きか……」


カザヤ様は顎に手を当ててどこか遠い目をする。


「お体の調子が良くないと伺いました。どのような頻度で呼び出されるかはわかりませんが、回数は多そうです。もしかしたら今までのように、仕事終わりにカザヤ様の部屋へ行くのは難しくなるかもしれません」


今までは定時で終わり、その足でカザヤ様のところへ行っていた。

しかし、それもどうなるかはわからない。それはわかっている様で、カザヤ様は難しい顔をしながらも小さく頷いた。


「わかった。そんな顔をしなくても大丈夫だ。第二前王妃はお前に何かしたりはしない。悪い人ではないと俺は思うんだ」

「でも、カザヤ様の部屋に襲撃を命令したのはシュウ前王妃の可能性もあるんですよね?」


そんな話をしていた。

そんな恐ろしいことをする人が悪い人でないとは思えない。

しかし、カザヤ様は苦笑した。


「証拠がないから何とも言えないな。第二前王妃はそれをやるだけの動機があるということは確かだ。可能性の一部として安心しきれる人ではない。ただそれは、あくまで俺にとってのだ。お前は違うだろう? どんな人に対しても警戒は怠るな。でも必要以上に毛を逆立てなくてもいい」


そう言いながらカザヤ様は私の頭をそっと撫でた。

まるで私、猫みたいじゃないの。

そう思ったがもちろん口には出さない。


「何かあったらすぐに俺に報告しろ。俺が付いているから心配いらない。お前はちゃんと職務を全うすればいいんだ」


優しい声でそう言われ、私は不安だった気持ちが少し軽くなるのを感じた。


「はい、わかりました」


コクッと頷くと「でもなぁ」と軽い口調でカザヤ様が呟く。


「ラナが部屋に来ないのは寂しいな。俺の癒し時間だったのに」


口角をあげて笑うカザヤ様に赤面する。


「何をおっしゃいますか! 冗談はお止めください。カザヤ様は本当、お口がお上手なんだから……」

「冗談ではないんだけどな……」


カザヤ様は低い声で呟くと、そっと私に顔を近づけた。

そしてほんの一瞬、私の唇にカザヤ様の唇がかすめた。まるで風が触れたかのように……。


一瞬の出来事に何が起きたのかわからず、キョトンとしていると、カザヤ様は立ち上がり「戻ろうか」と手を差し伸べてきた。

その手を取って、来た時のように馬に乗せられる。


その間、ずっと考えていた。


今、いったい何が起こった?

幻? 幻覚? 妄想?


カザヤ様の普通の態度に、私は白昼夢でも見ているのかと思った。



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