厄介な幼馴染と面倒な幼馴染


1-3


 僕は鳥辺野家について思いをめぐらせる。

 もしも『鳥辺野家の秘密』という本が出版されたとして、僕が知っているのは冒頭三ページにも満たないだろう。

 鳥辺野という言葉から京の人間が連想するのは、火葬場、埋葬地、死者の土地、そういった類の暗いイメージだ。

 そんな不吉な言葉を堂々と苗字に戴くこの一族が、極めつきの洛外、東山を西に見るところやなんて京やあらしません、と言われるこのあたりに住み着いたのは戦後間もない頃らしい。ちなみに京で戦後というのはふつうは『応仁の乱』を指すが、ここでは第二次世界大戦のことだ。

 鳥辺野家は、大多数の人たちのイメージの中では悪の枢軸だが、現実では、どんな悪事が暴かれようが、不幸な出来事が起ころうと、表面に鳥辺野の名が出てくることはない。一方で、鳥辺野が支配する表側の顔、『Black crow』グループのコングロマリットとしての財力や影響力はよく話題になる。ネットの噂によればその資産はこの国の10年分の予算を凌駕しているとか。その思惑次第では世界経済の動向が変わるとか。

 そんな家に誰がちょっかいを出したのか。

 自殺志願者なのか。


「それで、葎はどうしたいんだ?」

 先生は薬物の件、盛る側だとか耐性だとかは流したらしい。賢明だ。

「ケジメは必要やと思う」

「このまま曖昧にはできひんということか」

 葎は笑う。さっきの冷酷さはなく、どこかあどけなささも感じる。それがよけいに怖い。

「悪いけど葎がらみの件で、ただの塾講師の私にできることはないんちゃうかな。……けど、一つだけアドバイスするとしたら、静観するんやな。相手が焦れて次のアクションを起こすまで」

 静観、いい提案だ。

「ただそのスカウトの件だけは、無関係なら無関係とはっきりさせておいてもええかもな。その手伝いくらいなら、マコトでもできるんちゃうか」

 先生、ここへきて裏切りますか。

「それはええかも。週末、デートしよ? スカウトされた辺りに行こ?」

 僕はキッパリ頭を振る。

「なんで断るん? 幼馴染の危機やで」

 葎には危機なんて、欠片も寄り付かないと断言できる。

「マコト、葎に付き合うたらええやないか。金髪の女性はが無関係やったら、人助けになる」

 先生は厄介ごとは僕に押し付けて、傍観者になろうとしているのかな。

 まあ仕方ないけど。鳥辺野には極力関わらない方がいい。

「葎ならそんなこと一人ですぐできるやろ? 家のあれこれ使えばええやん」

 それは僕だって同じ気持ちだ。

「そう簡単に家を使ったら、私が、この私が、誰かに脅されてるって家にバレるかもしれんやん?」

 葎が僕の方に身を乗り出す。

 僕は素早く席を一つ後ろに移す。

 鳥辺野には関わりたくない、その意思表示を行動で示すために。

 葎はそんな僕の小心ぶりを嘲笑うような視線を僕に送る。無駄なことを、というように。

「もしもこのことが家にバレれば、制裁は必ず遂行されるえ。たとえそれがバカな厨二病の人間やったとしても。無関係かもしれんかっても。背景や理由なんて鳥辺野家には関係あらへん。疑わしきは罰する、それが掟。灰色は黒。白も黒。そして時に黒は赤に血塗られる、かもしれんえ?」

 葎も鳥辺野の一員だ。

 けれど葎は、これでも中では一番心優しい人間だと僕は思っている。葎は、それが葎の主観と偏見かもしれないが、その善悪を納得するまで、制裁はしない。

 わかっている。

 僕が葎の善悪を決める一つの指針だということを。どうしてなのか、葎は僕が本気で嫌がることはしない。正確に言えば、僕にわかるようにはしない。

 だからきっと僕が絡めば、助かる誰かもいるのだろう。

「もちろんできることは限られているやろうけど、いつでも相談にはのる。その時々で、私にできることを探してみよう」

 あら、先生もまったくの傍観者になるつもりはなかったようだ。

「一人でなんでも決めてしまわれたら、とうしようもないさかいな」

 先生の笑みが、悲しい色に染まった気がした。

 僕は、葎と顔を見合わせる。

 先生の恋人は自殺したらしい。そんな噂がある。だからずっと独身で、こんな洛外で、安い月謝で可愛げのない高校生相手に勉強を教えているのだと。

 そんな先生の悲しい色に免じて、僕は言った。

「とりあえず今度の週末は付きあう。それ以降のことは要相談で」



1-4


 土曜の昼下がり、僕と葎は、新京極にいた。

 まず、葎がコーヒーを奢ってもらったというカフェを探す。なんせ葎は、その店の名前も覚えていないと言うのだ。

「なんかヒントないん?」

2人でアーケード街を下っていく。

「雑貨屋さんのそばやった」

 僕はため息をつく。カフェも雑貨屋もこの界隈には山ほどある。

「他には?」

葎がカフェの名前を覚えていない、なんてことはあるはずがない。とぼけているだけだ。ご機嫌を伺いつつ少しずつ情報を小出しにしてもらうしかない。

「そういうたら、ヨウちゃんと会うたわ。っていうか、目が合うた?」

「ヨウちゃんって、遊間耀一あすまよういち?」

遊間耀一は、僕のもう一人の幼馴染だ。父親同士が親友で、その縁だ。こちらもひとくせもふたくせもあるヤツで、葎とはあまり相性が良くない。

「店番してたんかな? 接客業にどうかと思うほどの仏頂面やったけど」

耀一の家は、このアーケード街の蛸薬師堂近くで衣料品店を営んている。うっかりすれば見過ごしてしまいそうな小さな間口だが、ある一定の客層に人気があるらしく、まあまあはやっているそうだ。

 基本的には父親の惣さんが店にいるが、週末はふらっと出かけてしまうことも多く、そんな時は耀一が店番をするらしい。

 とりあえず耀一に会いに行こう。土曜日なら店番の確率は高い。

 店先に到着すると、耀一が毎週欠かさず読んでいるマンガ雑誌を読みながら、惣さん愛用のテンガロンハットをかぶり、レジ横の丸椅子に座っていた。

 耀一、と僕が声を掛けると、面倒くさそうに誌面から顔を上げる。

「なにか用? マリちゃん」

 僕をマリちゃんと呼ぶなと、幼稚園のいるか組の時から何百回も言っているはずだが。……しかし今日のところは何も言うまい。厄介な幼馴染を連れて面倒な幼馴染と言い合いをするのは億劫だ。

「ちょっと聞きたいことがあるんやけど」

 耀一はマンガ雑誌を読みながら、「まあ、モノによっては答えてもええけど」と言った。

 いつもどおり面倒くさい返答だ。

その時、店に二人連れの男たちが入ってきた。見るからにヤバそうな奴らだ。

「親父は?」

「出かけてます。後、2時間もしたら戻ってくると思いますけど」

「そんなには待てへんな」

「というと?」

 耀一は、さすがにマンガ雑誌は伏せているが特に怖がることもなく淡々と応対している。

「借金の返済や。お前がレジ開けて代わりに払えっていうことやな」

 年嵩の男がそう言うと、若い方の男が耀一の椅子を蹴飛ばした。

 その瞬間、ずっと鏡で前髪をチェックしていた葎が男たちの前にワープしてきた。

「借金て、なんの?」

 その声は、冷たくもあり、面白がっているようでもある。

「なんでもええやろ。引っ込んどけ」

 若い方がまた、耀一の椅子を蹴る。耀一は溜息をついて椅子から立ち上がり、男たちと少し距離をとる。僕もその隣に並ぶ。

「どうせ詐欺まがいの騙したお金やろ?」

 今度の声は、僕らも上着か欲しいほどに冷たい。

 二度も蹴ったらあかんな、と僕は小声でつぶやく。葎はたいてい一回は許すけど、二度目はない、そういうタイプだ。

「お嬢ちゃん、部外者は口出しせんといた方がええ。ちょっと痛い目に合うかもしれんから」

 僕と耀一は笑いをこらえる。

 お嬢ちゃん、それは、絶対に言ったらだめなヤツやぞ? と男たちを見ながら。

 葎も苛ついたのか、早くこの寸劇を終わらせたいのか、早々に左手の人差し指を男たちに翳した。

 そこには精巧に彫られた八咫烏ヤタガラスが黒光りしている。葎の十三歳の誕生日からそれはずっと葎とともにある。

「この私を痛い目に合わすって、どうやって?」

 途端に、冷え冷えとした空気が店に充満した。

「や、八咫様……で? 本物の?」

 年嵩の方が震えながら尋ねる。

 さすがに指輪の意味はわかったらしい。

 鳥辺野傘下にいる者たちは、鳥辺野を八咫様と呼ぶそうだから、彼らもそうなんだろう。

「はじめまして。私、とりべのりつです。17才。そんでお嬢ちゃんではなく男の子。 鳥辺野本家の長男ですけど? 本物の」

 葎は可憐だが、時に女装することはあるが、れっきとした男子だ。小さい頃は何度も一緒に風呂に入ったことがあるので間違いない。

 学校の制服も男子のものを着用しているし、髪ものばしているわけじゃない。むしろ耀一のほうが長いくらいだ。今もTシャツとジーンズ姿で胸も平坦だ。

 葎は、意図的に可憐な雰囲気を醸し出しているくせに、他人にお嬢さん扱いされるのが嫌いだ。わがまますぎるが、葎は鳥辺野だから仕方ないよね。

 男たちは、慌てて土下座する。

 申し訳ありませんを繰り返しながら。

「もうええから、行って。そんでここの親子には絶対関わらんといて」 

「それはもう、絶対に」

 そうだろうね。誰も鳥辺野、しかも本家の御曹司の知り合いに関わりたくはないはず。

 けどね、僕らはそうはいかないんや。幼馴染っていうのは本当に厄介なんや。積み重なった想い出やら情やら、秘密や弱みやら、いっぱいあるから。

「あの人たちどうなるんや?」

 彼らが姿を消してから、葎に訊く。

「まあそれなりに、やな」

「謝ってたやん? それでええんちゃうかな?」

 彼らに何かあって、例えば新聞の片隅に載ったりしたら、きっと僕は吐きそうになる。

 葎はわざとらしいため息をついたあと、店先で外に向かってハンドサインを送る。

 いつも葎を護ったり監視したりしている護衛さんたちに何かの合図をするように。

「これであの2人は無罪放免。マコちゃん、貸し三つな」

「は? なんで?」 

 貸し一つならまだわかるが。

「あの人たち、二人とも許したことで二つやろ? そんで、マコちゃんの親友の面倒を解決したことでもう一つ」

 いや、耀一は、葎の幼馴染でもあるし。

 僕は耀一を見る。ここは、助けるところだよな、と視線に思いを込めて。

「マリちゃん、悪いな。うちの借金がそっちの貸しになって。……けどしゃーないやろ? 相手は葎なんやから。庶民にはどうにもできひん」

 ちっとも悪いと思っていないことはわかった。助ける気も欠片もないってことも。

「で、なんか用事、あったんやったか?」

 話を聞いてくれる気にはなっているらしい。

 もうそれだけでいいことにするか。葎の貸しなど踏み倒してやるし。いや、期限なしでちょっとずつなら返してもいいかな。

「先週の土曜の、昼過ぎ、葎のこと見かけたやろ?」

「ああ。プリン頭の長身の女と一緒やったな」

 耀一は迷うことなく答える。

「こいつ、どっち方面に。いったか覚えてへん?」

 耀一は南を指差す。まあ、そうだろうな。

「それ以上はわからんよな」

 ダメ元で訊く。

「想像はつくけど」

「ほんまか!」

「あの金髪の女の人、六角通りから出てくるとこ、よう見かけるからな。きっとあの通り沿いに、勤め先か家か出入りの店か知らんけど、あるんやろ」

「ありがとう。助かったわ」

「別に。けど、葎が自分で案内したらええんちゃうん? あの女の人に会いたいんやったら。仲良さそうやったやん?」

「は? 仲良くなんかないし。あの時、初対面やし」

 そう言った後で、「ほんま恩知らず」と葎は小声で吐き捨てた。

「勝手にやってきて押し売りされた恩なんか知らんし」と耀一もやり返す。

 共通の敵がいなくなった途端にこれだ。付き合いも長いのに、どうしてこうもこの二人は相性が悪いのか。

 ややこしいことにならないうちにと、僕は葎の手を引き店を出る。耀一はまたマンガ雑誌を手に取り、丸椅子に座った。そしてハエでも追い払うように手を振った。

 僕は葎を急かしながら六角通りまでやってきた。

 さてさて、葎は僕をカフェまで案内する気はあるのだろうか。それとも金髪の女の人に引き合わせてくれるのか。

 六角通りをながめながら、僕はそんなことを思っていた。


 










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

洛外で僕が君に想うこと @koseki-asami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ