はじめまして いせかい -1

 気づけば、ミミは暗い暗い闇の中にいた。

 前も後ろも分からない、自分の手さえ分からない程真っ暗だったので、「あぁ、これは夢かぁ……」と漠然と思った。


「おやおや、今度は君か」


 突然どこからか声が聞こえ、ビクッと肩を震わせた。慌てて辺りを見回したが、誰もいない。

「ここだよ、ここ」

 やはりどっからか声がするが、姿が見えない。

「あなたは誰ー?」

 どこか分からないが、取り敢えず正面を見て、両手をメガホンの形にして口に添え、やや大きな声で呼んでみた。

「あ~。これじゃあ見えないか」

 うんうんと声の主が納得したように言うが、夢だからじゃね? と言いたくなるのを堪えた。


 ──パキンッ──。


 指の鳴らす音と同時に、世界は暗闇から真っ白な世界に反転。切り替わった。

「な、何?」

 驚きに胸を押さえながら辺りを見渡すミミの様子に、声は笑う。

「こんにちは」

 後ろから気配がして、振り向く。

 愕然とした。

「あ、あんた誰だぁああ!!」

 ミミは、人差し指を突きつけ驚愕の声を上げた。

 それはそうだ。そうなるのも無理はない。

 だって、声をかけたであろうその姿は、輪郭は空間に溶けて、目も鼻も服も見えなかったからだ。

「こんにちは」

 男とも女ともつかない声が、もう一度挨拶の言葉を口にする。

「こ、こんにちは」

 とりあえずペコリと頭を下げて挨拶する。

「君、あんた誰って言ったよね」

 のほほん、としたおおらかな口調だった。

「僕には特に名前はないんだ。まぁ僕をハーピーって呼ぶものが多いけどね」

「じゃあ名前あんじゃん」

「これは本名じゃないのよ」

「あ、そう」

 突っ込みをあっさり流すハーピー。ミミも説明にあっさり納得。深く考えないようにしよう。だってここは夢。

「君は、あの小屋の掛軸に触った。だからここに来たんだよ」

「……はあ」

 うさんくさい夢だ。

「まずはじめに。君の名前は?」

 意味が分からんと首を傾げるミミのことを置いていき、勝手に話を続けていくハーピー。

「あ、あたしの名前はミミですけど」

「耳?」

「み、み!!」

「あーミミ? あいも変わらずそちらの世界は適当だねえ」

 ハーピーはどこからか大きく分厚い本を出し、ミミの目の前でページをめくっていく。

「これはね、そちらの世界の人の名前が載ってるんだよ……………ってあらま」

 ちょっと困ったように眉を寄せる(ように見える)ハーピー。

「ど、どうしたの?」

 そちらの世界の人の名前が載ってる、という言葉に動揺するミミをよそに、ハーピーはこれまたあっさりと、

「君の名前載ってないねー」

 簡単に事実を言葉にした。

 その言葉にミミは心臓を掴まれたような痛みを覚えた。

「それ、本当に名前が載ってるの?」

「うーん。これはアクシデーントゥ」

「話し聞けオイ」

「君の名前も違うのか。考えられることは偽名かあだ名だね……。いやでもこのバカッぽい娘がそんなことをするメリットは。いや、でもなーんか見覚えある顔というか、誰かに似てる気がする。うーん……誰だったっけ」

 なにどさくさに紛れてバカとか言ってんだよ、こいつ失礼だな。

「そ、そんなことないでしょ。あ、アファファファ」

 ものすごく自然に笑うミミ。

 そのひどく不自然な笑いは、運良くブツブツと独り言を呟くハーピーは気づかなかった。

「まぁ、なにかあるだろうけど。いいか別に問題ないでしょ。まず説明するね」

(良いのかい。さっきまでの時間返せ)

 ハーピーの言動にミミはがくりと項垂れた。

「今ね、僕たちの世界がピンチなんだっ」

「はあ!!?」

「あっ、正確に言えば僕の友人の世界ねっ」

(余計意味が分からない……)

「こっち? いや、あっちかなぁ…」とてんでバラバラな方を指差しているようにみえる。

「あっちってどっち?」

「んとね、言葉では説明できないんだよ」

 ポリポリ…、と頭(らしきもの)を掻いた。

「君たちの言葉を借りると、異世界ってことかな」

「異世界?」

「ああ、もうっ! そういうことだと思ってよ! 話し進まないじゃんっ」

 無理矢理話しを進めようとするハーピーの声は、ごめんなさいと反射的に謝ってしまう程真剣だった。

「う、うん…」

 思わずこくこくと何度も頷く美々。

「異世界を何者かが変革しようとしてるんだ。世界を乗っ取ってやるー! って」

(子供っぽくない?)

「そこがそいつらの怖いところなんだっ」

(思考読まれた!?)

 普通に何気なく図星を突くので、心拍数が嫌でも上がる。冷や汗をかくミミ。

「思考がね、子供なんだよ。欲しいと思ったらすぐに手に入れられると思ってるし、実際手に入れてきていた。それだけの力がある」

 動かれるとどこにいるかわからなくなる。顔をしかめて気配を必死に辿りながら、いるであろう人の方を向く。

「でも、あそこの世界は奪われちゃダメなんだ。でも、最近たくさんのいきものが殺されちゃってね」

 しょんぼりと小さくなり、床?にいじいじと指でぐるぐるを描きながら、悲しい声で言うハーピー。もちろんミミには見えていない。

「ふうん…」

 興味無さそうに鼻の抜けた声を出す。どんどん現実味がなくなってきた。

 早く覚めないかな、この夢。なんて思いはじめてきた。

「そこで!」

 ハーピーは突然立ち上がると、ビシッとミミを指差し

「あそこの世界を守ってくれる人を探してるんだ」

「はあ、そう」

「派遣されてるのは一人じゃないけどね」

「一人じゃないの!?」

 「じゃあ、あたし行かなくていいじゃんっ」とか思っていたが、

「あっちの世界が乗っ取られたら、確実に絶対にこの世界にも負の影響が出る。あっちの世界を守るということは、この世界を守ることに繋がるんだよ」

 突然大きくなった話にミミは唖然とした。

 言おうとしてたことをグッと飲み込み、息と一緒に別の言葉を吐き出す。

「よくわかんないんだけど、それって危険なこと?」

「うん。下手したら死ぬね」

 現実味のないことをあっさりというね。

「断ったらどうなるの?」

「他の人に頼むしかないね」

 それは、もしかしたら祖父やスミレ、弟もその対象に入ってしまうのだろうか。なんて、不安になる。

「これって夢だよね」

「そう思うならそれでいいんじゃないかな」

 曖昧な回答。あくまで判断はミミに任せるということか。

「なるほど」

 胸に宿るのは、なんだろうか。なんて、考える。

 突然だし、よくわからないし、死と隣り合わせだなんていわれるし、本当のところ実は夢でした、なんてオチもあり得そうな話だ。

 でも、胸に湧き起こるのは──、──期待と好奇心。

 現実にはないことが、自分の知らないことが経験できる。

 そう、ミミは好奇心旺盛だった。

「わかった。やるよ」

「ありがとー」

(何だろう。人がこんないきなりのことを引き受けようと決意したのに、棒読みに聞こえる)

 やっぱり不安になってきたとミミは頭を抑えた。

「で、どうすれば良いの? 魔法とかどどんと出来るようにしてくれんの?」

「えっ?」

 ぶーと口を尖らせ不満を表すミミに、意外にもハーピーは逆に驚きの声を上げた。

「何さ」

「君、使えないの?」

「使えない……?」

(……何を? 魔法のこと?)

「うっそでしょ? こんなの僕聞いてないよ!」

 ミミの反応に、ハーピーは今度こそ飛び上がらんばかりに驚いているように感じた。

「……そうかじゃあ別に人に頼んで……でも……」

 再びぶつぶつと呟くハーピーに、ついにプチッと何かが切れる音がした。

「あー、もう! ぶつぶつ言わないでさぁ! 教えろよな!」

「やだやだ。切れる10代ってほんとめんどくさい。しょうがないから話戻すけど、あっちの世界を救う為に、できるだけつよいいきものが必要ってことはわかった?」

「分かってるよ。だから、どうすればいいのさ」

(もう、良いや。向こうの世界に着いたら、そこに住んでる人に聞く)

 一人決意するミミ。

「まーいいか。いつだって猫の手も借りたい生き物不足だもの」

 気まぐれ適当大雑把。

 なんて言葉が思いつく。

「ちょっと待ってね。改めて仕切り直させてね」

「あーはいはい。どうでもいいからはやくして」

 そろそろ現実世界に目覚めたい。こんな人の話を聞かないめちゃくちゃないきものとの夢はまっぴらである。

「ええっと、こほんっ…。パンパカパーン。あなたは異世界へ招待する権利をもらえましたー。ひとつだけ、あなたの願いを叶えてあげます」

 練習したことを発表するかのように「おめでとぉ~」とペチペチと拍手するハーピー。

「願いは、言葉以上に具体的な想像ができればできるほどなおよし。例えばよく言われるんだけど、強くなりたいって、言われるのね。でもさ、強さなんて言葉でも、考える強さってその人の考えじゃない? だからどう強くなりたい、とか思ってくれればそれだけでいいよ」

「そうなんだ」

 願い事……。願い事かあ。

 常にこうしたいああしたいと欲を膨らませていたのに、突然、ひとつ叶えてあげましょうと言われたら困惑する。

 さて、なにを叶えてもらおうか。たくさんあるうちのひとつを選ばないといけないのだ。

 その中で、どうしても叶わない願いはたしかにある。2つほど。

「まー君の場合はシンプルだね。おけおけ。叶えてあげましょう」

「もう知られてる!?」

「結果は世界を渡った後でねー」

 いや、口に出すのは少し憚れる願い事だったからいいのだけれども。

「事前知識として説明するね。向こうの世界は、言葉によって理を制御できるところ。理は大きく分けて、火、水、木、土、金。詳しくは自分で確認してね」

(あーうん。わかった自分で確認します)

「質問は?」

「そりゃあり溢れるほどあるよ」

「よかったよかった。じゃあ話は終わりだね」

 改めて再確認したが、このひと? 人の話を全く聞かない。

「いいよ。ルールは身体で覚える。一聞は百…まぁどうとかって言うでしょ?」

(百聞は一見にしかず、だった気がする)

 ハーピーはそう心で思いながらも、あまりかっこよくないが宣言しているミミに対して興味が湧く。

 逆に言えば頭が悪いから、よく分かんないとのこと。だが、普通の人はこういういきなりのことに対しては、自分を信じられないと言って拒否する人が数えきれない程いる。

 だけどミミは

「うっわー正直楽しみなんだ。異世界って夢で憧れていたかも」

 目をキラッキラさせていた。面白くなりそうだ。

 ハーピーはにんまりと笑い、

「もしもの時のための世界の規律本は、とりあえず君の元に届けておくよ」

「あ、どもー」

 マニュアルってやつだ。それは便利である。

「掛軸が入り口だから、そこまで送ってあげる」

「なんかよく分かんないけど、ハーピーありがと。じゃあねっ」

 ミミは帰ろうと背を向けた。よくわからないけど、夢だろうから覚めてくれ。

「オイマテコラ」

 しかし引き止められた。片言で。

「まだ何か用?」

 振り向き口を尖らせる。

「名前だよな、ま、え!」

 ……あぁ。ミミは手を叩く。

「ミミって言ったじゃん」

「違う。“本当の”名前だって」

「だから、ミミだって」

「嘘つくならここから出さない」

「えぇっ」

 ハーピーの言葉に不満の声を上げる。

「空間<ここ>は僕が作ったから僕の自由に出来るんだ」

「夢だけど、ゆめじゃなかった?」

「消されるよ?」

 ミミは悩んだが、相手はよくわからない存在だ。

 ”自分が嫌いな名前”くらいは、去り際に捨て置いていいだろう。

「私の名前は―――




 目を開ける。

「う……」

 ミミはいつの間に倒れていたのか、立ち上がり辺りを見渡す。ギシ、と床が鳴った。

「ここはどこだ」

(確かあたしは部屋で寝てたのに──…)

 外は暗いのか視界は闇で覆われているが、なんとなくここがあの日見た古屋だとわかる。ホコリっぽい。ボロボロの木の床。剥がれた壁紙。そして、以前にみたあの掛軸。

 ここは───

「ミミっ?」

 見知った声が突然聞こえ、びくっと体が跳ねた。

 振り返れば、スミレは息を切らして中に踏み入っていた。

 ミミが見えないのか、スミレはキョロキョロと探し回っている。

「いないわ……どこに行ったのかしら」

 ミミは彼女に声をかけようと口を開けるが、すぐに閉ざす。

「いいわ。別に今日じゃなくても……」

 ニヤリ、と怪しく笑う彼女を初めて見て、言葉を失ったのだ。

 そのまま、呆けた顔で彼女が出ていくのを見てしまっていた。なにが、起きているのかわからなかった。

 何かに引かれるように視線を落とせば、黒のハードカバーの本が置いてあった。金色の刺繍で誰かの名前が記されている。自分ということは何となく分かるのだが、その文字を解読出来ない。

 ミミの手が無意識に動き、その一ページ目をめくった。


~取り扱い説明書~


『この本は本人しか見れず、本人しか理解できない。』



 その次のページからは文字も何も書かれていなく、真っ白だった。

 説明終わり!?

 ミミは慌ててページをめくってみた。

 しかし、いくら捲っても何も書いていない。真っ白い紙がぼんやりと暗闇の中に浮かび上がっていた。

「何だよこれ──あ」

 苛立ちながら最後のページを捲ると文字が書いてあった。

『身体で覚えろ(笑)』

「笑えるかぁ!!」

 本を床に叩きつけていた。

「クソハーピーめ! 今度会ったら一発殴ってやるッ」

それが思わない形で実るとは思わないミミは、小汚い字で書いてある文字を見る(睨むの間違い)。

 すると、掛軸の文字が青白く光り出した。

「くっそ。何とでもなれ」

 半分やけくそにその文字に目を通すと

「読める」

 ミミは驚きながらも文字を読みあげる。

「『汝乃力世界ヲ動カス。我之願イイツカ汝之心寄リケリ。然シ彼奴之名ガ言霊ヲ以テ汝之体蝕コトデ在ロウ…―』


…………っ!?」


 その瞬間、掛軸から光が溢れ出し小屋内を包む。

 ミミは眩しさに目を閉じた。

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