*8*
クリスマスの1週間ほど前。
夜遅く仕事から帰ってきた優海をいつものように有理香は出迎えた。
いつものように優海が靴を脱ごうとしたとき、有理香は隠し持っていた鈴を鳴らした。
そのとき、
「メリークリスマース!!」
という女性の大きな声が響き渡った。
そこには、サンタ服を着こみ、つけ髭で顔が半分隠れた女がいた。
唖然とする優海、真顔で優海を見据える有理香、突然乱入してきたサンタ服の女。
あっけにとられながらも、優海はサンタ服の女をじっと観察する。
「石英先生、いえ、石英さんですよね。こんな不審者のような真似なんかして、一体何をしているのです。」
「お久しぶりです。機織さん。」
あくまで淡々と、サンタ服の女……きららは髭を外して素顔を見せながら応対する。
そして優海は、今度は有理香を問い詰める。
「有理香。石英さんを連れ込んだのは貴女ね。石英さんには関わらないようにとあれほど言ったのに。しかも、他の学生と差をつける好機のこの時期に。」
優海の態度は息が白くなる外の気温よりも冷ややかであったが、きららよりも有理香へ向けられた声の方が一層、鋭かった。
きららは優海の肩越しに有理香を見る。
不審者扱いされるなど予定通りだ。
ここからは全てが有理香さんにかかっている。
私に出来るのは、不審者と思われようともサンタ服を着て機織家に突撃するだけだ。
「お母さん。……いいえ、ママ。まだわかんない? ……思い出してくれない?」
優海が有理香に向ける視線は、割れた氷のように冷たく鋭い。
「思い出す? 何のことかしら。」
「ずっと前! あたしがまだ幼稚園の時!」
「幼稚園……。」
「まだ、その時は、お母さん。……こんなに勉強で頭がいっぱいじゃなかった。もっと……笑ってた。お母さんも、あたしも。」
「………。」
優海は冷たく厳しい表情のまま何も言わない。
「お母さん。あたしは、勉強が嫌いになったのでも、県立さくらが丘高校も国公立大学も嫌になったんじゃない。むしろ、きららさんと一緒に勉強して、もっと勉強したくなった! ……でも。」
「………でも?」
優海の目はさらに険しくなる。
――負けないで、有理香さん――
「お母さんが言うような勉強も大切、だけど。勉強って……それだけじゃないって。きらら先生が教えてくれた。教科書や受験が全てじゃない。世の中には、いろんなこと……素敵なことも、悪いことも、溢れてる。……あたしは。」
「……貴女は。」
「もっと勉強したい。……いろんなものを、見て、聞いて、感じたい。あたしはずっと、家と学校と教科書のことしか知らなかった。そんなあたしを、きらら先生は優しく教えてくれた。だからこの先……あたしはまだ何にも外のことを知らないから、きらら先生に道案内をしてもらいたい。それにね……。」
「……今度は何なの。」
「きらら先生といろんなお話をしてて、小さかった時のことを思い出せたの。今のこれも、きらら先生と思いついた。……お母さん。昔のお母さんは、もっと笑顔だった。」
「有理香……。」
ここへ来て、優海もようやく少し表情がほどけていく。
「お母さんも、不安だったんだよね。あたしに苦労をさせないか。悪い人……思いやりのない人に出会ってしまわないか。ねえ、お母さん。……あたしは頑張れるから。……でもお母さんとあたしだけで頑張るんじゃない。きらら先生もそばにいてくれる。だから……。」
有理香が言葉を一旦止める。
「お母さん、昔みたいに笑って。ほんの少しでいいから、あたしと休んで、遊んで、楽しく過ごしたい。苦しいお母さんは、ここでバイバイしようよ。」
玄関に3人の女が立ち尽くしたまま、沈黙が数秒通り過ぎた。
「ええ。有理香。立派な口を叩くようになったのね。いつの間に成長したのかしら。……でも。」
優海の態度は、少しは柔らかくなったものの、まだ棘はある。
「……石英さんが、悪い人じゃないってどうやって証明すると言うのです。」
――流石、あの有理香さんのお母様! 頑固なところも言い返し方もそっくり!――
きららは、ほんの1ヶ月前に有理香と交わしたそっくりなやり取りを思い出して、自分が謂れもなく疑われているという嫌な状況のはずなのに笑えてしまう。
「……ふふ。ふふふ。」
「何がおかしいというんですか!」
優海は笑いを誤魔化しきれないきららに声を荒げる。
「……ふふ。ごめんなさい。こんな時に。1ヶ月前の有理香さんと、あまりにもそっくりなものでしたから。……それでしたら。」
きららは笑いながらも、またもあの時のように突破口を見つけていた。
――あとは、ぶつけるだけだ!――
「では、お伺いしましょうか。……私が仮に悪い人だとして、どんな悪さをすると言うのでしょう。」
「それは、有理香をたぶらかして余計なことを吹き込んで。グルーミングと言うようですね。近年は問題になっているようですわ!」
「ええ。そういうように言われてしまっては心外ではございます。しかしそれだけでは私自身を信用しきってもらえませんよね。……ですから。」
「ですから?」
「有理香さんに悪い虫がつかないように、私“も”有理香さんを守りますよ。ほら。チーズだってわざと身体に害のないカビをつけて、毒を持つカビをつけないようにしますし。鉄だってそうですよね。わざと黒い錆をつけて、腐食を起こす赤い錆から守る。……虫なら虫で、カビならカビで、錆なら錆で大いに結構です! あははははは! 優海さんが私を悪い虫と呼ぶなら私は悪い虫です。でもその悪い虫は、つけとけば他の虫がつかないかもしれませんよ?」
1ヶ月前に有理香にしたように、きららは優海に反論する。……あくまで愉快に。
またも数秒、沈黙が時を埋める。
しかし、その沈黙を破ったのは。
なんと優海の笑い声であった。
「ふふ……ふふふふふ……あはははははは!」
「お母さんが、笑った! 何年ぶりだろ!」
有理香の声には驚きと喜びがこもっていた。
そのレベルで今まで笑ってなかったの! ときららは呆れそうになるが、それは後回しだ!
「ああ。こんなに笑ったのはなんと久しいことでしょう。貴女の勝ちです。石英先生。」
やった……の?
「ずっと立ちっぱなしもそろそろ疲れてきましたし、お部屋に上がって、座ってお話しましょうか。……いらっしゃい。石英先生。」
終わった。終わってないけど終わった。
とりあえず。
……私はもう一度。優海さんに受け入れてもらえたみたい。
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