お兄ちゃんの未来のお嫁さんになってあげる。

 月明かりに照らされた彼女の笑顔が妙に大人びて見えた。とても同年代の少女とは思えない妖艶さをおびた表情に僕は思わず絶句してしまった……。


 僕たちの後ろに鎮座するお稲荷さんの石像から伸びる光のグラデーションが、真美の横顔に微妙な陰影を落とすのが見て取れた。


「約束通り神社に来てくれたんだね……」


「お、おう、お前だけを一人っきりには出来ないだろ!!」


「嬉しい……」


 真美のみせる満面の笑顔に僕はとても嬉しくなった。


「お兄ちゃんに見せたい物があるんだ……」


 そうだ、彼女が僕を呼び出した理由わけはいったいなんだろう?


「神社の本殿まで私と一緒に来てくれるかな」


 村唯一の神社に祭られている神様は言い伝えによると江戸時代、この地域は不作による飢饉ききんにみまわれたそうだ。飢え苦しむ村人の前に突然現れた九尾の狐に導かれ、豊潤ほうじゅんな土壌を発見して村は危機を免れたという言い伝えが残っている。


 この神社にはそのお狐様を祭ってあるそうだ。油揚あぶらあげ祭りなる奇祭きさいも稲荷神社で毎年夏に行われ、この辺りの風物詩になっていた。


 本殿に向かいながら僕は横目で彼女を盗み見た。普段の真実と違う印象を受けるのはなせだろうか……。


 そうだ!! 髪型が違う。いつものストレートのロングヘアじゃない。和装に合わせてアップにした髪。着物と相まって彼女の肌の白さがいっそう際立って見えた……。


「今日の着物は……?」


 二人で並んで神社の建物に向かう。遊び慣れた場所のはずなのに夜はまるで違った表情を僕に見せた。


「これ? お母さんのお下がりなの、ピッタリでしょ!」


 彼女がおどけながら両手の先で着物の袖をつかんだ。その可憐な所作を見て僕は胸を射ぬかれてしまった。


「お兄ちゃんのために真美、頑張っておめかししたんだよ」


 背中の帯が良く見えるように、真美はその場で後ろをふり向いた。


 ――すごく可愛いい。


 この胸の高鳴りは何なんだ!? まだ小学生の僕は胸に湧き上がる感情にとまどいを覚えた。彼女を愛おしいという感情に素直になれず、ただ黙り込むしか出来なかった。そんな沈黙に耐えかねてか真美が神社の縁の下を僕に指し示した。


「お兄ちゃん、この子だよ、真美の相談したいことって!!」


「ミャア、ミャア……」


 鳴き声!? 猫だ……。


 縁の下の暗がりでよく見えないが四角いダンボール箱が見えた。屈み込んで猫を驚かさないよう慎重に箱を手前に引き出す。月明かりに照らされて一匹の子猫が活発に動き出すのが見て取れた。


「子猫!?」


「そう、この子。ここに捨てられていたの……」


 愛おしそうに彼女が子猫の頭を撫でる。


「可哀想に、お腹が空いたんだね」


 用意した手提げ袋から小皿にミルクを注ぎ、子猫に与える。ぴちゃ、ぴちゃと音を立てて子猫は勢い良く舐め始めた。


「陽一お兄ちゃんに、この子を見てほしかったんだ……」


 彼女が僕の手を強く握りしめた……。


「ねえ、この子の面倒、二人で出来ないかな?」


 哀願するような彼女のまなざしに思わず、僕は安易に言ってしまった。


「ああ、いいんじゃねえの、僕たちで飼おうぜ!!」


「本当に!!」


 彼女の手に力がこもるのが僕の手にも伝わってきた。喜びの感情も同時に流れ込んてくる気がした。


「お兄ちゃん、嬉しい……」


「なっ……!?」


 次の瞬間、僕は心臓が止まったかと思った。真美がいきなり抱きついてきた。見る見る脈拍が上昇するのが自分でも分かる。彼女の小柄な身体がこちらに密着してくる。可憐な髪飾りが微かな音を立てるのが僕の耳にもはっきりと聞こえた……。


「陽一お兄ちゃん、真美と約束してくれる……」


「な、何だよ、約束って!?」


「この子猫は将来の予行練習なの……」


「予行練習!?」


「お兄ちゃんと真美が将来結婚して、とうぜん子供が出来るでしょ。その子育ての予行練習」


 ――僕は限界だった。まるで蒸気機関車の様に頭の中で激しく汽笛が鳴り響いた。


「私と約束して、お兄ちゃんのお嫁さんにしてくれるって」


 潤んだ瞳でこちらを見上げる真美。絶対に僕の動揺は彼女にも伝わっていただろう。


「あ、ああ、お前がどうしてもっていうなら考えてやってもいいぜ……」


 何、恰好つけて言ってんだ。気持ちは有頂天なのに……。僕も真美をお嫁さんにしたいって!!


「駄目!! ちゃんと言葉で伝えてくれなきゃ、お嫁さんになってあげない」


 彼女がプイッと拗ねて横を向く。昼間ならこんなことは恥ずかしくて言えるはずないが、非日常的な夜と満月が僕に勇気をくれた。彼女の細い肩に勢い良く腕をまわした。彼女の身体のこわばりが伝わってくる。


「――大好きだ。僕だけの真美でいてくれないか?」


 彼女の瞳がひときわ大きくなり、目の中に満月が優しく映り込む。


「それって、お嫁さんにしてくれるってこと?」


「ああ、約束するよ。真美は僕のお嫁さんになるんだ!!」


「約束だよ、陽一お兄ちゃん。真美が大人になったら必ず迎えに来てね」


 僕なりに精一杯の約束は彼女と交わしたつもりだった。あの日、に二人で逃避行をするまでの安らぎと知らずに。


「ミャア、ミャア!!」


 いつまでも抱き合う僕たちを不思議そうに足元の子猫が見上げていた……。



 次回に続く。



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