同情するなら運をくれ

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第1話 同情するなら運をくれ

 同情するなら運をくれ


     ◇


「あと一回ですっ!」

 その少女は、俺の手を握ってそう言った。

「……俺の結婚チャンス?」

 一回か、そりゃ困った。


     ◇


 どうやら、俺には『他人の不幸を代理で受ける』という迷惑な特殊能力があるらしい。

 ……と言っても、確信はない。単に俺が不幸なだけかもしれない。それを勘違いしてこんなことを言っている、という可能性も捨てきれないのだ。

 しかし、である。

 例えばこんなことがあった。

 

 それはある日、俺が高校へ登校中のこと。

 俺の隣を並んで歩いていた友人が、角から飛び出してきた自転車とぶつかりそうになった。

 タイミングは最悪。どう見ても双方回避不能で、激突は避けられない。周囲で目撃した人全てがそう思ったことだろう。俺もその一人だ。

「あっ」

 危ない。思わず俺は声を上げる。

 が、そう漏らした、次の瞬間、


 なぜか飛び出してきた自転車が、驚異的な機動変換を見せて俺の方に突っ込んできたのだ。


 っと、まぁ、こんなことが日常茶飯事なのである。一度二度なら偶然でも許せるが、俺が「あっ」という状況に出会うと、その「あっ」の原因になった災いは必ず俺に降りかかってくる。たまの一度も例外はない。

 あと、この場合自転車だが、最悪の時は十トントラックにこれをやられ、命からがら助かった経験もある。ガソリン満載のトレーラーに突っ込まれた日には本気で死んだと思った。偶然うまく隙間に挟まったので無事だったが、生きた心地などしなかった。

 そいうことが立て続けに起こり、俺はそれが自分の能力によるものではないかと考え出したのだ。つまり、俺が「あっ、危ない」と、思う……つまり俺が他人の不幸を目撃すると、俺の能力により、その不幸が本人の代わりに俺に降りかかってくる、ということではないか、と。考えすぎだと言われるかもしれないが、あまりにそのタイミングがいいのだ。

 それでも、ただ不運と言ってしまえばそれだけのことなのだが、俺はこれを自分の能力であると思っていた……。


     ◇


「……俺の結婚チャンス?」

 一回か、そりゃ困った。

「違いますよ! あなたの能力が使える回数ですよ!」

 しかし、その天使風の格好をした少女は俺のナイスなシャレを、何のことだと軽く流す。

「ていうかさ……君、誰?」

「……へ? 私ですか?」


 その少女は、窓から飛び込んできた。


 説明が必要だろう。

 あれは思い起こすこと十数秒前のこと、俺がいつものように就寝しようと自室の布団に入り、俺の意識が夢の世界へ旅立とうとしていたまさにその時だった。

 突然、ベッドの右手側の窓がガタガタと音を立てて振動しはじめたのだ。

 俺は半分寝ていたのだが、その音に飛び起きた。

 一瞬地震がと思ったが、揺れているのはその窓だけである。悪戯だとしてもここは二階だ。それに、うちの隣に、窓の向かい合う幼馴染……などという天然記念物は生息していない。隣は空き地になっているのだから。

 などと思っていると、不意にガタンと窓が開き、直後、一人の少女が飛び込んできた。

 ……それも、着地点は俺の上。

 おかげで危うく晩飯がカムバックしてくるところだった。

 そして、それから微妙にすったもんだして……今に至る。


「私は幸運の女神様の使いです」

 彼女は少し自慢気に胸を張って言う。

 少女の歳は外見からして自分よりわずかに上で、腰まである美しい金髪に琥珀のような瞳、まさに美術品の天使達が纏うような白い布を体に巻いていた。白い肌と相まって、本当に絵画か何かから出てきたような美しい姿。だがさすがに翼はなかった。

「幸運の女神……?」

「はいそうです。女神フラウレシア……あ、バレンシア様とも言いますが……その直属の使いなんです」

「……へぇ……」

 ……これは何なのだろう。友人か誰かの陰謀か? ドッキリ? だがこんな日本語の達者なパツキン美人が知り合いにいそうな奴など、一人も友人には心当たりがない。

 怪しさ大爆発だ。まさか新手の宗教勧誘? つーか、ただの不法侵入だろこれは。

 待てよ? そう言えば、さっき少女は『能力』とはっきり口にしていた。つまり彼女は俺の能力のことを知っている。しかし、俺はあんな迷惑な能力のことなど、他人には喋ったことはないはずだ。

 なぜ彼女は俺の能力のことを知っているんだ?

 俺は少女が飛び込んできた窓の外を確認する。

 ここは二階で、向かいは空き地。近くに樹木の類はなく、伝って上ってくることもできない。まぁ、そりゃ確かに家の表面をよじ登って来ることも十分可能だろうが……。

 狭い部屋の中央で仁王立ちしているその美しい少女が、よじ登ってきたきた、というよりは素直に飛んできた、と考えた方がよっぽど現実性がある気がする。

 まさか本当に女神の使い? そうだよな、俺にあんな超能力みたいなものがあるのだから、非科学的ついでに神様だっていても不思議じゃないだろ。

 寝惚けていたのかもしれないが、俺はそれをすんなりと信じることにしてしまった。

 とりあえず、座布団を出してきて彼女を座らせる。だって、女神様の使いだし、ぞんざいにはできないでしょ。俺はその向かいのベッドの上で正座する。

 彼女は「おかまいなく」とか言いながらも、それに座った。彼女がどんな座り方をするのかと思ったら、正座。ちょっと意外だった。

「気付いているかもしれませんが、あなたは特殊な能力を持っているんです」

 俺はその彼女の言葉にはっ、とする。

「『他人の不幸を代理で受ける』っていうようなやつだろ?」

 しかし、返ってきたのは意外な答えだった。

「いえ、ちょっと違います」

「…え?」

 違う? 違うのか? けどさっき『能力』って……。これ以外の能力など身に覚えがないぞ。

 頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ俺を見て、彼女は続ける。

「基本的なところは同じですが、微妙に違うんですよ。あなたの能力の正式名称は『幸運譲渡』というものなんです」

「『幸運譲渡』……?」

「はい、あなたが他人の不幸を目撃、もしくは何らかの手段でそれ知り、その後一定の条件を超えた場合、自らの『幸運』を対象へ譲渡するんです。ところが、発生した不幸要因が消えませんから、それが代わりにあなたへ降りかかっているんです。

 能力者によって微妙にその発動条件は違ったりするんですが……あなたの場合は最悪の条件ですね。どうやら、それが不幸であると認知した瞬間、その不幸の度合いが一定以上であるなら自動で発動しています。本人の意識はなくとも、勝手に」

 いまいちピンと来ないが、ようするに……俺は空腹で動けない子供に、自分の顔を食べさせるアンパンのヒーローのようなもの、ということか。自分の物を削って相手を助けているのだ。問題はそれが無意識下で行われているということだという。

「それが俺の能力?」

「『能力』っていうほどの物でもないんですけどね……反射的ですから、むしろ『機能』に近いです」

「そんな……幸運をそんな垂れ流しにするようなことして、大丈夫なのかよ」

「大・問・題です」

 深刻そうに強調して言う彼女。

「人の一生において、幸運の回数はだいたい決まっているんです。その限られた幸運をそんな無駄遣いだなんて、とんでもない!」

 説明に熱が入ってきたようで、彼女の身振り手振りが始まった。

「そもそもさ、俺にそんな垂れ流すほどの幸運があったのか?」

「ええ、ありま……した」

 悲しいかな過去形である。

 ここまで悲惨だと、もう何だか他人事のような気がしてきた。

「あなたはもともと、史上最強の強運人間だったんです」

「……は?」

 衝撃の新事実、発覚。

「魂が命を生成する際、“こちら”に様々な登録処理を行うんですが……その時点であなたはバグかと思うほどの幸運数を持っていました」

 何か、つまり俺はあの能力さえなければ空前絶後のラッキー人生を送れていたというのか。

 俺はふと、三億円の宝くじに当選してインタビューを受けている自分を思い浮かべた。宝くじ、というあたり安易で発想が貧弱だが、普段幸運というものに縁がないのでしかたない。

 豪邸、広大な庭、プール、ガウン着てワイン……。ああ……今のこのボロ借家生活が嘘のようだ。……はっ、いかん、涎が……。

「って、待てよ! ならどうしてあんな能力が身に付いちゃったんだよ!?」

「それはぁ……不運としか言いようがありません……」

 ダメじゃん俺。むしろそこで間違えるくらいなら、いっそ普通の運を持った平凡人間の方がよっぽどマシである。

 どんな俊足ランナーでも、スタートでこけては勝てるものも勝てない。全部台無しだ。

「何とかして俺の運の……せめて半分でも戻せないのか?」

「無理なんです。あなたの物であるはずだった幸運のほぼ全ては、もう他人に使用されてしまっていますから」

 そんな血も涙もない。

 だが、少なくとも俺は絶対悪くないぞ、俺だけが一方的に被害にあってるんだ。

「当然、我々も四方手を尽くしているんです。今この瞬間だって、大神クラスの方々があなたの能力を差し止めになさろうと権限の削除を試みてらっしゃいます」

「大神……? そんな偉そうな神様ならもっとさっさとできないのか?」

「とんでもない! 完成してしまった命から一部の権限を削除することは、神権を持つ者でも簡単に出来ることではないんですから!」

「なら、もし……その一回を使ってしまったらどうなるんだ?」

「最後の力を使えば、もちろん、あなたに残された最後の幸運を使い果たすことになります」

「最後の……幸運?」

「はい、人として最後に残されている、生を受けてから亡くなるまで続く幸運……『生存している幸運』です」

「『生存している幸運』……ってまさか……」

「そうです、最後の力を使った場合、早い話が死ぬってことです」

「……そんな……本当なのかっ!?」

「残念ながら……」

 死ぬ。あとたった一回の使用で?

 なるほど、病院で余命数ヶ月宣言されたらこんな気分になるわけか。

 って……冗談じゃない、あの能力は酷い時は日に何度も使ってしまうことだってある。よりにもよって俺の登校路はほぼ半分、集団登校する小学生達のそれと重なっているのだ。早ければ明日の朝にも、その中の一人が目の前で車に轢かれそうになってくれるかもしれない。自分に原因はなくとも、それだけで死ねてしまう。

「大丈夫です! 大神様もあと四日間あれば権限を削除できるとおっしゃっていましたから!」

「……ようするに、あと四日間能力を使わなければいいんだな?」

「はい、そういうことです。私はそれを伝えに来たんです」

 ふと、少女は壁にかかった時計に目をやる。つられて俺も見ると、少女が飛び込んできてからまだ数分しか経ってなかった。内容が濃かったのでもう何時間も経っている心境だ。

「それでは、私はそろそろ帰ります」

「え……」

 そう言って、彼女は立ち上がった。

「いいですか、一回でも使ってしまったらアウトですからね」

 少女はそう念を押しながら、入ってきた窓の枠に足をかける。……物凄く奇妙な光景だ。

「あ、ああ……」

 すると、少女は窓から飛び降りた。

 俺はちょっと驚いて窓に駆け寄ったが、外を覗いても彼女の姿は既にない。そこにはただ空一面に闇夜が広がっているだけだった。一瞬、鳥の羽ばたくような音が聞こえた気がしたが、すぐに聞こえなくなった。それが治まると、残ったのは、静寂。

 彼女が飛び込んで来た時の慌ただしさが嘘のようだ。まるで悪い夢を見ていたような気もする。


「四日……か……」


 そういうわけで、俺の試練の四日間は幕を開けたのだった。


     ◇


 翌日、けたたましい目覚ましの電子音で俺は目を覚ました。

 俺は布団の中へと枕元の目覚まし時計を蟻地獄よろしく引きずり込み、音を止める。

 ふぅ……今日もまた不運な一日が始まるわけだ。

 朝っぱらから気だるい顔で、俺は起き上がる。

「っと……そうか」

 能力があと一回だけだということを忘れていた。それを思い出し、俺は袖を通しかけていた制服を勉強机の上に放り投げる。

 さて、考えなければならない。

 無論、どうやってあと四日間を生き抜くか、だ。

 このまま普通に学校に行っていては、まず間違いなく今日中にも三途の川を渡るハメになる。したがって、学校に行くわけにはいかない。地雷原に自ら突っ込むようなものだ。

 そうだ、四日間程度ならずっと家にいればいいのだ。

 一ヶ月とか一年とかではない、ほんの四日間だ。不運にも今日は火曜日で休日は挟めないが、このくらいなら学校を休んでも文句は言われまい。風邪引いたとでも言っておけばいくらでも誤魔化せるだろう。

 いや、そうなると少なくとも家族とは一緒にいなければならない。これではまだ安心とは言い切れない。もし誰かが些細なことでもきっかけを作ってしまったら一大事だ。

 油断は許されない。なにせこちとら命がかかっているのだ。

 しかし、そうなると、もはや選択の余地はない。

 そう、ずばり『引篭もり』だ。通称ヒッキー。あれをやるしかない。

 俺もドラマやニュースくらいでしか見たことない。いまいち良いイメージではないのだが…いたしかたなし。それにあれなら絶対他人と接触することもないので、安全性ではピカイチ、能力を使ってしまう危険はまったくない。

 よし、これでいこう。

 そう決断した俺は、ワイシャツと制服のズボンを脱ぎ、再び寝間着を着る。 次にテレビのコードを引き抜き、携帯の電源を切る。これで外部から情報が入ってくることはない。万が一、どこかで大地震があったみたいなニュースが流れてしまったら、運がいくつあっても足りりゃしない。

 食事は母に、「部屋の前に置いといて」という引篭もりの常習手段でいけば問題ないだろう。

 これでいい、これで準備は万端だ。あとは時間が経つのを待つのみだ。人事を尽くして天命を待つ。


 決意の朝、だった。


     ◇


 ……四日後。


「ぁ……ぅ……」

 薄暗い部屋のド真ん中で、俺は力なく横たわっていた。

 目と口を閉じるのも面倒で半開きになり、ハエが顔面に着地するももう気にならない。

 時折漏れる、呻き声だけが部屋に木魂して消えていく。

 俺の決意は、今にも消え去りそうになっていた。


 無事に、学校と親を騙せたのは良かった。別に親の顔を見る程度なら問題はないので、熱が出たと言えばそれほど疑われなかったのだ。

 そろそろ疑われ始めているかもしれないが、あと半日ならどうとでもなる。


 しかし、


 正直予想外だった。

 まさか、ここまで引篭もりが苦痛なものであるとは。

 というかよく考えてみれば、普通の引篭もり人はパソコン一つでいくらでも暇がつぶせるのだろうが、俺の場合パソコンどころかテレビも携帯も使用不可、完全に外界と遮断されているのだから。

 引篭もり生活というよりは牢獄生活だ。

 暇がいることが、それこそ死ぬほど辛い。精神的にかなり追い詰められてきた。

 ただ四日間、引篭もっているだけならまだ大したことはないのだろう、しかしこっちは命が懸かっている。普通の引篭もりが社会から逃げているのは、自分が傷つくのを避けるためだが、俺の場合は社会に殺されてしまうのだ。普段なら決して誰にも害など与えないテレビも、俺から見れば凶器にしか見えない。

 そうこう考えているうちに、異常なほどに神経質になってしまい、ちょっとした物音からも何が起こってるかを想像してしまう。誰かがこんな不幸にあっているのでは…などと考えてしまう。

 そう思う度に、しまった、力を使ってしまったのではないか? と、ビクビクしながら神経をすり減らしていた。

 唯一の安らぎが得られるのは睡眠中だけ。しかし、残念なことに、人間はそんな長時間眠れるようにできていない。最初二日はほとんど寝ていたのだが、もう寝過ぎで夜も眠れなくなっていた。そうでないにしろ、心労で眠れなくなっていただろう。そのせいで今度は、深夜に走っている車の音に神経を削られなければならなく、急ブレーキの音がする度に目の前が真っ白になる。だが幸い、事故はまだない。

 暇つぶしの強い味方のマンガは、もう部屋のは大方読みつくしてしまっている。もう開く気もしない。ゲームは俺はあまり好かないので持っていなかった。……何で一つくらい買っておかなかったんだよ、俺。

 昼夜を通して、少しも気が抜けない。それでも、どうにかして抜かなければならないのだが、命が懸かっていると思うとどうしても余計に気負ってしまう。

 気が狂いそうだ……とは、まさにこの俺の状況を言うのだろう。

「……!」

 我に返ると、いつの間にかテレビのコードを挿し、指がスイッチに伸びていた。

 うだうだと他の事を考えていたら、無意識に手が動いてしまったようである。

「いいよな……ちょっとだけなら……」

 孤独感からくる猛烈な誘惑が、俺の決意を心のダストシュートへ押しやっていく。

 俺の指が、スイッチに触れ、少しずつ押し込んでいく。

 ……いや、ダメだ。

 ここで挫けたら、今までの苦労が水の泡だ。耐えろ、耐えるんだ俺。あと一日耐えれば俺の勝ちなのだから。そうすれば今までの理不尽な不運生活とおさらばなのだ。

 自分にそう言いきかせ、指をそっとスイッチから離す。

「はぁ……はぁ……」

 傍から見ると、まるで禁断症状の出ている麻薬使用常習者だ。この姿で町をあるけば、ものの数分で通報されることだろう。一一九番でなく、一一〇番に。

 と、そこへ、

「ノボル!!」

 母親の怒鳴り声と共に、ドアを激しく叩く音が鳴り響いた。

 精神的に参っている時にこの騒音はきつい。沸点が相当下がっていた俺は、それだけでカチンと来た。

「うるさいな!! 静かにしてろよ!!」

 俺はよろよろと立ち上がって布団に潜り込む。そして、両耳を塞ぐ。

「ノボル!! 出てきなさい!!」

 が、今回に限って、母親は頑固として扉の前から離れようとしない。それどころか、ドアを叩く音は回数を追って強くなっていく一方だ。

 何だ、何でこんなにがんばるんだ? そんなに大変なことがあったのか?

 それとも、さすがに仮病だというのがばれたのか? くそ、約束の四日間まであと半日ほどだというのに。無視したいのは山々だが、あの勢いでは扉を破ってでも入ってきそうな勢いだ。

「大変なのよっ!!」

 大変? やっぱり大変なことが起こったのか?

 やめてくれ、聞かせないでくれ。「大変」と聞いただけで身の毛もよだつ。

 ……が、失敗だったのはこの時、俺の中にほんの少しの好奇心が沸いたことだったろう。その好奇心は、耳を塞ぐ手の力が抜ける要因になってしまったのだから。

「今、この町に向かって核ミサイルが飛んできてるらしいのよぉっ!!」

 何だ、シャレか。こっちの気も知らないで楽しそうなことだ。笑えやしない。

 しかし、直後、俺は頭が冷めていくにつれて、その母の言葉の妙な点に気付いた。

 声が違ったのだ。そう、今の声はいつもの母親と声色が違う。あれは…


 悲鳴交じりの涙声だ。


 俺は布団をはねのけて横の窓を開き、雨戸を力任せに開ける。すると、実に四日ぶりの太陽光が瞼を貫いた。それに思わず目を逸らしてしまったが、今度は掌を目の上でひさしにし、もう一度窓から外を覗く。

 蒼と白の斑模様の空を、黒い丸が飛んでいた。

 いや、というか、もう視界のほとんどが黒く……

「あっ」

 次の瞬間、我が家のボロ屋根が音を立てて砕け、



 頭上から、巨大な鉄塊が襲い掛かってきた。



     ◇


 ……翌日、新聞の一面を飾ったのは、こんな一文だったという、


 “○○国、核ミサイルにプルトニウム積み忘れ?”


 そしてどでかい見出しの脇に、テレホンカードほどもないようなスペースで、


 “不運少年、不発弾の下敷きになって死亡”


 という記事が載っていたのだが……その少年こそが、数万の人の命を救った英雄であることを、知る人は、いない。


     ◇


「あーあ……もうちょっとだったのにね……」


 少女は新聞を投げると、夜の闇の中へ羽ばたいていった……。

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