第5章 角と水晶
ただ一人、ゆるぎなく、臆することなく、緑に輝く騎士が、闘技場のフィールドに満ちる殺気立った歓声のさなかに歩み出していく。そのアンドリューの背中を、ケイは黙って見つめるしかなかった。
「ゾロの恩寵によって、バイユー傭兵団の戦闘条件変更を認める! カード名『白銀の魔槍兵』! 効果は、相手チームから1名を指名しての一騎討ち! 相手側は、巨人兵アンドリューを指名している、宜しいか?」
審判が塔の上から、拡声器の大声でそう告げる。
(宜しいかもへったくれもあるか! こっちには拒否権なんかないってのに!)
ケイは自分の機体を扉へ歩かせながら、塔の上の審判をにらんだ。登場口のそばの簡易整備場に〈エントーマβ〉を戻し、自分の魔剣を引き抜いてエンジンを停止させる。塔の上から、審判がそれを確認しているのが分かった。
初戦の後も、シオンはもちろん、代理の騎士を探そうと努力した。しかし、どうやら事務局の人脈が守旧派の貴族たちに調べられ、その全てに先回りして脅しをかけられているらしく、信頼に足る魔剣士を雇うことはできなかった。ケイは覚悟を決めて2回戦の会場にやって来たのだが、いざ闘技場のフィールドに立ってみると、相手チームが「ゾロの恩寵」のルールを使って、アンドリューを指名しての一騎討ちを指定してきたのだ。
「アンドリューさん、大丈夫ですかね?」
ケイの問いに、同じく機体を完全に停止させたシオンが、フィールドに視線を向けた。暗い整備場から見ると、開いた扉の向こうのフィールドは、白昼の陽光の中でまぶしく見える。
「相手にもよるが……まあ、初戦での戦いぶりは、確かなものであったがな」
ケイは、南洋の甲虫類のように緑金色に輝く、アンドリューの鎧を見つめた。相変わらず、兜には長い二又の角飾りを付けていて、本当に巨大なカブトムシのようだ。肩の盛り上がった分厚い板金にはいつもの武骨な剣を担ぎ、小さめの盾を左手に付け、満員の観客席から叩き付けられる大歓声をその装甲で弾き返して、平然としているように見えた。
(初戦では、撃破した2機のうちの1機は、確かにアンドリューさんが自力で倒したそうだけど……正直、あのときは自分が生き残るのに精一杯で、師匠たちの戦いぶりを見る余裕が全然なかった。まあ、ど素人の僕が対戦相手に指名されるよりはいいんだろうが)
扉から響いてくる歓声が、一層大きくなった。ケイたちのいる出場口のちょうど向かい側から、相手の機体が登場して来たのだ。
低く重厚なエンジン音を響かせて歩んできたそれは、ケイが今まで見た機体のどれよりも、あの〈ガルグイユ〉よりも、ずっと大きかった。ケイの〈エントーマβ〉のように鎧を着た人間に似たシルエットではなく、鋼の巨大なブロックが組み合わさった、ごつごつした怪物的な形状をしている。腕も足も太く、その一本だけでアンドリューと同じくらいの大きさがありそうだ。盾は持たず、柄は短めの、しかし刃の部分が大きい槍を、両手で持っている。
「〈マムート〉系のエンドスケルトンか。大出力と、増加武装を肩に動力接続することを前提としている設計が売りの機体だね」
機体から降りたケイのそばに来たコロネットが、心配そうに言った。
「ああいう重装甲タイプは『戦列型』、それに対して〈エントーマβ〉のような軽量、高機動タイプは『騎兵型』とも呼ばれる。『戦列型』ってのは、文字どおり横一列に並んで戦列を形成し、敵の突撃を食い止める鋼の壁になるための機種なんだよ」
ケイは、相手の機体が大きく見えるのは、〈ガルグイユ〉のように重装甲だからではなく、内骨格そのものが巨大であるからだと気付いた。その大きな敵機と比べると、アンドリューの巨体も、まるで子供のようだ。
(これは……大丈夫なのか? あんな動く鉄の城みたいな機械と、生身で戦うなんて!)
ファーンファーンファーンと、試合開始のラッパが響く。ケイたちの危惧をよそに、1000馬力もの出力を持つ機械の怪物と、アンドリューとの一騎討ちが、何の容赦もなく開始された。
敵機は、開幕からいきなり脚部を変形させ、拍車滑走に入った。他の機体と同じく、足首が引き込まれて車輪に置き換わるような変形だったが、車輪の数が違った。脚一本に付き2個、合計4輪のタイヤで重い機体を支え、ゆっくりと加速を始める。やはり、機体が大きい分、加速はあまり速くないようだった。
(ああいう巨大な機体だと、車輪の数も二つじゃ足りないのか……タイヤ一つ当たりにかかる重量が大きくなり過ぎると走行に支障が出るとか、『接地圧』の問題だとか言ってたな)
〈エントーマβ〉もあのように車輪の数を増やした方が安定するのに、と言うと、コロネットがその疑問に答えた。
「そりゃそうなんだけど、その代わり、足の先が重たくなるよ。鉄ゲタを履いてるようなもんで、足さばきが悪くなる。〈エントーマβ〉はその鉄ゲタ状態を解消するために、腕や足の先に新素材を――アルミニウムのような軽金属を使って軽量化してるんだ。この問題については、あちらを立てればこちらが立たずって感じで、最適解を見つけるのは難しいね」
〈マムート〉とかいう機体は、すぐに棒立ちのアンドリューの目前に迫った。そのまま轢き殺すつもりなのか、とケイは一瞬思ったが、敵機はアンドリューの手前で、突然左右に機体を振り始めた。
「な、なんじゃこりゃ!? どうやって向きを変えてるんだ?」
ケイは、敵機の奇妙な挙動に愕然とした。〈マムート〉は、脚部を動かして車輪の角度を変えているように見えたが、機体全体の動きはその脚の向きとは一致しておらず、姿勢からは予想できない方向にくるくると回転していたのだ。まるで、見えない大きな手が、上から〈マムート〉の機体を無理やり操っているように見える。
「あれは『
シオンが、腕組みをしてフィールドをにらみ付けながら言った。
「機旋技?」
ケイにとっては、初めて聞く言葉だった。
「うむ。戦列機は、中に乗った魔剣士の動きを、そのままトレースして動作する機械じゃ。じゃから、基本的には、生身の剣術を――装甲があるゆえ『具足剣術』が基本となるが――そのまま拡大して応用できる。しかし、機軸ジャイロや拍車滑走など、機械ならではの仕組みを利用して、人間の肉体にはできない、戦列機独特の動きで戦う技術もあるのじゃ。それを、生身の剣術と区別して『機旋技』と呼ぶ。おぬしに教えた、ギヤチェンジして力不足を補ったり、逆に動作の速度を速めたりといった技術も、その一部なのじゃ」
「なるほど……機械ならではの戦術……」
シオンは、アンドリューの周囲を奇妙な動きで旋回する敵機を、鋭い視線で見つめた。
「あれは機旋技の系統の一つ、
アンドリューは相変わらず、右手に剣をぶら下げて、棒立ちのままだった。自分の周囲を踊り回る巨大な敵機の旋回力に、おびえ切ってすくんでしまったようにも見える。敵機はそのまま奇妙な回転を続けるかに見えたが、いきなり走行のラインを変え、急激なスピンとともに、手にした槍でなぎ払いを仕掛けた!
しかし、その恐ろしげな刃がアンドリューの脚を切断した、と見えたその瞬間、彼の緑色の姿は、斬撃の切断面から消失していた。
(な、何だ? いったいこれは何だ?)
姿が消えた、と思えたのは、アンドリューの動きがケイの予測を完全に超えていたからだ。敵機の旋回攻撃をかわしたその動きは、人間の、巨人族のそれなどでは、決してなかった。彼は、上半身は剣を担いだ姿勢のまま、脚だけを目まぐるしく動かして、左右に高速移動していた。その脚の動きは、どう見ても巨人族の――人間と同じ関節構造をしているはずの生物のものではなかった。まるで、カニが素早く敵から逃げるときの、あるいはゴキブリか何か、高速で走行できる昆虫の、脚の動きそのままだった。
「あ、あれは……人間の脚じゃない!」
思わず漏れたケイの言葉に、シオンは馬鹿を見る目で答えた。
「彼が、巨人族などといった、人間の親戚筋に見えておったのか? おぬしの目はまったくもって、廃屋のほこりまみれの床板の節穴以下じゃのう、この不肖の弟子が」
その言葉に、師匠にはあの鎧の中身の推測がついているのだ、とケイは思った。
観客席から聞こえる歓声には、何か異様な響きが混じるようになった。理解不能なものを見たときの、違和感を示すざわめきだ。アンドリューは、敵機が見せた複雑な旋回攻撃に対して、同様の動きで応えていた。両者共に、フィールドの中に複雑な軌道を描きつつ、激しく攻撃の応酬があり、何度も刃の激突から火花が散る。
(すごい……アンドリューさん、あの巨大な機体と、互角に打ち合ってるよ! いったい、何者なんだ?)
敵機は、明らかに戸惑い、焦っていた。機旋技による複雑な旋回をやめると、車輪を逆転させ、土ぼこりを上げながら少し距離を取る。息を整えるのか、とケイが感じた瞬間だった。
敵機の太い左腕から、何かがはじけるように飛び出した。そしてその蛇のような何かは鞭のように空中を飛び、アンドリューの首筋に、深々と突き刺さっていた。
「アンドリューさん!」
ケイが思わず叫ぶのと同時に、アンドリューの巨体から力が抜けた。そして、緑色の鎧が、地響きを立てて地面に倒れ伏した。
「いかん! あれは……鎧の隙間に入ったぞ……!」
シオンも、愕然とした表情でフィールドの中央を見つめている。アンドリューは、地面に倒れたままぴくりとも動かない。その上には、黒い蛇のようなものが蠢いていた。敵機の太い左腕は、まるでカマキリが折り畳んだ前脚の鎌を繰り出すような感じで変形し、幾つもの関節が連接した細長い鞭のような形状になっていた。その先端に隠されていた細く鋭い刃が、アンドリューの首筋を捉えたのだ、とケイにはやっと分かった。
「
倒れたアンドリューの心配もせずに敵機に興味津々のコロネットに、ケイは呆れた。
「アンドリューさん! まずいんじゃないですか、手当てしないと!」
「いえ、大丈夫でしょう」
高音のきれいな声が響いた。いつの間にか、ケイの背後に、テアロマが立っていた。宿舎と同じエプロンドレス姿で、冷静な目でフィールドをじっと見つめている。観客席から観戦していたはずだが、相手チームがゾロのカードの権利を使ったのを見て、この出場口まで降りてきたらしい。
「ひ、姫さま! ほんとに大丈夫だと思うんですか!?」
テアロマは、なぜか確信に満ちた口調で断言した。
「大丈夫ですよ。鎧の隙間は通っても、アンドリューの身体は貫通していません!」
(な、何でそんなことが分かるんだ?)
ケイの疑問をよそに、テアロマは口元に手を当てて、フィールドに向かって大声で叫んだ。
「アンドリュー! 早く起きなさーい! いつまで寝てるの!」
朝ごはんですよとでも言いそうなその呼びかけに、今まで微動だにしなかった鎧の巨体が、むっくりと起き上がった。
「ああ、さすがに驚いた。まさかあんな仕掛けがあるとは、予想外だった。これは興味深い」
(へ、平気なのか? アンドリューさん、無事でよかったけど)
敵機は、アンドリューに致命傷を与えたと確信していたらしく、明らかにたじろいでいた。その前に歩み出しつつ、アンドリューは、鉄板を重ねたような形状の自分の剣を、軽く振るような動作をした。すると、敵機の左腕と同じように、剣が分解するような動きをして、幾つかの関節のついた鞭のような形になった。ちょうど、脱穀に使う殻竿のような仕組みだ。
「ほう、あの剣は、ああいう仕込みがあったのか。メカニカル・ウィップの類の武器じゃな」
シオンの言葉どおり、アンドリューはその変形した武器を鞭のように振って、間合いを取った状態で敵機と打ち合い始めた。相手も、蛇のように変形した左腕だけ使って、その攻撃に対応してくる。両者の間で、長い触手同士の空中戦が展開された。目にも止まらない速さで、鋼鉄の蛇同士が噛み付き合い、首筋を打ち付け合い、闘技場の空中に鋼の火花が派手に飛び散る。
「あれ? 敵機の方は、最初の不意打ちに比べると動きが遅いような……」
そのケイの疑問に、コロネットはうなずいて答えた。
「ああいうギミックは、スプリングを使って、最初の一撃だけ高速で展開できるような機構になってることが多いんだ。相手の方は、一度展開した腕をばねを引き絞って戻さないと、初撃の速度は出せないんだろうね」
ケイは、超高速の攻撃を続けるアンドリューの兜の穴から、またあの青い炎がちらついているのに気付いた。その光のゆらめきは彼の思考そのもので、攻撃を仕掛けながら、冷静に何かを狙っているようにケイには思えた。
そして、その青い光が、一瞬だけ、閃光のように輝きを放った! 同時に、ベキッという、薄い鉄板を思い切りねじったような破壊音が、闘技場に響き渡る。
戦う両者の間、その空間にあった2匹の鋼の蛇は、まるでもつれた糸か何かのように、がっちりと絡み合っていた。やがて、アンドリューの蛇だけが、その絡み合いをほどいて外し、一瞬の金属光沢の反射を残して、元の剣の形状に戻る。後には、敵機の左腕だけが空中に残った。その鞭のような精密な仕掛け腕は、空中に弧を描いたまま、みしみしと異様な音を立て、がたがたと振動している。
アンドリューの計算され尽くした一撃が、格闘技の関節技のように
「その左腕はもう使えない。変形した腕を引き戻すことができない以上、槍も右手だけで使うことになる。まだ試合を続行するかね?」
アンドリューは肩に剣を担いで、左手の指で敵機を指さした。一瞬の静寂の後、敵機の胸部ハッチが開き、中から乗り手の魔剣士が立ち上がって、両手を上げて手のひらを見せた。ケイは、彼も自分と同じくらいの年齢だろう、と感じた。その顔には、頬に大きく「7」の数字の刺青があった。
「俺の負けだ!」
観客席から、異様な響きの歓声が響き渡った。罵声交じりのその音響からすると、どうやら、大半の客がアンドリューの負けに賭けていたらしい。アンドリューはそのブーイングの大音量の中に立って、相変わらず平然としていた。緑金色の鎧は、真昼の陽光を受けて、黄金のインゴットのような輝きを放ち、勝利者が誰かを冷徹に示していた。
闘技場という栄光と破壊の舞台から戻ってきたアンドリューを、整備士たちが歓喜と賞賛の声を上げて出迎えた。その声の調子から、あの緑の鎧の中身が何者か、彼らも知っているのだろうと、ケイは感じた。
「アンドリュー、ご苦労さま! 後でホットワイン作ってあげるね!」
「うむ、それはいいな。砂糖をたっぷりで頼む」
テアロマのねぎらいに答えるアンドリューの鎧には、首筋の部分に大きな傷があった。やはり、敵機の刃が彼の装甲を貫きかけたのは間違いない。
「いやしかし、驚いたぞアンドリュー殿! あれは機旋技の一つ、
シオンの手放しの賞賛に、アンドリューはいつもと同じ、冷静な美声で答えた。
「訓練を受けたわけではない。敵機の機体を観察し、分析し、構造上の弱点を見つけ出して、最小限の力で破壊できるように攻撃したのだ」
ケイも、アンドリューに声を掛けようと思った。彼の正体がたとえ「地獄の騎士」だとしても、今日の勝利は、間違いなくこの鎧の巨人の手柄だった。
「アンドリューさん、傷は大丈夫ですか? 兜を脱いで手当てした方が……」
そのケイの言葉に、アンドリューはいきなりぐっと身を乗り出し、彼に顔を近づけた。金色の兜の眉庇が、ケイの眼前に迫った。
「この兜の下の、私の素顔が見たいかね?」
「へ? いえ、そういうわけではなく……」
アンドリューは、さらにケイに接近した。鋼の兜に幾つも開いたのぞき穴から、また青い炎がちらついているのが、はっきりと見えた。
「好奇心を持つのは、知的生命体としては当然のことだ。だが、この世には、決して触れてはならない、禁忌の領域、接近するだけでその精神と肉体を汚染しかねない、暗黒の深淵が存在するのだ! 心せよ、君が深淵をのぞき込むとき、深淵の方もまた、君をのぞいているのだということを!」
(のぞき魔はあなたの方でしょ、アンドリューさん!)
ケイは恐怖に駆られて、ただふるふると左右に首を振った。アンドリューはそれを見て、満足げに角飾りを振りたてた。
「それでいい。そういう設定にしろと女王陛下に言われたのだ」
そのとき、ぴきーんという破滅の音が響き、敵機の攻撃で深く傷が入っていた兜の金具が、完全に破断した。アンドリューの顔面を覆っていた鋼の仮面は、重力に敗北して、整備場の鉄板の床に落下した。耳障りな騒音が、天井まで響き渡る。
そして、ケイ・ボルガは、兜の奥の深淵とやらを、見てしまった。
彼は、そのあまりの光景に、その場でよろめいた。揺れる視界の隅に、姫君と整備士たちが「あ」の発音の形を口で作って固まっているのが映る。なんとか、その場で踏みとどまった。それから、自らの過酷な運命と、眼前の恐るべき暗黒の淵からどうやっても逃れることのできない、その回避不能な残酷な状況に対して、魂の全てを絞り出すかのような呪詛の声を上げた。
「見ちゃったじゃないですかあああ!」
アンドリューの右手が、大きな包丁をまるでペティナイフのようにつまみ上げ、左手がジャガイモを一つ拾い上げた。さらに、第3の手がもう一本の包丁を持ち、第4の手が、もう一つジャガイモをその指につかむ。そして、合計4本の腕が、2個のジャガイモを同時に、超高速でむきはじめた。しゅるしゅるという軽快な音とともに、ジャガイモの皮が2本、ひも状になって平行に空中を飛んでいく。
(なんてこった……本当に、自分のこの目で見ても信じられない! こんな生物が、しかも人間と同じレベルの知能を持った存在が、この世にいるなんて!)
ケイは、目の前にいる驚異の生物を、「アンドリュー」という名の、あの緑色の鎧巨人の中身を、好奇心むき出しの視線で見つめた。キッチンの勝手口の外にある井戸のそばでジャガイモの皮むきをしているそれは、巨大な、二股に分かれた角の生えた、カブトムシだった。
(カブトムシみたいな鎧の中から、カブトムシが出てきた……)
その姿は、まさに、巨人サイズの、カブトムシそのものだった。熱帯地域の甲虫類のように、緑金色の複雑な反射を見せる金属光沢の甲殻が、全身をくまなく覆っている。その外骨格は、ケイが見慣れた昆虫の体と同じで、自由に動けるように幾つものパーツに分かれ、関節で連接している。滑らかで美しい曲線を描くその表面は、隙のない精密なラインで組み合わさっていて、生物の肉体というより、優れた職人技によって作られた金属製品のように見えた。
実際、その甲殻は、戦列機の攻撃にすら耐えたのだ。
(攻撃が鎧の隙間を抜けて首筋に入ったと思ったけど、中にもう一枚装甲があったわけだ。人間のような姿に見えてたけど、なるほど、六本脚の昆虫だったんだなあ……あの『角飾り』も、本当にアンドリューさんの角だったか)
アンドリューの身体は、ケイの知っている小さな昆虫と、基本構造は同じに見える。立派な角の生えた、複眼と触角のある頭部。胸部は前胸、中胸、後胸の三つの節からなり、その後に腹部が接続している。ただし、普通の昆虫に比べて腹部はとても小さく、後胸とほとんど一体化している。その後胸から生えている太い後脚が、ちょうど人間の脚と同じような配置になって、2足歩行できるようになっていた。その上にある中脚は、人間の手のように指を持っていて、これがいままで「アンドリューの腕」としてケイが認識していた部分だった。
さらにその上にある前脚は非常に太く、カマキリの鎌のように鋭くとがった先端を持っているが、その先にはやはり、中脚同様に器用に使える手首が付いていた。この部分は「戦闘用」の脚だということだが、アンドリューが鎧を着ていた間は、肩に見える部分に折り畳まれて収納されていたようだ。
「子供のころから、捨て犬だのネコの仔だのとよく拾ってくる子じゃったが、今度はまあ、とんでもないものを拾ってきたものじゃのう……」
石壁に背中を預けているシオンが、目の前の巨大昆虫を呆れた視線で眺めながら言った。井戸端に座ってエンドウマメをさやからほじくり出しながら、テアロマが楽しそうに答えた。
「拾っちゃいました!」
「うむ、拾われた。君たち人間の世界に調査にやってきてから、私は病に倒れた。死にかけていたところを、テアロマに救われたのだ」
(イクスファウナのお城で何かがあって、師匠が王位継承権も王族の名も捨てて店に来たころ、そう、ちょうど僕が師匠に出会って剣術を習い始めたころに、姫さまはアンドリューさんを拾ったということになるのかな……)
アンドリューの声は、頭部ではなく、胴体の中から響いてくるようだった。彼の説明によれば、彼ら「
(道理で、飲み食いしながらでも平気でしゃべれるわけだ)
そう思いながらも、人間の習性で、ケイはついアンドリューの顔を見てしまった。カブトムシ同様に黒くつややかに輝く複眼を持っているその顔には、当然ながら何の表情も読み取ることはできない。ただし、その複眼の間、人間で言えば額の部分には、青い光を放ち明滅する、半透明の宝石のような器官があった。この「魔力検知器官」が、鎧ののぞき穴から漏れる青い光の正体だったのだ。
「その青い目は、魔力が見えるって、本当ですか?」
ケイの質問に、アンドリューは額から青い光を放ちながら答えた。
「この『魔力検知器官』には、確かに魔力の存在を見る機能がある。だが、それだけではない。これによって、私の意識は常に、他の仲間たちとつながっているのだ」
その言葉に、シオンが何かを思い出そうとしているような目で空中をにらんだ。
「確か、昔読んだ古代の研究書によれば……昆虫人は、数億の個体全てで一つの意識を持つ、という説があったような記憶が……それは本当かのう?」
アンドリューは、早くも10個目のジャガイモをむき終わりながら答えた。
「それは正確な記述とは言えないな。我々昆虫人には、個体としての意識はそれぞれ確かにある。だが、同時に、この『魔力検知器官』をテレパシー通信機として、あらゆる経験、感覚、記憶を、常に同時に共有できるのだ。だから、我々は、『孤独』を知らない。その概念自体が、我々の種族の記憶にはないのだよ」
アンドリューは、立派な角を振り立てながら語り続けた。
「今こうして君たちと会話しているこの内容も、はるかかなたのわが故郷の仲間たちに、全て伝わっているよ。君たちのもたらす情報、特に闘技場の様子などは、仲間たちの興味をかなり引いている。君たち人間の表現を借りれば『けっこうウケている』というところだ」
ケイは、アンドリューの頭部にきらめく、宝石のような青い光を見つめた。あの光の向こうには、「昆虫大陸」に住むアンドリューの仲間たちの精神があって、今この瞬間も自分たちを見ているということなのだろうか?
「その共有された部分の意識によって、我々は種族全体の行動の方向性を決定する。これを――君たちの言葉に直せば、『神脳』とでも呼ぶべきか、その『神脳システム』が、我々にとっての政治に当たるということになる」
「なるほど、全ての個体が『民であり、同時に王である』という古代の伝説は、そういう意味であったか」
「『神脳』に自分の得た情報が伝わると、他の個体からの反響が快感になる。それゆえ、昆虫人は、より新しく興味深い情報を得ようとする、好奇心の強い方向へ進化したのだよ」
ケイは、アンドリューの語った内容について想像をめぐらせた。他の個体の経験や技術を全て共有できるということは、例えば、他の昆虫人が剣術の修行をして技を習得したら、アンドリューもすぐにその技を使えるようになる、ということだ。そんな能力を持った生物に、人間がかなうとは到底思えない。
(敵機のあの伸びる仕掛け腕を一瞬で故障させたのも、その『神脳』って奴で仲間の脳を借りて、機体の構造を短時間で分析したってことか。まあ、味方としては頼もしいばかりの戦闘能力だけど……それにしても、伝説の『昆虫大陸』か……まさか、本当にあったなんて!)
昆虫人アンドリューは、はるか南方の大洋のかなた、伝説上の存在だった「昆虫大陸」からやって来たのだった。そこは、脊椎動物が進化しなかった世界で、海中には魚の姿はなく、陸には獣の姿もないのだという。その代わり、節足動物が巨大に進化していて、クジラほどもあるエビが波をかき分けて泳ぎ、森にはゾウほどもある昆虫が闊歩しているというのだ。
「理由は不明だが、我々の大陸では、魔石が大きな結晶として存在していない。土壌中に、微細な針状結晶として大量に含有されているのだ。我々の世界の節足動物は、この魔石の針状結晶を外骨格に取り込む能力を進化させた。それによって、軽量で強靭な皮膚を骨格として機能させ、巨大化することができたのだよ。呼吸器官も、君たちの世界の小型昆虫は気管だけだが、我々巨大昆虫は手足の筋肉で動く補助肺を持っている」
ケイは、手にしたジャガイモの皮を眺めながら、はるかかなたの異世界に思いをはせた。この世界は球体であるということは、ある程度の教育を受けた人間なら誰でも知っていることだ。別に、教会から異端扱いされるということもない。
しかし、実際に世界一周に成功した者は、まだいない。世界のいたるところに「魔石山脈」や「大波濤」、南の砂漠の向こうにある「死の未踏地帯」のような「断絶」が存在しているからだ。この世界は「球面とは言っても、むいたジャガイモの皮のようなもの」で、断絶の向こうには何もないのだ、と言う者も多かった。
しかし、その巨大なる断絶を、アンドリューは越えてきたのだ!
「アンドリュー殿、昆虫大陸からこちらにやって来る際に、あの『大波濤』を越えた、というのは、本当か?」
シオンの言葉に、ケイははっと顔を上げた。「大波濤」というのは、人間の住むいくつかの大陸から南に大洋を進んだところにあるという、巨大な海水の壁だった。実際にそれを目にした者は少ないのだが、いかなる神秘の力によるものか、数百メートルもの高さにまで海水が壁のように持ち上がり、山脈のごとくに船の行く手を阻んでいるというのだ。
アンドリューの思考そのものであるかのように、魔力検知器官に青い炎がまた宿った。
「それなのだが、実は、この数十年ほどで、その海の壁がかなり低くなってきているのだよ。だから、我々にも越えることができたのだ」
ケイは、そのアンドリューの言葉と、最近聞いたうわさとの関連に気が付いた。
「あっ、最近この辺りの海で、3メートル以上もある巨大なカニやエビが取れるようになったっていううわさがあるんですが、まさか……」
アンドリューは、金属でできているかのような立派な角を振り立てた。
「うむ、関連性は十分に考えられる」
テアロマも、ぴょんと飛び上がるようにして手を挙げた。
「はい! それ、捕まえて食べたことがあります! けっこう塩味が効いてておいしかったですよ!」
(食ったのかよ! さすが姫さまというかなんというか……)
それまで、ずっと何かを思い出そうとしているような表情だったシオンが、ゆっくりと口を開いた。
「……実はな、北方の『影の国々』辺りの『魔石山脈』が、やはりここ数十年で、まるで昇華するかのように、どんどん消滅し始めておるのじゃ。それに伴い、今までほとんど交通のなかった北の土地から、異民族が侵入し始めているらしい。私も、冒険者の仲間と共に、一度調査に行ったことがある。確かに、氷が溶けたかのように、あの魔石の峻厳たる山脈が、丸みを帯びて低くなっておるようじゃった」
シオンは、アンドリューの金属光沢を帯びた外骨格を見つめた。
「アンドリュー殿の話からすると、北の『魔石山脈』の消失と、南洋の『大波濤』の沈静化とは、ほぼ時期を同じくして起こっておるようじゃ。この世界に、何か、大きな変化が起きようとしておるのかも知れん」
ケイは、目を丸くしてシオンの顔を見つめた。
「魔石山脈」とは、はるか北の「影の国々」にそびえ立つ、標高1万メートル以上にもなる、文字どおり全て「魔石」の結晶でできた山脈だった。普通の岩石の強度では不可能なほどの高度に達するその透明な山々は、人間の肉体の能力で越えることは無理な不可侵の領域であり、それ以上北の土地との交通は、完全に途絶していた。それが、ここ数十年で、普通に歩いて越えられるほどの高さにまで溶けてなくなっている、といううわさは、店に来る貴族や学者たちから聞いたことはあった。だがケイには、それはとても事実だとは思えなかったのだ。
(これが『世界』というものの、本当の大きさなんだろうか……師匠もアンドリューさんも、自分の足で旅して、自分の目で見てきて、そんな巨大なものの変化に立ち向かおうとしているのか!)
この1ヵ月足らずの自分の運命の変転が、とてつもなくちっぽけなものに思えてきた。
「そうだ! 我々昆虫人がこの大陸にまで調査に来た目的の一つは、この現象の解明にある。それはともかく、私という個体の目的は別にあるのだが」
アンドリューは、誇らしげに角を振り立てつつ、美声を胴体の中から響かせた。
「私個人の目的は、人間の性行動の観察だ! 誰に頼んでもなぜか見せてもらえないのだが。しかし! 万難を排し、いかなる障害をも乗り越え、私はきっと真実にたどり着いてみせる! 草むらでいちゃつくカップルなどをのぞいたりして!」
「のぞくんじゃありません!」
テアロマは赤面しながらアンドリューにツッコミを入れた。ケイは、アンドリューの今までののぞき行為に、やっと、納得できる解釈を付けることができた。
「な、何だか、夏休みの昆虫観察みたいなこと言ってるし!」
「いえ、ほんとにそういう感じみたいですよ」
呆れるケイに、テアロマがそっとささやいた。ケイはその少し赤くなった顔を見て、やっとアンドリューの、この巨大昆虫の意図を理解できた。自分たちもその「人間の性行動」の観察対象だったのだ!
(なんじゃこりゃ! アンドリューさん、僕たちの間にある身分の差って奴を、全然理解してないんだなあ……僕と姫さまの間に、そんな関係が成立するわけないのに!)
ケイはそう思ってから、頭に焼きついたテアロマの裸体をまた思い出してしまい、慌てて首を振った。
「で、でもすごいですねえアンドリューさん! そんな世界の変化を調査するために、何万キロもの旅をしてきたなんて!」
ケイのその言葉を聞いて、アンドリューはまた、額の青い炎をきらめかせた。その青く透明な光は、何か透徹した、優れた知性の存在を示している。そうケイには感じられた。
「我々の『昆虫大陸』と、君たち脊椎動物の世界を1万年隔てていた『大波濤』は、確実に消失に向かっている。このペースで行けば、おそらく数十年で、完全に消滅するだろう。だから、君か、君の子孫には、世界の断絶を越えて旅する可能性が開けている。君たちには、今まで見たこともない光景を見るための、新しい旅が準備されているのかもしれないよ」
アンドリューの黒い宝石のような複眼を、ケイはただ驚きをもって見返した。そんなことが、広大な世界とその激しい変化に、ちっぽけな自分が直面するような事態が、本当に来るというのだろうか?
「そう、私は、今までに見たこともないような光景を見るために、旅に出たのだ! 嵐の空を飛び、波濤を越え、はるか昆虫大陸からここまで来た。世界の秘密をこの眼で見、それについて、君たちと語り合うために!」
「普通の戦列機だと、機体の挙動を把握し、自分の身体のように操縦できるようになるまで、長い時間がかかるのが当たり前だ。機体の動きの特性が、人体のそれと一致していないからだよ。だから、操縦を『覚え』なければならない。でも、この〈エントーマβ〉は違うんだ。まさにそこが! 違うんだよ!」
コロネットは、とがった耳をぴくぴくさせながら、金色の瞳を輝かせ、整備場の天井まで響くほど高く声を上げた。ケイは、彼女の熱意のこもり過ぎた講釈を聞きながら、床に広げた布の上に並べられた戦列機の部品を眺めた。いかなる職人技によるものか、寸分の狂いもない精密な部品がさらに何層にも組み合わさり、太陽の光にぎらぎらと輝いている。歯車一つとっても、その中にさらにギヤボックスや小さな歯車が配置されているといった具合で、ケイにはそれらがどう機能するのか、全く見当も付かない。
「そういえば、駆動系にチェーン駆動の部分が多いのは何でですか? 僕は、戦列機って機械は、歯車同士ががっちりかみ合って動くものだと思ってたんですが」
話の腰を折るようだが、と思いながら、ケイは質問した。関節部には、チェーンとスプロケットが、まるで筋骨をつなぐ強固な腱のように配置されていて、目立つのだ。コロネットは、そばにある機体の駆動系を眺めながら、笑顔で答えた。
「うんうん、自分の生命を預ける機体だからね、興味を持つべきだよ! それはね、歯車の組み合わせだけだと、衝撃に弱いからさ。歯車同士だと、同時に接しているのは歯一つだけだけど、チェーンとスプロケットなら、複数の歯にショックが分散するからね。ギヤだけだと、衝撃で歯が欠けてしまう。等速で回転し続ける機械じゃないし、外からの衝撃も受けるから、チェーンが伸びることで衝撃を吸収する仕組みになっているんだよ」
「ああなるほど、自転車と同じですか……」
ペダルが直接車輪に付いているのではなく、チェーンと歯車で減速するタイプの、最新式の自転車なら、ケイも見たことがあった。
「まあ、丸くない歯車もあるんですね」
アンドリューと一緒に運んできた午後のお茶とおやつを、機体のそばのテーブルに並べながら、テアロマが言った。彼女の言うとおり、駆動系の歯車の中には、真円ではなく、奇妙に歪んだ形の「虫型歯車|(非円形歯車)」もあった。
「ええ、こういう非円形歯車によって不等速運動を生み出し、人体の運動特性に駆動系の動作を近づけているわけです。この歯車の『窮理の曲線』こそが、〈エントーマβ〉の設計の真髄と言ってもいいでしょう」
ケイは、分解されて駆動系がむき出しになっている、自分の機体の腕部を見つめた。肘に当たる部分のギヤボックスは開けられていて、内部にその「非円形歯車」が組み合わさった、複雑な機構が見える。
「例えば筋肉だって、目玉を動かす動眼筋は、収縮速度は非常に速いが、力は弱い。逆に大腿の筋肉などは、収縮速度は遅めだが、出せる力は非常に強い。同じ筋肉でも、伸びた状態から縮みきるまで、ずっと同じパワーと速度で動くわけでもない。今までの戦列機は、そういう人体の特性を、ちゃんと考えて設計されてはいなかったんだ。だから、機体の挙動をつかんで、自由に動かせるようになるまでが大変だったし、魔剣士の動きを――鍛えられた剣士の技を、忠実にトレースしているとは言えなかった」
コロネットは、自慢げに、ケイの白い機体を見上げた。
「だけど、この〈エントーマβ〉は違う! 駆動系の歯車一つ一つから、ダンパーのばねの収縮特性まで、全てを徹底的に人体の動きに近づけた。まさに、金属製のメカニズムの中に、人体のしなやかな動きを再現したのさ! 戦列機の設計に新時代を拓く、天才の作品と言っていい。それは、自信を持って請け合うよ」
ケイは、コロネットのその言葉に偽りはないのだろう、と思った。この自分の乗っている機体は、確かに画期的な操縦性を誇っているのだ。そうでもなければ、ど素人の自分が数日の練習で操縦を覚え、闘技場の実戦を切り抜けることなど、不可能だったに違いない。
(それにしても、よく生き延びられたもんだ……)
闘技場での初戦を思い出して身震いしているケイに、テアロマが、緑茶の湯飲みときんつばの乗った小皿を差し出した。
「はいどうぞ、ノゾキさんの分」
(『ノゾキさん』が完全に定着したなあ……だんだん自分の官職名か何かに思えてきた……ま、僕がこんな女みたいな顔の、妖精族との混血だから、普通の男と違って気楽にからかえるんだろうけどさ)
ケイの観察したところでは、やはりこの小さな姫君は、男性が少し苦手なようだった。整備士たちにも気安く話しかけてはいるものの、どことなく腰が引けているような雰囲気を感じるのだ。
「そういえば、なぜ『歯車式強化外骨格』が正式名称なのに、『
四本の腕でお茶とお菓子を通常の2倍の速度で配りながら、アンドリューが聞いた。ケイに正体がばれた後、彼は、宿舎では、あの分厚い鎧を着るのをやめていた。整備士たちの様子からすると、やはりその正体を知らなかったのは、ケイだけだったようだ。
(師匠も、アンドリューさんの正体には、見当は付いてたんだろうなあ……)
アンドリューからお茶を受け取りながら、コロネットが答えた。
「ああ、それは、古代文明時代の名称の名残らしいです。古代文明時代にこの機械が開発されたときは、最初は鎧のように『着る』外骨格で、今よりずっと小型だったようですね。その後、大型化すると同時に、内部のエンドスケルトンに装甲をかぶせる構造に進化した。私たちが今作っている機体は、その古代文明時代の戦闘機械の『劣化した複写』といったところですが」
ケイは、もう一度自分の白い機体を見上げた。白く塗装されているその鋼の装甲には、最初に整備上で見たときと違って、もう幾筋もの刀傷が刻まれ、真新しい金属の断面が鈍く光っていた。その装甲の厚みを確認しながら、彼は店の常連客の学者から聞いた、古代文明の話を思い出した。
(古代魔法文明の、さらに昔の超文明の時代には、『火を付けるだけで大爆発する魔法の粉』があり、それを使った武器は、どんな分厚い鋼板でも一撃で貫いたそうだが、今の世界にはそんな便利で恐ろしいものは存在しない。だから、鋼の装甲をまとった戦列機は、死すら恐れぬ勇敢な重装歩兵でも、魔石の槍を携え悍馬に跨った誇り高き騎士でも、打ち倒すことは不可能なのだ……だったっけ)
「きみきみ、ちょっとちょっと、どうだい? 魔剣士として、戦列機で戦ってみた感想は? 少しは慣れたかな?」
コロネットが、大きな瞳をさらに丸くして、じっとケイを見つめていた。明るい口調とは裏腹に、その視線は冷静で、彼の操縦者としての適性を見極めようとしているかのようだ。
「いや……慣れるも慣れないも、何とか生き延びたってだけですよ。僕みたいな凡人にはとても向いてない、とんでもない世界です」
ケイの言葉に、コロネットはにやにやしながら、彼の心を探っているような視線を向けた。
「そうかい? それにしちゃあ、けっこう熱心に操縦の訓練をしてたじゃないか。私の見るところ、君には戦列機の乗り手としての才能があると思うけどね。ここ数日での呑み込みの早さは、悪くない方だと思うよ」
「いや、それは……」
「君も男だろう? 目を見れば分かるよ。君は、こいつの馬力に惚れ込んでしまったはずだ。この鋼の機体が、君の腕力に、君の剣になるんだよ」
ケイはダークエルフの金の瞳を見つめ返しながら、「男」か、と口の中で繰り返した。
(それは……そうかもしれない。僕は、確かに、戦列機の力に魅了されている。この機械に乗って、大木も軽くへし折るほどのパワーを操ることが、楽しいんだ。だから、逃げずにまだここにいる)
ケイの白い機体を親指で差しつつ、コロネットは、突然真顔になって言った。
「君、魔剣持ちになったんだから、戦列機の乗り手としてやっていくことを考えてみてはどうだい? 今の時代なら、どこの国でも引く手あまただよ! 手柄を上げて出世すれば、騎士の位にだって手が届く! 貴族になれるかもしれないんだよ?」
ケイは、コロネットの突然の言葉にどう答えていいものか分からず、視線をそらした。その先には、テアロマ姫の目があった。そのきれいな瞳は、静かな感情をたたえていて、何かが起きるのをじっと待っている、と見えた。
「いやあ、僕にはやっぱり、向いてないと思います……」
その言葉に、お茶を配り終わったアンドリューが、胴体の中から声を響かせた。
「そうかね? 実際にやってみなければ、向いているかいないかは、分からないのではないのかね?」
ケイは、返答に窮して、ただ黙ってアンドリューの顔を見つめた。そこには、当然のことながら、何の表情も読み取れなかった。感情のない、黒い宝玉のような複眼に、自分の顔が映りこんでいるのが見える。
(みんなが、誰もが、師匠と同じようなことを言うんだよなあ……ていうか、巨大カブトムシにまで言われるとは、さすがに夢にも思ってなかったよ!)
ケイは、会話の矛先をそらす機会をうかがいながら、そばのテーブルの上に積んである果物の山から、何かを見繕おうとした。山の手前にあるリンゴを手に取ろうとした瞬間、テアロマが椅子からぴょんと跳ね上がるようにして、あっと声を上げた。
「あそれ、芯が腐ってます! その右の、赤いのがおいしいですよ」
ケイは、リンゴに伸ばした指先を寸前で止めて、そのままの姿勢でテアロマの顔を見つめた。
そして彼は、あの雨の夜にこの小さな姫君と出会ってからずっと、何度も感じていた違和感を、やっとここで質問の言葉に変えることができた。
「姫さま、どうして分かったんですか?」
ケイは、テアロマに身体ごと向き直ってから、さらに質問を重ねた。
「今までも……その、魚の山の下から珍しい種類のを引っ張り出したりとか、手をかざしただけで袋の中の芋の良し悪しを見抜いたりとか……何か、特別な魔法か何かを使ってるんですか? 姫さまの食べ物に対しての目利きぶり、どうにも尋常の域ではないように思えるのですが」
その質問に、テアロマは少し戸惑ったようにもじもじしてから、なぜか少し悲しそうな表情を浮かべた。前髪の魚の形の髪留めが、少し揺れた。
「テアロマは『水晶の舌』だからだよ。彼女の特殊能力を、君は知らなかったのかね?」
感情のこもらない声で、こともなげにアンドリューが言った。ケイはその言葉を聞いて、子供のころから知っていたはずの、ある神話を、現代にまで生きている「神」の伝説を、はっきりと思い出した。
「あっ、そうか! イクスファウナのお姫さま……数年前に、『水晶の舌』の生まれ変わりだって正式に認定された……そうか、何で、気が付かなかったんだ……生き神さまだ!」
その最後の言葉を聞いた瞬間、テアロマの表情に、暗い影が差した。
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