僕は、鋼になる。――歯車式の鉄血戦記(ギヤードクロニクル)――

絵茄 敬造

第1章 プロローグ ――何かが「道」をやってくる――

 少年は、「道」が好きだった。


 少年の名は、パルタ。10歳になったばかり。見下ろす足元には、街で買ってもらったばかりの、ゴム引き布の真新しい靴。そして、その靴底の下には、彼の大好きな「道」の、どこまでも続く、真っ白な路面があった。


 パルタは顔を上げて、ヴェルデンの街からずっと歩いてきた、白い街道を見渡した。日はもう落ちてしまい、見渡す限りの春の草原も、そのかなたの森も、暗く沈んで見えにくい。木とわらと土だけでできた周囲の農村の風景や、丘の上の白い石造りの貴族の屋敷も、今はもう、細部の見えない、紫色の影になっている。しかし、彼が歩いているこの「道」だけは、まるでそこだけ太陽の力が残っているかのように、ぼんやりと光っていて、暗い平原の中を白く貫いていた。


 隣を歩く母が、ちょっと遅くなったね、と言った。パルタはうなずくと、母が引いている空の荷車の後ろに回った。野菜の汁が染みて黒ずんだ荷台に手を掛け、押し始める。木製の車輪がからからと回る音が、少しだけテンポを速めた。


 パルタは、自家製の野菜や果物を売りに出る母を手伝って、朝から荷車を押して出かけたのだ。自分の村からこの白い街道を歩いて、大都市ヴェルデンの市場で商品をさばいた、その帰り道だった。朝は大人の背丈ほどに積まれていたキャベツや白菜は、今は全て売れて、空の荷車は軽い。それでも、パルタは体重を掛けて、母の身体まで押すつもりで荷車を走らせた。


(やっぱりすごいや、この白い道は。重い荷車でも、どんどん走るぞ)


 朝方の荷車は野菜を満載して重たかったが、それでも、母子二人の力だけで荷車はちゃんと動き、朝市が始まったばかりのころには、もうヴェルデンの市場に着いていた。それも、パルタが大好きなこの白い街道の――「竜骨街道ドラグボーン・ハイウェイ」のおかげだった。この道がなければ、パルタたちが都会に出るには、山や谷を上り下りして3日はかかるはずだ。その白く滑らかな路面と、地形を貫いて平らに走る性質は、物資の輸送や情報のやり取りを高速化する。それは「世界に富を循環させる動脈」なのだ――と、彼は、いつもの村長の言葉を思い出した。


 この白く輝く「竜骨街道」は、村長の言葉によれば、「何万年も昔の超古代文明」とやらの、偉大なる遺産なのだ、ということだった。その「超古代文明」には、空に浮かぶ城や、鉄の鎧も貫く光の矢を放つ弓など、今では失われた高度な魔法の技術があった。しかし、大昔にはこの世界をあまねく満たしていた「魔力」が、突然全て消滅する、という事件が起こった。魔法文明の超技術は、そのほとんどがエネルギー源を失い、一夜にしてただのがらくたになってしまったのだ。


 だが、この「竜骨街道」は、魔力を全く使わず、木や草のように、太陽の光と水と土で働き続けるように作られていた。だから、この白い道だけが、超古代文明消滅後の1万年以上を生き延び、現在でも世界中の人々が、変わらずその上を歩いている。


 そう、この路面は、本当に、生きているのだ。


 パルタは、足元でぼうっとした光を放つ、白い路面を見つめた。その表面は滑らかだが、ちょっと乾いたようにも、少し透明感があるようにも見え、まるで動物の骨のようだ。彼は、その表面が決して擦り切れず、ひび割れたり穴が開いたりしても、数週間で治ってしまうことを知っていた。


(この道をずっと行った先には、ヴェルデンと同じくらいの街が幾つもあって、その向こうでは、道が海を渡る橋になっているんだ――そして、海の向こうは、南の島国のイクスファウナ!)


 もちろん、まだ10歳のパルタは、それらの場所に行ったことはない。村長が額に掛けて飾っている古びた地図で――村の若い衆は、不正確だと馬鹿にしていたが――知っただけだ。でも、今、自分の歩むこの「竜骨街道」が、山や谷を貫きずっと延びていって、はるかかなたの見知らぬ国までつながっている。道を通って、いろんな物が、荷車でやって来る。そう想像することが、とても楽しかった。軽い荷車も、硬い路面の感触も、大好きな母と歩むこの帰り道の、その全てが素晴らしいもの、傷一つない、完全なものだった。


「パルタ。脇へ避けるよ」


 荷車の前から、母の声がした。ぐっと、両手でつかんだ荷台が斜めに動く。パルタは荷車に引っ張られて斜めに歩き、そのまま白い路面の端まで行って止まった。


 突然、前方から、路面のぼんやりした光とはまるで違う強さの、まぶしい光が照らした。


 その光は一つではなく、複数あるようだった。前方から、ちょうど「竜骨街道」のカーブに沿って、こちらへ迫ってくる。スズメバチの羽音のような、大きな犬の唸り声のような、奇妙な音が響いてきた。


(戦列機だ! すごいや、こんなに何台も急いで……戦争でもあるのかな?)


 その接近してくる光が、「道を走る機械の乗り物」だということを、パルタは知っていた。この「竜骨街道」でも、旅の自由騎士が乗る戦列機がのんびりと走っていくのは、日常の光景だった。「危ないから近寄ってはダメ」と大人たちに言われていたから、なるべく離れてこわごわと眺めるだけだったのだが。


 道の脇に避けていれば、別に危険はない。戦列機は、「馬よりも速く走ってはダメだ」と、法律で決まっているのだ。そう大人たちは言っていた。気を付けて道の端へ避けて、その巨大な鉄の塊が、エンジンの轟音を立てながら通り過ぎるのを見送る。パルタにとっては、それは当たり前の、毎日の繰り返しの一部だった。


 目を刺すほどの強い光が、目前に迫った。その光の輪の中に、母の姿が、黒い影になる。


 その瞬間、パルタは、いつもとは違う、と感じた。


 大きな薪を割ったような、乾いた音が響いた。目の前の荷車が、白い閃光の中、宙に舞った。砕けた木片が肩に当たる。その衝撃で、パルタは、路肩に露出した土の地面に倒れた。顔の上を、鉄のたががはまった車輪が、回転しながら飛んでいくのが見えた。


 パルタは、起き上がろうとしたが、身体がしびれてうまく動けなかった。そのすぐ横を、恐ろしい轟音と振動が、早馬の速度で幾つも横切っていく。倒れたままの身体を、地面からの衝撃が何度も貫いた。まぶしい光を発する大質量の群れは、倒れた彼の後方へ全て走っていき、そして、そこで停止したようだった。聞いたこともない奇妙な金属質のうなり音や、分厚い鉄の鍋を打ち合わせるようなやかましい騒音が、複数の音源から響き渡り、宵闇の空気を満たす。


 パルタは、ようやく起き上がれた。左手の痛みに気付いた。手のひらをすりむいていて、傷口が砂で汚れている。地面に座り込んだままで、母の姿を探す。光に照らされて、周囲は昼間のようによく見えた。何メートルも離れた場所に、使い慣れた荷車が、巨人が踏みつけたように真っ二つに裂けて転がっている。


 しかし、母の姿は、どこにもない。背の高い草が、部分的に視界をさえぎっている。それは干し草の固まりのようにまとまって、パルタの周囲に生えていた。


「もう諦めろ! その機体の損傷では、とても逃げ切れんぞ!」


 もう冷たくなり始めた夜の空気を裂いて、男の声が響いた。村の若者たちの会話とはまるで違う、刃物のような、殺気を含んだ声だ。聞いただけで、身体の筋肉がびくりとすくんだ。パルタは、痛む身体の向きを変えて、夜を昼に変えた白い光の方に、恐ろしい轟音が移動していった先に、視線を向けた。


 そこには、巨人がいた。


 身の丈は、ちょうど大人の男の倍か、それ以上――4メートル以上はある。姿は人間と同じで、長い2本の脚の上に太い胴体が乗っていて、たくましい腕も2本。5人いる。白い街道の路面の上に立って、こちらに背を向け、パルタが見ている視線の、さらにその先を見つめていた。


 だが、その巨人たちは、血の通う肉を持つ、生物などではなかった。


 それは、子供のパルタにも、最初から分かっていた。本物の巨人族なら、パルタも何度も見たことがある。性格の優しい種族だが、傭兵として雇われ、分厚い鎧を着て戦場に向かうこともあるのだ。しかし、目の前の「巨人たち」は、鎧を着た亜人種などでは、決してなかった。


(戦列機……機械仕掛けで動く、戦争用の、魔法の鎧!)


 その巨人の体は、何センチもある分厚い鋼板でできた、四角い箱が積み上がってできていた。白い光に浮かび上がるそのシルエットはさまざまだが、不自然に肩幅が広かったり、腕が長かったりして、どう見ても中に巨人族の肉体が入っているようには見えない。その背中も、まるで荷物を背負っているかのように大きな鉄の箱が突き出していて、その箱についている管からは、エンジンの振動に合わせて、白い蒸気が小刻みに噴き出している。腕も足も太く、まるで鉄でできた柱のようだ。その関節の部分には、ぴかぴかと光る金銀の歯車や、小さな部品が連接したチェーンなどが見えていて、手足の動きに呼応するように細かく律動していた。


 がこん、という機械音と共に、巨人の中の一機が、少し爪先立ちになるような動きをした。よく見ると、その巨人には、足首から先の部分がなかった。その代わりに、丈夫そうな鋼のフレームに支えられた、大きなゴムのタイヤが突き出している。軽快な駆動音と共に、そのタイヤは、一瞬で脛の部分に収納され、入れ替わりに巨大な鋼の靴がせり出してきた。ずしん、と重たい音を響かせて、変形させた脚部で着地する。これで、この機体も、他の4機と同じような人型に姿を変えた。


(最新式の、ゴムでできた車輪だ! 隣のおじさんが、馬車をゴムタイヤにしてから、とても楽に走るようになったって言ってたっけ。そうか、今までは、あの車輪で、歩くよりも速く『竜骨街道』を走ってきたんだ……戦うときには、車輪を引き込んで足首を出すのか)


 パルタは、5機の戦列機がじっと視線を向けている、その先の暗闇に目を凝らした。戦列機たちの胸にある明るいランプの光が、迷うように少し動いてから、突然さっと暗闇を切り裂く。


 そこにも、もう一機、別の戦列機が立っていた。腕に、何かを抱えている。


「逃げて……なるべく離れて!」


 他の5機に追われてきたらしいその機体は、腕に抱えた何かを地面にそっと降ろしながら、そう叫んだ。その「何か」は、マントに身を包んだ、小柄な人影だった。言われるままに、マントの人物は小走りに逃れ、暗闇に消える。後には、追っ手の5機に囲まれて、ただ1機だけが仁王立ちになり、敵の投げかける探照灯のまばゆい光に照らされていた。


「……たった1機で、いい覚悟だな。いくら、イクスファウナご自慢の〈ハイヤット〉と言えども、もう駆動系が持つまい」


 追っ手の5機の中の1機から、またあの刃物のような声が響いた。それは、戦列機の中に乗っている「魔剣士」の――この鋼の巨人を魔剣の力で駆動する者の、存在を示していた。声を発した機体は、装甲を塗装しておらず、鋼の地肌がむき出しになった銀色だ。顔には、ぎらぎらと恐ろしく光る、オレンジ色の大きな一つ目だけが目立つ。頭部には、赤い房飾りを付けていた。盾は持たず、自機の身の丈ほどもある鋼の大剣を、肩に担いでいる。その刀身は青黒い鉄製だが、なぜか刃の部分だけが、宝石のようなピンクや緑の色に光っていた。


「見くびってもらっては困る……たとえこの身がここで終わるとも、女王陛下の御為なれば本望なり!」


 マントの人影を降ろした機体からも、やはり鋭い声が投げかけられた。しかし、こちらは少ししゃがれ声で、絞り出すような発声に聞こえる。よく見ると、追われて来たこの機体――〈ハイヤット〉という機種らしい――には、左腕がなかった。上腕部から下が全くなくなっていて、左肩の部分も装甲が外れ、内部の複雑な機械がむき出しになっている。朱色に塗られた装甲にも、真新しい銀色の傷痕が、痛々しいまでに目立った。残った右腕には、優美な曲線を描く、細身の刀が握りしめられている。こちらの刀身も、刃の先端の部分だけが、まるで蛍光塗料でラインを引いたように、かすかに青く光って見えた。


「それが、イクスファウナの『さぶらう者』の矜持というわけか? では、こちらも、戦士の作法にのっとって、一騎討ちとしゃれ込ませてもらうか」


 無塗装銀の一つ目は、一歩前に出た。どうやら、この機体が、追っ手たちの頭目らしい。残りの4機は静止したまま、まるで舞台を照らすかがり火のように、探照灯のまばゆい光を送ることに専念している。追われて来た朱の片腕の機体も、腰を落とし、三日月のような曲刀を身体の前に構えた。


「心意のことごとくを先んじて滅潰す!」


 一つ目の機体の中から、気合を含んだ叫びが叩き付けるように響く。その殺気は、ばん、と白い路面に反響した。片腕の機体から、驚きを含んだ声が返った。


「そうか……その流派、その一つ目、地金がむき出しの機体……『パルムネドウ機械化傭兵団』の、『あざけりのデウズス』!」


「そうとも! この一つ目は、最新式の暗視装置付きよ! 貴様のへたり具合も、夜目にもよく見えるわ!」


 二つ名の示すとおりにあざけりの言葉を発しながら、無塗装一つ目が動いた。ごうっという嵐の突風のような音と共に、身長4メートルの鋼の巨人が突進する。その音が、巨体が押しのけた風の音なのか、それとも機械の手足が奏でる駆動音なのか、パルタには判別できなかった。一つ目は、構えた大剣を、身体ごと叩き付けるように相手にぶつけていった。片腕の朱の機体は、細い刀でその鋼の巨塊を受け止める。数トンもの鋼の塊同士がその身を削り合い、夜の闇の中に、オレンジ色の火花が散った。


(なんて、きれいなんだ……)


 パルタは、傷の痛みも、周囲に響き渡る鋼の轟音も、意識から飛んでいた。たたずむ巨人たちが照らす白い路面の上で、2機の戦列機は、優雅に舞っていた。その機械仕掛けの手足は、中で操る魔剣士の肉体の動きを忠実に再現し、金属製とは思えないしなやかな動きで、巨大な鋼の武器を振るう。一撃ごとに、かがり火が爆ぜるような火の粉が舞う。鉄の足が、「竜骨街道」の白い路面を踏みしめ砕く。


 春の穏やかな夜なのに、巨人たちの身体から突風が吹き出し、パルタの顔を打った。地震などない土地だというのに、鋼の戦士たちの一撃ごとに、地面が波打ち、衝撃波がパルタの腹を貫いた。その戦いの轟音は、彼の平穏な日常を、生活の記憶の全てを、鉄の靴で粉々に挽き潰し、路面の塵へと変えていった。


(これが、戦列機……これは、旅人さんの便利な乗り物なんかじゃないんだ! 鬼神だ! 村長さんが言ってた……神にすら逆らい、世界の理すら突き崩すという、恐ろしい、この世のものではない、鬼神の、戦いだ!)


 どれほどの時間、その暴風のような戦いが続いたのか、パルタには分からなかった。しかし、彼の目にも、片腕の機体の劣勢は明らかだった。


 やがて、片腕の機体は、力尽きた。まるで疲れ切った人間そのままによろめき、鋼の戦士はメカニズムが軋む音とともに後退する。


 闇を裂いて、あざけるオレンジ色の光が、真っすぐに走った。


 無塗装一つ目は、相手の隙を見逃さなかった。パルタが気付いたときには、その大剣の突きが、片腕の機体の、朱色の顔面を貫いていた。ばちばちと恐ろしい音を立てて、太い刀身が深々と突き刺さる。その切っ先は、ちょうど相手の眉間を――両目の間を捉え、レンズでできた双眸を完全に破壊していた。片腕の機体は、全ての力が抜けたかのように、ばたりとうつぶせに倒れた。最期の轟音が、辺りの空気を震わせて響き渡る。


 そして、一つ目の機体から響くエンジン音だけが、その場に残った。


「おーっと、おとなしくしなせえ、お姫さま。あんたの侍は、もうやられちまったよ」


 少し離れた草むらから、別の男の声が響く。背の高い草の影から、筋肉質の色黒の男が現れた。その腕には、さっきのマントの人物が、しっかりと捕らえられている。どうやらこの男は、この一騎討ちの間に、戦いを見守っていた4機の中から降りて、マント姿を捕まえてしまったようだ。探照灯の光の中に入るとすぐに、男は、刺青の入った腕を伸ばして、その茶色の布でできたマントを剥ぎ取った。


 マントの下から現れたのは、20歳くらいの、痩せた、金髪の女性だった。貴族の屋敷に仕える者らしい。仕立てのよさそうな、黒いメイド服を着ていた。


「あっ! こりゃ、テアロマ姫じゃねえ! 姫はまだ15だし、黒髪のはず!」


 女の顔を見るなり、男はそう叫んだ。すると、がらがらという、奇妙な声が響き渡った。いつの間にか、倒された片腕の戦列機から、中の魔剣士が這い出してきていた。あれほどの損傷を受けたのに、中の人間は死なずに済んだらしい。まだ若いようにも見えるが、髪も顔も、血と潤滑油にべったりと汚れていて、人相も分からない。驚いたことに、その手足は包帯だらけで、白い布に赤黒い血が染み出していた。そのイクスファウナの「さむらい」は、自らの血痰に咳き込みながらも、高笑いしていた。


「ははははは、残念だったな! この負傷で闘技場の試合に出られぬようになったが、囮の役だけは、十分に果たせたわ!」


 無塗装一つ目の機体が、ぎしりとばねの軋む音を立てた。オレンジ色の目をぎらつかせつつ、高笑いする血まみれの魔剣士をにらみ付ける。


「やってくれたな……そうか……その手負いの身で、よくもここまで走ったものよ。本物のテアロマ姫は、どこだ?」


 片腕の機体に乗っていた血まみれの魔剣士は、笑い疲れたとでもいうように、ふうっと息を吐いて、あおむけになった。


「……もう遅いわ。本物の姫さまは、アンドリュー殿が連れている。今ごろはもう、目的の場所に着くところよ」


 金髪メイドの片腕をつかんだままの色黒の男が、何かを思い出したような顔で言った。


「アンドリューってのは、確か、テアロマ姫の護衛の、巨人族の男でさ。いつも全身鎧を着込んでいて顔も見せねえが、とんでもねえ手だれだってうわさで……どうします?」


 無塗装一つ目の機体は、うつむいて、少し考え込んでいるような様子に見えた。機械の身体なのだが、中で操縦している魔剣士の姿勢が、そのまま機体に伝わっているのだ。


「……おそらく、目的地は逆方向、フォトラン方面か。もう、都市の城内に入ってしまったろうな。自由都市群の自警戦列騎士団と、もめ事を起こすわけにはいかん」


 ジイイイという歯車の駆動音と共に、オレンジ色の一つ目は金属の兜の下から視線を上げ、周囲に立つ部下の機体をぐるりと見渡した。


「ここまでだ、計画をプランBに変更する! ヴェルデンに向かうぞ! ……まあいい、闘技場で決着を付ける方が、面白かろう。勝てば、トーナメントの賞金もこちらのものだしな」


 一つ目の機体は、その銀色の腕を伸ばすと、地面で大の字にのびている血まみれの男を拾い上げた。大の男の胴体が、戦列機の巨大な手の中に、すっぽりと収まっている。「侍」は、もう気絶してしまったらしく、太い鋼の指にもたれかかって、ぐったりと動かない。


「別働隊の工作もある。イクスファウナの女王と姫に、勝利はもたらされぬ! バタヤン! お前の機体は足が速い! 王都の方に行った連中に伝令に走れ! ……こいつの機体も回収しろ! 行くぞ!」


 部下の機体が2機、地面に倒れた片腕の機体に歩み寄り、両脇から抱えるようにして持ち上げる。壊れた部品ががらんがらんと路面に落ち、鮮血のように滴り落ちる潤滑油が、「竜骨街道」を黒く汚す。機体の動きに応じて、胸部の探照灯の光が白い路面からそれ、周囲が暗くなった。


(あっ……明かりが、なくなる……)


 その場を立ち去ろうとしている戦列機の様子を見て、パルタは、やっと、母のことを思い出した。鋼鉄の嵐のような、鍛冶の火花のような、鮮烈なる戦いは、今、彼の心から去った。冷たくなった手のひらが、不安となって母の不在を教えた。


(母ちゃん……!)


 揺れ動く探照灯の光線が、草むらの陰を照らす。そのとき、見慣れた柄の赤い織物が、視野に入った。


 パルタは、痛む足を引きずりながら、母のところへ駆け寄った。「道」の路肩の砂の上に、母は横たわっている。きれいな長い髪が、砂ぼこりに汚れていた。


「ああ、やっぱりだめか……こりゃ、首が折れてるぜ」


 パルタが母の名を呼ぼうとした瞬間、野太い男の声が響いた。顔を上げると、さっきマントの女性を捕まえていた、色黒の男が、母のそばに立っていた。


「すまねえなあ、坊主。こちとら急いでたもんでなあ……避けらんなくてよ。お前の母ちゃんを、はねちまった。あー、これも任務――仕事でよ」


 男は、腕を上げて、ぽりぽりと頭をかいた。腰には、魔剣の鞘がぶら下がっていたが、それは空で、剣の柄はそこにはなかった。筋肉の盛り上がった腕には、刺青が入っている。騎士のかぶる兜に見えたその図案は、近くでよく見ると、鉄の顔を持つ、戦列機の頭部だった。


「まあ、あれだ。これで、立派な葬式でも、出してやんな」


 パルタの目の前の路面に、ちゃりんと音を立てて、何か光るものが落ちた。それは、とても分厚く大きな、1枚の金貨だった。彼は、それが、銀貨50枚分もの価値がある、大判のロム金貨だと気付いた。


「何してる! 行くぞ!」


 彼ら魔剣士たちの頭領「あざけりのデウズス」の怒声が響く。色黒の男が、慌てて走り出す足音がした。


 そして、今まで辺りの空気を満たしていた、戦列機のエンジン音は、一斉に遠ざかっていった。探照灯の光が失われると、残照も既になく、空には星が見えている。今の戦闘で路面がダメージを受けたためか、「竜骨街道」自体が放つはずの淡い光すら、いつもよりずっと暗い。白い骨のような質感の路面には、漏れ出た潤滑油の黒い染みや、座布団ほどもある戦列機の足跡、その武骨な鋼の足が踏み込んでできた、えぐれたような傷痕が、あちこちに残っていた。


 パルタは、路面に残された、それらの傷痕を見た。それから、視線を外して、足元に落ちている、1枚の金貨を見た。そのまま、目を上げて、周囲の夜の風景を眺める。鋼の音は既にはるかかなたへ走り去り、かすかな夜風のささやきだけの、静かな春の夜だった。傷ついた街道の路面は、少し離れたところからは、いつものように白くぼんやりした蛍光を発して、旅人に道のありかを教えている。


 しかし、その「道」は、もはや、パルタの大好きな、白い街道ではなかった。その夜の道の先は、彼が今まで知らなかった場所へと、つながっていた。そこには、徒歩や馬をはるかに超える超高速の、無機質な金属の身体をした何かがいて、高速で回転する刃でパルタの日常を切削し、彼の大事なものを、何もかも粉砕しつくしてしまうのだ。


 パルタは思った。「道」からは、「いいもの」だけがやって来るのではないのだ。悪いもの、恐ろしいもの――「災厄」も、その滑らかな路面の上を走って、突然やって来ることがあるのだ。


 パルタは、母の身体を押して、母ちゃん、と呼んだ。返事は、なかった。その身体は、ぐにゃぐにゃと柔らかく、何の力も感じられない。触れた肌も、もう、少し、冷え始めていた。


 身体が冷たくなっていること。


 動かず呼吸もしていないこと。


 母の名を呼び声を上げても答えてくれないこと。


 これらの事実が少年の頭の中で結びつき、子供なりに「死」という概念につながるまでには、数分がかかった。


 やがて、夜を切り裂いて悲痛な叫びが響き渡り、「竜骨街道」の、白い骨のような、硬い路面に反射した。



************************



 同時刻。パルタがいる「竜骨街道」の路面からはるかに離れた、深い森の中。


 人も通わぬ山中の、夜の獣道を、一人の人影が走っている。


 それは、あの追っ手の戦列機乗りたちが口にしていた「アンドリュー」という人物だった。


 「イクスファウナの姫の護衛として雇われた、巨人族の男」とされていたその人影は、確かに人間のサイズではない。その身長は、3メートル以上はある。巨体の全身に分厚い板金鎧をまとい、その金属の兜の頭頂部には、二又に分かれた、立派な角飾りがそそり立っていた。


 だが、その重量にもかかわらず、彼の歩みは、山の尾根から吹き降ろす夜風よりも速い。


 いや、それどころか、星明りすら届かぬ木々の間の闇を疾走しながらも、小枝一つ折れる音すらしないのだ。


 彼は、いったい、何者か。


 彼は、もちろん、人間ではない。巨人族のような、妖精族に属する亜人種でもない。


 また、あの追っ手の魔剣士たちが乗っていた戦列機のような、歯車やばねでできた、機械でもなかった。


 この「アンドリュー」と呼ばれる何者かの、その緑金色の板金鎧の中身を計り知ることは、今はできない。ただ、その兜に開いた幾つもののぞき穴からは、鮮烈な青が、美しい光が、ちらちらと漏れ出している。その不思議な色の炎は、まるで鎧の中に宿る幽鬼の魂であるかのように、夜の闇の中を、ゆらゆらとゆらめいていた。


 アンドリューが疾走するこの山道は、今はどこまでもただ暗く、その行く手には、漆黒の闇しか見えない。だが、その道の先には、何かが待っていた。その先には、「偶然」があった。驚異の不確実性が、恐るべき乱数性が、偶然の出会いが、夜を裂いて走る彼のその先に、確かに待っていた。恐るべき「偶然」が、今、起きようとしていた。


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