廃墟暮らしの公爵令嬢は婚約者の王太子に溺愛される

 頭上に響き渡る羽音に顔を上げれば巨大な空色の塊が影を落とす。

 廃墟領の庭の開けた地点にその身を落ち着かせると、背に乗る人物がひらりと地に降り立つ。


「レティシア、久しいな。息災か」


 迎えに出向いた私にそう声をかけ歩み寄るのは婚約者であるルーファス様だ。


「前にお会いした時から一週間しか経っておりませんわ」


 呆れの言葉に構うこともなくその腕で私を包み込み胸の内に沈める。仄かに漂う香水が鼻腔をくすぐりこの人がルーファス様であることが五感に染みわたると、呆れていた気持ちがあっという間に安心に塗り替えられる。私ってばほんとちょろいわ。

 心地のいいその場所にしばし身を委ね、息をつくため顔を上げると熱の籠った頬に口づけが落とされる。


「一週間も、だ」


 切なげに潤む瞳に私を映し吐息を漏らす。……これ以上はいけない。いいように流されてたまるかとその犯罪的な色気から逃れる様に腕の中から脱出し、距離を取る。


「今日はメリルの新作の焼き菓子がありますのよ、お茶にいたしません?」


 平静を装い話題を逸らす。

 ルーファス様は一瞬残念そうに眉を下げるも、私の言葉に関心を移し笑顔を浮かべる。


「そうか。それは楽しみだ、ぜひ呼ばれよう」


 さすがメリルの菓子である。妖精だろうが王族だろうがその胃を掴むことなど造作もないのだ。


 手際よく準備された茶会の席に華やかな造形の焼き菓子と芳醇な紅茶の香が広がる。

 支度をするカインとメリルはもう何度目かの開催になる突発的な王太子殿下との茶会にすっかり適応し、その流れはルーチン化されている。慣れって怖いわ。

 そして慣れたのは私やルーファス様も同じで。出された菓子を手に取ると早速口に運んでいる。


「ほう、これはベルンの花を模しているのか。複雑な形のまま焼き上げるとは見事なものだ。中央に据えられている青い実は……ふむ、程よい酸味と甘み、そして芳醇な香り……」

「その実は妖精たちからいただきましたベルンの果実ですわ」

「ベルンの果実……!」


 白い生地が花びらのように重なりその中央に青い果実が座した菓子は、ルーファス様の指摘通りこの国の国花であるベルンの花を模したものだ。花自体は国中どこででも見られるものだが実となると少し事情が変わり、希少価値が跳ね上がる。なぜなら一般的に見られるこの花は結実しないからだ。実がなるのは妖精の加護を受けた株のみと言われ、当然妖精たちの住むこの森に群生するベルンには実がなり放題。

 ピッテやその仲間の妖精たちに案内された場所には青い実が鈴なりになる光景が広がり、圧巻の一言だった。


「なるほど、妖精の住まう廃墟領ならではの菓子だな。味も申し分ない」


 納得し残りを胃に収めると紅茶を口へと運ぶ。

 この茶葉はルーファス様が差し入れとして何回目かの茶会時に持ち込んだものだった。

 隣国の特産品らしいその茶葉は独特の渋みと草いきれのさわやかな香りを含み、初めて口にした私を一瞬で虜にした。

「レティシアの好みに合うだろうと思って」と言われ自分の分かり易さに辟易しつつも、ルーファス様が私のことを考えながらこの茶葉を選び持ってきてくれたことを想像すると胸の奥が熱くなる。やはりちょろい。

 気を取り直し焼き菓子を口にすれば幸せな味が広がった。


「それにしてもルーファス様、このように頻繁に王宮を空けてよろしいのですか?」


 のんびりと流れる時間の中、不意にもたげた疑問を口にする。

 そう、すでに何度も開催されているこの茶会はもちろん廃墟領が会場で、王宮暮らしのルーファス様はこの地に週に一度くらいのペースで足を運んでいるのだ。

 問題がすべて解決するまでは王都には戻らない、確かに私はそう言った。だからと言って王太子本人が足しげくこちらに通うというのは予想だにしていなかったことだ。


「問題ない、順調に仕事は片付いていっている。セドリックがよく動くおかげだ」


 二つ目の菓子を手に取りそう言うルーファス様の顔はどことなく誇らしげだ。セドリック様の周囲からの評価が不当に低かったのが改善されたようで、その喜びがだだ洩れている。


(こんなにも他人を思いやる気持ちを露わにするだなんて、この人もちょっと変わったわね)


「……レティシアのおかげだ」


 それがセドリック様の事なのか私の心の声に対する返事なのかは分からない。

 ただ何となく照れくさい。


「私は廃墟暮らしを満喫しているだけですわ。それより!」


 相変わらずの可愛げのない態度でおもむろに席を立ち、庭の端で寝そべる巨体に近づく。


「アッシュ! ご機嫌いかが?」


 水色の鱗に覆われたずんぐりした体はハルよりやや大きいようだ。私がアッシュと呼んだその竜は眠そうに片目を開き「グルゥ」と短く返事を返してくれる。

 毎回ハルを馬代わりにすることに無理があるとお兄様とルーファス様の双方が思い至った結果、ハルのお婿さん候補にとお兄様が探し出してきた竜だった。

 お兄様を乗せたハルと共にルーファス様を乗せたアッシュがこの地を初めて訪れたときは流石に言葉が出なかった。威圧感がすごい。でもやっぱり可愛い。ハルに比べて愛想がないのがルーファス様にちょっと似てるわ。

 不愛想な水色の額を遠慮もせずに撫でまわしながらも「竜ってそんなにすぐ見つかるものなのかしら」と首を傾げれば隣でお兄様が「お兄様はすごいんだよ」と得意げに胸を張っている。妖精からはキモチワルイだのコワイだの引かれていたが、竜族からは一定の信頼を得ているらしい。お兄様の謎な一面だ。


「これでいつでもレティシアに会いに来られる」

「竜は思慮深い生き物なんだ。世話と感謝を怠るなよ」


 満足げなルーファス様に釘を刺し、お兄様は忙しいからと早々に廃墟領を発っていった。公爵家の未来がちょっと心配ね。

 そんなこんなで相棒を迎えたルーファス様は王都から廃墟領へと日帰り訪問を繰り返すようになったのだ。

 始めのころは片道に半日程度かかり、軽くお茶をした後とんぼ返りをするような強行スケジュールだったが次第にかかる時間が短くなり廃墟領への滞在時間も伸びていった。


「気流をうまく操作するのがコツだな」


 そう軽く言うが、いまだに髪を乾かす魔法も習得できない私にはとてもできない芸当なのだろう。

 そんな過去を思い返しながら改めて正面の巨体に目を向ける。


「いつになったらアッシュに乗せて下さるの?」

「ようやく昨日、鞍が出来上がったところだ。今から乗るか?」

「本当⁉ 今すぐ乗りたいわ!」


 いつの間にか私の隣に立つルーファス様の言葉に飛びつく勢いで振り返ればくっくと肩を揺らし、瞳を輝かせる私をあやすように頭をぽんぽんと叩く。

 子供扱いに怒るよりも期待が勝り、されるがままになりながらルーファス様の後に続きアッシュの胴へと回り込む。


「これが私用の鞍ですの?」

「ああ」


 白く塗られた革に細やかな装飾が施された美しい鞍がルーファス様が使うシンプルな作りの鞍の前に据えられている。ホーンがついた形状からして横乗り用の鞍であることが分かる。


「いつでも乗れる物の方がいいだろう」

「いつでも?」


 確かに普通の鞍ではドレスを着用していると跨ることができない。しかしこの廃墟領で纏っているのはメリル特製『お嬢様専用お転婆式ドレス』である。跨ることに支障はない。

 ルーファス様は一体どんな状況を想定しているのだろうか。


「例えば、婚礼衣装であっても」

「⁉」


 思いがけない返答に面食らい、ルーファス様の顔をまん丸く開いた瞳で見つめたまま硬直する。

 ルーファス様はそんな私の視線を受け止めたまま、静かに答えを待つ。


(……いい加減、素直になれない自分に嫌気がさしていたのよ)


 私も変わらないと。

 そう決意を固め、ふうと静かに息を吐く。

 少しうるさくなった鼓動に後押しされるように、ゆっくり言葉を紡ぎ出す。


「そう、ですわね。でしたら、大事な式典の最中に落ちたりしないよう、しっかり訓練しなければなりませんわ」


 これが精一杯よ!

 素直に想いを込めたつもりの言葉は震え、真っ赤に染まった顔に浮かぶ涙目でルーファス様の顔をキッと睨むように射貫く。恥ずかしさと情けなさでもう感情がぐちゃぐちゃだ。それでも逃げるのは駄目だと必死に目を逸らさないよう震える体を押さえる。

 そんな私の頭を今度は愛おしむような手つきで撫で、落ち着いた声色で囁く。


「そうだな」


 いつも通りの簡素な言葉。しかし細められたその瞳は、雄弁に愛を語り煌きを放っている。

 初めて出会ったあの日、好意を持てる方と結ばれたい、そんな思いを抱いていた幼い自分。

 あの日と変わらないその紫の瞳はすっかり大人となり、私の手を取り優しく握る。


「では、ご指導の程よろしくお願いしますわ。……しっかり掴んで、決して離さないで下さいまし」

「ああ、勿論だ」



 ふわりと揺れる不思議な感覚が体を包み、眼下に広がる森と廃墟城がぐんぐん小さくなっていく。

 水色の巨躯に委ねた体が突き上げる勢いに押され支えを失うも、後ろから伸びた腕にしっかりと抱きとめられて恐怖は感じない。

 

「大丈夫か」

「ええ、少しバランスを崩しましたがもう自力で支えられますわ」

「俺はこのままで構わない」


 竜の背の上で背後から私を抱きしめるルーファス様は真顔のままその腕に力を込める。

 私は素直に身を預け、その胸に頭を寄せる。


「美しい景色ですわ」

「ああ」


 澄んだ青空と緑豊かな大地が視界に収まりきらずどこまでもどこまでも広がっている。

 吹きすさぶ風はルーファス様の魔法により受け流され、私たちを襲うことはない。

 絶対的な安心感に包まれ、自然に顔が綻んでいる。


「私はこの国を、貴方のことを愛しております」

「俺もだ。ティーエを、この国を愛し、守ると誓う」


 見上げれば愛しい人が側にいて。

 私を映す瞳がゆっくりと距離をなくし、唇を重ねた。

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