戻るさざめき、訪れる日常

「んん……今日もいいお天気……!」


 廃墟領の城の二階、寝台に横たわる私に森からの小鳥たちの囀りと共に朝日が降り注ぎ、いつものように目が覚める。

 伸びをして、身支度をパパっと整えるとするすると大樹を伝い庭に降り立つ。

 そこにはやはりいつも通りに朝の運動に勤しむ二人。


「おはようございます、お嬢様」

「おはようさん!」

「おはようカイン、サイモン!」


 肉体言語でコミュニケーションを図る二人からは滴る汗が舞い、身体から蒸気が立ち昇っている。毎朝精が出るわね。

 ……最近はなぜだか専ら上裸なのだけど、その点にツッコミを入れては負けだと思っている。

 二人の様子ににっこりと笑顔だけを向けていればヨハンがその輪に加わる。


「……何であいつら最近裸なんだ」


 覚め切ってない目をさらに細め、うろんげに呟く。

 不毛な茶番に巻き込まれては面倒だと察し、私はそそくさとその場を後にして調理場のメリルの元へと向かう。


「おはようメリル。いい匂いだわ」

「おはようございますお嬢様! 今日は朝採れハーブを効かせた熟成肉のスープですよ!」


 日に日に上達するその腕前で豊富なメニューを提供してくれるメリルが得意気に鍋を掻きまわす。

 一向に料理の腕が上がらない私はおとなしく配膳の準備にとりかかかる。

 朝食の支度も整い平和な一日の始まりを感じさせる頃合いになり、最後の一人が起き出してくる。


「ふぁあ……まだ眠いです……皆さん早起きすぎ……」


 締まらない口調で、肩口で切りそろえられたフワフワの髪をさらにもわもわに躍らせて、瞼を擦りながらふらつく足を危なっかしく運ぶ。


「オリヴィア、まずは挨拶! だらしのない姿のままお嬢様の前に立つんじゃないの! ほらまずは顔を洗って……!」


 そんな彼女を見たメリルが一喝し、彼女の首根っこをふんずと捕まえるとズルズル引き摺りながら私室へと消えていく。「声大き……」という彼女の呑気な呟きだけが残る。

 これも最近の『いつもの光景』である。すっかり馴染んだもので、私を始め男たちも気に留めることもなくその様子を見送っている。


 彼女はオリヴィア・ノクシー男爵令嬢。

 この廃墟領に来てはや一週間。初日こそ居城がボロボロだのやれ虫だ魔獣だと散々不満を喚き散らしていたが持ち前の大らかさ、もしくは深く考えない性格が幸いしてか、この環境にあっさりと順応した。中々に只者ではなさを感じさせる。


(そう、もう一週間も経つのね)


 冷めないようにとスープに蓋をかぶせつつ、ぼんやりと回想が頭を巡る。


 ◇ ◇ ◇


『オリヴィア嬢の処遇についてだが、少々難儀している』


 そんな知らせを受けたのは、ルーファス様が王宮に戻られてから数日程してからだった。

 王宮から放たれた伝書用の魔鳥が封書を携え、廃墟領で羽を休めているのをカインが見つけ保護したのだ。

 どうやらル-ファス様が王宮に戻る前に伝書鳥用の信号装置を置いていったらしい。相変わらず抜け目がないわ。

 手紙程度の物しか運べないが馬よりもずっと速く、しかし扱えるのは王族や高位貴族など一部に限られていて希少な連絡手段である。

 羽毛に包まれた小型の飛竜のようなその可愛らしいお使いの背負う鞄から、魔法錠のかかった封書を取り出し開封する。魔法錠は指定された人物のみが解除できる仕組みで、描かれた印に指を置き自分用の解除文言を唱えればたちまち消滅した。

 紙束とも呼べる枚数の手紙にはルーファス様が王宮に戻られてからの近況が綴られ――それはそれは事務的な報告文体で――最後の紙に書かれていたのが冒頭の文である。

 事細かに記された内容から当時のオリヴィアの尋問の様子が鮮明な映像として脳裏に流れ出す――



 王宮で魔族を祓われた後に意識を取り戻した彼女は、ルーファス様の見立ての通り身体的には傷もなく健康そのものだった。

 しかし尋問を重ねるうちに内に潜む問題が明るみになってくる。


「ノクシー男爵令嬢、王太子殿下に近づき王家の転覆を謀ったことに相違ないか?」

「まったくそんなことありません!」

「では何故王太子殿下に近づいた? 王妃の座を欲したのであろう?」

「私はそんな事考えてません! 王妃の座なんて望んでない!」


 彼女を囲む取調官たちがざわざわと「どういうことだ?」と顔を見合わせる。

 調べでは魔族は憑りついた人間の欲望を肥大化させその中に潜り込むのだという。ならばこの令嬢には魔族が憑く前から王太子の婚約者になるという願望があったはずなのだ。

 実際に夜会で王太子殿下に付きまとっていたことも確認されている。


「そのような嘘をついても自身の為にはならぬぞ。罪が軽くなるどころかより悪意があるとみなされる」

「嘘なんてついてません! それよりもレティシア様をどこへやったんですか! あのお方こそ未来の王妃にふさわしい尊い方だというのに、貴方たちはあの方に何をしたんですか⁉」


 次第に荒ぶる声に周囲のざわつきがぴたりと止み、彼女の動向を注視するよう緊張が走る。

 しかしその発言内容はどうにも的を射ていない。困惑を浮かべる取調官たちの様子など気に留めることもなくオリヴィアは続ける。


「自分が王妃? ただの男爵令嬢ですよ? 無理に決まっているじゃないですか、常識です! 私が思う理想の王妃像こそがレティシア様なんですよ! 気品、美しい所作、妖精と見まごうほどの美貌、不意に見せる蠱惑的な笑み、どこを切り取っても完璧です! パーフェクトです!」


 怒涛の如くあふれ出した言葉は誰にも遮ることができず、濁流となって聞く者たちを飲み込んでいく。


「レティシア様が王妃様になられるのなら王様は誰だっていいです! でもレティシア様が愛してらっしゃるのはルーファス様なのでルーファス様で問題ないです! なんでルーファス殿下を愛していると言い切れるのか? 見てれば分かりますとも! 王妃フリークのこの目で未来の王妃様を余さず観察しておりましたから! 夜会でエスコートされているとき、たまの茶会でルーファス殿下のことを聞かれたときなどなど表情には出さずとも随所に隠し切れない愛情があふれていましたね、ええそれはもう! だから最近お疲れのご様子の時に何も手を差し伸べないルーファス様にはそりゃもう腹が立ちましたとも! 私の、この国の大切な未来の王妃様になんて顔をさせているのかと! だからね、私決めました! 私はレティシア様に仕える侍女になります! 私の全身全霊をもって未来の王妃様たるレティシア様をお守りいたします!」



 彼女の発言を一部も漏らさず綴られた手紙を読んで頭を抱える。

 つまり、夜会で追っかけをしていた標的はルーファス様でなく私だった……? 衝撃の事実である。

 彼女にあったのは悪意ではなく純粋な憧れで、それにより拗らせたルーファス様に向かう敵意に魔族が勘違いのまま乗じたのだと、そう結論付けられている。

 成程、処遇に困るわけだ。

 王太子殿下に敵意を向けたことは事実ではあるがその原因を作ったのも本人なわけで、ルーファス様にも反省の念があるのだろう。

 私は荷物の奥から愛用の紙とペンを取り出すと短く返事を纏める。


『廃墟領で良ければ預かるわよ』


 封をした手紙に魔法錠を施しカインに託すと片眉を持ち上げ言いにくそうに口を開く。


「よろしいのですか?」

「え、駄目かしら?」


 彼女に悪意はないし実際に何かされたこともない。私の侍女になりたいというのなら断る理由もないのだけれど。

 あっけらかんと言う私にカインは軽く息を吐き、やがていつもの表情で恭しく口を開く。


「……お嬢様の御心のままに」


 そうしてオリヴィアは廃墟領に侍女見習いとしてやって来たのだった。


 ◇ ◇ ◇


「おはようございます! 皆さまお待たせして申し訳ございません! おなかがすきましたので早速朝食にしましょう!」


 仕切り直して元気よく登場した彼女の後ろをメリルの溜息が追う。

 侍女見習いとしてやってきた彼女はメリルが指導を受け持つこととなり、その自由っぷりになかなか苦労しているようである。


「はぁ~いい匂いです! さすがメリル先輩!」

「いいから席に着いて!」


 それでも先輩と呼ばれるのはまんざらでもない様子で、しかめっ面をしつつも口角がわずかに上がっているのを私は見逃さない。

 にんまりとその様子を観察していればメリルからの厳しい一瞥が飛んでくる。


「先輩! レティシア様にそんな顔向けたらだめですよ!」

「誰のせいで……!」


 今日も平和だわ。

 賑やかな食卓を皆で囲み、廃墟領の一日が始まるのだった。

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