帰還
見渡せばそこは神霊の泉だった。
「レティシア……! 本当に、無事でよかった……!」
不健康な青白い顔を赤く染まるほどくしゃくしゃにし、ぼろぼろと涙を零しながら駆け寄るお兄様がそこにはいて
「汚い面で近づくな」
私の隣に立つルーファス様にぺいと払われる。
「お前っ! お前こそっレティシアを……っ!」
言葉に詰まりながら癇癪を起こす様に再びルーファス様に立ち向かうが空しくも同じ結果を繰り返す。
お兄様とルーファス様がこんな気安い間柄だったなんて初めて知ったわ。それなのにその光景はとても自然に馴染んで、思わずくすくすと笑いが漏れる。
「ルーファス様、ご無事で何よりです」
「ああ。お前たちもご苦労だった」
緩い空気にすべてが終わったことを察し、騎士二人がルーファス様の前で膝をつく。
ルーファス様の言葉を聞けば彼らの表情も和らぎ、その様子も見ていた私にも本当に終わったのだなと遅れて実感がわく。
(そういえば私、記憶が曖昧だわ)
魔族を討ち宴を楽しみ、夜中に泉でセドリック様と語らい……いつの間にか解放感溢れる造りに変わったその場所でルーファス様に腰を抱かれている。
(夢ではないのよね)
隣に立つのは焦がれていたその人で。
至近距離でその顔をまじまじと見つめれば変わりのない整った面立ちに淡い疲労感が滲んでおり、彼の戦いの跡が見て取れる。
「どうした?」
見つめる私に気付き視線を落とした彼は、幼い頃から変わらない星空を湛えた深い紫の瞳を潤ませ私を映している。
「ルーファス様だわ」
「そうだな」
自分でもよく分からない返答にルーファス様は迷いなく肯定を返す。
夢の中で耳にしたのと同じ声。それを聞き、私はこの人に救われたのだと理解する。
「まあずぶ濡れのままってのもなんですし、泉から上がりません?」
「ばかお前っ……」
突如割って入ったサイモンの声をヨハンが慌てて遮るがもう遅い。
先程まで蕩けるような甘い雰囲気を醸していた瞳は瞬間冷却され、凍てつく波動をまき散らしている。
(よくやったわサイモン!)
悲鳴を上げ、襲い来る魔法攻撃から逃げ惑う勇者に心の中で称賛を送る。
正直あの瞳で見つめられ続けるのは心臓に良くないわ。ええもう非常に良くない。バクバクと早鐘を打ち、耳の先から蒸気が迸る勢いだ。
火照る頬を冷ますように両手で顔を覆っていると、ふわりと足が地面から離れる。
「疲れたろう。どこか休める場所はあるのか?」
「城跡の方に居住区があるのでそちらに」
案内に立つヨハンを追うルーファス様の足取りに合わせて私の体も上下する。支える重さのない足がプラプラと揺れ、頬を掠めるルーファス様の胸板が近い。……これってもしかして、お姫様抱っこというやつではないかしら。
「あの、ルーファス様。私ひとりで歩けますわ。降ろして下さらない?」
「断る」
断られたわ。にべもないわね。どうやら歩けるかどうかは問題ではないらしい。頑なに強張る腕を押しても引いてもピクリとも動かない。無駄な足搔きだと悟り諦めて体を預けると、ようやく満足したようにその力を緩め、そのまま歩き出す。
いつの間にさらりと乾いた体から伸びるドレスの裾がひらひらと、軽い足取り合わせて靡いている。
……本当にいつの間に乾いたのかしら。ルーファス様の魔法? 私にも習得できないかしら。
ふんわり揺れる髪を一束掴みまじまじと見つめている私を見て興味の矛先が移ったことを察すると、ルーファス様は隣を歩くセドリック様に視線を移す。
「腕は問題ないのか」
「ええ、泉から溢れた光の影響でこの通り」
ルーファス様の問いにセドリック様が左手を振って見せる。
いじっていた髪から視線を上げ「腕?」と疑問を投げかければ
「「レティシアが気にすることじゃない」」
あまり似ていない兄弟の声がぴったり重なり返ってくる。
貴重なものを見た気がするけどこの対応は不服だわ。
そうこうしているうちに地上に辿り着けばハルが「クェェ」と出迎えてくれる。およそ半日ぶりの再会ね。羽を休め体を横たえる姿が変わらず愛らしい。
そして振り返れば庭園の真ん中に空いた大穴。中にいたであろう者たちはよく無事だったと感心する。
「見事な大穴ですわ」
「請求書は城に送るからな」
「やったのはそこのトカゲだろう」
「ト カ ゲ っ て 呼 ぶ な !」
私が感嘆の声を漏らせばお兄様とルーファス様の小粋なトークが開始される。「冗談だ。復興費用は受け持つ」「ハルは! 竜! だから!」と不毛なやり取りの中に、この人も冗談を言うのねと新たな発見をしつつ。
王都へ戻ったお兄様とハルがルーファス様を連れて戻ってきてくれたのだと今更ながらに気付き、改めて胸が熱くなる。
そのまま歩を進め居住区まで来れば今度は私の自慢の従者による出迎えだ。
「おはようございます皆さま。朝食の支度は整っております」
カインが慇懃な礼をし、いつもの食卓ではなく庭に新たに設えたテーブルに一同を案内する。
椅子の数を数えてみれば……八つ?
「夜明け前に竜の姿を確認しましたのでいらしているのだろうと」
お兄様とルーファス様に視線を向け改めての礼をする。
有能っぷりを見せつけるさすがのカインに称賛を込めてばちーんとウインクで合図をすれば、にこりと生温かい目が返される。
……しまったわ、私ったらルーファス様にお姫様抱っこされたままじゃないの。やめて、そんな目で見るんじゃないわ。
助けを求める様にメリルの姿を探せば、調理場の奥で押し殺しきれない声をキャー! キャー! と漏らしながら壁の穴からガン見しているのが窺える。ほんとにっ、この二人は!
「グランドール家の者か。いい働きをするようだ」
「そうですの! 自慢の従者たちですわ!」
ルーファス様に賛辞を頂けばそんな不満も一瞬で吹き飛ぶ。ずいと体を寄せ上機嫌に返せば、一瞬面食らった表情を見せるがすぐさま「そうか」と目を細める。
……今度はこっちが不意打ちを食らったわ。その表情はずるい。反則よ。「むぐっ」と言葉が詰まり、顔に集まる熱がばれないように慌てて下を向くが、抱えられたままの体がフルフルと小刻みに揺れだす。笑われてるわ、何たる不覚。
「おい、見たか今の?」
「見たくなかった」
「朝食前に胸やけがするな」
「……本音をぶちまけすぎだ」
サイモン、ヨハン、お兄様、セドリック様とが半眼の呆れ顔で何やら言い合っているが、こちらもそれどころではない。
何やら離したくないらしいルーファス様 VS いい加減降ろしてほしい私、ファイッ!
「このままでは食事もできませんわ!」「膝の上で構わん。それとも食事の介添えが必要か?」違うそうじゃない。
この人こんなに他人を甘やかす人だったかしら。いやこれは甘やかしているのは自分の事? 直情的な性格が明後日な方向に暴走しているが、それほどまでに心配させた自覚は無きにしも非ずで。
しかしそんな羞恥プレイは御免蒙りたい私は負けるわけにはいかない。心を鬼にし、キッと厳しい視線をルーファス様に向ける。
「この廃墟領はグランドール家の取り仕切る地ですから! ルーファス様とて我が侭は許しませんわ!」
めっ! と人差し指を鼻先に突きつければ、不承不承にようやく応じてくれる。そんなに嫌ですか。
ようやく地上へ足を降ろし地面を踏みしめる。時間は然程経っていないというのに、なんだか随分久しぶりな感じがするわ。
感触を確かめるようにくるりとターンを決め、ルーファス様に向き直ると改めて宣言する。
「ルーファス様、見ての通りこの地は人も物も限られておりますの。ですから基本的に自分でできることは自分ですることがここのルールですわ!」
「分かった」
廃墟領の心得をあっさり了承し、準備の整った食卓の席へさっさと腰を落ち着けると私を隣へと促す。こういう無駄のないあっさりした所は幼い頃から全く変わらない。
ルーファス様の隣の席に腰を下ろし、他の皆も席へと促す。
「あれ、俺もグランドール家の人間……」
「アルフレッド卿は次期公爵として今後は放蕩を控えるようお願いしますよ」
「セドリック殿下⁉ まさかのルーファス派に寝返り⁉ 味方だと信じてたのに……っ!」
「俺はレティシアの味方です」
朗らかに笑うセドリック様にもう暗い影は見当たらない。
憂いが消え、皆の顔に晴れやかな笑顔が浮かぶ。
いつの間に空は闇色の名残も感じさせない、全てを包み込む陽の光を受けた澄み渡る青が広がっていた。
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