再会は夜明けとともに

 闇夜を切り裂く羽音は遠く、後ろへ後ろへと置き去りにされていく。

 王都を発って数刻。竜の背に体を預け、目的地である廃墟領はまだ見えないが大分近付いてきていると感じる。


「夜明けまでには着きそうか」

「ハルゥ、ごめんなぁ。極悪王太子が無理強いさせて。後でたっぷり労ってやるからな……」


 前の鞍に座る男が情けない表情でめそめそと竜の首を撫でる。

 その拍子にぐらりと体勢を崩すも、すんでのところで襟首を掴みぐいと鞍に戻してやる。


「ぐぇ」

「しっかりしろアルフ。御者が落ちては話にならん」

「誰が御者だ! 大体俺は半日以上飛びっぱなしで体力の限界なんだ」

「鍛錬不足だな」

「脳筋王太子と一緒にしないでくれ」


 憎まれ口だけは達者に回る主を心配してか、竜が「クェェ」と心配げな声を上げる。

 主と違ってこちらは随分タフなようだ。


「無理は承知だ。だが頼む」


 ポンポンと竜の背を叩けば艶やかな鱗の硬くしなやかな感触が手袋越しでも伝わる。

「クェッ」と短く息を吐き前へ向き直れば、身体にかかる加速度が一段強くなるのを感じた。




「どうした?」


 廃墟領が目前に迫った暁の空で、ぐったりと鞍にへばりついたままだったアルフレッドが体を起こし、手綱を握り直す。


「ハルが殺気立ってる」

「魔族の気配か」


 竜の機微を正確に捉えたアルフレッドの言葉に身を固くする。レティシアを信じているとはいえ、魔族が逃げのびている可能性は十分にあるのだ。


「正確な場所は測れるか?」

「…………城の裏手、おそらく神霊の泉だな。どうする?」

「決まっている」


 そういって指示を出し「本気か⁉」「無論」と短いやり取りの後、アルフレッドが盛大な溜息を漏らす。


「復興費用は王家持ちだからな」

「善処しよう」


 既に廃墟領上空、神霊の泉のある庭園を見下ろす位置でアルフレッドが竜に指示を送る。

 中空に停止したまま首をもたげ攻撃態勢に入ると、頭部に集中する魔力が背に乗るこちらの肌をびりびりと刺激する。

 口元から迸る閃光が視界に入った瞬間、そのエネルギーが直下へと放たれ閃光と轟音をまき散らす。

 さすが竜というのは伊達ではない。

 土煙の晴れた地面には巨大な穴が開いたのを確認し、アルフレッドを小脇に抱えて――「持ち方ぁ!」と叫ぶ抗議は一切耳に入れず――地下の神霊の泉まで一気に駆け下りる。


 飛び込んできた光景は想定とは大きく異なるものだった。

 内心で自分の読みと詰めの甘さを呪い苦虫を噛み潰す思いだったが悔恨は後でいくらでもできると頭を切り替える。


「おい、どういうことだこれは⁉」

「見ての通りなのだろう」


 アルフレッドの絶望の混じった声が地下に響き、それに反応するように目の前の男が俯いた顔をこちらに向ける。


「あに、うえ……っ」


 弱々しく声を絞り出したセドリックは片腕を失くし血溜まりに身を浸し、それを脇でサイモンとヨハンが支えている。

 そこにレティシアの姿はない。

 目の前の不気味に赤く染まった神霊の泉が唯一、彼女の居場所を指し示している。……ならば迎えに行くまでだ。

 もう一度セドリックへと視線を向ける。

 顔面は蒼白で息も絶え絶えといった様子だが止血もなされていて恐らく命に別状はない。

 床の大量の血溜まりは恐らくセドリックだけのものではないのだろう。


(アルフレッドも側近たちもいる。彼らはセドリックの支えとなるだろう)


 万が一というのは考えるつもりはないが、王太子という立場に於いて臣下の不安を取り除くのも務めの内だ。


(憂いはない)


 そう判断し、泉へと体を沈めた。



 泉、そう思って飛び込んだが。


(これは……異界か?)


 水ではない何かに満たされたその空間に浮くでも沈むでもなく体を漂わせる。

 揺らぐ視界は赤く染まり、形を留めずに絶えず歪なマーブル模様を描き続ける。


(体は……動く。呼吸も問題ない)


 呆けている暇はない。上も下もないその空間をぐるりと見渡せばすでに入ってきたであろう場所は掻き消え、しかしある一点に向かって色彩が深まり闇色が混ざり始めていることに気付く。

 

(あそこにレティシアがいる)


 そう直感し、泳ぐように体を動かし深層へと潜り進む。


(異界というのは魔族の住まう地だというが、ここはまだ間といったところか)


 意識を持つものの存在は感じられない。

 おそらく傷を負っているであろうレティシアにより空間が歪められた状態なのだろう。このまま放っておけばじきに異界に繋がり門が開かれることは想像に容易い。もちろん、そんなことにはさせない。

 一刻も早く彼女を救い出さんとさらに一段階深くなった赤黒色の空間に体を浸したその時。


 ――ぼこり


 空間の歪みが一か所に寄り集まり、塊となって零れ落ちる。

 拳ほどの大きさの赤黒色の塊は次第にぱっくりと裂け目が生じ、みるみるうちに牙が生え口のようなものに変化していく。


「っ⁉」


 喰らいつかんと向かってきたそれを振り払うよう腕を振ればあっさりと弾け、この禍々しい空間にそぐわない煌めきを残して消滅する。

 手に触れたその煌めきはとても温かく。愛おしさがこみ上げ、それが何なのか瞬時に察すると慌てて手のうちに収める。

 気付けば大きく裂けた口を持つ赤黒色の異形の塊があちこちに浮遊し、こちらに襲い掛からんと周囲を取り巻いているが、先に動いたのはこちらで。

 沸騰する怒りのままにそれらを潰し蹴散らし握りつぶす。


「貴様らがこれに触れるなどっ! 断じて! 許さん!」


 これは、レティシアの魂の欠片。

 ひとつ取り戻すたびに彼女の笑顔が落ち込む姿が、脳裏に流れ込んでくる。

 それは近年見ることのなかった屈託のない笑顔であったり、顎を上げ得意満面に見下ろす顔であったり。

 暗く溜息をつく表情、無機質に感情を押し殺した表情、そして幼く無邪気な微笑みを俺に向ける彼女の姿が次々と溢れ出す。

 こみ上げる愛しさが胸につかえるまま無心に腕を振り、レティシアを取り戻し、やがて視界が捉えたのは。


「レティ……っ!」 


 異形が群がってできた大きな塊。

 その隙間から伸びる白い腕は異形に貪られるままにだらりと力なく垂れさがる。


「レティシアから離れろ!」


 振り下ろした拳によりあっという間に消滅した異形の中から現れたのはレティシア――の変わり果てた姿で。

 体中に散る異形に喰われた箇所は穴が空いたかのように漆黒を湛え、閉じた瞼はピクリとも動かず人形のように横たわり続ける。


(まだだ、この光を彼女に戻せば……!)


 異形たちに奪われた魂の欠片を彼女の体に空いた穴に沈めればたちまち闇は消え去り、元の美しい彼女の姿を取り戻す。

 しかし、その瞼は開くことはなく。


「レティシア起きろ。迎えに来た」


 肩を揺らし声をかけるも反応はない。


「レティシア、俺だ、ルーファスだ」


 体を引き起こしさらに激しく揺さぶる。

 乱れたアイスグレーの髪がされるがままに波打つ。


「レティ」 


 抱きしめたその体は温かくも冷たくもなく。力なくその身を預けてくる。


「……ティーエ」


 先程触れた彼女の記憶に刺激され不意に口を衝く。

 それは幼い頃に教えられた彼女の特別な名前で。他言無用の秘密の名前だからと二人きりの時以外呼んではいけないと言い含められていた。

 婚約しているとはいえ互いに身分あるもの同士。二人きりになることなどなく、以来口にしたことは一度もない。


「ティーエ」


 俺だけが呼ぶことの許された彼女のその名を再び口にする。


「ティーエ」


 頼む、戻ってこい。俺にはお前が必要なんだ。

 彼女を締め付ける腕に力が増し、その細い体ががくんと跳ねる。


「ティーエ……!」



 ――彼女の体が静かに応えた。

 どれほど時間が経過したのかも分からないもう幾度目かの呼びかけに確かに反応し、やがて胸に火が灯るかのようにトクントクンと時を刻み始める。

 微かな呼吸が俺の胸にくすぐりそっと腕を緩めれば、うなだれたままの彼女の頭が意思を持ってしなだれかかる。


「……温かいわ」

「……ああ」

「とても、懐かしい……いい匂い」

「ああ」


 聞きたいと願っていたその声が、彼女の体温が、凍り付いた俺の心をあっという間に溶かしていく。

 すりすりと額を押し付ける彼女の頭をそっと撫でればその身を預けるように俺の背に腕を回す。


「……泣いているの?」

「そんな事はない」


 答えれば意識が朧気なままの彼女がふにゃりと笑みを作り、子供をあやすように優しく俺の背をとんとんと叩く。


「そんな時はね、おまじないを唱えるの。怖いものから守ってくれるおまじない」


『『精霊の愛し子に精霊の加護があらんことを』』


 古い妖精の言葉を紡ぐ彼女に声を重ねれば、次第に周囲をキラキラと瞬く光の粒が舞い、赤黒色の空間に置き換わるように溢れ、吹き出す。

 激流となった光の洪水に突き上げられ体勢を崩しそうになるも彼女を二度と離すまいとしっかり抱き締め、そのまま目を閉じた。


 次の瞬間。体に重さを取り戻した事に気付き目を開けば、そこは石造りの広い空間が広がる。

 頭上に開いた大穴からは白んだ空が覗き、差し込む光が転がる瓦礫の山をオレンジ色に照らしている。

 ぱしゃんと水音が響き、泉の浅瀬に座り込むオレたちの元へ一人の男が近づき口を開いた。


「お帰りなさい。兄上、レティシア」

「ああ」

「ただいま戻りましたわ、セドリック様!」


 返ってきた言葉のいつもと変わらない調子にセドリックは泣き笑いのような表情を作り、俺達に両手を差しのべた。

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