宴の後で

 廃墟領で催された嵐のように激しく賑やかな晩餐も終幕を迎え、微かな余韻を残しつつも再び静寂が辺りを取り巻く。


「お嬢様、今日はこの辺で。お疲れでしょうからゆっくりお休み下さい」

「ありがとうカイン、これだけ運んだら休むわ。皆もゆっくり休んで頂戴」


 祭りの後の片付けをしているとカインにそう声をかけられ、周囲の同じく後片付けをしている面々にも言葉を向ければ、「はーい」「うぇーい」「承知しました」「ああ」と思い思いの言葉が返ってくる。

 持っていた木箱を調理場の倉庫に積み上げ、ふぅと一息。くるりと辺りを見回す。

 食べきれなかった料理は保管庫にしまわれ、竈はぬくもりを残したまま火が落とされている。

 庭に戻ると端には魔獣の素材類が積みあげられている。かなりの量だが分別は明日以降に進めれば問題ないだろう。

 急遽設けられていた巨大テーブルは撤去され壮観だった晩餐の塔の面影は既になく、元通りの廃墟然とした姿を取り戻している。

 そういえば、メリルが気合を入れすぎて大量に生産されたルビークリスタルキャンディーはピッテが大層気に入ったらしく、仲間におすそ分けしたいとお持ち帰りしていった。分かるわ、その気持ち。

 どうやら森の深い所に他の妖精たちも住んでいるらしく、「ならば今度はその皆を招いて茶会を開きたいわね」と思い付きを口にすれば、「ほんと⁉ やったー!」とピッテはくるくる飛び回って喜んでいた。

 ここまで期待されてはホストの責任重大だわ。メリルとカインに相談してとびきりの会を催すとしましょう。


 そうして本日の片付けを終えると皆それぞれの寝室に帰っていき、私も大樹を伝って二階の寝室に上がる。

 寝台に敷かれたもふもふシーツに体を横たえればすぐさま疲労が体を支配し、もうピクリとも動けない。それなのに意識はやたら覚醒し、ここぞとばかりにここ数日に巻き起こった怒涛の展開が頭を巡り始める。

 妖精との出会い、神霊の泉の発見。突然のお兄様&竜の訪問に魔族との闘い。

 どれもこれも衝撃的過ぎて腹に落とすのも一苦労だ。私の廃墟暮らしスローライフはどこへ行ってしまったのか。

 それでもこの経験が無駄なものではなかったのだと思いたい。

 あの壮絶な王太子妃教育だって土壇場の私に力をくれた。今回の出来事も糧となり、これからの私を支えてくれるだろう。


(これからの私、か)


 発端となった廃墟領への追放、それ自体がルーファス様が仕組んだことなのだというのだから、この処分は取り消され王都へ帰還となるのだろうか。

 喜ばしい反面、せっかく部屋も整え新たな素材も手に入ったことで、今後の住環境の整備も捗りそうなのにと考えると、惜しい気持ちが首をもたげる。ピッテたち妖精族とのお茶会だってこれからだ。

 始めは意地になっていた廃墟暮らしスローライフだがなんだかんだでこの地が気に入っているのだと改めて気付かされる。

 そう思うと、ルーファス様に振り回されっぱなしのこの状況にじわじわ腹が立ってくる。文句の一つや二つ、三つや四つや五つも言いたくなってきたわ。


(ルーファス様に会いたいわ)


 その思考を最後に意識を手放し、深い眠りに落ちていった。


 ……

 …………

 ………………


 静けさの中に流れる澄んだ空気を吸い込み、ふと瞼が開く。

 寝台の中から頭をもたげ、天幕の奥に見える空に目をやればまだまだ闇色を湛えている。


(夜明け前ってとこかしら)


 深く眠れたことで体の疲労は随分回復しているようだ。上体を持ち上げ軽く伸びをすればきびきびと動く。

 起きるにはまだ早いしどうしようとしばらくもふもふシーツの上をゴロゴロしていると、階下から微かな物音が聞こえてくる。


(誰? 随分早起きね)


 ザッザッと慎重に草を踏む足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私は寝台から転がり出た。


 ◇ ◇ ◇


 ――随分早く目覚めてしまったようだ。

 崩れ落ちた壁の隙間からまだ暗い空を眺め、ぼんやりとした頭を軽く振る。


(今日は……いや昨日か? とにかくひどい一日だった)


 軽い倦怠感の残る体を起こし寝台から抜け出ると、他の者たちを起こさないよう慎重に音を殺しながら身支度を整え外に出る。

 身を刺すような静寂の中に微かに起き出した動物たちの気配が混じる。

 まだ夜中かと思っていたが朝は近いのだろう。


(少し歩くか)


 何の気もなしに足の向くまま廃墟の中を進み、辿り着いたそこは――神霊の泉だった。

 石造りの地下空間に足音を響かせ泉の淵で歩みを止める。

 上体を屈ませ水面を覗き込めば、己のプラチナブロンドの髪と碧い瞳がこちらを見つめ返す。昨日の漆黒に侵された魔族の姿はもうそこにはなかった。

 安堵の溜息を吐き、石段に腰を下ろし天井を見上げる。


(俺はなんという過ちを犯してしまったんだ)


 魔族に支配されていた時の記憶はすべて残っている。

 身体の奥から湧き上がるどす黒い感情に身を委ね、仲間に対して振るった悪意。傷を負い、地に伏し、悲痛な表情を浮かべる彼らの姿が鮮明に脳裏に焼き付いている。

 自らの意志ではないとはいえ、到底許されることではない。

 ……いや、あれは俺の弱さが招いた事態だ。そこを魔族に付け込まれた結果起きたことで。

 悔いても悔やみきれない思いがとめどなく溢れ、溜息となって口から漏れ続ける。


「そんなに溜息を吐いていたら、幸せが逃げてしまいますわよ」

「⁉」


 突然響いた声に驚き振り向くとその勢いでバランスを崩し、石段が頭を掠める。

 その様子を見て声の主が慌てて駆け降りてくる。


「危ないですわ! 大丈夫ですか、セドリック様!」

「あ、ああ。ちょっと驚いただけだ、問題ないよ」


 心配そうに俺の顔を覗き込むレティシアはいつもと変わらない様子で。

 あんなことを仕出かした俺に対して。躊躇わずに接してくれている。


「まだお加減が優れませんの? ゆっくりお休みになられた方がいいのではなくて?」

「そうするつもりだったんだが、どうにも目が覚めてしまってね」


 肩を竦めて苦笑いを零し答えれば、「そうでしたの、実は私もですわ。お付き合いしてもよろしいかしら」とほほ笑みながら俺の横に並んで腰を下ろした。

 細い肩に繊細に煌めく髪がかかり、淡い甘やかな香りが鼻をくすぐる。廃墟で野趣に富んだ生活をしているというのに髪先指先まで隙なく手入れが行き届き、華美に着飾らずとも貴族令嬢の品は損なわないその姿に感心する。

 華奢で儚げで、その実豪胆な彼女は本当に眩しく、己の鑑識眼はたいしたものだなと自賛したくなる。

 そんな彼女が一途に想う相手が兄ルーファスで、それならば俺は。……彼女の幸せのために力を尽くしたい。そう思い至るのに難はなかった。

 そんな彼女は、しばらく一人で考え込む俺を邪魔しないように、しかしながら不安を抱えた面持ちで様子を窺っている。

 こんな顔をさせてばかりだと反省するも、いい加減愛想をつかされたのではないかと身勝手な思いもよぎる。


「……君は俺を恨んでいないのか? 俺は皆にずいぶん酷いことをした」


 不安な心の内を素直に打ち明ければ、意外そうな表情を向ける。

 俺が魔族に乗っ取られていた間の記憶があることに驚いているのも一因だろう。


「他の者たちの事は分かりませんが、私は恨んでなどおりませんわ」


 頬にかかる髪を耳にかけながらこちらに柔らかい笑みを向ける。

 慈愛に満ちた表情の下に続く白く細い首元。そこに視線を止めれば、俺の腕がそれを締め上げ押さえつけ、彼女の抵抗と悲鳴が刻み込まれた忌まわしい記憶が、手に耳に脳裏に呼び起こされる。

 肌に残る感覚を必死に振り払おうと、握り混む手に力一杯爪を立てる。


「しかし、俺は、君を……っ」

「いけませんわ」


 小刻みに震えている俺の手を両手で柔らかく包み込み、指を丁寧に開いていく。

 うっすらと血の滲む手の平に小さな手をそっと重ね、真っ直ぐな視線を俺に向ける。


「魔族を討ち払えたのはセドリック様のおかげでですわ。貴方の強さが、私を諦めさせず信じさせてくれたのですもの。それにこの廃墟領まで出向き、私を慰め勇気づけてくれたこと。それがなければ私は今でもウジウジしょげたままでしたわ。本当に、セドリック様にはたくさん助けていただきました。ありがとうございます」


 ゆっくりと嚙みしめるように紡がれた言葉の一つ一つが俺の心に染みわたり、さっきまで纏わりついていた忌まわしい感覚がいつの間にか剥がれ、消え失せる。手の震えはもうない。


「レティシアなら遅かれ早かれ自力で立ち直っていたさ。それでも、少しでも力になれたというなら……それはとても喜ばしいことだな。ありがとう、レティシア」


 心からの感謝の意を込め微笑みを向ける。

 それを受けた彼女も心底嬉しそうな笑みを返し――


 ごふっ


 喉からもれる咽る音と、口から零れる赤い雫。


「レティシア嬢⁉」

「セドリック殿下! 何を……っ」


 時間が止まったかのようにゆっくりと流れる中、弾ける様に割り込んできた騎士二人の怒号ともとれる叫び声。

 しかし俺の視線は前方に固定されたままで、胸を赤く染めた彼女がゆっくりと後ろに傾いていくのを呆然と見送る。


 バシャン!


 盛大な水飛沫の中に彼女の姿が消え、視界に残されたのは自分の腕の先に絡む黒い闇の塊と、滴る彼女の血だった。

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