王宮の闇は、斯くも消えゆく 3

 頭上を旋回する竜と思しき生物に、見知った顔が跨っているのを確認する。


「アルフレッド!」

「バカな! 竜だと⁉ なんでそんなもんが居やがるんだよ!」


 実体を失くし闇の塊となっても変わらぬ調子で、クソ魔族が声とも音ともつかない叫びを発する。

 こんな状態でも自我がはっきり残っているのかと、そのしぶとさに感心すら覚える。

 その声を聞いてか、魔族の存在を確認した竜がこちらへ顔を向け、金色の瞳が目標を捉える。


「くそがっ! だったら、他の肉体をっ、テメーの体を無理やりにでも奪ってやるよ!」


 竜の咆哮が再び木魂する、その寸前。


「……ぐっ」


 弾ける様に広がる闇に一瞬のうちに視界が覆われたかと思うと軽い衝撃が頭を襲う。

 ざわざわと不快な耳鳴りが脳内に反響し平衡感覚を狂わせ、ぐらつく身体を支えるよう手摺りにしがみつく。


「ルーファス!」


 遠くで何やら音がするが、何かに遮られてくぐもり聞き取ることができない。

 不快な感覚がじわじわと意識の奥に広がり、やがて体を内から喰いちぎられるような感覚が激痛と共に押し寄せる。


「ぐ、あああ!」

「ルーファス! おい、しっかりしろ!」


 外部からの力で揺らされているのか自分で動いているのかそれすらも分からないが、がくがくと体が揺れる度に何か硬いものにぶつかり、鈍い痛みを、いや痛みはない? ……分からない。

 頭の中で金属を打ち鳴らすような不協和音が大音量で鳴り響き、思考も感覚もすべてがばらばらに――

 うるさい、何が? なにも聞こえない。 痛みも、何も。


 …………


 ふいに体が軽くなる。あれほどまでに重かった頭が軽々と持ち上がり、規則正しい呼吸音が耳に届く。

 ゆっくり、瞳を開く。

 誰だ?

 目の前の人影が、ぐいと覗き込んでくる。

 その瞳は見覚えのある銀色の、いや、少し違う?


「ルーファス! 聞こえてるか⁉ くそっ……」


 吸い込まれるようにその瞳に視線を奪われ焦点があったとき、その中に映る漆黒の瞳と視線がぶつかる。

 瞳に映るその影は、温度を感じない表情のまま口だけが不自然に吊り上がっていく。

 ゆっくりと手元の剣を持ち上げ、切っ先を天に向け、


「おい、やめろ……っ! 正気に戻れ!」


 剣を握る両手に何か触れるが、俺の動きを制止するに至らず、そのまま一気に力が解放される。


 ザンッ


 肉を切り裂き繊維を断ち切る音が朦朧とする意識に僅かに届く。

 手には温かい熱を感じ、滴る液体に流されるようにだらりと垂れ、そのまま体ごと崩れ落ちる。


「何で、だよ。 ふざけんな、こんなっ」


 ぽつりぽつりと落ちる単語が耳に届かなくなった頃。


「⁉」


 身を焦がすほどの強い光が体の内側から洪水のようにあふれ出す。

 ――熱い。

 ドクン、という胸をつく響きと共に闇に溶けていた意識が浮上し、まばゆい光が視界を埋め尽くす。

 キン……と小さな耳鳴りの余韻が完全に消えたとき。


「……どうやら、成功したようだな」

「ルー……ファス?」

「なんだアルフ、しばらく見ない間に随分汚らしい面になったものだな」

「おま……っ、誰のっ、せいだー!」


 涙だか鼻水だか分からない汁をまき散らしながら俺の襟首を掴みぐいぐいと引っ張るが、引きこもり令息の腕力ではビクともしない。

 邪魔なその手をぺりと引きはがし、喚く友を気にも留めず自分の体の状態を確認する。

 意識は良好だ。記憶が飛んだという事もなく、不純物も感じられない。

 己の胸に手を当てれば、突き立てた剣は跡形もなく消え、傷も完治している。痛む個所もない。

 衣服は……まあ仕方がないな。切り裂いた穴と滴った血による汚れで凄惨なことになっているがこれも必要経費だ。

 立ち上がり、手足を軽く動かし他に異常がないか確かめていると


「…………説明しろ」


 唸るような声でジロリと睨みつけるその顔にやれやれと溜息を落とし、周囲に視線をやる。

 目の前には相変わらずひどい隈を目の下に作っている、友人のアルフレッド公爵令息。

 バルコニーの隅の床には転がる令嬢。全身の色艶が正常に戻り、意識はないようだが胸部が上下しているのが確認できる。おそらく問題ないだろう。

 階下の庭には、何やら見慣れぬ巨大なトカゲもどき……竜が、アルフに視線を送り続けている。

 ――終わったか。

 戦闘の終結を確認し改めて大きく息を吐き、口を開いた。


「見ていた通りだ」


 ごすっ。

 腹に何やら衝撃を感じたが、それだけだった。アルフが己の右拳を抱えてプルプルと蹲っている。


「なんの説明にもなってないだろ!」

「……単純な話だ。悪魔に肉体を差し出し、器もろとも刺し殺したまでだ」

「いやいやいやいやいや」

「当然準備はしてある。剣には浄化の魔法に妖精の加護、身体には行動を指定する傀儡の術と生命活動の停止をトリガーに発動する治癒・身体強化の術を組んで……」

「それって、一度死んだって聞こえるんだけど」

「そうなるな」


 大きく目を見開いたかと思うと今度は半眼にし、言葉の代わりに視線で盛大に不満をぶつけられる。なぜそこまで責められねばならんのか。

 仕方なく言葉を付け足し「正確には仮死状態だ」と言えば「そういう問題じゃない!」とすぐさま返される。解せぬ。


「それよりもなぜお前がここにいる? 散々探したが全く居所がつかめなかったのだが……そうか、竜か」

「ああ、最近はずっとハルに乗って転々としていたんだ。ハルは魔力に敏いからな、揺らぎを追っていたら廃墟領に辿り着いたよ」


 ハルというのはあのトカゲの名なのだろう。己が愛情を注ぐものを既知として語る、こいつの悪い癖だ。

 それよりも。


「廃墟領に行ってきたのか?」

「あらかた聞いたぞ、お前の悪行は。後できっちり責任を――」

「なぜ王宮ここにきた!」


 俺の突然の剣幕に言いかけた言葉が引っ込み、びくりと肩が揺れる。


「お前なら気付いたはずだ、あの地にも魔族が潜んでいたことを。なぜレティシアの側を離れた⁉」


 射貫くよな視線を浴びせ詰問する。が、怯むこともなく冷めた眼差しで睨み返してくる。


「なぜだって? そりゃそれがレティシアの頼みだからだよ。まったく、こんな男放っときゃいいってのに」

「……レティシアの?」

「お前が魔族の真名を取り違えていることを知って、守ってくれって。俺だってレティシアの側に居たかったさ。それでも来たのは、お前に何かがあったらあいつは立ち直れない」

「そうか……」


 不甲斐ない。

 無用な心配をさせてしまった己の未熟さを唇と共に噛みしめる。

 そんな苦々しい表情の俺を見て、この男は無礼にも苦笑を浮かべる。


「まあ、レティは大丈夫だろ。おばあ様からの贈り物もちゃんとあるし」 

「お前の言葉など何のあてにもならん。今すぐそこのトカゲで俺を廃墟領まで運べ」

「はぁ⁉ 今トカゲって言ったか? 言ったな⁉ お前ハルに謝れ! いや近づくな!」


 キレるポイントがおかしいが、突っ込む時間も惜しい。

 今すぐに彼女の元へ、一刻も早く――会いたい。

 逸る気持ちが体を突き動かす。


「行ってどうするんだ、匣は燃やしてもうないだろ? 大体たった今全速力で王都に着いたばかりなんだぞ? ハルにだって休憩が必要だ! そもそも王太子が王宮を空けるとか――」

「つべこべ言うな、行くぞ」


 首根っこを掴みバルコニーから飛び降りる。「ひえあああああ」と情けない声を上げる主に佇む竜が不安そうな眼を向けるが、視線で問題ないと諭す。

 オリヴィア嬢は……まああのままでいいだろう。日が昇れば誰かが保護するはずだ。


 不満を漏らすアルフレッドと共に竜に乗り、空へと舞い上がる。

 内臓が引っ張られるような不思議な感覚に戸惑いながらも鞍をしっかり掴む。その手に汗が滲んでいることに気付き、ざわり、と心が騒めく。

 セドリックに取り憑いたという魔族。それはあのクソ魔族よりも格上の存在だという。

 なぜわざわざ廃墟領まで出向いた? レティシアが目的ならば呼び戻せばいいだけのはずだ。

 他に目的があるのだとしたら――

 いくら想像を巡らせてもここはまだ廃墟領から遠く離れた王都である。

 今はただ、レティシアを信じる他ない。


 募る不安を抱え、その身を竜に預けた。

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