王宮の闇は、斯くも消えゆく 2

「ひゃっはっは……ひぃ⁉」


 いつまでも笑い転げているクソ魔族に落ちてたナイフを蹴り飛ばすと、バタバタとみっともなく体を捩り、その横を掠めてカツン、壁に突き刺さる。

 これは今さっきヤツが蹴りをくれたときに落ちたものだ。一体何本のナイフを仕込んでいるのか、魔族というより道化のような奴だ。


「あっ……ぶね!」

「この名がお前のものでないのだとしたら、貴様はなぜウェイバーの命令に従っている?」

「バーカ、教えっかよ!」


 カカカッと小気味のいい音が響く。

 クソ魔族の頭を掠めるように三本のナイフが通り抜け、ヤツの背後の壁に刺さる。

 はらり、と漆黒の髪が数本舞い、俺を挑発するように己の頬を掴むポーズのまま硬直している。

 俺は懐からさらに三本のナイフを取り出し、ひゅんひゅんと宙を舞わせ、そのまま視線をヤツに固定する。


「てめっ、大道芸人か!」


 カッ


「ぎゃっ」


 宙を舞っていたナイフが背後の壁のオブジェを一本増やし、ヤツの髪留めが弾け飛ぶ。

 変わらず視線を固定したまま、俺の手にはナイフが二本宙を舞っている。


「まままてまて、この身体がどうなってもいいのか? コイツは貴族の令嬢だろう⁉」

「やむを得ない犠牲というやつだな。男爵令嬢と王太子とでは比べるまでもないだろう」

「なっ、マジか? オニか! アクマか! 愛する女なんだろ⁉」


 カカッ


 残り二本のナイフも壁に収まり、ヤツの足元に二房の毛束がばさりと落ちる。

 令嬢にとって髪というのは大切な物だとは理解しているが、やむを得ない犠牲というやつだ。

 肩口に揃えられた両外側の髪がふわりと横に広がっている。

 それにしてもクソ魔族に悪魔呼ばわりされるとは、流石に腹が立つ。

 何より――


「俺が愛するのはレティシア唯一人だけだ」

「はぁっ⁉ それってあの人形面した元婚約者だよな? つまりこのオンナを利用したってのか? 血も涙もねぇ極悪非道かよ!」


 馬鹿だと思っていたが意外に頭が回る。

 そして俺の神経を逆撫ですることに関しては天才かもしれん。

 ナイフがなくなり空になった手を、今度は腰の剣にかける。

 それを見たクソ魔族は「分かった、分かったぁ!」と大げさに腕を振り、降参の意を示す。


「お、落ち着けって! 言うからよ! オレっちに命令してんのはその名前の持ち主だよ! オレっちを匣に道連れにしたクソったれ魔族さぁ! ちょっと格上だからって好き放題こき使いやがって、ムカつくヤツなんだよ! 今だってオレっちにめんどくせー仕事押し付けやがってよぉ。でも自由の利く身体手に入れられたことにゃ感謝しねーとなぁ!」


 なるほど、いらんことまでよく喋る。

 だが概ね理解した。そして面倒なことになっていると確信する。

 俺が思考を巡らせる間にもクソ魔族は口を止めることなくしゃべり続けている。


「さぁてここで問題だ。ソイツは今どこにいると思う? ……正解は、アンタの元婚約者んところさぁ! 出来損ないの坊ちゃんは相当拗らせてたからなぁ、さぞ憑き心地はいいだろうぜ。ほーら、早く助けに行った方がいいぜぇ? でねーと愛する女が弟とクソったれ魔族にぐちゃぐちゃにされちまうぜ……っあが⁉」

「貴様は無駄口が多すぎる」


 地の底を這うようなドスの利いた声が周囲の空気を凍てつかせる。

 まん丸く見開かれた漆黒の瞳を射貫くアイオライトの視線が、魔法封じの施された室内であるにもかかわらず氷結魔法が炸裂かの如く、クソ魔族を凍り付かせている。


「無用な心配だな。レティシアはそんなやわな女ではない。魔族如きに後れは取らん」

「あ、がが……が」


 ガチガチガチと、震える歯が口に突っ込まれた剣の切っ先に当たり、鈍い金属音を響かせる。

 クソ魔族が固まる体をぎこちなく動かし後退するたび、こちらも前進して一歩ずつ詰め寄る。


(……この想定を見誤ったのは確かに俺の失策だ)


 チッ、と舌打ちしたくなるのを呑み込み、ぎりりと歯を噛みしめる。


 (しかし念のためと送った廃墟領あそこには神霊の泉がある。護衛の騎士も向かわせた。……大丈夫だ。レティシアなら負けはしない)


 ドン、と壁まで退がった魔族の背が跳ね、前のめりに倒れ込む。

 反射的に突き出していた剣を引くと、床に手をついた無様な体勢のまま這いずる様に走り出す。


「う……あああああ!」


 壁に刺さったナイフを抜いては投げつけ、こちらに背を向けながら必死に出口を求め逃げ惑う。

 もちろん逃がす気などない。扉を背にし魔族の退路を塞ぐ。


「ひいっ、くそっくそ! なんでだ! なんでオレっちがこんな目に…っ!」


 叫びながら闇雲に体当たりした壁はバルコニーへの扉で。

 鍵のかかっていなかったそれは勢いのまま外に開き、そのまま体勢を崩しながら転がり出た魔族の体がふわりと宙を舞う。


「ひぎゃあああああ」

「馬鹿が!」


 突風に煽られ手摺りの外に投げ出された令嬢の体を咄嗟に掴み、力いっぱい引き戻すと、ごん、どすん! と鈍い音を立てながらバルコニーの床を転がる。

 しばしそのまま突っ伏していたが、やがてぶるぶると震えながら体を起こす様子を確認し、人心地つく。

 はぁはぁと肩で息をしながら目だけをこちらに向けていたソイツが、ふと何かに気付いたようにこちらに顔を向け、生気のない顔をしかめながらも口元だけ大きく横に歪ませる。


「……あん? もしかしてテメェ、この女殺せねーのか? はっそうだよな! コイツを殺しちまったら婚約者ちゃんの濡れ衣も晴らせねーもんな!」


 息も絶え絶えながらも精一杯の虚勢を吐き捨てる。

 表情を変えないまま無言で見下ろす俺の反応を見て、それを確信に変えたのだろう。

 手摺りに掴まりながら体を起こすとしたり顔を浮かべながらゆっくりと息を整え始める。


(……本当に、俺をイラつかせる事に秀でたクソ魔族だ)


 コイツの言葉は正しくはない。いざとなれば、やむを得ない犠牲を払う覚悟は持っている。

 しかし回避できるのならばできうる限りそうしたいと願っているのは事実で、その訳はレティシアの冤罪を釈明するためではなく。


(犠牲が多いほど、あいつは悲しむ)


 悲嘆する彼女の瞳が心をよぎれば、自然と刃が鈍くなる。


(……オリヴィア嬢を殺めるのは最終手段だ)


「……そうかい、そうかい! なるほどなぁ! 危うく騙されるとこだったぜ、とんだイカサマ野郎だ!」


 無言を肯定と受け取り、ますます調子づき軽やかに舌が回りだす。俺へのそしりを付け加えることも忘れない。


「よくよく考えりゃ、その匣が役立たずな以上どのみちオレっちを封じる手段はないんだ。手詰まりってヤツだなぁ、へぇ、ふぅん?」


 立場が逆転といったところか。手摺りにもたれ、しなをつくりながらこちらの様子を嘗め回す様に観察し、余裕の笑みを浮かべている。

 こちらの出方を窺うように、しかし、そのまま無言を貫けば沈黙に耐えきれず再びその無駄口を開く。

 ……堪え性がないな。構ってもらえないと死ぬ系魔族なのだろうか。


「そうだな、なんなら手を組んでやってもいいぜぇ? 王太子サマってのは敵も多いんだろ? 頭のいいアンタが指示してくれりゃうまくやるぜ? 俺は自由な体を得て、利害の一致ってやつだ! ……特別サービスだ、このカラダを使って愛しい女を忘れさせてやってもいいぜ?」


 大きく開いたデコルテにヤツが手をかければ黒染めの肌からぞぞぞと闇が引き、生気は薄れているものの元の色を取り戻す。

 零れそうな豊満な胸を両手で包み強調しながら下卑た笑みを向けるその姿に、俺の決意が固まる。


(――己の信念を貫けばいい)


 そして持っていた匣を再びクソ魔族の前に掲げる。


「あん? そいつをどうしようってんだ?」

「こうするんだ」


 パキャッ


 握る手に力を込めると古木でできた匣はあっさりと砕け散る。「は?」と状況がつかめず目を丸くしているそいつに向かってその木くずを投げつけると同時に、口内で紡いでいた呪文を解き放ち――一瞬のうちに炎がクソ魔族を取り巻く。


「ぎぃええええ! 熱いっ焼け死ぬ!」

「多少は熱いだろうが焼け死にはしないだろう」


 体を覆う炎にパニックを起こしかけたクソ魔族だが、俺の言葉に正気を取り戻し自分の体に目を向ける。

 炎は膜のように体を覆ってはいるが、体自体が燃えているわけではなかった。至近距離でじりじりと身を焼く熱さはあるだろうが、耐えきれないものでもない。


「苦しいことには変わらんだろうがな」

「う……ぐぅ、ああああああ!」


 俺の言葉が終わらないうちに、くぐもった声を漏らし胸を押さえ苦しみだす。

 膝をつき、がくがくと揺れる体からじわり、と黒い靄が滲みだす。


「その匣が神霊の木で作られていることは知っているはずだ。どうだ、魔族には効くだろう?」


 燃える木片から湧き出す小さな光が炎の檻の中でキラキラと舞い散り、オリヴィア嬢の体に彩りを与えると同時に押し出された闇の塊が行き場を失くし炎に巻かれていく。


(これでもう一体の魔族を封じる手立てもなくなったが、まずは目の前のコイツを完全に消し去る)


 レティシアを信じて取った手段だ。ならば俺も相応の成果を示さねばなるまい。

 再び剣を握り、ぐったりと床に伏した令嬢の肉体から解き放たれ闇の塊となった魔族を見据える。

 次第に炎が大気に散り魔族が解き放たれた、その時。


 グゥオオオ……


 低く不気味な音が寝静まった夜の空を震わせる。

 不意に闇が落ち頭を上げれば、降り注いでいた月明かりを遮るように浮かぶ巨大な影が視界を埋める。


(魔鳥? いやあれは……竜か⁉)

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