王宮の闇は、斯くも消えゆく 1
宵も更け 闇夜に煌々と月が浮かぶ。
王都の中央、街を見下ろす様に小高い山の上に構え、月明かりに浮かび上がる荘厳な王宮も今は寝静まり、僅かな灯と巡回の兵の動く音だけが微かに漏れ闇に消えていく。
城門をくぐり、昼は多くの人が行き交う行政区画を抜けると奥には王族の居住区画が広がる。
歩き慣れたようなコツコツという音が通路に響き、ある部屋の前で立ち止まるとその姿が不意に闇に溶け、扉の隙間をするりと抜けると中で再び形を取り戻す。
広く豪奢な造りのその部屋に見合わず調度類は品はよくも最低限だけ配置され、部屋の主の淡々とした性格を如実に表している。
部屋を横切り奥まで来ると続きの間に設えられた寝台が視界に入る。
その中央の膨らみに顔を向け……静かに歩み寄り懐からナイフを取り出す。
窓から入る月明かりがその刃の銀色を鮮やかに照らし、持ち主の姿が映し出される。
闇色のドレスを纏い同色のヴェールを目深にかぶった華奢な令嬢。
両手でナイフを逆手に握り、寝台の中の膨らみ目掛けて振り下ろさんとしたその時。
「このような時間に訪問とは、急な用件か」
背後から突然かかった声に驚き振り向いた瞬間、握っていたナイフを弾き飛ばすとキンと澄んだ音を立てて部屋の隅に転がる。
死角となっていた部屋の隅から一歩踏み出し、月明かりの元にその姿を晒す。
昼間と変わらぬ衣服をきっちりと着込み帯剣した出で立ちで、招かれざる訪問者を待っていたことを示唆する。
「ルーファス様、なぜ……?」
「控えよ。尋ねているのはこちらだ」
「っ……」
闇よりも冷淡な瞳で見下ろし有無をも言わさぬ圧力をかけつつ、目の前に立つ人物を注意深く観察する。
「オリヴィア嬢、だな? ふむ、平素とは随分と趣向が異なるようだが」
色からすると一見喪服のようだが、羽織るストールの下に見えるその装飾はフリルとリボンがふんだんにあしらわれた華美な作りで、よく見ると最近仕立てたと見せつけてきたイエローオレンジのドレスと酷似している。
顔を覆うヴェールから透けて見える髪も同じく、元のミルクティ色は見る影もなく艶のない漆黒に染まっている。
(色を失くした、いや闇に呑まれたといった方が自然か)
その不可思議さを冷静に分析しているとやがて目の前の令嬢が震える体と声で必死に言葉を絞り出す。
「わ、私は……自分でもなんで、どうやってここにいるのかも分からなくて……っ」
が、その内容は全くもって答えにならず。
変わらず冷たい視線を浴びせ続けていると次第に嗚咽が混じりだす。
「た、助けてください! 私っ、恐ろしくて、ルーファス様だけが頼りでっ」
手を伸ばし懇願のまま縋り付こうとするも軽く振り払う。
どす、と鈍い音と共に床に転がる令嬢の手には、いつの間に取り出したのか二本目のナイフが握られている。
「大体、俺をこの場で殺してどうしようというのだ。貴様は馬鹿か」
「違うんです! これは私じゃない!」
「茶番はいらん」
つまらなそうに言い捨てる言葉に、こちらの意図が読めずと言った困惑の表情を浮かべる。
「貴様の出どころは把握している。ウェイバー伯爵の命で動いているという事もな」
無駄話をする気はない。
とっとと正体を現せと暗に促すと、がっくりと項垂れた背をがくがくと揺らし始める。
「……く、ふふ、そうかい、まぁ、完璧王子ってのは伊達じゃねぇんだなぁ!」
声を漏らしたかと思うとそれは笑い声に変わり、突如人が変わったかのように声を荒げる。
いや、変わったかのようではなく変わったのだ。
オリヴィア嬢の内に巣食う魔族に。
ゆらり、と不自然な体勢のまま体を起こし、こちらにぐるりと向き直る。
ヴェールから覗く口元が大きく歪み弧を描き、くふくふと下卑た笑い声を漏らす。
その声は令嬢の外見とはまるで一致しない、低く割れたような不快な音を奏でている。
「バカとは言ってくれんじゃねーの、王太子サンよう。ウェイバーのヤツがテメーが目障りだって言うからよ、オレっちが消してやろうってんじゃねーか!」
「何だ、やはりただの馬鹿か」
「なっ、なにぃ⁉」
令嬢の身なりのまま破落戸めいた口調でのたまう魔族に対し盛大に溜息をつく。
周囲には鉄面皮だの好き勝手呼ばれているが、俺だってこんな馬鹿を相手にすれば表情くらい崩れる。
分かりやすく狼狽える魔族に仕方ないから説明してやる。
「ウェイバーの望みは王家の転覆もしくは乗っ取りであって俺個人の命ではない。俺を殺したところで弟が立太子するだけだ」
「弟だと⁉ あの出来損ないってヤツか?」
「あれを出来損ないと評するなら貴様は出来損ないにも満たない屑だな」
一層低くなった俺の声色に周囲の温度が急激に下がり、魔族が「ひぃっ」と短い声を上げ震えだす。
後悔するならば最初から喧嘩など売るなと言いたい。
「貴様がとるべき最善手は俺を魅了なりで傀儡にすることだったがまぁそれも不可能な話だ。ちなみにウェイバーは既に拘束している。貴様のやることはすべて無駄だという事だ」
「おい……おい! ちょっと待てよ、聞いてねーよ⁉」
次々と明かされる事実に、下半分しか見えない顔を忙しく白黒させている。
もともとオリヴィア嬢は表情がころころと変わる表現豊かな娘だったが、ここまで人の表情は動くのだなと感心すら覚える。
さて、もう一息か。
オリヴィア嬢の抱える欲との繋がりを希薄にし魔族を引きはがす、そのための追撃の一手は――
「……なぁーんてな」
不意ににやり、と不敵な笑みを浮かべこちらに顔を向ける。
その拍子にぱさりとヴェールが床に落ち、薄暗い部屋に素顔が浮かぶ。
ヴェールの上から見えていた漆黒の髪に、同じく光を通さない漆黒の瞳。肌は白く生気を失くし、デコルテから肌を這い上がる闇が頬に斑模様を作っている。
今にも全身を呑み込みそうな闇のなか、白い顔に浮く表情がぐにゃりと歪むと背筋におぞましい感覚が走る。
だからと言ってそれを表に出すことはなく。
「なんだ?」
「つまりよぉ、もうウェイバーのヤツの言う事を聞く必要がないってこったろ? だったらオレっちの好きにしていいってこったよなぁ! 匣から解放されて、ようやくこの女の精神も乗っ取って自由を手に入れたんだ、思う存分暴れてやるよ!」
そう言い終わるや否や。
掌をこちらに突き出すとそこから黒い霧が勢いよく吹き出すも、とっさに身を捻り隣室へ転がり出る。
「チッ、うまく躱しやがって! けどよう、もう逃げ場はないぜ!」
素早く態勢を整え向き直ると、後を追い悠々と歩みながらこちらの部屋へやってきた魔族が指を弾き、パチン、と乾いた音が響く。
瞬間、室内の床や壁一面に漆黒の魔法陣が展開し
「はっはー! 闇に呑まれちまいな!」
ヴン……
魔族の高笑いと共に掻き消える
「は⁉ なんだ? どうなってやがる!」
「だから貴様は馬鹿なのだ」
「むぐっ」
魔族につかつかと歩み寄り、片手でその頬をむんずと鷲掴む。
「なっなにひやがった!」
「貴様は待ち伏せされていたことも分からんのか? 当然、相応の準備はしてある。例えば……室内に魔法封じを施しておくなどな」
「⁉」
「どうやら貴様は魔術に長けた魔族のようだな。対策が大アタリだ。あの一瞬であれほどの陣を展開するなど見事なものだ。が、発動せねばどうということはない」
ぎりりと力を込める俺の手を外そうと、両手でしがみつきながらじたばたと体をよじるがびくともしない。
ナイフを簡単に弾けたことも鑑みると肉弾戦は不得手なのだろう。
「どうした、他に手はないのか?」
ふーっ、ふーっ! と息を荒げながら涙目でじろりと睨みつけてくる。
が、比較的長身な俺と小柄なオリヴィア嬢の体格差もあり、もはや小動物が暴れているのと大差ない。
冷淡な視線のままその様子を眺めていると、やがて力尽きぐったりと脱力する。
……頃合いか。
そう判断し、空いた方の手で腰に下げた袋から手のひら大の古びた木箱を取り出し、魔族の目の前に掲げてやる。
「ぐぅっ!ほれ、は……!」
「お前がよく知っているものだ」
びくりと体を震わせ、匣を凝視している。
「茶番は終わりだ。とっととそこからでてこい『 』」
匣に刻まれた古代語を読み上げる。現代語にはないその発音が、はっきりと室内に響く。
――それは魔族の真名。ひとたびその名で呼ばれれば、呼んだ者の意思に抗うことができなくなる、その者の魂を縛る言霊。
……そのはずだった。
しかし、何も起こらない。なぜ――
「!」
ドガッ
一瞬の不意を突かれ腹に思い切り蹴りを食らいよろめく。
その隙を逃すはずもなく、魔族が拘束から抜け出し間合いを取る。と、腹を抱えて笑い出す。
「くっ……ひゃーっはっはっは! 残念だったなー! ソイツはオレっちの名前じゃねーよ、大ハズレだ!」
「……どういうことだ」
「お、やーっとそのムカつく涼しい顔が歪んだなぁ!」
ひぃひぃと笑い続けながら煽ってくる。……いい度胸だ。
指摘された通りに眉間に皺を走らせ、クソ魔族、と心の中で悪態をついた。
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