晩餐は嵐の如く 1
時は遡って数刻前。
半壊城の前庭まで辿り着いたところで、遠くで放たれる轟音と迸る光に二人は眉間に皺を寄せる。
レティシアの従者であるメリルとカインは有能とはいえど、魔族という未知の存在に対し戦闘要員として心許ないのも事実で、無情にも退避を言い渡されたのだった。
「お嬢様の従者として、危機的状況にもかかわらずお側にいられないというのはあるまじき大失態です」
そう零したのは私の隣に立つ神妙な面持ちのカインで、無言のまま同意の頷きを返す。
自分なんて側にいたのに、震えでまともに動くことすらできなかった。
お仕着せのスカートを強く握りしめ、役立たず侍女となった私は口を噤むことしかできない。
「それでもお嬢様なら。魔族を退け笑顔で戻って来られると、そう信じております」
「……もちろんよ」
「ならば我々も、果たすべき役割を全力で成し遂げるまででしょう」
カインの言葉に顔を上げれば、いつもの平静な瞳の奥に滾る感情が見える。
己の不甲斐なさに憤っているのは彼も同じなのだ。
姿勢を正し視線を交わすと、互いの決意を確認し合い頷く。
我々に課されたのは『豪勢な晩餐』である。
「グランドール家の従者として、必ずやお嬢様の度肝を抜く最高の晩餐を用意いたしましょう!」
斯くして我々の絶対にしくじれない
早速作戦会議に入る。
与えられた時間はあまり多くない。無駄なく要領良く事を運ばねばならない。
用意するメニューは既に決まっている。
調理場の環境や調達できる食材をリストアップしそこにお嬢様の好みをかけ合わせれば、自ずと最適解は出るのだ。
前菜からスープ、メインの肉料理をカインと打ち合わせ、準備の算段を立てていく。
そして、この晩餐を飾り立てる目玉となる一皿。
選択した品は、お嬢様の大の好物でありグランドール領の名物として王都でも人気の菓子であった。
グランドール領の特産であるルビーフルーツをカットし、これまた特産品であるグラスシュガーで作った飴でコーティングされた『ルビークリスタルキャンディー』。
赤い宝石とも称される果実がガラスのように透き通る飴細工を纏い、光を弾く美しい見映えと酸味と甘味が絶妙なバランスの風味が、目と舌を楽しませてくれる逸品だ。
何より、このルビークリスタルキャンディーこそが私の最も得意とする料理なのである。
「最高の作品を仕上げて見せるわ!」
「それでは、私は必要な食材を集めに行ってまいります」
そうして各々得物を手に取ると、背を向け互いの戦地へ赴くのだった。
◇ ◇ ◇
城奥庭園に降り立つアイスグレーの髪がふわりと風に踊る。
「レティシア、寒くはないか?」
「すっかり乾いてますから大丈夫ですわ、セドリック様」
地下の神霊の泉でなんとか魔族を浄化し、ついでに体の傷を癒やしてようやく地上へ戻った私たち五人。
ぐっと伸びをしながら空を見上げれば、いつの間に傾きを増した陽が空の端をほのかに金色に染め、生夕暮れのひんやりとした空気が流れる。
全身ずぶ濡れになった服はサイモンの魔法で乾かされ、靡く髪も元のしなやかさを取り戻し軽やかに揺れる。
黒セドリック様から白セドリック様に戻った彼も、元来のプラチナブロンドを陽に輝かせながら碧く澄んだ瞳で私を気遣い寄り添ってくれる。
傷は癒えたとはいえ、精神的にも随分疲労が溜まっている。時折ぐらつく足元を適度な距離を保ちつつ支える姿はまさに忠犬のようだ。
王族にこのようなことをさせてはいけないわ。しっかりしなくては、と気を取り直し口を開く。
「さあ、メリルとカインたちの元へ戻りましょう」
居住区の手前まで戻って、私たちの足がピタリと止まる。
「おい、このニオイ……」
サイモンが表情をしかめ、皆の先頭へ躍り出ると素早く身を潜める。
それに倣ってヨハンが私とピッテ、セドリック様を壁際に促しその背に隠す。
「どうした?」
「……おかしいですね。血の匂いは濃いのに、殺気の類はまるで感じられない」
セドリック様の問いにヨハンが腑に落ちない様子で答える。
壁に寄りながら身を低くし、視線は前方に向けたまま注意深く見据えている。
(確かに匂うわね)
ヨハンの言う通りの辺りに立ち込めるこの臭いには覚えがある。魔獣討伐時によく嗅ぐものだった。
記憶が呼び起こした感覚が、私の腹の底を微かに刺激する。
争いの気配がないことを確認し、注意深く一歩踏み出したサイモンが立ち止まり、息をのむ。
「なんだこりゃ⁉ 一体何が――」
言葉を失うサイモンに続き視線の先の様子を窺うと、その光景に一同が戦慄する。
眼前に飛び込んできたのはうずたかく積まれた魔獣の残骸。
辺りに目をやれば大小様々な魔獣の亡骸が転がり、あたかも戦場かと見紛う光景である。
「死屍累々じゃねえか!」
「まさか魔獣の襲撃があったのか⁉」
驚愕と焦りの色を浮かべるサイモンとセドリック様の声を聞き、ヨハンは腰に下げた武器に手をかける。
そんな重苦しく圧がかかったような彼らの反応と相反するように私の心臓がドクンと高鳴る。
その瞬間、
ボゥッ
大気を震わす轟音と共に城の屋根まで届くほどの火柱が立ち昇る。
呆然とその火柱を見上げると、その周囲をちかちかと瞬く火花が円を描くように舞っている。
規則正しく揺れるその火花が定位置につき動きを止めると
「くるぞ、伏せろ!」
バリバリバリッ
火花を結んだ線が魔法陣を完成させると同時に稲妻が出現し火柱を取り巻き渦を巻くように降り注ぐ。
サイモンが発した声に一同は反射的に身を固くし、その隙間を強烈な閃光と熱風が駆け抜ける。
灼ける空気、そして鼻を突く刺激臭が辺りに立ち込め、いてもたっても居られなくなった私はたまらず走り出す。
「レティシア⁉ 待て――」
「メリル、カイン!」
「お嬢様⁉ お帰りなさいませ! よくぞご無事で……!」
セドリック様の制止も聞かず、しがみついたピッテを抱えたまま廃墟城の前庭に飛び出すと、そこにいたメリルとカインが驚いた様子で、しかしすぐに笑顔で顔を綻ばせ、こちらに駆け寄ってくる。
「お怪我はございませんか?」
「問題ないわ! 少し疲れたくらいよ」
「それは何よりでございます!」
私の無事を確認し、労うメリルとカイン。
先程までの緊迫感はどこへやら。打って変わった和やかな雰囲気に唖然としつつ、その様子を見ていた他の面々も潜んでいた奥から恐る恐る進み出てくる。
「…………言葉もねぇな」
「まったく」
「同感だ」
三人が見たのは先程の爆心地。そこにあるのは巨大な石窯で。
「久しぶりに見たわ、カインの必殺地獄焼き!」
「表面の焼き色と言い、このハーブの弾け具合、相変わらず見事な火加減です!」
「窯は破壊せず中だけきっちり焼き切るのが職人業よね、惚れ惚れするわ」
「恐縮にございます」
窯の中を確認したメリルがにっこにこの笑顔で中から魔獣と思わしき丸焼きを取り出しその様子を私はうっきうきに瞳を輝かせ見守る。
メリルの言う通り最高の状態で焼き上げられたのだろう、鉄板に落ちる肉汁がじゅうじゅうと鳴り弾ける度に私の五感に連続攻撃を仕掛けてくる。
「料理、でいいんだよな? コレ」
「あーまぁ、……いいんじゃないか?」
なんとも複雑な表情を浮かべる騎士二人。
魔獣の山に改めて目をやれば、どれも丁寧に捌かれ処理されており、後の保存のためにきっちり仕分けもされている。
どうやら危険はないと判断するとさっきまでの緊張が一気に緩み、その辺の椅子やら瓦礫やらにどかっと腰を下ろす。
そんな彼らの前に進み出るメリルとカイン。
「サイモン様、ヨハン様。先の対魔族戦においては遅れを取りましたが、我らグランドールの忠臣にてお嬢様の取り巻き、何度も失態を晒すような真似は致しません!」
どやっ! とそう告げるメリルと凄むようなカインの表情に、名指しされた騎士二人はびくりとたじろぎ
「あ、殿下もご無事で何よりです」
「俺の扱い軽いな……」
白セドリック様に気付いたメリルの言葉にそうボヤキが返ってくる。
何やら脱力してそれ以上言い返す気力もない様子。
そんな彼らのやり取りの隙間に。
くぅ……
小さく、しかしはっきりと鳴り響く音。それは私の体の中心、つまりお腹から発せられて、一堂の顔が向く。
嫌だわ、はしたない!
言葉にならない叫びと一瞬で真っ赤に染まった顔を慌てて両手で覆い隠す。
やめて見ないで。だってもう、我慢の限界なのよ!
そう心の中で憎まれ口を叩き、恨めしそうな涙目で見つめる目を睨み返す。
「お嬢様、お待たせをしてしまい申し訳ありません。それでは始めましょう」
こうしてカインの宣言により、我が親愛なる従者たちにより整えられた『豪勢な晩餐』が幕を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます