決戦 2
開け放たれたままの仕掛け扉の先、階段を降りると広がる地下空間はいつもと同じように静寂に包まれている。
逃げ込んだ彼を柱の陰に確認しゆっくり近付いていくと、向こうもこちらに体を向ける。
「妖精の粉とはやってくれるね」
チリフキダケの粉を全身に浴びた黒セドリック様が苦々しく呟く。
口調こそ平静を装っているが、眉間に走る皺がダメージを負っていることを物語っている。
ピッテ曰く、チリフキダケとは妖精の力で育つ特殊なキノコで魔除けになるとの言い伝えがあるらしく、なるほど、しっかり魔族に効果があったようだ。
身体を侵食していた黒ずみが剥がれ、戦闘の影響でボロボロになった衣服の擦れがはっきり確認できる。
それでも髪や瞳は漆黒を湛えたままで、セドリック様の意識を引き上げるまでには至っていない。
(もう一息、必要ね)
そのための手段となりうる神霊の泉が目の前にある。
しかし。
(分かっていて、なぜここに逃げ込んだのかしら?)
私にとってこの泉が魔族に対抗する唯一の手段であることは黒セドリック様も承知のはずだ。
どうにかここに彼を誘導したい、そう思っていたはずなのに。
これではこちらが誘い込まれた格好である。
「どうしたんだい? さっきまでの威勢は」
こちらの困惑を目ざとく察知し、余裕の表情を浮かべて見せる。
なぜ。いつの間にか形勢が逆転しているわ。
「君は僕をこの泉に連れてきたかったと思ったんだけどな」
「……そうね」
彼の考えていることが分からない。
それでも相手に主導権を渡さぬようにと平静を保つ。
「正直なところ、君がここまでやるとは思っていなかったよ。王宮で見た君は触れたらすぐに割れてしまいそうなほど脆く見えたからね。それこそ、目が離せなくなるほどに」
「……話が見えませんわ」
「君は鈍いからね」
まさか魔族にまでそんなことを言われるなんて。不服だわ。
にこりと棘のない笑みを浮かべるその顔はセドリック様と見紛いそうになる。
「これはね、僕からの愛の告白だよ。セドリックではなく僕の」
一体何を言い出すのだ。
是非もなくだんまりを決め込むが、気に留めることもなく話を続ける。
「儚く美しい君を一目見て、心を奪われたんだ。……僕のこの手で、壊してしまいたいと、そう強く願うほどに」
「……」
「王太子は君を王宮から引き離せば安心だと高を括ったようだけど、その愚鈍さに感謝しないとね。傲慢な王太子と出来損ないの第二王子のおかげで、ようやく君を独り占めできる」
「勘違いしないでくださらない?」
気分よく口上を続ける彼に異論を挟むと、足に任せていた身体を止め、くるりとこちらに体を向ける。
「どういう意味だい?」
「アナタは分かっていませんのね、私が
あの方は完璧主義で抜け目のない方だもの。ブレない瞳でそう付け加えれば、「あっさりフラれたようだね」と肩を竦めてみせる。
落ち着いた口調から、地上で騎士たちと相まみえていた彼とは別人のような穏やかな空気が流れる。
居心地の良さすら感じそうになるが、目的を見失ってはいけない。
魔族である彼から、セドリック様を救出するのだと。
「そういえばまだ君に話していなかったね、僕が
そうしてまたゆっくり歩きだし石段を一つ二つと降りると、泉の淵で立ち止まる。
「君を愛しているのはもちろん事実だけど、僕の本来の目的はこの泉さ」
足元に揺れる水面が彼を映し、二つの顔がこちらを向く。
「君も知った通り、僕は昔この場所からこちら世界へやってきた。そして、匣に封じられ数百年。ようやく自由を手に入れたかと思えば、王族に目を付けられ騎士に襲われ、散々だ。……魔族と言うのはね、とてもか弱い生き物なんだ。他の生物の体を借りなければ意識を保つこともできない」
「同情はしないわ」
「そうだろうね」
数段高い位置から彼を見下ろしながら彼の真意を探ろうとするが、風に揺れる波に映る彼が揺れるように、その輪郭を掴むことができない。
「僕は自分の故郷に帰りたいんだ。その入り口がこの泉なんだけど……どうやら門は閉じてるみたいだ」
故郷に帰りたい、それが彼の目的?
つまり、それは――
「ならば、この男の魂を捧げて門をこじ開ければいい。そう思わないかい?」
「なっ⁉」
思考が追い付く前にセドリック様の体が後ろに倒れ水飛沫が上がる。
「待ちなさい!」
油断したわ!
つまりそれは、異界門を再び開くことであって、そんなことは許されない!
ドボン! と続いて泉に身を投げ、ごぼごぼと気泡を吐き出し深みに沈んでいくセドリック様の体を掴む。
泉の中心部は思いの外深く、ドレスが邪魔をして思うように体が動かない。それでもこの手を放すわけにはいかない。
何とか浅瀬まで辿り着いた所でようやく肺に空気が戻り、セドリック様の上体を引き起こす。
「セドリック様! しっかりしてくださいまし!」
半身を水につけたままばしばしと容赦なく頬やら背やらを叩くと、次第にぐったりと傾けていた身体に力が戻り、私の手をそっと握る。
「ああよかった、意識が戻られ――」
開いた瞳は闇色で。
瞬時にぐるんと体の位置が入れ替わる。掴まれた腕に重さがのしかかると、ひとり泉の中へ押し戻される。
「がぼっ、ぐ……っ」
不意を突かれ水が口内へ侵入し、上体を起こそうと力を込めるが彼の体が覆いかぶさりそれを許さない。
「はは! 君の行動は本当に分かりやすい!」
(息が……っ)
必死に抵抗するも私の手足は水を掻くばかりでバシャバシャと水音だけが空しく響く。
(……だめ、もう)
意識が揺らぎ暗転するすんでのところ、不意に首にかかる力が弱まり、反動で体が水から躍り出る。
「げほっ! がっ、……はぁっ!」
水を吐き出し空気を思い切り吸い込んで正気を確かめ、よろめきながらも顔を上げると転がる小柄な体が目に留まる。
「ピッテ……っ」
「木っ端妖精に用はないんだ」
恐らく私を助けるために黒セドリック様に立ち向かったのだろう、吹っ飛ばされ動かない少年妖精に黒セドリック様が無関心に言い捨てる。
未だ力が入らない私の頭を両手で抑え込み自分の眼前に引き寄せると、私だけを映したその漆黒の瞳は歓喜に歪む。
「必要なのは君、妖精の王族の末裔さ。一目見て気付いたよ、その忌々しい血の面影に。……ようやく手に入れた」
恍惚を浮かべ私の頭を弄ぶ彼の手首を掴むが、びくともしない。
ぜえぜえと肩で息をするたびに振り乱れた髪から雫が垂れ、座り込んだ足元を浸す水面に波紋を作っていく。
「ひとついいことを教えてあげよう。この男の魂を泉に捧げたところで何の意味もない。君の血でこの水を穢して初めて異界門は開く。それが僕の目的だよレティシア!」
「……っ、かはっ」
首まで下りた手に力が込められ、もう一方の手が懐からナイフを取り出す。
霞む視界に刃が煌めく。
「セドリック様、やめて……っ」
「おや、命乞いかい? 愛しいレティシア。大丈夫、すぐに王子たちも後を追うさ。安心していい」
ぎりぎりと締め上げる手に両手で爪を立てながら、セドリック様に呼びかけるも反応はない。
全身を泉に浸したというのに彼の意識は未だに深層を彷徨ったままだ。
「な、んで……」
「簡単なことさ。この男も望んでいるんだよ、愛する君が自分のものにならないのなら共に消えてしまおうとね」
掠れる声で絞り出した私の疑問を正確に読み取り、黒セドリック様が言葉を返す。
(そんな、身勝手な)
声にならない息だけが漏れ、視界がちかちかと瞬き、それでも思考だけは必死に意識にしがみつく。
(そんなの、許さないわ)
薄れる意識の中に怒りだけが取り残されていく。
ムカムカと苛立ちが募り、無意識に込められた力が握った腕に爪をさらに食い込ませ、黒セドリック様の顔をわずかに歪ませる。
その表情が彼との記憶を呼び起こし
(好きだって、魅力的だって、傍で支えたいって)
「そう、言った……のに! こ……のっバカ王子! セディ! 聞いてるの! 一度フラれたくらいで諦めてるんじゃないわよ! 私のことが好きなんでしょう? 魔族なんかに好き勝手させないでっ、根性見せな、さい!」
ゴッ
二人の間に響く鈍い音。
頭の中に星が瞬き、ぐらりとよろめく。
爆発した怒りに任せ思い切り頭突きをかました結果、首にかかる圧迫感がなくなり一気に視界が開け、バシャンと盛大な水飛沫が目に飛び込んでくる。
「いけない!」
水に沈むセドリック様の体を慌てて支え起こす。
先ほどの二の舞にならないよう、落ちていたナイフを遠くに投げ捨て腕をハンカチで手早く縛り上げると、ぐったりとしたままの彼の体に跨りながらその様子を注視する。
(どうか、お願い……!)
やがてピクリと指先が動き、垂れていた頭が持ち上がる。
「……っ痛ぅ……」
小さな呻き声と共に開いたその瞳に言葉をかける。
「お帰りなさい、セドリック様」
「…………ああ、待たせた」
彼の碧い瞳に、微笑む私が映って見えた。
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