私のすべきこと、信じるもの 2

「おいお前たち、これはどういうことだ? ルーファスから何か聞いてないのか?」


 私が黒セドリック様の態度に憤慨している間にお兄様がサイモンとヨハンを問い詰める。ん? 待って、どういうこと?


「俺たちゃレティシア嬢の護衛を任されただけだよ!」

「こちらこそルーファス様にはご説明願いたいものですね。……我々が知るのはルーファス様の政敵が『魔族を封じた匣』とやらを手にしたことくらいです」

「匣……大戦の遺物か、なるほど」


 苦々しく答える二人の言葉に、お兄様は顔をしかめながらも納得する。

 『大戦の遺物』『魔族を封じた匣』。

 それが何なのかは分からないが、この一連の事件の元凶であるという事は私も理解した。

 そこでお兄様の昨日の言葉をふと思い出す。騎士らを王子の取り巻きと呼んだその言葉。

 その王子というのがルーファス様を指しているのだと気付き、じわりと心に熱いものがこみ上げてくる。


(そうか、ルーファス様が私のために彼らを)


 そう思うと口元が緩みそうになる――が、必死に抑える。

 だめよ! まだ事態は何も解決していないわ!

 気を引き締めて、目の前の黒セドリック様を見据える。

 

「なぜルーファスを狙う匣の魔族がここにいるのか分からないが、好都合とも言えるな」


 お兄様の言葉にハルが反応し、黒セドリック様と対峙するよう体を起こす。

 その様子を見た騎士たちも再び戦闘の体制をとる。


「君らに用はないんだけどな、まあ丁度いいか。相手をしてあげよう」


 瓦礫から腰を上げ揚々と歩み寄る黒セドリック様。

 ドクン、と胸を違和感が突き上げる。

 ――待って、何かが違うわ。


「丁度いい、とはどういう事?」


 考えがまとまる前に疑問が口を衝く。

 突然口をはさんだ私の意図を測りかねお兄様たちは困惑顔を向けるが、黒セドリック様は楽しそうに私の次の言葉を待っている。


「アナタさっき言ったわ、ルーファス様の方は『私の代わり』が相手をしていると。それはつまりオリヴィアさんの事ね」


 魔族にとって歪んだ欲に苛まれた精神が好ましいというのなら、彼女はうってつけの人物のはずだわ。

 なのに目の前の魔族はオリヴィアさんでなくセドリック様を選んだ。いいえ違う、選べなかった?

 つまり彼女にはすでに――。

 そこまで口にすると、黒セドリック様が堪らずといった様子で声を上げる。


「いいね、素晴らしいよ! さすがは僕の愛するレティシア、僕のことをよく理解している。そこの無能たちとは大違いだ」


 ぱちぱちと軽妙に叩く拍手の音が静寂の中に木魂する。


「君の言う通りさ、彼女はもう売約済みで、僕は仕方なく別の標的を見つけた。ちょうどいい感じに拗らせた精神の持ち主がいて幸運だったね」


 ますます気分を良くし大げな身振りで続ける。


「まぁ、ひとつの匣に魔族が二体だなんて通常ありえないからね。本当に僕は運がいい」


 衝撃の真相を告げられ言葉を失う。

 偶々運悪くハズレを引いたってこと? いやこの場合アタリ? ……どっちでもいい。

 そんな馬鹿な偶然でルーファス様は今――

 青ざめる私の顔を映す漆黒の瞳が嬉しそうに語り掛ける。


「君の愛するという男は、今頃彼女に愉しく遊ばれているだろうね。いやもう既に……」

「貴様の言葉が真実だとしても、ルーファスはオリヴィア嬢とやらに魔族が憑くのは想定していたことだろう? ならば対策は取っているはずだ」


 私に向けられた現実を突きつける言葉を、お兄様が冷静に否定する。

 確かにその通りのはずなのに、黒セドリック様の変わらぬ態度に不安は膨らみ続ける。


「そうかもしれないね。ただね、あの匣はもともと僕の為のものなんだ」

「なっ……!」


 黒セドリック様の意味深な言葉に、反応したのはお兄様だけで。


「アルフレッド卿、どういうことですか?」


 主の芳しくない状況を察知してヨハンがすかさず解説を求める。


「匣には魔族を封じるためにその真名が刻まれている。真名とは魂を縛る言霊だ。ルーファスが相手の真名を取り違えているのだとしたら」

「それってやべぇんじゃねーの?」


 理解したサイモンが漏らす。

 匣に刻まれた真名とやらが黒セドリック様のものだというなら、オリヴィアさんに憑いた魔族の真名は不明なのだ。


「まあ真名なんて分からなくてもその竜くらいの力があれば、魔族なんて敵じゃないだろうけどね。ここに留まってくれるというなら、丁度いい」


 私の疑問への解を口にする。

 でもそれって、ハルが自分を滅ぼすこともできるという事で。

 一体何を考えているの?


「そうか。ならば今すぐ貴様を倒し、ルーファスの元へ向かうまでだ」

「まあできるなら、ね」


 当然のようにそう結論を出すお兄様を一瞥し、黒セドリック様が視線を私に向ける。

 口元が歪な弧を描き漆黒の瞳を細めると、ぞわりと悪寒が走る。

 このおぞましさには慣れない。

 身を竦ませているとやがて彼が両手を自分の首にかけ、鋭利な刃物のように尖った爪ですいとなぞれば、その指先が赤く滴る。


「や、やめなさい!」

「いい子だね、レティシアは」


 悲鳴にも似た声を挙げれば黒セドリック様の手がぴたりと止まる。

 崩れた笑みで心底嬉しそうに私を見つめる瞳に呼吸が止まりそうになるも、だめだ、恐怖に呑まれるな。

 まさかセドリック様の体をこんな風に盾にするだなんて。

 本当に、どこまでも卑劣で質が悪い。

 ぐらぐらと揺れる頭にこれまでの度重なる挑発と恐怖が駆け巡り、ない交ぜになった感情が爆発しそうになる。が、すんでのところで踏み止まる。

 長年の王太子妃教育の賜物か、体に染みついた令嬢の矜持が冷徹の仮面をとりだし、急激に感情の温度を下げていく。

 静かに息を吐き、冷静に。平静を取り戻す。

 

「……お兄様、ハルと共にルーファス様の元へ」

「レティ⁉ 何を」

「ルーファス様の事ですもの、真名なんてなくとも魔族ぐらいけちょんけちょんにできますわ。それでも、万が一にも王太子殿下を危険に晒すわけにはいきませんの」


 私の出した結論にお兄様は拒絶の意を込めた声を上げるが、有無は言わせない。

 未だ王太子殿下の婚約者であり、貴族でもある私にはやるべき使命がある。

 その決意を見てとって葛藤を顔に浮かべるお兄様に、思わず表情を緩める。


「この地には神霊の泉がありますもの。先程は油断しましたがもう魔族に後れを取るような真似は致しませんわ」


 そう。ルーファス様が私を守るために選んだこの廃墟領ならば、戦う道はある。

 そしてその事実はもう一つの可能性を私の中に浮き上がらせる。


「お兄様。ルーファス様は普段冷静を装ってますけど、ああ見えて案外安直で無謀で無茶をなさる、直情的でよく言えば自分に真っ直ぐな方ですの。……私、心配だわ。どうか私の大切な方を守って下さいまし」

「………………わかった。サイモン、ヨハン。レティを頼む」


 長い沈黙の末に口を開く。お兄様も覚悟を決めたようだ。


「くれぐれもお願いしますわ」


 そう言葉をかければ、見送る私に近づきそっと耳打ちをする。

 それは昨日聞きそびれた一つの問いの答えと一つの記憶。


「それって――」


 こくりと頷けば優しい手が頭を撫でる。

 そうしてお兄様は私に背を向け颯爽とハルと共に飛び立ち、みるみるうちに見えなくなっていった。


「レティシア嬢はルーファス様のことよく分かってんだな。あの人にはもったいないぜ」

「しかしルーファス様くらいしかレティシア嬢の手綱を握れる人間もいないだろ」

「……違いねえ」


 背後で取り巻きたちの呟きが聞こえるが何やら納得いった様子なのであえてスルーする。

 事が片付いたらルーファス様に問いただしたいことは山ほどあるわね。

 そのために。目の前の相手に向き直る。


「お待たせいたしました。アナタが用があるのは私なのでしょう? 存分にお相手いたしますわ!」


 さあ、私がすべきことをしようじゃないの。

 口の端をくいと引き上げ、魔族の笑みを迎え撃つ。 

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