私のすべきこと、信じるもの 1
廃墟領の中心地に建つ半壊ながらも威厳を残した石造りの城。
その裏手に位置する崩れた庭園を黒い靄が覆い、不穏な空気が立ち込める。
城に隣接する森の生き物たちも息を殺し、日中であるにもかかわらず周囲は静寂に包まれる。
勢いよく指を突き付けたままの名探偵令嬢スタイルで、その黒い靄の中心に立つ人物に意識を集中させる。
ごくり、と息を呑む。私とメリルの小さな呼吸音だけが微かに聞こえる。
靄の中から微かに見える口元が笑みを浮かべたその瞬間――
カッ
雲一つない青空に閃光が走ると刹那、幾筋もの稲妻が黒い靄をめがけて降り注ぐ。
バリバリという轟音と空気が灼ける匂いに五感を取り戻しそれが雷の魔法であると理解すると、一瞬止まっていた思考が働きだし状況を把握する。
「だめ! その人は――っ」
雷に続いて放たれた風の刃に私の声はかき消され、ならばと足を一歩踏み出すが、黒い靄からいつの間に伸びた腕のような無数の影が眼前に迫り――額を掠めるすんでのところで横から割り込んだ斬撃によりに切り伏せられ、霧散する。
「レティシア嬢、お怪我は?」
息つく暇もなく繰り広げられた怒涛の攻防が止み、再び辺りを静寂が包む。
私とメリルの盾になるように剣を構えたヨハンが立ち、黒い靄をはさんだ向こうには先程の魔法を放ったであろうサイモンが見える。
「大丈夫よ、ありがとう」
返事を返しながら靄の中に立つ人影を確認し……胸をなでおろす。
よかった、セドリック様は無事のようだ。
やがて靄が剥がれその姿がはっきりと晒されると一堂は目を見張り、サイモンが懐疑の声を上げる。
「セドリック王子、だよな?」
現れたのは漆黒に染まった髪と瞳、だがその容貌は間違いなくセドリック様のもので、
「非道いな、近衛騎士でありながら王族に対して随分な真似をしてくれる」
低く割れたような声で責めるように言うも、その表情には喜色が窺える。
傷ひとつなく落ち着いた様子で両肩を竦めおどけて見せる姿はセドリック様とはまるで別人だった。
囲む私たちをぐるりと見渡し、くつくつ喉を鳴らしながら嗤い始める。随分とご機嫌な様子だ。
戸惑う騎士二人が対応にあぐね戸惑っているとやがてその細められた漆黒の瞳に殺意が灯り、一瞬のうちに周囲の緊張が高まる――が、待って待って!
「待ちなさい二人とも! 中身アレでも体はセドリック様なのよ⁉」
それは紛れもない事実で、今にも斬りかからんとする騎士たちを慌てて制止する。
って、さっき知った上で攻撃してたわね⁉ 騎士、恐ろしいコ……!
「さすが僕の愛するレティシア。優しいね」
「それは違うわ。アナタは、セドリック様ではないもの」
騎士たちを止めた私を見て驚くのも一瞬、殺気を鎮めにこりと普段のセドリック様を思わせる柔らかな笑みを向けてくる。が、やはりそれは別物で。
きっぱりと拒絶の意を示しながらセドリック様であってセドリック様でないソレを否定すれば、その笑みをますます深める。
ぞくりと粟立つ肌が警鐘を打ち鳴らす。
「アレってやっぱりよう、アレだよな?」
「信じたくはないが、そうだろうな」
「なんで
間合いを図りつつその様子を観察しているサイモンとヨハンが、なんとも曖昧な確認をし合いながらチッと舌打ちしつつ声を荒げる。
アレっていうのはつまり――
「アレって、魔族、よね? 王宮に居るはずの」
私が口を挟むと二人の顔がばばっと一斉にこちらを向き、あまりの勢いに一瞬怯む。……心臓に悪いからやめて欲しいわ。
「……なぜ、貴女が知っているのですか?」
「ルーファス様の性格を考えれば分かることだわ」
努めて冷静さを装い言葉を絞り出したヨハンにしゃあしゃあと答えて見せる。
驚いた顔をされたが、気付いたのがついさっきだというのは黙っておこう。
それにしても、この二人は事情を把握している様子。そしてさっきのサイモンの言葉。
やはりこの魔族が廃墟領にいることは想定外であるようだ。
目を向ければ、戸惑う私たちをよそに黒いセドリック様はぐいぐいと腕を曲げ伸ばし、ストレッチをし始めてる。
「ああ、久方ぶりの自由だ。やはり肉体というのはいいものだ。若く、力もあって申し分ない」
感触を確かめながら自分の体を撫でまわし、悦に入った様子。
見知った顔でと見たことのない嗤いを浮かべるその姿は不愉快でしかなく。
そんな表情はセドリック様には似合わないわ。あの人の本質は感情を真っ直ぐにぶつけてくる純真なわんこなのだから。
あるはずのない尻尾をぶんぶん振る彼の嬉しそうな様を思い出すと、……なんだか無性に腹が立ってきた。
ずいと一歩進み出てヨハンの横に並び立つ。「レティシア嬢⁉ 下がっ……」と慌てた様子で声をかけるヨハンをキッと一睨みすれば、彼は口を噤んで半歩下がり私を護るように剣を構え直す。
「セドリック様、いいえ、アナタは黒セドリック様ね。随分ご機嫌な様子ですけどこの廃墟領に何用かしら」
名推理により真相を暴きたいところだったけど、生憎情報が足りないわ。
ならば分からないことは本人に聞くのが一番手っ取り早いと、名探偵令嬢を早々に廃業し悪役令嬢スタイルで居丈高に問い詰める。
「アナタの標的はルーファス様ではなくて?」
睨む私を楽しそうに見つめ返すと声を弾ませて答える。
「分かるかい? 僕は今非常に楽しくてね。自由ももちろんだけど、特にこの身体にある歪んだ欲に苛まれた精神というのが実に心地いい」
違う、聞きたいのはご機嫌な理由じゃない。しかもなんだそのふざけた理由は。
眉間に皺を寄せる私をくすくすと笑い飛ばす。実に楽しそうに、セドリック様の体を自在に弄ぶその様子に怒りが増長する。
「ふふ、分かってるよ、君の聞きたいことは。彼の方はちゃんと『君の代わり』が相手をしているから安心するといい。でもね、僕はあっちには興味がないんだ。僕が興味を持つのは君だから」
「それって――っ⁉」
その言葉の意味を飲み込むと同時に、ぐらり、と視界が揺れる。
視線が己の足元を捉えると、いつの間に湧いた漆黒の影が泥のように重く足に纏わりつき、ずぶずぶと沈み込んでいく。
「サイモン!」
「わーってる! くそっ魔力が通らねえっ」
ヨハンの声に顔を上げ、周りを見れば同じように影に捕らえられ、剣を突き立て魔法を放つもまるで手応えがない。
藻掻く間に、さらに引きずり込まんとする影が腕のように這い伸び、身体を絡めとっていく。
ていうかこれ、かなりピンチじゃないの⁉
「お嬢様、逃げ……っ」
身体を半分影に沈めながら、それでも私を助けようとメリルが必死に手を伸ばしてくる。
「だめっ、メリル!」
影が彼女を呑み込もうとしたその瞬間。
グゥオオオオオ
耳を劈くような声が響いたかと思うとふっと身体が軽くなる。
握ったメリルの手の感触を確かめながら体を起こすと、身体に張り付いていた影が跡形もなく掻き消え、地面に投げ出された私たちだけが残されていた。
「メリル! 無事⁉」
「は……い、お嬢様こそご無事で……っ」
影を呑み込んだのか、むせ返るメリルの背中をさすり助け起こすと、目の前に新たな影が落ちる。
「レティ、メリル、遅くなって済まない」
「お兄様、ハル!」
顔を上げれば色の悪い顔に心配と安堵を浮かべたお兄様が、申し訳なさそうに手を貸してくれる。
その後ろに控えるハルも心なしか不安気な顔をこちらに向けている。きゅるんと潤む瞳が尊い。
「そんなことありません、助かりましたわ!」
どうやら騎士二人も無事の様でメリル同様咳き込みながらもふらふらと立ち上がる。
そんな足元もおぼつかない私たちとは対照的な人物が一人。
何事もなかったかのように瓦礫に優雅に腰掛け佇む彼は、にこりと笑みをこちらに向ける。
「ふぅん、さすがに竜の力は侮れないね」
それにしてもこの余裕綽々な態度に益々いら立ちが募る。
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